ルチアこころの景色
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2005/05/28(土) 森になりたい
午後、「木ワーク」の下見に行ってきました。気持ちよかったけど、ひとりで行ったのでちょっとサミシカッタ。^_^;そしてちょっとコワカッタ。でも収穫ありました。

土曜だから駐車場にはたくさん人がいて、少し安心したのですが(アベックとか家族連れとか大学生の楽しげなグループばかり)時間がもう3時半で夕方になりつつあったので、ひとり森の中は少し躊躇しました。息子を誘ったけどふられて、でも連れて行かなくてよかったと思った。息子が一緒だと思うように準備ができなかったはず。

駐車場に人がたくさんいたのに、私が歩く道はほぼ無人でした。かと思えば、いきなり人が現れるから森の中は不思議です。良かった点はひとりだと瞑想しやすい(数分ですが)時間が訪れやすい事。よいスポットを探してきました。(^^)ワークをひとりするのはハズカシくてあまり今日は出来ませんでしたが、複数だとコワクナイ!?

ルートは山登りの道は歩きませんので、平坦が多くつかれません。ちょっと残念なのは惹かれるイカシタ木が少ないこと。大きな木が油山には少ないです。でもやはり森の中は街の中とは大きく違います。ほんの数時間ですが別世界に入れます。(^^)

油山から下る途中の道のりは緑を惜しむようにいつもゆっくりになります。低い山ですからあっという間に下界におりてしまい、混雑した車道に入るといつもちょっとがっかりします。

でも森で感じた静けさ、緑の美しさ、風のざわわとした音、気持ちのよい空気などはほんの断片ですが、私のどこかに残っています。今日一番心に残っているのは観察小屋から見た小さな飛ぶ虫です。赤いキレイな色が部分的についていたのです。あれは何だったのだろう?赤とんぼの赤ちゃん??

森歩きが好きな方、時々一緒に歩きたいと思う方はルチアにメールを。私はほんとに森歩きが大好きです。(山歩きと書かないのは体力がなくて山登りがニガテだからです・・・^_^;)

今度の「木ワーク」自然の中で一人では出来ないワークを一緒に楽しむ会、みたいにしたいなと思っています。私も森に関して、また自然の中でのワークに関してはまだ初心者なので、一緒に自由に楽しみましょう。

来週の木ワーク(森ワークに改めようかな)が楽しみです。(^^)日曜日なら参加できるという方、もし土曜が雨でしたら日曜に行いますので、参加希望の方はご連絡下さい。

2005/05/27(金) 時代と音楽
今夜は息子の学校で発表会があった。

1950年代から2000年までの音楽にあわせて子供達が踊るというもので、60年代、70年代の音楽は特になつかしかった。50年代のロックンロールではついこっちの方が踊りたくなってしまった。(もちろん自分が踊るなら女の子はポニーテールにフレアスカート。男の子はリーゼントに革ジャン、白のTシャツにジーンズで。イメージはアメリカングラフティと言いたいが、高校時代に見たグリースの映画。)

発表会は音楽に合わせてその年代の出来事がナレーションで入っていたのだが、ビートルズのイエスタディ♪に合わせての60年代アメリカの公民権運動やキング牧師の暗殺、I have a dream の有名なスピーチの言葉、ケネディの暗殺など、聞いていてほろり、と来るものがあった。ベトナム戦争についてなどアメリカ人には聞いていて耐え難いものがあるのだろう。

私は日本に育ったのに、なぜアメリカの歴史に心を動かされるのかと思わないでもないが、世界の大きな出来事は、その当時自分が記憶のない事でも感慨深いものがある。

暗殺の可能性があっても正義をつらぬく人。人の命は星の瞬きのようなものだから、そして又生まれ変わることは出来る(魂はずっと生きていく)のだから、肉体がほろびる事をおそれずに、自分が正しいと思うことに対して、YESはYESと言える人でありたいと思う。

アメリカといえば現在はアメリカの軍部に対しての不信感が大きい。ベトナムの枯葉作戦に続いて劣化ウラン弾にも放射能の影響があるとか聞くし、結局兵士はただのコマのようなもので、もし亡くなれば家族は悲しい。アメリカは真珠湾攻撃やツインタワー破壊以外で空襲というものを体験した事がないから、よその国が攻めてくるという事に対しての恐怖感が他の国より薄いように思える。だからああやって、どんどん他の国を攻められるのではないのかと思ったりする。

人間は自分が経験しないと他人に起こっている事は想像しにくい生き物だ。アメリカという国がこれからどうなっていくのか、ちょっとコワイ気がするが、どうなっても自分達が蒔いた種は自分で刈り取らなくてはいけないのだから、仕方がない。

今夜の劇の中で心に残る言葉があった。

誰かの言葉らしいが(聞き取れなかった^_^;)
「人間はいつ生まれるか、いつ死ぬかは自分では決められない。決められるのは、どのように生きるか、だけだ。」
確かにそうだ。どのように生きるか・・・?
自分でどのようにでも生きられるのだ。
自分が毎日その選択権を自由に与えられて生きているのだ。
そう考えてみるとコワクなる。

私の選択はひどい。あまりにも不経済に非合理的に生きている。
いけないいけない・・・。

そして音楽は90年代、ダイアナ王妃が亡くなった・・(音楽はマライアのMake it happen♪ だったかな?)そのナレーションでは
「人生はかくも、もろいものだ。」(だから自分で、何かを起こさないといけないのだ!)

確かにそうだ。明日、何が起きるかわからない。
最後の曲は「・・God is watching us from the distance ♪」

God 神様という言葉にはぴんと来ないのだが、何か大きなもの、
この宇宙の全てを創ったものは存在しているように思う。そしてそれは秩序と調和を基本にしていて(占星術などの星の動きから)悪はその基本にはどうしても沿えないから、永遠には続かなくて、はじき出されてしまうのではないか。神のように善がいればその反対のサタンもいるだろうが、決してこの世界では主役になれない。

しかしよく出来ている発表会だった。音楽が入った発表会は楽しい。それも子供っぽい音楽だと退屈だが、大人っぽい曲なら、出来たらカクテルかなんか飲みながら聞きたいなぁと学校で思ってしまう。

もうすぐ私の誕生日がやってくる。一年一年、誕生日が来る度に、人生について考える事が多くなる。そして後ろから追い立てられるように、少しずつ動くスピードを速める必要性を感じさせられる。いつもギリギリになってやっと動く性格が人生にも出るのか、と苦笑いしてしまう。

2005/05/16(月) 修道院あとの緑の公園
毎日夕食後に自宅近くを30分以上も歩いているというスピ友に感化されて、私も時々歩き出した。夕食を平日は18時頃に食べるので、その後19時頃にお外へ出かける。

近くに割りと最近出来た公園があってそこに歩くには絶好の遊歩道がある。その公園は以前修道院があった所で前は緑がうっそうと茂っていたようなのだが、公園を作った時にたぶんかなり木を切ったのではないだろうか?まだ修道院があったときに中に入った事がなかったから以前がどの程度木に覆われていたかははっきりとは知らない。ただ前は大通りからほとんど中が見渡せなかったので、森の中に修道院の建物がひっそりとあったのではなかっただろうか。もしそうだとしたら、切られた木々がとても惜しい。

なぜその修道院がなくなって公園になってしまったのか。理由は全く知らないが残念な気がする。そういえば少しはなれた神学校も森におおわれていて思わず中に入ってみたくなる風情が門からにじみでいてる。そこも確か学校がなくなると聞いたような気がする。

その公園は駐車場は故意に作ってない。(地元の人のための公園という事だ。でも不便。)中は大きなグラウンドが真ん中にあって回りに遊歩道があるだけ。子供のための遊具がめずらしく何もない。ところどころ以前の並木が残されていて、かぐわしい自然の香りがする。ベンチは木の切り株で作ってある。なかなかセンスのよいオトナのための公園なのだが、なぜかいついっても人があまり来ていない。駐車場がないせいだろうか?せっかく歩きやすい遊歩道があるのに、歩いている人がいつもほとんどいない。時々目にするのは犬を散歩させる人。そしてティーンエージャーくらいの男の子達。

今の時期は暑くも寒くもなくて、歩くにはちょうどいいのだが、誰も歩いてない。不思議だ。だから薄暗くなってくると、なんとなくこわくて携帯を使いながら歩いたりしてる。

ここは人を寄せ付けない雰囲気があるのだろうか?私も前出来た時に遊びに来て殺風景な印象を受けてそれからずっと遊びに来ようと思わなかった。でもここで歩き出してからはだんだんこの場所が好きになってきた。なんとなくここは普通の世界とは離れた感じがある。あまり俗っぽい感じではないのだ。すぐ近くにはゴーゴーと車がたくさん行き交っているのだが、ひとたびここに入るととても静かだ。並木のそばを歩いていると木の生え具合がとても美しい。木好きな私は気に寄り添ってちょっと休憩し彼らとお話したいところ。もしかしたら以前修道院だったこの場所は、何年にもわたる修道女達の祈りの波動が残っていて、他とはちょっと違う空間になっているのかもしれない。お祈りとかお願いとかするにはもってこいの場所なのかもしれない。

そんな世間離れした事考えながらいつも歩いている。歩くという作業は瞑想に近い。ほっとけば雑念がいろいろ湧いてくるが、気がつけば自然と同化している瞬間を感じるときもある。ほんの少しでも歩けば身体の中の空気が入れ替わって、風通しがよくなる。この公園は一周がわずか5〜7分ほど短い。その間人にあまり会わない。少々さみしいが、これからもちょっとした異次元空間でのウオーキングを愉しみたいと思う。


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