日常日記
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2004/10/31(日) 日曜の夕暮れの物悲しさ
日曜もだいたい出勤する仕事をしているが、夕方に出かける私の足取りは思い。私の住むマンション前の駐車は、日曜の夕刻になるとほとんど車が停まっていない。みんなレジャーや買い物に出かけているのだろう。日曜の夕方はバス停まで歩いても途中、人とすれ違うことも少ない。商店街はほとんど休み、バス停に着いても待っている先客がいることもほとんどなく、バスの本数も少ない。

とくに今日は競艇のダービーや競馬の天皇賞は終わり、そして10月も終わり、何とも物悲しい日曜の夕暮れどきである。
心からというより、体が「仕事に行きたくない」といってなかなか動かない日である。

2004/10/30(土) 自ら蒔いた種だが・・・
ジオシティズの統合に伴いこのホームページも移転を余儀なくされているが、更新作業がほとんど手作業なのでおそろしく時間がかかる。まあよくもこんな量のホームページを作ったものだと自分でも呆れ気味である。全てのページを手直しするとそれが身にしみる。次に違うサイトを作るときは、もっとこじんまりしたものを作ろうとつくづく思う。

そのおかげで久しぶりに見たページもあり、今回更新できるところは更新した。ようやく全工程の7割ほど終ったが、今私のパソコンのCDの調子が悪く、パソコンのファイルにしか保存できていないのが不気味なのである。もしパソコンが故障したら、もう二度と同じ作業はこりごりなので、サイト閉鎖するだろう(笑)

全ページ更新といっても、レイアウトの変更などは面倒くさいので一切していない。古くなった情報やリンク切れを直すくらいである。それでも少しは機能的にはなるだろう。2年以上放置したページなどは。

ということで、来月の初旬までにはどうにか引越し作業が終了しそうである。次に統合などで引越ししなければならないときは、そのときがこのサイトの命日になるのではないかと思う。少なくともあと2、3年はないだろうが。

2004/10/29(金) 庶民の嘆き
今日は予約していた9時に歯医者へ。短期間に集中的な治療を希望する私の望み通り、一気に3本の型取りなどを行ったため、治療が終る頃には12時過ぎていた。歯医者に3時間は辛い。助手さんが綺麗だからいいけど(笑)

助手の女性は3人いるようだが、最初、一番若くて綺麗な今村敦子似の助手さんが型取りをしてくれていた。体を密着させて間近にまで顔を寄せての診療は(・∀・)イイ! でも若い彼女の作業の効率はいまいちで、やがて最年長(推定30歳位)の先輩助手さんに代わってしまった(涙)。これが現実か。

それにしても治療代が1万を超えたのにはまいった(-_-;)。ネットなどで調べたら十分適正な金額だったのだが、やはり3割負担の痛みだ。今まで6千円超が1万になるわけで。給料日前の私のボディに効いてくる。仕方ないから、那の津へ行ってひと勝負してくるか(苦笑)

2004/10/28(木) 北海道フェアで栄養補給
今日はソラリア西鉄ホテルでランチ。
17階にあるスカイラウンジ「トランスブルー」でのランチは、今月末まで北海道フェアを開催中なので行ってきた。

着いて早々競馬仲間のSさんと共に驚いたのが、案内係の男性のひとりが競艇選手の植木通彦にそっくりだったこと。いやあ、本当に似てたなぁ。競艇好きな方には、ぜひ一度見てきてほしいと思う。

さて、北海道フェアはハイレベルなランチだった。ジンギスカンや鮭のチャンチャ焼などの庶民的なメニューも捨てがたいが、牛のサーロインステーキとカニ(ズワイとたらば)まで食べ放題なのに感心。そのふたつは補充してはすぐになくなりを繰り返していたが(^^;)。たらばなんて何年ぶりに食っただろう。とは言っても、私もSさんもバイキング慣れしているので、適正なペース配分でいただいたが。もちろん日頃の粗食を補う栄養補給はしっかりと行ないながら。

カレーが札幌で流行りのスープカレーじゃなかったのがちょっと残念だった。エスカロップとか豚丼とかザンギとか、今度はB級メニューだけで裏北海道バイキングもいいかも。ゴッコなんかも食べたいなぁ。ドリンクもガラナとかリボンナポリンとか、北海道限定のものを揃えて。さすがにソラリアでは場違いだろうから、西鉄インででもやっておくれ(笑)

このトランスブルーは料理も良かったが、17階ということで眺望も抜群。海に向いたカウンターもあって、夜はバーとしても良さそうなところだ。洋酒の種類もかなりありそうで、長く水商売に浸っていた私もあまり見かけない酒がいくつもあって、しかも来月はボトルキープフェアをやっていてリーズナブルな料金でキープできそうだった。

それよりやっぱりおすすめは、植木似のお兄さんである。一見の価値がある。厳密に言うと、植木通彦をちょっと甘くした感じである。マクールやボートボーイなどの競艇専門誌に登場したら、なかなかウケると思う。

2004/10/27(水) 偶然って
きのう自炊した「アスパラと豚肉の炒め」を食べていると、ゴリッと硬くて嫌な感触が口の中であった。ちょうど歯の治療中であるから、歯科で被せた部分が剥がれてしまっかと思って一瞬たじろいだ。あの歯科医の腕は確かな筈だが。

硬い物を口から取り出して見ると、豚の骨だった。特売の豚肉だったからいい加減な処理をしたのだろうか(^^;)。それは冗談として、豚肉のスライスに骨が混じっている確率はかなり低い。歯を詰めて被せた日と重なるのはかなりの偶然である。しかし予期せぬ偶然というのは意外にあるものだ。

以前、防災設備の点検の仕事をしていた頃、あるビルで非常放送設備の点検があった。非常放送というのは非常ボタンを押すと同時にサイレンが鳴り、マイクのボタンを押さえるとサイレンは止まる仕組みになっている。ビル内のオフィスなどのテナントが就業している時間はサイレンを鳴らしてはならず、マイクのボタンを押さえてからマイクを軽く叩いたりしてスピーカーから音が出るかなどを点検するのだが、非常ボタンを押した瞬間サイレンが鳴り出してしまった。マイクのボタンは押した筈なのにと確認すると、絶妙のタイミングで消防車がビルの前を通過したのだった。まさに偶然である。

偶然といえば、うちの近所のレンタルビデオ屋の成人用に仕切られたコーナーで、同じマンションの住人と出くわすことが二度もあった。これは偶然というより、お互いにそれがとても好きでそれだけ数多くそこに足を運んでいるということなのかもしれないが(^^;;;)

2004/10/26(火) 監督と店長
野球の監督と店長は似ている。以前ラウンジの店長をしたいたとき、自分は監督でコンパニオンを選手だという感覚で仕事をしていた。

監督も店長も嫌われる役目である。言いたくないことも言わなければならないし、細心の注意を払っていても人間であるがゆえに、不公平や好き嫌いが必ず露呈する。上手く事が運ばなければ、選手やコンパニオンに当たりちらすこともある。それが出来ない人は内面にストレスをため、消化器官に穴を開けたりすることになる。

ラウンジでは、来店した客から延長を取るため、接客させるコンパニオンを効果的に入れ替えなければならない。監督の采配のように、そこに手腕が求められる。能力がある者を多く使いたいが、そこにばかり負担をかけるわけにもいかず、中継ぎを織り交ぜたりと配置も細かに行なう。野球と違うのは、野球の場合は打つなり投げるなりの数字が顕著に示され、客にも選手にも一目瞭然な基準となるが、接客業の場合はそうもいかない。ルックスが良くても仕事ができなかったり、性格が悪く接客させるとボロが出る女性もいる。能力的に劣るコンパニオンが出勤機会を増やしてほしいと言われても、あなたはブスだからとか指名が少ないとかでムゲに断ることは出来ない。

監督よりも選手の方がギャラが高いという点でも、店長とコンパニオンの関係に似ている。指導者がどんなに頑張っても、トップクラスの選手の所得には到底及ばない。そして人気選手には、プレゼントなどがたくさんもらえるという利点もある。そして選手もコンパニオンも、現役でいられる期間がごく限られた年数であることも共通している。

現場でのユニホームが貸与されることも同じだが、さすがに選手と同じユニホームを着られないのが、ラウンジの営業である。そしてバットを振り回すのが、選手ではなく客なのが夜の接客業である。それを巧みにかわすコンパニオンは、技量というより持って生まれた器量が大事である。

2004/10/25(月) ハロウィン
こんな私にも新入社員の頃があったのだが、この時期になると思い出す。というのは、商社に入って最初に担当した仕事が、米国産のハロウィン用の仮装衣装の営業だったのである。十年以上も前だったので、販路も東急ハンズや西武ロフトなど限られていた。福岡に販売店はなかった。

仮装衣装などそうそう売れるものではなく、売上は総じて芳しくなかった。私が入社した商社は私が入る直前に、バブルのドサクサで傾きかけた米国の二流ハロウィングッズの会社を買収したのだが、そもそもその会社の商品が粗悪だったこともある。何せ衣類の縁が裁断されっぱなしという何とも大味なものだった。材質も素人目に見てわかるほど粗末だった。箱入りで売っていた理由がよくわかるというものだ。

あれから十余年経ったが、やっぱり日本ではハロウィンは浸透しないし盛り上がらないなぁ。だいたいオレンジのかぼちゃなんて、日本にありゃしねぇ。日本にはひなまつりや節分がすでにあるし、なかなかつけ入る隙はないようだ。私が最初に入った会社は、そういった先見の明もなかったということか。

2004/10/24(日) ホスピタリティ
きのう通勤のためバスに乗っていると、千代町から外人男性(白人)が乗り込んできた。カタコトの日本語で行きたい場所を告げている。友泉亭公園へ行きたいらしい。友泉亭公園とは黒田藩主の別邸で、福岡市が市民向けに歴史公園として開放しているものである。

バスの運転士は全く英語が話せないようで、全て日本語で説明しているが全く通じていないようである。その外人は承服しかねた様子で座席についたが、周囲の乗客はダンマリと沈黙である。きっとみんな力になりたいはずだ。しかし英語に自信がないのと、外国人と話す勇気がなくその感情を押し殺しているのだと思う。中学までに習った英単語と暮らしの中で使っている横文字を寄せ集めれば、意味くらいは通じると思うのだが。

私が乗っていたバスは13番系統。友泉亭前バス停を通るのは12番だが、13番のバスはその裏通りを通るので数分余分に歩けば友泉亭へ行ける。それを運転士は手振りで説明していたが、全て日本語だから伝わるはずもない。
不安に満ちた表情の外人は、近くにいた若い女性に地図を見ながら現在地を確認している。その女性も英語は出来ないようだ。通りの名前を教えるのが精一杯である。

誰も手を差し伸べないので、私が話しかけた。私はそれまでしかめっ面でしかも小汚い身なりだったので、外人は意外そうな顔をしていた。これでも私は中学では英語の成績は1番だったのである。フクト(福岡県内で有名な実力テストの会社)の試験で満点を取ったこともあるので、県で1番になったこともあるんだぞ(笑)。これは自慢するわけではなく、如何にその後こうして落ちぶれてしまったかを自嘲しているわけだが(-_-;)

乗り換えるとバス代も倍額近くするので、5分くらい余分にかかるけど歩いたら、と説明した。そして車内の客からこの13番での友泉亭の最寄りのバス停が友泉中学校前であることをきき、そこで降りるように告げた。「yusen-chugakkoumae」と一度言ったくらいではわからないだろうから、そこへ着いたら運転士から外人へ一声かけるように頼んだ。私はその前に降りるので。

外国へ行き、場所がわからなくて地図を広げたりしていると、欧米などでは声をかけてくれる人が多い。アジア圏でその機会が少ないのは、語学力のコンプレックスと前に出たがらない国民性だろう。かく言う私も、もし海外渡航経験がなければ、知らぬ顔をしてやりすごしていたかもしれない。内心で「こっち来るな」とか祈りながら(笑)

私の中学当時の英語の先生よ。当時優秀な私がいかに大成するか期待されてたかもしれないが、こうして世の片隅の穴埋めくらいしか出来ずに申し訳ない。でも中学まで習ったことだけで、何とか意思の疎通は出来たから、先生の授業の成果は十分に発揮できたと思うよ。三単現のSも忘れずにちゃんと付けたよ。
(URLは友泉亭公園の案内)
http://www2m.biglobe.ne.jp/~telesco/fukuoka/fukuokac/fukuoka4.htm

2004/10/23(土) 逆学歴詐称によりクビとは・・・
青森市営バスで、学歴詐称から運転士が懲戒免職になったそうだ。学歴詐称といってもゲタを履いたわけではなく、短大卒を高卒とさばよんで入社したという。青森市では、中高卒者の就職の機会を増やすため、95年度以降、バスの運転士など技能労務職は、中高卒者にしか受験を認めない学歴制限を設けているそうだ。何ともアホらしい気がする。大卒とか短大卒とかの制限であれば、努力によってその資格が得られる可能性があるのに、高卒限定となれば、大学院、大卒や短大卒などはどんなに努力しても永遠に不可能ということになる。そんな不条理な話があるものかと驚く。

私は以前、短い間だが3トントラックで配送の仕事をしていたことがある。このときも、履歴書にある進学校の名前を見て、担当者は訝って採用をためらうような気配だった。大学まで行ったようなヤワな人間が、配送業務のようなきつい仕事が務まるかと疑わしかったのだろう。

それにしても懲戒免職とは哀れである。匿名の密告により発覚したようだが、勤務態度は良好だっただけに嫌がらせにしては悪質だ。その短大卒の人物の採用により不採用になった高卒者によるものならば、わからなくもないが。

2004/10/22(金) 美女ばかりの歯科
今日は久々に歯医者へ。
私の行く歯科は、助手の女性の採用基準は間違いなく顔である。前回通院したときも美女揃いで、中山忍や葵みのりそっくりの助手がいたのだが、今回も今村敦子(九州のローカルタレント)風の美女がいた。この歯科へ私が世話になる前、友人の彼女が働いていて、その彼女が言っていたのである。医者が顔で選んでいると。確かにその通りだ。理屈はいらない。見れば一目瞭然だ。なるほど、このような方法で患者を呼び込む方法もある。といっても男性患者のみに効用があるわけだが。しかし上質なのはルックスだけでなく、「お時間は大丈夫ですか」とか、「痛くなかったですか」とか、細やかな気遣いもハイレベルなのである。

さて、私の虫歯は麻酔が聞きにくい場所だそうで、麻酔を注射してから削り始めたのだが、すぐにピンポイントを刺激し右手を上げた。さらに麻酔。そして削る。やっぱりまだ痛い。先生曰く「麻酔が効かないなぁ。もう我慢できるね」と治療続行。オイオイ(-_-;)。やっぱり、イテテテテー(涙)
おまけに、その後麻酔が長時間残り、しばらく飲み物も飲めずに往生した。麻酔が抜けたのは5時間以上経ってからである。やれやれ。

2004/10/21(木) 今度は和風おろしソース
箱崎・巴町の手造りハンバーグ屋「ヒロ」をきのう再訪した。
以前書いたように、この店のハンバーグはソースが3種類あるのだが、前回は和風きのこソースを注文したので、今回は和風おろしソースにした。

出てきた和風おろしソースは、和風きのこソースとソースが同じで、きのこが大根おろしに変わっただけだった(^^;)。ちょっと残念。味も前回同様の感想で、特に感激するまでもなく、やっぱり肉質の問題なのかも。調理方法は手をかけているだけに。

やっぱり今ひとつな感想だったが、ここまできたら残りの一つのデミグラスソースも食べてみなければと思うのが矛盾した感情。今回も学生風の客ばかりが店に居た。やっぱり学生向きということか。

2004/10/20(水) 荒尾の名産品
熊本・荒尾の名産品といえば、一般的には梨が有名だろう。
きのうの荒尾競馬のレースには、荒尾ジャンボ梨特別というレースが組まれていた。

しかしきのう私が買って帰ったのは、万幸堂のメロンパンである。最近は京都系メロンパンがブームだが、ブームになる前から万幸堂のメロンパンは有名だった。いつもは予約していないと買えないのだが、きのうはJRが止まっていたため大牟田から荒尾までバスを利用していたとき、万幸堂の前を通ったらたくさんのメロンパンが並べてあるのが見えたため、バスを降りて万幸堂へ立ち寄った。台風の影響で売れ残っていたようである。万幸堂のある四ツ山商店街には、昼下がりだというのにひと気は全くなかった。

今どき80円という値段もリーズナブルだが、人気の秘密は芳醇な香りと味の良さだろう。京都系のメロンパンはバターで香りつけしてあり、やや人工的な匂いなのが好きになれないところだ。万幸堂のものは、パン生地の焼ける香ばしさが自然に感じられていい。

このサイトでも「福岡の良心」のコンテンツなどでいくつものパン屋さんを紹介している通り、私はかなりたくさんのパン屋さんを発掘してきた。そんな私が、久々に大満足した万幸堂である。美味しいのはメロンパンだけでなく、パン生地よりもジャムの方が量が多いかと思うほどジャムがびっしり入った「博多とよのか」や、黒糖をふんだんに生地に練りこんだ「黒糖あんぱん」、食パンを三角切りにしてこしあんを挟んで揚げた「あげぱん」など、どれもかなりレベルの高い美味しいパンだった。

2004/10/19(火) 雑餉隈って読めますか?
今朝の福岡の新聞各紙は、ソフトバンクのダイエー買収の話で持ちきりである。ソフトバンクの会社が福岡発祥だということが核となっているが、ソフトバンクの孫正義社長が久留米大学付設高校出身ということで、ライブドアの堀江社長と出身高校が同じであることが盛り上がりを助長している。さらに孫正義社長の実弟であるインディゴ社長の孫泰蔵氏は、堀江社長とその高校で同級生というから驚きである。世間は狭い、というか、かつての旧制高校のように、出来る人間の集まる場所は限られてくるということか。他に出身者は鳥越俊太郎氏などがいる。

さてソフトバンク発祥の地は福岡の雑餉隈(ざっしょのくま)だと判明。福岡出身者はともかく、仕事や遊びで何度も福岡へ来た方でも、雑餉隈という地には無縁な方々が多いだろう。JRの駅は「南福岡」と名を変えたので、雑餉隈の名は県外ではあまり耳にしない。武田鉄矢の実家の煙草屋がある近くの町なのだが、盛り場として地元では有名である。「雑餉隈」でGoogle検索してみると、トップは雑餉隈保育園だが、6番目には早くもファッションヘルスである(^^;)。

中洲と比較して、雑餉隈は安く気軽に飲める店が多い。中洲では客の服装にまでうるさい店が多いが、雑餉隈では作業服のまま飲んでいる客も多いというような雰囲気である。
ラウンジも飲み放題で60分2千円から飲める。どんな女性が付くかは、客引きとの交渉と運次第だが、近々「ソフトバンク、ダイエー買収名乗り記念」として、雑餉隈に飲みに行こうかと思っている(笑)

夜の店をまかされる前に、水商売女性の送迎運転手をしていた頃、雑餉隈にはよく行ったのでいろいろと思い出のある場所である。夜遅くまで開いているお好み焼屋があるのだが、その店のほうれん草焼きそばはおすすめである。

2004/10/18(月) 100円の価値
きのうは昼の仕事だったので、珍しく日曜の早朝に起きてテレビをつけてみると、KBC系で何と天才バカボンの再放送をしているではないか。パチンコ客を見込んでのことだろうか(笑)

天才バカボンといっても、元祖天才バカボンではなくよみうりテレビ製作の初代のアニメ作品である。調べてみると昭和46年放送である。古い。そりゃ、バカボンが和服なのもわかるわ(笑)。このところのリバイバルブームで、いろいろと再放送をしているが、ここまで古いものを放送するのは珍しい。実に34年も前の作品だ。

画像もきれいにリマスタリングされていて、見ていて画面に違和感はない。今回見た内容は、一話目が10万円入ったカバンの拾得物を預かった交番の本官さんが、その後で金を失くしたり盗られたりして交番に駆け込んでくる市民にカバンから金を出して貸してしまい、落とし主が取りに来て本官さんの絶体絶命のピンチに、借りた市民が返しに来て本官さんに礼を言い救われるといった話。本官さんは嫁さんから毎日100円しか渡されてないそうで、そのあたりに当時の物価もうかがえる。

もう一話は友人の誕生会に参加するため、会費の100円をママから受け取って出かけたバカボンが、道中で道に迷った老婦人に出会い、道案内する流れで一緒にバスに乗ってしまい、100円の一部をバス代として立替えてしまって、誕生会の会費が払えず会場で働いて誕生会に参加しているところ、老婦人が現れて感謝され報われるといった話である。

天才バカボンというとナンセンスギャグのイメージがあるが、童話的な教訓もあったのかと感心。昨今のアニメよりも確実に教育面では効果があるのは揺るぎないと実感。それにしてもどちらの話でも100円の価値が鍵になる。バス代は子ども15円という細かな単位だったが、5円玉で物が買えた時代(私が知るのはカクダイのクッピーラムネなど)が遠い記憶から甦り、出勤前からいろいろ考える朝となった。

2004/10/17(日) ホークス応援感謝セールで見たもの
きのうはホークス応援感謝セールの様子見もかねて近所のダイエー(グルメシティ)へ。
うちの近所だけにそもそも客層はかなり悪いのだが、この日もレジでどこかの組の構成員風のチンピラが、レジ係に因縁をつけている。学生風のレジは辟易している様子。私は目当ての品があったので2階へ上がって行った。ここのダイエーは、2階の品でも1階で精算できるという風変わりなスタイルである。

数分後に1階へ降りて見ると、すでに構成員風の男は姿を消し、代わりに警官が5名ほど駆けつけていた。学生風のレジは事情聴取をされていて、そのため2つしかないレジは1つだけになり、セール中の店内のレジは長蛇の列で大混雑となっている。

それにしてもこの辺りの住民は逞しい。集まった巡査たちを一瞥しながら、「強盗でもあったか」などと世間話風に平然と流している。人間はどんな環境にも慣れるものだと言うが、あながちそれも嘘ではないようだ。2年連続で全国に報道される殺人事件が起こった町内である。

それにしてもダイエーよ、死傷者が出たわけでもないんだから、こういう事態になったら、すぐにレジ係の代わりを出すとか出来ないものか。事情聴取は客が切れてからでもよかろう。事件の詳細は監視カメラがしっかり捕らえてる筈だろ。それとも、「監視カメラ録画中」ってのは単なる脅しか。録画をケチるほど逼迫して切り詰めているというのなら、少しは同情するつもりだが。

2004/10/16(土) 12月末日までに
ジオシティズ統合により、このサイトも移転を余儀なくされている。
移転といっても引越しツールで丸投げして終わりではなく、移行しても全てのページで画像リンクなどを全て手直ししないといけないことが判明。私のサイトだけでなく、人様のサイトを見てもそれを確認。ううん、道は遠い。今日は休みだったのでやろうかと思っていたが、結局ほとんど手つかずになってしまった(^^;)。

サイト開設前は、いろいろ夢も希望も満ち溢れていて邁進できたのだが、個人サイトとしては開設3年目という倦怠期。新たな目標を掲げて何とか気合いを入れないといけないのだが。

ということで、しばらくの間、一部のコンテンツでお見苦しい点が発生するかと思われるが、ご斟酌いただきたい。

2004/10/15(金) おいでませ
おとといの日記で山口市の田舎さについて書いたが、決して山口は嫌いではない。どちらかと言うと好きである。山口特有の黄色いガードレールを見るとほっとする。のんびりと流れる空気もいい。女のコも可愛いコが多い。

あるサイトの広島人チェックの頁に、「山口は好きだが岡山はあまり好きではない」というのがあったが、福岡人も似ている。「山口は好きだが佐賀はあまり好きではない」というのが本音だろう。「佐賀人は転んでもただでは起きない」など、佐賀を阿る慣用句はたくさんあって、福岡の片隅で今日もささやかれているに違いない。

さて山口であるが、こちらは福岡と違いしっかりとした名所が多い。その一方で、このサイト的に見て、穴場的なところも多い。
いっそのこと「山口のダークホース」も作ってしまいたいほどであるが、現状このサイトでめいっぱいである。別館にはリンク切れがたくさん、本館はジオシティズ統合のため移転をしなければならず、問題山積なのが現実である。
(写真は防府の右田ガ岳)

2004/10/14(木) ナイルカレー健在
かつては福岡市内にたくさんあったが、今ではすっかり店舗が減ってしまったナイルカレーに行ってきた。数少ない生き残り店舗のひとつは博多駅地下街にひっそりとあるが、行ったのが12時過ぎの昼時だったので、サラリーマンを中心にOL風の一人客まで、店内は満席状態と盛況だった。

カレーは390円からである。今回は「創業時の味」を強調してある甘口を注文。完成された甘口である。最近復活している湖月のカレーのようなとんこつ味は露骨に感じないが、甘さは同様に強い。私は辛い料理は好きだが、日本で食べるカレーは甘口ばかりである。貧弱なスパイスの日本カレーの辛口を食べるくらいなら甘口がいい。

それにしても博多駅地下街は、一部のテナントは入れ替わっているものの、概ね私が中・高校生だった頃と大差ない。ラーメン亭やロッテリア、風月など場所もそのまま。もうちょっと垢抜けないものかと思う。

2004/10/13(水) 山陰の静けさ
益田の駅前食堂で割子そばを食べながらテレビを見ていると、当然ながら天気予報では山陰地方が拡大された天気図で、鳥取、島根の予報が流れている。ニュースもその地域ローカルの番組である。日本全国の各地域でローカル番組が作られているが、この地域はおそらく日本でもっとも静かなブロックなのではないだろうか。もちろん中央から情報は流れてくるだろうが、そういう強い風に流されずその土地のゆったりとしたペースで町が出来ている感じがあって、それはそれで悪くない。中高生など若い人には刺激が弱すぎるかもしれないが。

何といっても地域のメイン鉄道が山陰本線であるから、大半は電化してない上に本数も少ない。益田の駅周辺にはコンビニすらなかった。もちろんファーストフードもない。全国チェーンの見慣れた看板はサラ金のみ。私が学生の頃は、地方の都市でもそういう場所がたくさんあったが、最近は「市」と名がつくところには、駅前にはコンビニやファーストフードの1軒はあるものだ。今時珍しいこの駅前の寂しさは、過去にタイムスリップした感覚があり懐かしさもある。

「市」といえば、途中山口線で通った山口駅、ここは私の知る限り、日本の県庁所在地の駅ではもっとも寂しい。島根や鳥取、佐賀でさえ百貨店のひとつはある。山形でもそれなりに賑わっている。山口駅はローカル線であり、上下線とも1時間に1本程度しか本数もない。とても県庁所在地とは思えない。19年前に行ったときと、雰囲気はほとんど変わっていなかった。
(写真は益田駅裏の公園で発見した機関車)

2004/10/12(火) 石見路は遠し
鉄道の日記念の、JR西日本一日乗り放題きっぷを使って益田まで行ってきた。これは3千円でJR西日本の全線の普通列車が乗り放題になるきっぷで、寝台列車のミニチュア模型がおまけとして付いているもの。青春18きっぷの感覚で1枚を発作的に買ってしまったが、九州からはよく考えるとあまり使い勝手の良くないきっぷである。下関までの往復交通費が加算される上、下関からの出発になるので行き先が限られてくる。しかも夜勤明けの私が鉄道を利用できるのは、博多駅を8時頃出発の便からである。

考えた末、柳井や周防大島辺りを巡る山陽コースと、益田へ行く山陰コースに絞ったが、結局益田へ。大島周辺の観光施設が、火曜定休のところと月曜定休で祝日の場合は翌日というところが多かったからだが、久々に島根県まで足を伸ばすのもいいかと思った。益田へは8年ほど前に競馬へ出かけて以来である。山口線の乗車は19年ぶりになる。

天神から高速バスで小倉へ行き、小倉から鹿児島本線と山陽本線で新山口(小郡)まで乗り、新山口から山口線で益田まで向かった。本当は下関から山陰本線に乗る方が景色なども好みなのだが、本数が少ない上時間がかかりすぎるのだ。

益田は相変わらず寂しい街だったが、8年前とあまり変わってなくてほっとした。昼食は競馬関係者おすすめの「田吾作」へ行ったが、民芸調のなかなか個性的な店でよかった。品書きにはノドグロなど日本海の幸が書き連ねてあった。

それにしても行きも帰りも片道約5時間(-_-;)。島根県が遠いのか、普通列車しかも気動車だから遅いのか。それにしても山口線は、新山口から津和野くらいまでほぼ満席だったのは意外。といっても1両しかないからだろうが。
(写真は益田駅)

2004/10/11(月) 鉄道の日記念イベントの駅弁大会
博多駅で行われている、鉄道の日記念イベントの駅弁大会へ行ってきた。九州の主要な駅弁が集められ、それぞれ20個限定で午前10時前から売り出された。

ワゴンの周りには発売開始直後から人だかりができ、こちらもかなりの気合いで臨まないとご婦人方に圧倒されそうである。見たところ客は2種類に分けられ、予め目当ての駅弁を決めてあって、まっしぐらにそれを買い求める客と、野次馬的に群がった冷やかしムードの客。混雑の原因は間違いなく後者だろうが、その群がりがさらに周囲の通行人を引き摺り込んでいるのも確かである。

いろいろ食べたい駅弁はあったが、今回は遠い物を優先して、出水駅のえびめし、いかめしと、佐世保駅のあごめしを購入。
えびめしは一番人気のようで、あっという間に並べたものが売れていき補充していた。しばらくしたら売り切れるだろう。
去年の夏以来のえびめしだったが、おかずがパワーアップした感じ。九州新幹線の特需に応えたのか。相変わらずおいしい(^^)。あんまり百貨店などの駅弁大会に登場しないえびめしだが、最近は九州だけの駅弁イベントが増え、九州ローカルの催事では時々見かけるようになった。

いかめしも旨かった。真面目に翌日また買いに行こうと思ったほど。森のいかめしも旨いが、違った味わいがいい。どちらも出水駅松栄軒謹製だが、ここの駅弁の難はおかずが似通っていること。椎茸、人参、タケノコなどの煮物は、どの弁当にも添えられていて大映テレビ製作のドラマのキャストのようである。

佐世保のあごめしも上出来だった。あご(飛魚)自体はかなり濃厚な味なので、魚好きな人には大うけするだろう。とびっ子や紫蘇が添えられていて、そのアクセントが濃厚なアゴの味とのバランスになっている。全体的に味が強いので、酒の肴にもなりそうな弁当である。

いずれの弁当も七〜八百円と駅弁にしては安い。駅弁全体で比較しても、九州には千円以下の駅弁が多くそれらは高価なものに負けていないほど充実しているのがいい。千何百円はする、かにやます、いくらなどを使った名だたる駅弁も美味しいが、これらリーズナブルな駅弁が多いのが九州の特色なのは嬉しい。
http://www.geocities.jp/hokutoflag/izumi-ika.htm
(URLはいかめしの頁、写真はあごめし)

2004/10/10(日) 頑張れジョイフル
度重なる台風の上陸で、この国の交通機関はなんと脆弱なものかと感じるばかり。それは運休に対してだけでなく、ジャバジャバと水が入り込む地下鉄の構造にも思う次第。そんなんで、憂時には有楽町線の軌道を戦車が走れるのか?

台風に脆かったのは交通機関だけではない。福岡の街で痛感したのは、大分に本部を置くローカルファミレス「ジョイフル」の看板である。今秋最初に上陸した台風のとき、店頭でグルグル回る長方形の看板のロゴ部分が、無残にも砕け散った店舗を見つけたのだが、そのときはその周辺で吹いた風の向きが、たまたま看板に対して不運だったのだと思ったいた。しかしその後何軒ものジョイフルで、同じように看板がぶち抜かれているのを目撃した。

あくまで私の推測だが、どうやらジョイフルの看板は壊れやすいようだ。つまり原価の安い素材でできていると思う。それは決して「ケチっている」と蔑んでいるわけではない。ジョイフルのようにランチを399円で出すような原価ギリギリで頑張っている企業は、看板のプレートすら薄氷のような裸同然の薄さなのだろう。ひとりの客として、尚更ジョイフルを見直した次第だ。成り上がったが故に、わけもなく高学歴の求人をして、不要な人件費をリテイルプライスに上乗せして客に転嫁する悪徳企業とは大違いである。

そういえば先日、日田のジョイフルに強盗が入ったようである。強盗よ、こんな(客にとって)良心的な企業に強盗に入るな。もっと邪悪な企業へ入るべし。
http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2004/10/08/20041008ddlk44040319000c.html

2004/10/09(土) 21年ぶりでもすぐわかる?
きのう、実家近くのスーパーマーケットで、100円均一のブルボンのホワイトロリータでも手にとっていると、前方から子連れの見知らぬおばさんが近づいて来る。おばさんの視線は私に向いている。ううむ、どこかで見たような見ないような・・・。私の働く業種では、このような生活感あふれる方と接する機会はないので、誰かの嫁さんだったか。

するとそのおばさんは「シルクくんじゃないの」と声を掛けてくるではないか。私をクンづけで呼ぶ女性は珍しい。大学は東京だったし、高校は男子校だったので、私の生活の中に女性が現れ出したのは働くようになってからである。最近の職場では女性はいずれも年下しかいないし。

忘れかけていたが、女の同級生というのが私にもいたのだ。実に義務教育の中学まで遡るので、21年ぶりの再会だろうか。あちらの女性(おばさんとはもう言うまい)はすぐに私とわかったようで、しかも名前を憶えていてくれたわけで、何だか申し訳ない。というのは、その女性の名前がどうにも思い出せないのだ。同級生というのはわかるのだが、名前が浮かんでこない。共通の友人の消息を交換していくうちに、懐かしい苗字がいくつも登場し、それらに紛れてようやく記憶から甦った。Mさんだったか!

もうすっかり主婦業が板についているようで、でも当時の面影は何となくある。まあ私の方は、よく人から言われるが、「周囲に溶け込まない人物」であるようだ。集団の中にいても際立つようで(^^;)、「すぐにシルクくんとわかったよ」とのこと。彼女とは中学以来会ってないと思うのだが(*_*)

彼女は5歳の可愛い子どもを連れていた。「可愛い盛りやねぇ」と言うと、「子どもさんはいくつなの?」と聞かれてしまった。即座に「うち、子どもはいないから」と返答したが、それまで話に出てきた同級生がいずれも結婚しているという展開で、私だけ独身だとは言いづらくてさぁ(-_-;)
それにしても、Y子がSとそのままゴールインしていたとは。初恋を貫く人って本当に存在するのね。最近別れる話ばかりだから、ものすごく新鮮(笑)

2004/10/08(金) さばは生で食うべし
今日の夕餉は、甚八寿司仕出し部謹製の「さば寿司@五島産」である。脂ののったこの時季のさばを生で食らうのは格別だ。
本州ではあまり考えられないことだが、九州、特に福岡ではさばを刺身で食べる。この時期のさばの刺身は旬で、スーパーでもカンパチやさんまと肩を並べて普通に売られている。

さばといえば、全国的には味噌煮とかシメサバとか塩さばが主流だが、刺身でも結構美味しい。新鮮であることが絶対条件になるわけだが。博多には「ゴマさば」という郷土料理があり、さばの刺身をみりんやごま、わさびしょうゆなどであえて食べるが、これも新鮮なものでないと使えない。博多の居酒屋にはだいたいあるゴマさばだが、メニューになくても「ゴマさば丼」とか「ゴマさば茶漬け」とかを頼むと、作ってくれる居酒屋が多い。それだけ浸透している一品だ。

『青魚は足が早い』などと言われ、あっという間に傷む食材ではあるが、こちらでは生で食べられる機会が多いのは、やはり旨いからだろう。しかしさば寿司というものは、ひとりでは4貫くらいまでで十分だろう。写真のように8つもあると、後半かなりくどい感じだった(^^;)

2004/10/07(木) 人様の日記は(・∀・)イイ!
他人の日記を読むのは面白いものである。あまりにも文章が稚拙だったり、身内ネタが多すぎるのはそうでもないが、他人の私生活を垣間見るのはなかなか楽しい。
わざわざ私なんぞの日記を読んでくださる方々なら、そう思う方も多いのではないだろうか。普段あまり外には公開しないものを、覗けるということは格別の興味を感じる。

普通の日記でさえ面白いのだから、男女の交換日記となれば尚更である。そんな交換日記を、ふとした偶然から見つけたのだが、読んでみるとやっぱり面白い。男女どちらも私とは面識がなく知らない存在なのだが、知らないからこそイメージ先行の面白さがある。

その交換日記はネットの掲示板を利用している。掲示板もこんな使い方をするのも効果的だなと感心したりする。その男女ふたりだけで使うつもりで開設した掲示板だろうが、私のページの一部分を無断リンクした罰として(といっても二人しか見ないので全く問題はないが)、ここに公開してしまおう(笑)。というか、WEB上に掲示板を公開しているという時点で、第三者から閲覧される可能性を孕んでいるのは周知の通りである。文章はちゃんと、です・ます調で書かれているし。

最近の若い者は、などとときどきこぼしてしまうが、この二人を見ているとなかなか前向きで微笑ましい。何だか底にほんのりと温かいものを感じるのだ。淫らな内容もなく健全である。そういう意味では、いまひとつ盛り上がりに欠けるとも言えるわけだが(^^;)
 
(リンク削除)

2004/10/06(水) きれいになった!
今日は窓の掃除をした。実に3年ぶりくらいになるだろうか(^^;;;

元来ものぐさな私であるが、せめてものきっかけとして毎年大晦日になると大掃除をしていた。しかし勤め人を辞めてからは盆暮れ正月も仕事になり、大掃除ができないでいた。大晦日にでもならないと、大掛かりな掃除はなかなかやる気になれないのであった。暮れや正月も働いた後、やっと休みが来ても掃除なんかする気になれないし、新年になってしまうと今さら掃除でも、という気になるのだった。全て言い訳になるが(-_-;)

さすがに窓の汚れもひどくなり、終いには今年の度重なる台風直撃で窓は泥汚れでいよいよ悲惨な状況になってしまっていた。サッシの縁には煙草のヤニも黄色く付着していた。煙草をやめて何年かになるが、部屋に遊びに来る客人はみんな煙草好きで、窓を開けると猫が外の臭いに神経質になるので、煙やヤニが室内にこもってしまっていた。ときには私も吸うことがあったし。

我が家のガラス窓は写真にあるベランダへの二面と、東側小窓が二面の計4枚だが、未使用のガラスクリーナーを1本丸々使いきってしまった。最初にお湯を流し、たっぷり付着した泥汚れを流してから掃除したにも関わらず、最後は少し足りずに洗剤なしで拭くことになったほど。

掃除が終ると驚くほどきれいになった。この部屋は日当たりが悪いと思っていたのだが、窓の汚れだったのせいかもしれない。今までの暗さはサングラス状態の天然UVカットガラスだったのか(^^;)。もうこれからは室内は禁煙にしよう。我が家へ遊びにくる愛煙家のみなさんには、これからはベランダで一服してもらおうっと。

2004/10/05(火) 安くて旨いが行きたくない店
昨夜は中央区舞鶴にある回転寿司「susea」へ。わりと最近出来た店だ。他に南区大橋の高宮通り沿いにも新店ができている。
全皿100円だが、お茶や飲み物、あら汁までがセルフサービスになっていて、店の雰囲気が寮の食堂か学食のようなのがいまいち。

もちろんメニューを吟味して注文したが、思ったよりまともな寿司が出てきた。シャリが小さいことを除けばその他は普通の回転寿司と変わらない。特にカンパチやサンマは美味だった。生エビも旨い。驚くことに数の子はバイオ数の子ではなく、本物だった(なぜか軍艦巻きだったが)

しかしこの店には問題があった。店主のオヤジがうるさいのである。客にしつこいまでにサイドメニューを勧めるので、多くの客はさっと食ってさっと帰っている(笑)。とらふぐ握りが300円やあら汁100円など、寿司以外も激安でいいのだが。これではなかなか客は居つかないだろう。

店をしていた経験から見ると、どれも原価ぎりぎりなので店の存続はかなり厳しいだろう。そして客のほとんどがしつこく店主からすすめられてうんざりしている。せっかく安くて旨いのに残念なことである。
(写真はカンパチ)

2004/10/04(月) 川崎憲次郎投手引退
中日の川崎投手が引退することになり、昨夜のナゴヤドームのヤクルト戦で先発し、16年間のプロ生活に別れをつげた。1回3打者を3三振に打ち取り、両チームの選手から胴上げされたそうだ。試合前に落合監督と若松監督が話し合い、先頭打者に古田を起用するなどのはからいがあった。

通算勝利は88勝と、他チームのファンおよび一般プロ野球ファンから見ると、100勝もしてない投手にしては扱いが大きすぎると思われるかもしれないが、ヤクルトが93年に日本一となった年には日本シリーズのMVPとなり、実際シリーズで最も活躍し貢献した。川崎がいなかったら日本一はなかっただろう。土橋のライト大飛球の好捕や、飯田のセンターからの好返球での本殺などバックに支えられたことも忘れてはならないが、第4戦と7戦に先発して防御率1点台の好投は印象的。

FA宣言してヤクルトを出て行ったとき、ファンとしては裏切られた気分だったが、中日としても7億5千万を使いながら結局1軍で未勝利だったのは、まさに高い買い物になった。そんな「給料泥棒」ぶりに、オールスターのファン投票では庶民からネットで嫌がらせの組織票による選出という屈辱も味わったが、それだけファンから期待されていたという解釈もできる。

川崎を始めとして、西村龍次、岡林洋一、伊藤智仁と、ヤクルトの90年代を支えた日本人投手たちはいずれも短命だったのが哀しい。その年代に2ケタ勝利をした投手で唯一残っているのが、一番数字が劣る山部太というのは妙な話しである。無事之名馬とは言い得て妙。

2004/10/03(日) 富士銀跡にベネトン
中央区天神の明治通り沿いのかつて富士銀行があった場所がベネトンになった。これまで固いイメージだった白亜で天井が高い銀行らしい建物が、見事にファッション空間に生まれ変わっている。天井が高いことで実際の売り場面積よりも広く感じ、品揃えが豊富そうに見えるし、色とりどりの衣料の鮮やかさが効果的に映る。それまでATMやボイスコールが置かれていた場所とはとても思えない。

工事している間は、銀行の跡にアパレルの店なんてと思っていたが、専門家が手がけるとこうも効率よくリニューアルされるものかと感心する。しかし感心してばかりはいられない。福岡の街から、都市銀行が矢鱈と減っているような気がして複雑な思いだ。その場所にあった富士銀行は合併によりなくなったわけだが、天神の街から、太陽神戸銀行が消え、協和銀行がなくなり、大和、第一勧銀そして富士銀行もなくなり、合併され凝縮してしまったので、都市銀行の数は間違いなく減ってしまった。

旅行などで地方都市に出かけると、見慣れない看板が珍しい半面で、良く知る全国チェーンの名前にほっとしたりするわけだが、都市銀行の看板の数々はその町の印象を決めるポイントのひとつだと思っている。その数は決してそのまま町の大きさを示すわけではなく、例えば八幡には製鉄の関係で芙蓉グループの富士銀行が古くからあり、町の規模から見たらそれは「身分不相応」な存在ともいえた。まだ競艇の電話投票が出来たばかりの頃、使える銀行は三行ほどだったが、その中に富士銀行があるのを知ったとき、八幡の街を思い出し若松、芦屋のファンの多さをも見込んだのかと穿ったものだ。

かつて東京銀行と三菱銀行のふたつの都市銀行があった街が、東京三菱銀行のひとつだけになるのは寂しいし、やはり天神の旧電車通りから都市銀行の看板が減るのは寂しく思う。たとえその跡に華々しい有名ブランドの看板が掲げられるとしても、流行り廃りに靡きそうで街の雰囲気を委ねる気持ちにはなれないのである。

2004/10/02(土) ホームページ開設
実家の母親がパソコンを買うことにしたという。
何をするのかと聞いてみたら、ホームページを開設していろんな人と交流するのだという。

最初はやる気満々だけど、そのテンションはなかなか持続しないし、きつい事の方が多いから止めた方がいいと忠告しておいた(^^;;
私の両親にはこのサイトを運営していることは明かしていないが、もしインターネットを始めるのなら隠し通さねばならない(笑)

とはいえ、主婦は一般的な仕事人よりは時間があるので、長く続けられる可能性はそれらの人よりは高いだろう。結局は個人サイトなど、自己満足から始まり、自己満足で終るものだと思っている。運営して思ったことだが、3年続けば御の字だと思う。

2004/10/01(金) 中日よ日本一となれ
プロ野球セリーグは中日が優勝した。報道ステーションの冒頭では古館が「中日の優勝を誰が予想したか」と言っていたが、私は早くから予想していたわけだが。毎回優勝候補に読売を挙げるのは、PL学園が甲子園に出てくれば優勝候補と考える手合いと同じで、予想ではなく単なる日和見主義だ。どれだけ選手が揃っても、監督の采配で勝ち負けは変わってくるし、戦力が劣っていても、チームのムードが良ければ連勝することもある。

散々金をかけてもやっとBクラスという読売は、球団だけの問題ではなく、不景気に拍車をかける立派な社会問題といっていいだろう。ある方の日記でナベツネを始末するヒットマンを雇えと書いてあったが、確かにひとりが消えるだけで全てが丸く収まる確率が高い。ひとりのわがままで、健闘していた前の監督を一方的にクビにし、人気薄の監督を立てた責任をどう取るというのだ。

いろいろあった今年の日本球界だが、ともかく中日の関係者、ファンには心から喜び申し上げる。今年の中日は強かった。ぜひパリーグの代表を破って、悲願の日本一となってもらいたい。


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