日常日記
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2004/10/04(月) 川崎憲次郎投手引退
中日の川崎投手が引退することになり、昨夜のナゴヤドームのヤクルト戦で先発し、16年間のプロ生活に別れをつげた。1回3打者を3三振に打ち取り、両チームの選手から胴上げされたそうだ。試合前に落合監督と若松監督が話し合い、先頭打者に古田を起用するなどのはからいがあった。

通算勝利は88勝と、他チームのファンおよび一般プロ野球ファンから見ると、100勝もしてない投手にしては扱いが大きすぎると思われるかもしれないが、ヤクルトが93年に日本一となった年には日本シリーズのMVPとなり、実際シリーズで最も活躍し貢献した。川崎がいなかったら日本一はなかっただろう。土橋のライト大飛球の好捕や、飯田のセンターからの好返球での本殺などバックに支えられたことも忘れてはならないが、第4戦と7戦に先発して防御率1点台の好投は印象的。

FA宣言してヤクルトを出て行ったとき、ファンとしては裏切られた気分だったが、中日としても7億5千万を使いながら結局1軍で未勝利だったのは、まさに高い買い物になった。そんな「給料泥棒」ぶりに、オールスターのファン投票では庶民からネットで嫌がらせの組織票による選出という屈辱も味わったが、それだけファンから期待されていたという解釈もできる。

川崎を始めとして、西村龍次、岡林洋一、伊藤智仁と、ヤクルトの90年代を支えた日本人投手たちはいずれも短命だったのが哀しい。その年代に2ケタ勝利をした投手で唯一残っているのが、一番数字が劣る山部太というのは妙な話しである。無事之名馬とは言い得て妙。


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