日常日記
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2004/01/31(土) 久々の更新作業
今日はホームページを更新した。
久しぶりに更新作業をしてみると、思いのほか面倒くさいのを感じる。サイトの更新は決して難しいことではないが、かなり手がかかる作業である。

思えばサイト開設当初は、まだまだやりかけのことがたくさんあり、夢と希望?もあり、山のようにたまった文書作成や画像管理を次々とこなしていき、全く苦にならなかった。それがわずか1年半ほど経っただけで、このていたらくである。

何とか毎日の日記の更新は、ほとんど滞りなく書いているが、これは最近めっきり日記のアクセスが増えたため、手を抜くわけにはいかない現状である。3つの日記の中、もっとも多いもので1日6、70の訪問者が来ている。70人といえば大学の講義並みの人数である。競艇で言えば、1回乗りで11レースはできてしまうほど(笑)

書いている私としては、更新日数がもっとも少ない「ギャンブル日記」にもっとも力を入れて書いているつもりだが、アクセス数がもっとも少ないのは、やはり内容がマニアックだからだろうか(汗)
(写真は佐世保競輪場の穴場)

2004/01/30(金) 赤坂門のふきや
夏は暑く冬は寒い。といっても小倉競馬場のことではない。中央区赤坂門の赤坂門市場にある、お好み焼きのふきやである。
今どき冷暖房設備がないために、夏は気温プラス鉄板の熱で暑く、冬はすきま風で寒い。お好み焼きが最後の方は冷めかけてしまうほどの寒さだった。

とはいえ雰囲気たっぷりの赤坂のふきやである。たまにはあの薄汚れたちょうちんと暖簾を覗いておきたいものである。
しかし今日は後々だいぶ胃がもたれた。あのべっとりとしたソースと、油まみれの特製マヨネーズによるものだろう。でも、また食べたくなってしまう、不思議な食べ物である。
(写真は赤坂門市場内のふきや)

2004/01/29(木) ハローグッバイ
今日は久々にハローへ行った。ハローとは箱崎や唐の原、長浜の鮮魚会館などにある、安い洋食レストランである。
しかしハローは値上げしていた。とはいえ元が安いのでそれほど高くは感じなかったが、それでも以前の激安感がなくなっていた。しばらくは行かなくなるだろう。

2004/01/28(水) MKと優駿たちの蹄跡と松健サンバ
きのうは銀行窓口業務のSさんとMKレストランでしゃぶしゃぶのランチ。こまめに灰汁を掬うSさんの献身的な姿に感心(はあと)。
いつものごとくゆったりまったりとお喋り。食事の後はスターバックスでまたもやまったり。平日のスタバは休日の客層と違い、洗練されたきれいなお姉さんが多くて目移りした(^^;)

帰りはジュンク堂(本屋)で、ビジネスジャンプの最新号をチェック。「優駿たちの蹄跡」にA厩舎のことが載っていて、助手さんがあまりに精悍に描かれていて、Sさんと爆笑する。「アイーン体操」を歌う助手さんと同一人物とはとても思えない。

生活的な話では、@Mルキョウで米は買わない、ASニーでの買い物は特売のある月・金曜日のみ、という結論で一致。そしてもう一つ意気投合したのは、「松健サンバ」を生で見たい!ということなのだった(笑)。「松健サンバ」とは、松平健が自らの公演のフィナーレで振りつきで盛大に歌う曲のことである。ちなみに「松健音頭」や「松健マンボ」もある。

2004/01/27(火) 年とともに
読売新聞のCMの続き。
あのCMは、斉藤哲夫の歌もかなりの効果をもたらしている。
あの頃の斉藤哲夫の歌はとんがった声と、前衛的な歌詞でよかった。その後、「♪今の君はピカピカに光って〜」と軟弱な声になり、さらに今では・・・。

若い頃は素晴らしい作品を残していたのに、今では別人のようになってしまった人はあまりに多い。おとといの日記で書いた高田渡もそうだし、岡林信康もそう。映画監督でいえばジャン・リュック・ゴダールなどがその典型か。

自分も年とともに、鋭い感受性などを知らず知らずのうちに失っているのかもしれない。変に丸くなりたくはないが、最近、怒る回数がめっきり減ったのは確かに感じる。

2004/01/26(月) 嘆く前に闘うこと
肝心の新聞の方は巨人が嫌いなので好きになれないが、最近の読売新聞のテレビCMが気に入っている。
バックに流れる「♪素晴らしい〜じんせい〜を」という斉藤哲夫の歌も好きだが、「嘆く前に闘うこと」というコピーがいい。ぶつくさと愚痴ばかり言うことは簡単だが、その前にやれるだけのことをやってみるのは大事なことだ。今年の自分のテーマにしている。

CMの映像では、未明の新聞配達店のカットや、夜の居酒屋風の店内などが断片的に映され、様々な人生模様をイメージさせているのだろうが、映像には少し異議がある。
私は以前新聞を配っていた経験があるが、新聞を配る人々は夜に店で酒を飲むことはほとんどできない。ゆえに新聞配達にほんの少しでも光を当てる意味があるのなら、飲み屋の映像とは並べてほしくない。嘆く前にどんなに闘っても、飲み屋で飲んだ後の深夜にバイクには乗れないのである。自転車では、バイクの1/3も配れないし。

2004/01/25(日) 自衛隊に入ろう
今どき流行りのファッションも音楽も、何十年も前に流行ったものの再生である。何十年もかかって辿りついた先が元の木阿弥だったことが何とも滑稽だが、これは流行だけでなく世相も同様で、過去から見て21世紀になってからもまだ戦争をしているなど、多くの人が思いもしなかったことであろう。

面識のない人の前で政治の話をするものではないが、戦争はいかんものである。しかしアメリカに安全保障されているこの国では、アメリカの犬になるしかない。原爆まで落とした国のために、憲法の解釈まで捻じ曲げて派兵するのは哀しい。しかしそれがこの国の代表が決めた生きる道である。

そんな中、新宿で泉谷しげるがゲリラライブをやったそうだが、その中で高田渡の「自衛隊へ入ろう」を歌ったそうである。「♪自衛隊へ入ればこの世は天国」と、自衛隊を皮肉ったこの曲が発表され話題となったのは昭和44年。まさか35年のちの世でこの曲がぴったりとマッチするとは、何とも情けない話である。しかし当時このような挑戦的な歌で世を動かそうと燃えていた高田渡も、今となっては飲んだくれのおっさんになってしまったのはもっと空しい。

2004/01/24(土) 金と学歴
早稲田実業初等部が入試面接時に、保護者に対し何と350万円の寄付金を強制していたことが判明した。
私立だから寄付金を要求するのはわからなくもないが、ものの金額には相場というものがある。350万円に見合う教育を受けられる保障は何処にある?行く先の大学を出ても、和田サンのようにレイプサークルに没頭するために8年も大学に行くのもいるし、芸能人ということで明らかに相応の学力がないのにズルして入れてもらったのに、ろくすっぽ大学に顔さえ出さずに退学する広末みたいなのもいる。広末は大学に行かないで、中田氏セックスにうつつを抜かしていたことも発覚。そういえば私が最初に就職した商社で、仕事があまりにもさばけずクビになった人もワセダ卒だった。この人は私の高校の先輩なので、あまり大きい声ではいえないのだが。

学歴が絶対的に必要な職種があることも事実だが、広いこの社会の中ではそれらはほんの一部でしかない。学歴がなくても生きて行ける選択肢はいくつもある。それに下手に学歴があると厄介な場合もある。だというのに、小学校からこんな高い学費を払ってまで、そんな学校で教育を受けさせることは私にはわからん。金が有り余っているのなら別だが。

2004/01/23(金) 最後のストライク
高津臣吾がホワイトソックスに入団するらしい。高校、大学とも2番手投手だった彼は、プロに入ってから一皮むけた選手でもあるので、ピークを過ぎた今からでも、新しい環境に順応できる可能性は残されていると思う。

先日、津田恒美の闘病生活を夫人が書いた「最後のストライク」を読んだ。身内が入院していたため、この本はかなり私の力になった。病院や僅かな可能性のためのハイリスクな治療法への不信感、患者への心のケア、命の重さ、そして闘うための精神力。津田投手のストレート勝負のピッチングは、かつて弱気のピッチングで失敗したところから始まったという。広島出身の高津は、そんな津田投手の気持ちで向かっていく姿を継承していたのかもしれないなどと少し考えたりした。

去年の夏、私が佐賀へ見に行った広島−ヤクルト戦、9回に出てきた高津は広島打線につかまり、決め球のシンカーも打たれ4点差を追いつかれた。あの日以来、私が上京して初めて見に行ったヤクルト戦の最終回に投げていた阿井投手を見るときのように、心の片隅に一抹の不安を抱えて見るようになった。それを払拭するのはこれまで投げ抜いてきたのと同じように、気迫で向かっていくことしかなかろう。

2004/01/22(木) 恵みの雪
九州人にとって雪は珍しく、日中まで降り続き雪が残ることは年に1度か2度くらいのものである。それも年々暖冬になり、見慣れた街が見慣れない雪に覆われる姿を見ることも、なかなかないこの何年かである。

今日は雪のため、バスもなかなか来ない。
東町から唐津駅まで、約2.5キロの道をゆっくりと歩いてみることにした。目や口に入り込むほど間断なく雪が降り続き、通り沿いの店はどこも開店休業状態のようである。

そんなとき、「やめてくださいっ」という女性の黄色い声が、雪の中から聞こえてきた。セクハラかと思ってその声のする方を見てみると、ガソリンスタンドで若い従業員が雪合戦をしていた。雪の中、給油する車などそうそういないのだろう。すっかり夢中になって興じている様子である。

たまにはそうしてはしゃいでみるのもいい。こんなに雪まみれになれる日は滅多にない。胸元や袖口から雪が入り込むほど、激しく雪をぶつけ合えばいい。口に入れば食べてしまうのもいい。
雪の日には外に出たくない、なんて思う日が来てしまう前に。

2004/01/21(水) やれやれ
今日は、ここのところ忙しすぎてできなかったことをたくさんやった。まずは散髪。唐津に来ていたので、レジャーの帰りに大手口の理髪店へいったのだが、なかなか親切な店で、髪を切るにもセットするにも、色々と気を使ってくれて満足。「商売人と客」としてではなく、「人間対人間」の気遣いは嬉しいもの。煙草屋の2階の理髪店はなかなかいい店だった。唐津へ行かれる殿方にはおすすめしておこう。組合に加入していないいわゆる「安い床屋」だが、ハートフルな店である。

そしてその後は酒を。自分のことでは滅多に「忙しい」という表現を使わない私だが、この1週間は生涯屈指の「超多忙」。それもひと段落し、久々にゆっくり飲むことができた。大雪のせいか、魚料理屋にはあんまりめぼしい旬のものがなかったのが残念だったが、久々に食した川島豆腐店のざる豆腐や、いかしゅうまいだけでも十分(笑) それにしても唐津の夜は寂しい。

あと一つは十分な睡眠。久々にたっぷりと眠ることができ、体力、気力ともに復活できそう。できれば就寝前に、色気のある店で酒池肉林といきたかったが(笑)

2004/01/20(火) 明日はホームランだ!?
吉野家の牛肉の在庫が底をついていると聞き、最近吉野屋へ行くことが多い。かつて「牛丼ひと筋80年」というCMで売り出した吉野家だが、肝心の牛丼がなくなっては、本番のない特殊浴場のようなものである。

先日、長浜通り沿いの店に行ったら「鮭いくら丼」があったので食べてみた。店内にはカレー丼のシールばかりが貼られていて、この鮭いくら丼のシールは広い店内のたった1箇所にしかない。豚キムチ丼だって数枚のシールがあるというのに。おそらくカレー丼が一番利益率が高いのだろう。鮭いくら丼が一番儲けが少なく、実はあんまり食べてほしくないのではないか?

鮭いくら丼は塩辛い鮭フレークと、バイオいくら100パーセントで、ややくどめの味。ううん、この味なら、シール隠さなくても月に一度食べれば、もういいかも(-_-;)
果たして牛丼なしで、吉野家はホームランを飛ばせるのかは疑問である。
ごくわずかの和牛牛丼の店を設けるようだが、福岡に1店できてくれないものか・・・。

2004/01/19(月) うちわ海老
地元のスーパー「サトー食鮮館」に食材を買いに行ったら、小型ではあったがうちわ海老が安く売られていた。手に取って見ると足が動いていてまだ生きているようだ。全長12〜15センチくらいだが、1パックに7尾ほど入り398円とお得なので購入。冷蔵庫へ入れておいた。

2日ほどして調理しようと取り出してみると、何とまだ生きている。しかも暴れ馬並みに激しい尻っぱねを見せ、7尾ほど全てがトレーからジャンプするほどの活きの良さ。うちわ海老には方々に鋭い棘があるので、さばくのは無理と判断。ぜひとも刺身か焼き物にしたかったが、危ないのでそのまま茹でることにした。
車えびなどで、もみ殻にまみれてヨタヨタと足を動かすくらいかすかに活きていることはたまにあるが、蓋をしておかないと飛び出してしまうほど活きがいいのは珍しい。それに冷蔵庫に何日も入れていたというのに。うちわ海老って、生命力が強いのか?

ゆであがったうちわ海老を剥いて食べると、それはもうぷりぷりしていて美味。頭の部分はみそが濃厚。
うちわ海老は海老でありながら、身の部分は伊勢海老のような甘みがかった海老の味、頭の部分は渡り蟹の味噌の味の両方が味わえて面白い。

福岡に帰ってきて約11年。商社勤めをしていた頃、東京の本社から福岡へ飛ばされることが決まったとき、若い私はかなりのショックを受けたが、こうして新鮮な海の幸を味わえるのは玄界灘沿いに住んでいるからこそ。これからも福岡に住んでいるからこそ出来ることをたくさん満喫していきたいと思う。
(写真は唐津の十六夜で出されたうちわ海老)

2004/01/18(日) ギャンブルのすすめ
日刊スポーツ新聞の栗田記者が「ギャンブルのすすめ」と題して興味深い記事を書いていた。
豊かなこの時代に、今の若者は欲しい物は全て買い与えられ、満たされすぎている。テレビゲームで現実離れした世界に陶酔する。そのままの気分で社会に出ると、たちまち思い通りにならない現実の前に呆然とする。そんな若者に「ギャンブルのすすめ」というのだ。

ギャンブルは確かにリアルな現実そのもの。投票券が外れれば確実に現金が減っていく。誰も手加減はしてくれないし、リセットもできない。そこで負けまいと努力、勉強をする。データなどを分析し、勝ったときには現金としてリアルに帰ってくる。まさしくギャンブル場は人生修行の場だというのだ。

私も大いに賛成。多くの人に、一度はレース場へ行ってみて欲しいと思う。好き嫌いはあろうから、ファンになるかどうかはわからないが、どういう世界か一度は見てほしいと思う。
レース場には、自分のため、家族のため、同県の先輩・後輩のため、ファンのためなど、多様なしがらみを背負いながら必死に走る選手がいて、結果次第では感動を分かち合ったり、罵声を浴びせられたり、次に期待されたり、見捨てられたりと、様々な人間模様があるのだ。

それに何より、選手もファンも一番欲しいのはお金であり、どちらも思うようにはならない現実を身にしみて知るようになる。選手は体を張ってレースに臨み、ファンは身銭を切りながら潤いを求める。
ただ列に並んで宝くじを買い、当選番号と照らし合わせた瞬間にあっけなく終わるよりも、様々なプロセスがある散在の方がずっとずっと生きている感じがすると思うのだが。

2004/01/17(土) 小倉競馬開幕
今年の小倉競馬の開幕は、何と雪の積もった競馬場での始まりとなり、発走時間が遅れるほどの積雪だった。
そんな小倉開催の一つの目玉は、人気ジョッキー武豊の参戦だが、今日は2レースで志村けんの所有馬「アイーンベル」に騎乗することが注目されていた。

何とあの忙しい志村けんが小倉まで来ていたそうだ。殿が来たから、まさか着順まで殿(しんがり)というわけではないだろうが、結果7着に破れウイナーズサークルでの「アイーン」は持ち越しとなってしまった。

志村といえば、古いファンなら目黒記念でのノミ行為が思いだされるが、そんな過去も忘れられようとしている。今や共同馬主でなく、単独での中央競馬の馬主様である。そういえば、オグリキャップの中央での最初の馬主は、脱税問題で馬主を替わるということがあった。過去はいいが、馬主になってから法に触れる行為が許されないとは、ちょっと不思議な話である。

2004/01/16(金) 新撰組
NHKの大河ドラマで新撰組をやるらしく、公共放送でありながら番宣を繰り返し垂れ流している。しかし香取慎吾が近藤勇というのは笑止千万。時代劇の経験はおろか、演技力に深みも期待できないアンちゃんに殺人集団の頭をさせるとは、いくら若い新撰組とはいえ酷な話である。

殺人集団とはいうものの、武士は皆、殺人者のようなものである。新撰組は武士未満の身分で、剣の立つ者の集まった荒くれた集団である。その中にあって近藤は、芹沢鴨や新見錦などその部下や山南敬助など、同じ新撰組隊士をも殺戮するというほどの人物である。最後は甲府城を乗っ取ったら百万石をやる、という話を真に受けるようなかわいらしさもあったのだが、農家に生まれ剣術を極め道場主となり、新撰組隊長となり、やがては流山で斬首されるといった波乱万丈は、事務所からあてがわれた仕事に追われる傀儡のタレントでは、やるだけ無駄というものである。

だったら誰に近藤勇をやらせるか、と言われれば即答はしかねる無責任さが私にもあるが、例えば萩原流行などにやれせてみると面白いかもしれない。しかしそれはあくまで視聴率を考えず、質に重点を置く考え方である。

2004/01/15(木) 不登校から芥川賞
第130回芥川賞が19歳の綿矢りさと20歳の金原ひとみという若い書き手に与えられた。
これまで丸山健二の23歳1ヶ月が最年少記録で、30数年ぶりに塗り替えられたことになる。その頃は新橋の第一ホテルで受賞式があった頃で、選考委員にはこの年やっと三島由紀夫が参加したというほどの隔世である。現在の選考委員は村上龍や山田詠美といった名前である。

丸山健二は受賞決定の通知を電話で受け、船橋にあった会社の寮から新橋までタクシーを飛ばしたそうだが、受賞の衝撃でその後の記憶が断片的にしか残っていないそうだ。しかし今回受賞したふたりは、記者会見から見るとケロッとしていてそんな風にはとても見えなかった。やはり時とともに若い人も変わっていくのだろう。

今回受賞した金原ひとみは、不登校を期に小説を始め、ほとんど中学には行かず、高校も中退した経歴を持つ。今の若い子の一部は、実に簡単に学校を辞め、私の職場にもそんな子たちがたくさん来るが、ほとんどが使い物にならずに自ら消えていく。社会での実情もそれに等しいと思うが、数少ないとはいえ僅かでもこうしてそんな苦悩から這い上がって、自分の生きる途を見つけることが出来たのは、同じ境遇の子たちの励みになれば幸いである。

丸山健二も高校(現在では高専)では、カンニングや留年をするなど散々な生徒だったようだ。そもそも文学は、道から外れた者がのめり込むようなプロセスがポピュラーだったわけで、それは今も変わらず続いているのだと妙に感心。

2004/01/14(水) コンビニで2万の買い物
今日は女友達と電話で話しこんだ。
その女のコは先日、別の友達と酒を飲もうという話になり、ありきたりのやり方では面白くないので、コンビニで2万円(ひとり1万円)分の買い物をして、家に持ち込んで飲もうと思い立ったそうだ。
コンビニで2万円も買い物するのは大変で、高価な酒や贅沢なおつまみ類をたくさん買い、大きな袋4つにもなったそうだ。

宴はすっかり盛り上がり、2人は楽しい夜を過ごせたようだが、2万円分ともなると空き瓶やごみの量もすさまじく、片付けているとものすごく空しくなったそうな。疲れ方もかなりグレードが高かったとぼやいていた。

しかし単調な日常生活の繰り返しが続く中で、そうやっていつもと違う「悪ふざけ」をやることは決して無駄なことではないと思う。人がやらない何かをやってみるってことは、思うだけで何一つしない消極的な人よりもはるかに立派である。

2004/01/13(火) 俺たちに明日はない?
死ぬまでに、と言ったら大げさだが、行っておきたい場所や見ておきたいものがいくつかある。その中に札幌の雪まつりもあるわけだが、今回の自衛隊派遣の影響で自衛隊の雪まつり撤収もあるという発言が師団の団長から出て物議を醸しているようである。

札幌在住の友人によると、地元の人は雪まつりはあまり行かないそうで、ギャラリーの多くが観光客だという。博多でいえば屋台のようなものか。いや、屋台のようにぼったぐられることはなかろう。となるとキャナルシティとでも例えるか。

雪まつりの他に私が行ってみたいものは、国内では青森のねぶた、相馬野馬追、木曽の御柱や大阪造幣局の桜の通り抜け、桜といえば徳島と高知の県境にある京柱峠の千本桜も満開の時期に見たいものである。
しかしこうして並べてみると、どれも私が年老いてしまっても残っていそうなものばかりである。慌てることもなさそうだが、一寸先は闇のこの世・・・。

2004/01/12(月) 成人の日
今日は成人の日だそうで、私が仕事を終えるまだ暗い早朝、美容院が煌々と灯りを点けて営業しているのを見て気付いた。世間では三連休なのね。

しかしそろそろ成人式の存在価値も怪しくなっている気がする。割礼の儀式でもあるのならともかく、今や成人式といっても形式的なものにすぎず、それを機にほんの一部の新成人が愚行をしでかしマスコミの餌食になる。全く関係ないまっとうな大半の新成人には迷惑千万な話であろう。

正月が過ぎ、そこで何かと出費がかさんだ多くの人たちは家にこもり、商売人としては厳しい日々に毎年、この成人の日がやってくる。新成人らしき若人は、デカい声を出して騒いだり、加減を知らずに飲んでぶっ倒れたり、酒の席での行儀をわきまえない客となるので、どちらにしろ困ったものである。

2004/01/11(日) 賞味期限の妙
6ヶ月前の玉子を冷蔵保存してものが出荷されていたことが判明し、回収したが大半は消費されていたという。27人が腹痛や下痢の症状を訴えたというが、5万個のうちの多くがすでに誰かの腹の中に収まっていることを考えると、6ヶ月も前の玉子だって食べれるもんだなぁと変に納得してしまった。

以前、私は食品のバイヤーをしていたことがあり、雪印で騒ぎになった期限切れ牛乳の再利用などは業界の裏常識として認識していた。賞味期限というものは近年義務付けられたもので、それ以前は製造日の表示すらなかったものもある。その頃はかなり古いものも当たり前に流通していたのだろう。
私が初めに勤めた商社で最初にさせられたのが、輸入缶詰の日付シールの張り替え作業だった。食品業界もアバウトなものである。

今回の玉子もおそらく氷山の一角で、業界では周知の事実なのかもしれない。しかししっかりと謝罪して反省するそぶりを見せれば、雪印のように袋叩きにあうこともなく風化するだろう。

2004/01/10(土) パクるものはパクられる
お笑い歌手はなわが、ガッツ石松を歌った歌で嘉門達夫の過去のネタを結果的にパクッていたことが判明。謝罪していたことがわかった。
はなわは一過性で、すぐにいなくなるレベルのお笑い芸人とは一味違うと思っている。この程度のことに躓かず精進してほしいと思う。

そもそもパクリにはかなり寛容なこの国、盗作の「前科」があっても平然と活動を続けている芸能人が多いわけだが、ほとんど気付かれずにいるパクリもある。
たとえばテツ&トモの着ている赤と青の作業服風の衣装だが、あれってドリフの「バカ兄弟」が着ているツナギをパクッてないか?

2004/01/09(金) 香椎ふきやのねぎ焼
今日は久しぶりに香椎のふきやでお好み焼きを食った。
メニューを見てみると、いつのまにか肉焼やえび焼がなくなっていて、玉子焼の次は肉玉やえび玉になっている。これは実質値上げといっていいだろう。
競馬場や野球場にある大手牛丼店では、並盛がなく全員強制的に大盛を食わされるという暴力的な営業スタンスもあるが、安めのメニューをいきなりとっぱらうとはよろしくないと思う。

さてこのふきや香椎店では、他のふきやにない「ねぎ焼」があり食ったが、なかなかの旨さ。少しキャベツが混じっているので、純然たるねぎ焼ではないが、これがふきやのねぎ焼だといわれたら、それはそれで納得。ただしあのマヨネーズは、ねぎ焼にはあまり合わない。少量つけるのが限界だった。

2004/01/08(木) 旅客運賃の妙
JRなどの中・長距離の運賃は、うまく分断して購入すると通しで買うよりも安くなる場合があるのは、旅行好きの方には知られた話である。京急の空港線などは、羽田空港前の直前で急に料金が上がる不自然な運賃体系で、会社によっては通勤用定期を一つ手前の新整備場駅で区切って購入させているところもあるらしい。

さて、西鉄バスでは近年、乗り継ぎ割り引きというサービスを始めたが、これにより通しで乗るよりも乗換えた方が安くなる区間があることに気付いた。
たとえば和白ヶ丘−貝塚を通しで乗ると370円。しかし和白ヶ丘から一旦女子大前で降り、貝塚まで乗ると、200円と240円だが、240円は乗り継ぎ割り引きで160円になるので、合計360円と10円安くなることになる。

西鉄バスの運賃設定には、京急の空港線のように怪しい跳ね上がり方もあり、自動車運転免許試験場前などは、天神あたりから乗ると、直前で2回くらい料金が跳ね上がる。ひとつ手前の皿山4丁目などは、次の試験場前のバス停まで100メートルほどの近さでありながら、試験場前で降りるより30円も安い。当然、免許更新のときは皿山4丁目で下りて歩いているわけだが。
これは30円をけちることよりも、そんなせこい運賃体系にやられてたまるか、という意味合いの方が勝っている(笑)

2004/01/07(水) おじさんは40歳、おばさんは30歳から?
おじさん、おばさんはいったい何歳からなのか、という調査をセイコーがネットで実施し、その結果が発表されたようだ。

それによると「おじさんは何歳から」の問いには40歳との回答が32%で最多。以下35歳、30歳と続いた。
「おばさん」は「30歳」が25%でトップ。以下40歳、35歳の順だった。男女別では、男性より女性の方が低い年齢をおばさんと答えた。おじさんと判断する理由では体形を、おばさんでは肌やしわなど外見を基準とする回答が多いが、「むちゃをしなくなる」「ずうずうしくなる」とのコメントもあった。

以前、探偵ナイトスクープで、女性を1歳違いの年齢順に並べ、子どもにおねえさんかおばさんかを言わせる調査をしていた。
するとだいたい28歳くらいからおばさんになるが、30過ぎでも見た目が若い女性はおねえさんに逆転するという、何とも正直な結果が出ていた。並べられた中で初めておばさんと言われた齢の女性は、その子どもをバシッと叩いていた。やはり行動もおばさんなのであった。

コンビニやファーストフードでは市場調査のため、レジで会計の際、見た目で年齢を打ち込まれている。家の最寄のコンビニの場合、15歳以下、20歳以下、29歳以下、49歳以下、50歳以上の区分だったと思うが、いつも朝行くとレジに立っているフィンガー5のアキラ似の女性は、私が精算するときには49を打ちこんでいる。このボタンだけは範囲が広すぎるので何ともいえないが、そのアキラより、29を押してくれる新人のバイトの方が好みなのは言うまでもない。35という私の年齢も微妙なわけだが。

ちなみに韓国語ではおにいさん、おじさんの区別はなく、一括して「アジョシ」という言葉である。女性は若い人は「アガシ」、おばさんには「アジュモニ」としっかり区別される。


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