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2005/01/02(日) 野球人生1
少年野球の時からの友達と会いました。
もう知り合って10年くらいですかねぇ、
たぶん一番仲がいいやつなんですけど。
昼ぐらいに会ってそのまま数時間ビリヤードをした後、
久しぶりにバッティングセンターに行きました。
野球を辞めてからはバットもろくに振れないのですが娯楽ぐらいのレベルでは楽しいものです。

野球を始めたきっかけは何だろうねぇ…
タイミングよく誘われたからかなぁ
小学校4年生の時に何か習いたいなぁと(当時習い事ブームでしたから)。
で、そろばんとかやんのばからしいし習字とかはやってたからどうしようと悩んでいたら友達から誘われて始めました。
もともと野球は結構好きで小学校1年にして広島カープのファンでした。
12球団1マイナーな球団と言われていますが…
小学生の時は前田とか緒方に憧れ、
しかし4年生の時のポジションはセカンド…
っていうか自分器用じゃないですからゴロ苦手なんですよ。。。
しかもセカンドって地味な割に結構動かなきゃいけなくて疲れる。
キャッチャーがピッチャーにボールを返すときのカバーリングとか大嫌いでしたね。
しかもカバーリングしてるのとかピッチャー気にしてないから守備位置に戻る前に投球しちゃったり…

そんな苦労をしながら5年生になると監督が交代し、
次に任されたポジションはサード…
また内野かよ!とか思いつつ(あっ、ゴロ苦手なもんで)頑張りました。
サードにはセカンドとは違うつらさが。
大体小学生ってほとんどが右打ちですから、
早い打球ってのは自然とサードに来るんですね。
しかも少年野球のグラウンドなんてまともに整備されてないから早いうえにイレギュラーする。
ものすごくたちが悪かったです。
5年の時はチーム最多エラーだったと思いますよ。
そんなことよりもっと大きな変化が5年の時にはありました。
4年生の時にバッティングが振るわなかった(当時7番打者)のと
足がチーム内で速かったってので左打者へのコンバートがありました。
だからって何で左かって?
左打席の方が一塁に1歩分くらい近いんです。
しかも右打者が振り切った後に一塁方向を向くことと、
左打者がスイングの勢いで一塁方向に進めることを考えると
右打席のときより左打席の時のほうが一塁に着くまでのタイムが1秒くらい早かったりするんです。
そのおかげで打率は上がる(3割くらい)、
四球とかが増えて(ほとんどの相手投手が左打者との対戦に慣れてないから)出塁率が上がる、
塁に出れば盗塁が増える、
そして打順も次第に前のほうへ、
最終的には1,2番を打ってましたね。
と5年生の時には結構大きな変化があった年でした。
5年生の時ですね、
今日遊んだ友達がチームに入ってきて仲良くなったのは。

そして6年になり、また監督が代わります。
4,5年の時に比べて神のように優しい監督でした。
っていうか4,5年の2人は鬼だったんだけど…
監督が代わると再び右打ちに戻します。
左の方が成績はいいんだけど打球の力が右の方があったんだよね。
三振数も増えたし。。
というわけで右打ちに戻した小学校6年生ですが、
ちょっと話を変えましょう。
僕が所属していたチームって実は愛知県では結構強いチームで、
色んな大会で優勝とかしてるんですね。
で、ろうきん杯っていうナゴヤ球場(この年1996年の秋にナゴヤドームができた)で行われる大会で頑張ってたら、
国際交流大会っぽいやつの選手に選ばれました。
30人くらいプレーヤーはいたのかな…
そのチームで少し練習して(だからよく言えば代表戦みたいなもの)、
韓国とか台湾とナゴヤ球場で戦いました。
何で韓国、台湾って感じですよね?
当時地元名古屋を本拠地とする中日ドラゴンズには活躍した外国人選手がいたんですね。
韓国出身のソン・ドンヨルっていう投手と、
台湾出身(日本に帰化)の大豊泰昭っていう外野手が。
その2人の影響でしょうね。
実際その2人と当時中日の監督だった星野仙一とかと記念写真撮ってましたから。
で、その大会の何が大変だったかって
試合後に3チーム(日本、韓国、台湾)集まって立食パーティーがあったんだけど、
言葉もわかんない人たちとどうしろと??
てきとーに笑いながら過ごしました。
この時、愛想笑いの大事さと難しさを痛感しましたよ。
さて、そんな大会はおいといて、
6年生の時は意外とチームも好調。
各種大会でタイトルを獲得、
東海3県(愛知、岐阜、三重)で行われるミニ甲子園ってのでも、
準優勝しました。
その大会では個人的にも受賞されたんで結構いい思い出です。
そして好調なまま卒業。
最終的にはポジションは外野手に落ち着き、
打順も3番に大体固定され、
さぁ中学校も頑張ろうって感じだったのですが、
思ったより長くなっちゃいましたね。
中学生以降の話はまた今度…

それでは。
長くなってごめんなさい。


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