日常日記
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2004/04/30(金) 2ちゃんねるの力
今日は帰宅前にコンビニへ。飲料のコーナーを見ていると、ファンタのゴールデングレープを発見。かつて70年代、非常に短い間売られ、あっという間に姿を消した「幻のファンタ」であるが、復活したのは2ちゃんねるの飲料板で盛り上がったのが主な原因だろう。2ちゃんねるも市場を動かすまでになったと実感する。中日の川崎のオールスターファン投票やTIMES紙の田代まさし投票など、組織力はすでに周知のところだが、実際商品化されてみると感心する。

それにしても、最近あんまりアキラがレジをしてくれない。新人の女の子は、私の買い物で49を打つのであまり好きではない。別の若造は何と50のボタンを押しやがった。社会常識のないやつにマーケティングリサーチなどさせるな。オレのどこが50歳以上に見える?オレは学生運動なんか無縁じゃ。ゴルァ!

2004/04/29(木) 今年も来ない!
世間ではゴールデンウィークとかいう期間に入ったようである。
今年も私には無縁。もう10年以上、盆暮れ正月やこのGWに関係なく働くわけだが、休んでいた頃を考えると、決して有意義な時間を過ごしていたわけではないので、それほど休みたい願望があるわけではない。それに連休明けの出勤のあの嫌さを考えると、働き続ける方が楽なような気もする。

それにこの時期、行楽地や商業施設は嫌になるほど混んでいるし、航空券やホテル、旅館は嫌がらせのようにバカ高い料金設定になっている。私が先日泊まった富士屋ホテルなんて、旅の窓口を見てみるとツインの1食付きで通常2万1千円が、何と倍付けの4万2千円!2食付は恐るべきことに7万3千円と、麻雀でいえば親のダブル役満並みである(-_-;)

働いていれば金を遣うこともないし、人疲れすることもない、と自分を慰めてみるが、世間の浮かれた雰囲気を目の当たりにすると、そんな中働いていることと、多くの人たちから外れた仕事をしていること、そして友達の多くと予定が合わないことなどに、一抹の寂寞感を味わずにはいられないのが偽らざるところである。
(写真は富士屋ホテル内の日本庭園)

2004/04/28(水) 今年も来た!
以前日記に書いたのだが、去年夏にJR九州構内の自販機限定でポッカの缶入りアイスコーヒー(ミルク入り)が売り出されていたのを飲んでみたら、これがなかなか美味く、ぜひとも販路を広げてほしいと思っていた。

缶のデザインからして「アイスコーヒー」という感じなので冬の間はしばらく販売休止だったが、春になって今度はポッカ系の自販機に登場した。といっても、私が好んでいたミルク入りではなく、かつて70年代に「あっという間」のフレーズで一世風靡した、砂糖入りのアイスコーヒーである。

もともとコーヒーを冷やして飲む、という日本的発想は、缶コーヒーという新たな展開でUCCやポッカが70年代にその黎明期を盛り上げたものだが、近年、新興勢力に押され気味である。今年の夏はどれだけ流通することができるか、少し楽しみである。

2004/04/27(火) 都会で自然食
今日は天神イムズにある野の葡萄でランチ。人気店のため、開店数分前に店に到着も、すでに長蛇の列。キャパシティが広い店なので待っていた客は全部座れたが、案内が丁寧すぎて捌ききれてない。結局、私が入ってからも、外でたくさん待っているのに店内は空席がいっぱいという、客回しの悪さは今後の課題だろう。

しかし肝心の食事はほぼ満点。ひとり1500円にしては、原価をやや抑えている感はあるものの、どれも一定レベルの味を保っている。内容としては日田・大山町の木の花ガルデンの若者向きといったところか。自然派を謳いながら、野菜、魚中心の創作料理が並んでいるバイキングで、五穀米やたけのこ御飯、パンも美味しく、特に野の葡萄というだけあって葡萄ジュースが芳醇でいける。牛乳も濃厚で飲み応えがあった。

客層はほとんどがマダムか若い女性。男はカップルの片割れくらいのものである。時間無制限だけあって、みんな良く食い、飲み、喋っていた。私はひたすら食っていた(^^;)

2004/04/26(月) 13年間お疲れさまでした
今日は午前10時5分ほど前に天神のビックカメラへ到着。家電の日替わり特売品を求めるためである。実は午前8時半ころに店の近くを通った際に並んでいる人の少なさを見て、開店間際で十分間に合うと読んで、ネットカフェでまったりしていたのである。結果的に開店直後でも間に合ったようだ。平日ということと、特売品のラインナップがいまひとつなせいか、大した人だかりではない。難なく整理券をゲット。開店と同時に係員が売り場までご案内。スムーズに購入完了。とっとと店を辞する。

本日の戦利品はT社のIH炊飯ジャー1台。IHの商品が5千円台は安い。しかもポイントでさらに13lキャッシュバック!ネットで調べてみると、実勢価格は1万2、3千円のようである。我が家の炊飯器は13年ほど使ってきたが、これでお役ご免である。ご苦労であった。これにより自炊の頻度が増えることを願う。実際に炊いて食べる米の感想は、また後日。

2004/04/25(日) 米国BSEの波紋
米国産牛肉輸入禁止により、看板メニューである牛丼を失った吉野家は、吉牛ならぬ吉豚と成り下がったわけであるが、続々と新メニューを送り出し、建て直しに必死である。先日久々に行ってみると、角煮きのこ丼なるメニューが加わっていた。エリンギ、ヒラタケ、舞茸などのきのこと、豚の角煮がかなり甘めに味付けられている。私としては味はもう一歩に感じたが、なかなかの客受けだったように思う。他の客のほとんどが注文していた。

新メニュー導入店舗を見てみると、九州地区では「焼鳥丼」が食べられる店舗はないようだ。かしわ(鶏)めしがポピュラーな土地柄だというのに。ひょっとして鶏にうるさい土地柄だけに避けたのか(笑)
http://www.yoshinoya-dc.com/newmenu/list6.html#fukuoka

懸命に生き残りを模索する吉野家の一方で、地元焼肉チェーンのカルビ大魔王は天神店以外の全店を閉店した。米国産牛肉に依存していた店は思いのほか多く、その痛手は大きいようだ。資本力の弱いところはてきめんにその脆弱さがつかれるようだ。

2004/04/24(土) 小田原のだるま
本日、小田原の和食店「だるま」の頁をUPした。
画像を見ての通り、唐破風入母屋造りの建物が立派である。
ラストオーダーが19時40分というのは少し早い気がするが、地方の店はそんなもんだろう。酒を飲むにはちょっと辛い時間帯ではある。

料理も美味しく、天ぷらは小豆島産のごま油を使用しているという。関東の天ぷら特有のごま湯の香りがよく出ていた。鮨も関東色が強く、グレードの高い鮨は白身ではなく、マグロの質が上がったりイクラやウニが加わるというものだった。

相模湾でとれる魚介類も豊富で、とくにうるめイワシが絶品。脂ののりがほどよく、いくつでも食べられそうな感じ。ふたりで行って食べきれないくらいたのんで、ひとり3千円しなかったほど安い。リーズナブルなところも地元で長く愛される所以だろう。

福岡にも鮮度や味で負けない店はあるが、あのように歴史のある造りの店構えはなかなかないと思う。儲かるとすぐに建替えてしまう店が多く、古い建物をもっと大事にしてほしいと思う。

2004/04/23(金) 生ビール100円の誘惑
中洲にある某海鮮居酒屋で、今月からタイムサービスをやっている。
・開店直後の17時〜17時半まで生ビール100円
・17時半〜18時までは200円
・月曜日〜土曜日まで週6日開催

曜日限定で生ビール100円の企画はよくあるが、ほぼ毎日やるというのは珍しい。出される物はそこそこ食べれるレベルの店なので、有名チェーン店よりも少し心が動かされる。
北海道と福岡に10店舗ほど展開する一応チェーン店だが、店のサイトにはその件は載っていない。たぶん中洲店だけの単独企画だろうが、暑くなってきた今日この頃、行かぬわけにはいかない。とはいいながら、今日は夜勤明けで部屋の掃除やら何やらやって、ひと息ついたところで仮眠して、起きてみたら夕方5時過ぎだった(-_-;)。今日は断念せざるをえない。

ラウンジ(キャバクラ)と同様で、開店直後の暇な時間をどう埋めるか、というところから生まれた企画だろうが、この手の企画の場合、安い時間に来る客のほとんどは安い時間帯にしか来ないもの。かくいう私もそうである(^^;)
どこまでこの企画を続けるか、ひそかに見守るつもりである。
などと書いていたら、ビール飲みたくなってきた。近所の酒屋でシンハビール買って来ようっと。

2004/04/22(木) バス停の妙
駅名の話をしたので今日はバス停を。
小田原駅から箱根方面のバスに乗ると、「ビーバートザン前」というバス停がある。ビーバートザンとは神奈川県内に数店舗を展開する、小田急系列の量販店である。そこを通る箱根登山バスは小田急系列なので、西鉄で言えば「西鉄グランドホテル前」みたいないわゆる手前味噌のバス停だが、バス停同士の間隔が長めの箱根登山バスの中で、ビーバートザン前だけとなりのバス停から僅か3、4百メートルしか離れていないのは笑える。そこまでして手前味噌か(笑)。神奈川の量販店といえば「ダイクマ」が圧倒的なので、必死のテコ入れかもしれない。

神奈川では他に神奈川中央交通バスに「豊田本郷駅」というバス停がある。駅でもないし、以前鉄道があったわけでもないのに不思議に思っていたら、同じ神奈中バスの金目駅バス停などと同じく、きっぷを売る「バス駅」であるとのこと。

東京の三鷹駅前からひばりが丘行きの西武バスには「ガード下」などというバス停がある。確かにガード下にある。ネットで調べたら京浜急行バスの鎌倉駅近くにも同名のバス停があるのを知った。他に何か付けられないものか。

各地に意外と多いのが、県境とか市境とか郡境とかいうバス停。バス停の命名もかなりアバウトなものである。そういえば北海道には自動販売機前というバス停があるとか。

2004/04/21(水) 駅名の妙
横浜の中華街まで乗ったみなとみらい線は、初めてだったので駅名は耳慣れないものばかり。馬車道、新高島など、横浜らしい名前が続く。その中に「日本大通り」という駅名があった。これは日本大つまり日大の通りなのか、にっぽん大通りなのかちょっと気になった。みなとみらい線の公式サイトを見てみると、にっぽん大通りのようである。横浜に日大はないわけだし。
そういえば小田急線では六会という駅が六会日大前に変わっていた。同じ小田急線ではそのむかし、大根という駅が東海大学前に変わっている。

大学といえば、東横線に学芸大学という駅名があるが、学芸大学は遠の昔に小金井に移転している。地元住民にアンケートをとったら、学芸大学のままにしてほしいという意見が多かったのでそのままになったようだ。そういえば西武新宿線には都立家政という駅がある。都立家政ってなんじゃ?

みなとみらい線の元町・中華街駅は、ホームの中央に地上への吹き抜けの長いエスカレーターがあって、大阪の御堂筋線を思わせる明るい雰囲気だった。

2004/04/20(火) くさやの存在感
旅のみやげは、その存在が後をひけばひくほど、その旅情の余韻が感じられていいものである。楽しかった旅の記憶の残り香が、心地よく残り喜びをいつまでも感じることが出来る。

そんなことを知ってか知らずか、今日はみやげに買ってきた「くさや」を食べることにした。くさやとは伊豆諸島に伝わる伝統的な干物で、むろあじなどの内臓を海水に漬け込み、その漬け汁を利用して作る強烈な匂いを放つ珍味である。

最近はよくしたもので、真空パックで密閉してあるため持ち運びや保存も便利。おかげで他のみやげも無事に持って帰ってこられた。その真空パックを開けてみると・・・久々の(゜д゜)クサー!
忘れかけていたこの匂い。言葉で表現するのは難しいが、しいて言えば養鶏場に漂う鳥の糞のような臭さである。

しかしこのくさやがたまらなく美味いのである。ビーフジャーキーのような固めの歯ごたえに、熟成した臭さはまさしく珍味。焼いて食べても美味いが、茶漬けにすると固めの身がほぐれ、しかも塩味がまろやかになり更に美味い。

しかしお陰で我が家の台所は当分くさや臭が染み付いてしまいそう。窓全開、換気扇フル稼働で空気を入れ替えるも匂いはそのまま。旅の余韻の残り香は十分すぎるほどである。

2004/04/19(月) 武蔵境から元町・中華街
旅の最終日は武蔵境を出発。朝のラッシュ時に東京方面へ向かうのは、荷物を抱えている身には半端な辛さではないので、早起きして横浜方面へ下り線を使って向かうことにした。

まずは11年ぶりに西武多摩川線に乗る。始発だけあって楽に座れたが、逆方向とはいえ朝の7時過ぎなのでそれなりに乗っている。途中の多摩駅までは、東京外大附属の小学生がきゃっきゃっ賑やかだった。その先は快適。久々に見る野川公園は東京とは思えない緑の濃さ。競艇場前も通ったが、開催していないのが無念である。
是政からは南武線の南多摩駅まで多摩川沿いをゆったりと散歩。しかし南武線に乗ると殺人的な混雑ぶりにギブアップし、登戸で降りて小田急線に逃げることに。

小田急線で海老名まで抜け、20年近くぶりに相鉄線に乗った。すでに30年ほど前から車窓が自動ボタンで開くという、最新鋭の車両を導入するなど侮れない相模鉄道だが、かつていずみ野で切れていた支線が湘南台まで繋がっていた。急行なんて初めて乗った。

横浜で少し時間が出来たので、みなとみらい線で終点の中華街まで。ずいぶん深いところに掘った地下鉄だが、長いエスカレーターが高速で早い。お年寄りなどのためだろう。警備員がひとり上り口についていた。

中華街も少し変わった印象。十数年ぶりだが、入口にはスターバックスなんぞ出来ている。キリンの飲料の自販機が麒麟と書かれているのも面白い。店並みは大まかには変わってない感じ。それにしても日本の中華街って、なぜ食べ物屋や雑貨屋ばかりなんだろう。そのせいか、タイや香港など他国の中華街に比べると小柄に見える。金行などがあれば、ちょっとはスケールが大きく見えるのだが。
(写真は中華街朝陽門とスタバ)

2004/04/18(日) 三鷹の富司屋
東京に出てきたからには食べておきたいものがたくさんある。
しかし食事というものは1日に3度であるから、全て欲求を満たすわけにはいかない。
駒形どぜうや中江の桜鍋など、東京らしいものも食べたいし、福岡では食べられないしょうゆラーメンや、汁がどす黒い立ち喰いそば、大ぶりの餃子なんかも体が求めてくる。

そんな中、上京すると必ず行く店がある。三鷹にある秋田料理屋の富司屋である。この店、値段は大衆的ながら、料理は本格的な秋田料理が味わえる。子持ちわかめはしょっつるに漬け込んであるし、がっこ(漬物)はしっかりといぶったものが出てくる。いなごの佃煮だってある。岩魚や山女魚も常時注文でき、予約をすれば鯉の姿造りまでできるのである。建物は古いが、中庭には色とりどりの錦鯉が泳ぐ池もあり、その奥には個室形式の座敷もあるなかなかの店である。

この夜は湯沢の両関という日本酒を飲みながら、都民と久しぶりの宴。鯉のあらいやわらびのおひたしなどをつつく。4月までは鍋もやっているということで、大ぶりの赤なめこ、舞茸やじゅん菜まで入っているきりたんぽ鍋を食らった。これで1人前1300円ほどというから安い。ビールは大瓶という良心的な店である。

東京の店の多くはとにかく高いが、こうしてリーズナブルな店がひっそりと存在することに、少し安心してしまうのである。

2004/04/17(土) 記念メダルは生きている
箱根の2日目は、宮ノ下から強羅まで登山鉄道を利用して、そこからケーブルカー、ロープウェーを乗り継いで芦ノ湖のほとり桃源台へ出て、そこから遊覧船で箱根町へ。

それにしてもさすが国際観光都市箱根である。登山鉄道もケーブルカーも、平日の午前中だというのにびっしり。ロープウェーなどは長蛇の列である。それを次々に捌くように、リフトのように秒刻みでやってくるロープウェーもすごいものだ。

観光客の多くはアジア系の外国人だった。以前は外人観光客というと青い目の白人が主流だったが、今回はその数は少なかった。アジア諸国の人々も豊かになったということだろう。高性能のビデオカメラを手に、富士山を撮ったりしていた。そういえば、韓国語や中国語など、アジアの言語での標識も目立った。

桃源台では、懐かしい記念メダルの販売機を発見。
かつてはダイヤル式でジコジコと回してアルファベットを刻印していたが、現代ではパソコン式にキーボードで打ち込むようである。みやげというものは一般的に他人に贈るものだが、これは基本的に自分の名前などを打ち込む、自分用のみやげである。

そういえば箱根で私がで買った自分用のみやげは、「くさや」であった。我ながらクセ者である(苦笑)

2004/04/16(金) 宮ノ下富士屋ホテルと小田原のだるま
おとといからきのうまで箱根の宮ノ下温泉に1泊した。
泊まったのは富士屋ホテル。明治初期創業の老舗リゾートホテルである。以前一度宿泊して気に入り、また泊まることになったのだが、今回はシーズンオフのため宿泊客が少なくゆったりとできた。平日だったこともあるだろう。

前回はフォレストロッジという昭和30年代築の4階建ての部屋に泊まったが、中途半端に古い部屋で中身はいまひとつだった。今回は明治築の西洋館。前回の部屋より広さは狭かったが、内装も綺麗に塗り直してあり快適だった。天井が高く、明るいのもよかった。

到着した日は雨降りだったが、周囲を樹木に囲まれているため、雨に煙ったホテルもきれいだった。翌日晴れた姿もまた壮観である。いわずと知れた有名ホテルだが、私も多くの観光客のようにたくさん写真を撮った。被写体が優れていれば、撮る側のお手手が及ばなくてもよく撮れる気になるものである。ホテルの様子は後日UPしたいと思うので、しばしお待ちを。

客層は圧倒的に年配の夫婦、マダム集団が多かった。古き良きものたちがそこにはたくさんあった。私たちはホテルの客室では、ほとんどテレビをつけなかった。何だかそんな気分にはなれないのである。携帯電話の電波が弱かったが、それも気にならなかった。そこでは文明の利器に頼らなくても時間を持て余すことはなく過ごすことができた。部屋のソファーに座り、とりとめのない話をして、カフェでお茶を飲み、温泉に浸かるとあっと言う間に時間が過ぎていった。

平日なら旅の窓口を利用すれば朝食付きでひとり1万ほど。しかしインターネットとは無縁の高齢者が多いせいか、チェックアウト時にふたりで4万も5万も払っている宿泊客が多かった。何だか割引料金で利用して申し訳ないな、と思わせるようなホテルだった。そして旅慣れているとなかなか思わないことだが、ここでは「また来たい」と思うことができた。

唯一の難点は夕食が高いこと。高級ホテルだから当然かもしれないが、一番安いコースメニューで1万2千円というのは辛過ぎる(-_-;)。そりゃ、皇族やヘレンケラーやチャップリンやジョンレノンも泊まったホテルだからそんなもんかもしれないが、周囲にまともな食事処が乏しいので潰しが利かないのである(^^;)

箱根フリーパスを持っていたこともあったので、夕食はバスで30分ほどかけて小田原の町へ下りていき、こちらも富士屋ホテルのキャラと被るが、明治中期に建てられた国登録有形文化財指定の唐破風入母屋造りである立派な建物の和食屋「だるま」へ行った。富士屋ホテルに負けず劣らずの「古き良き」世界で、壁の鏡面はキリンレモンの文字が今と逆の左から右に流れている。

だるまでは相模湾の魚が美味いが、石鯛の刺身が特に美味かった。うるめいわしも美味いし、ホウボウも絶品である。値段もなかなか安いので、競輪の帰りにでも行ってみてはどうだろう。だるまについては↓のサイトに詳しい。
http://www.darumanet.com/main.html
(写真は富士屋ホテルの西洋館)

2004/04/15(木) カレー激戦区新宿
きのうはあれから、中村屋ではなくサムラートで昼食。
サムラートは私が在京時によく行ったインド料理屋である。新宿のほかに、渋谷や吉祥寺などいくつか店がある。もう二十数年営業が続いているのは、カレーもうまいが商売もうまいということだろう。店内のディスプレイのボトルにジョニ黒やシーバスリーガルなどを使っているところに時代を感じる。

東京で営業の仕事をしているときここのランチをよく利用したが、いつのまにかナン、ライスが食べ放題になっている。ナンなんてそんなに何枚も食えるもんじゃないが、なかなか有難いサービスである。

ここの従業員はインド人風の男性が多いが、実は多くがネパールやバングラディッシュなど、周辺の貧しい国から来た働き手である。彼らと仲良くなり、私がインド方面へ行ったときは、パーンマサラ(日本でいえば仁丹のようなものか)や現地の煙草、音楽テープをみやげに買ってきたりした。そして私は彼らからインド料理の調理方法を教えてもらったこともある。一応商社マンだった私は、彼らとコネクションを持つことで、将来、何かメリットがある可能性があると考えていたこともある。

さすがに東京を離れて11年、知っている従業員は見かけなかったが、やはり多くのインド人風のウェイターがいた。店長風の男は日本人で、やしきたかじん似の男だったが、飛び周るようによく働いていた。流行る店は従業員の動きもいい。

ランチのカレーは7、8種類あって、人によって好みが分かれると思うが、ドリンクはミルクティーがおすすめである。カルダモンの香りが微妙に効いていていい感じ。日本人好みにアレンジしたチャイというところか。
ラッシーもあるのだが、紙パック入りの「飲むヨーグルト」を注ぐだけなのでおすすめできない(笑)

ともかく東京周辺にお住まいの方には、こちらのランチはおすすめである。店のサイトのBGMのシタールの調べもなかなかいい。
http://www.samrat.co.jp/

2004/04/14(水) スカイマークってやっぱり
休暇の温泉旅行で東京へ着いた。
それにしてもスカイマークの遅れグセは何とかならぬものか。
これじゃ、安かろう、悪かろうの典型ではないか。
遅延の原因はJR九州と同じで、連鎖的に波及しているようで根が深そう。
学校の先輩の井出さんよ、何とかしておくれ。

しかしスッチーのお姉さんはきれい、というより私好みのひとが多かった。そちらは帰りの便にも期待(^^)

さて、待ち合わせの時間まで余裕ができたので、ネットカフェに来てみた。福岡でよく利用しているポパイの新宿店である。
飲み放題のジュースを見てみると・・・、やっぱりミックスジュースを発見。カルピスとHI−Cのピーチの味はいまいちだったけど(^^;)
それにしても最初の1時間が200円とは安い。店内の広さやシートの快適さも福岡や広島の店と同様。

さてこれから中村屋でカレーでも食って、箱根へ行ってこようっと。今日の東京は人が少ないなぁ。平日の午前中なんてこんなもんだったっけ。

2004/04/13(火) 歌に誘われて
以前、福岡ローカル日記に書いた井上陽水が歌う西鉄バスのCMソングだが、CD化され4月1日から発売されているようである。1枚500円。当面、バスセンターや駅、空港の売店など福岡での限定発売のようだが、通販もあるようだ。空港ってのが意外だが、「限定販売」という言葉を匂わせ、旅のみやげに買わせるつもりだろうか(^^;)

陽水の曲は最近のものより、「帰れない二人」や「なぜか上海」など初期の曲が好きだが、このCMソング「歌に誘われて」は、水谷豊に書いた「はーばーらいと」をメジャー調にしたような、半音の多いゆったりとしたバラード系の曲だ。興味のある方は↓をどうぞ。
http://www.nag.co.jp/cd/

2004/04/12(月) 安く飛ぶ
日常的にはヒコーキというとパチンコというレベルの生活な私だが、上京するため2年ぶりに飛行機に乗ることになった。予算削減のためスカイマークを利用。元々安いキャリアだが、それをさらに早期割引、しかも格安チケットで行くわけだが、普段から高い通信費を払っているのだから、こんなときこそ情報収集をしっかりして少しでも補填しなければ(^^;)

スカイマークは、数年前に東京−福岡の3000円キャンペーンのとき以来の利用になる。あのときはすさまじいリダイヤル攻勢で、何とかチケットをゲットしたわけだが、あまりに負担が少なかったので、あまり有難味を感じなかった記憶がある(^^;)
3000円便の客層はというと、茶髪のアンちゃんなど若年層が多かった記憶がある。あのときは朝の便で東上し、最終便でとんぼ帰りして6000円で帰ってきた(笑)

今回はその5倍も払うわけだが、それにしても国内線の運賃もずいぶんと安くなったものである。宿も旅窓で定価の半額以下。これらのスベを知ってしまうと、もう断じて定価など払えなくなってしまうが、航空券やホテルを定価で利用している人って、今どきどれくらいの割合なのだろう。まあ、招待などただで利用する客も混じっていると思うと、大して得したとは言えないのだが。

2004/04/11(日) 牛肉より羊肉
多忙続きのため、また今日も外食。
今日は古くから九産大前(唐の原)で営業を続ける焼肉屋「味楽」で焼肉である。
焼肉といっても大衆焼肉店で、夜に食べられる焼肉定食が650円から。税込表示を強要される前は外税で600円という安さだったのである。焼肉定食の肉はラム肉だが、多めの御飯と味噌汁と、キムチだってちゃんと付く。

今日は肉を倍にしたので1100円だが、それにしても安すぎる。この値段で、網を磨く手間やコンロのガス代などを考えると、気の毒になってしまうほどである。ということはラム肉やホルモンは450円。一番高いカルビやロースでも750円という安さである。

家から遠いのであんまり来れないが、この店はお気に入りである。テーブルが僅か4つだけの狭さや、店の古臭さもいい。店頭のペプシコーラの看板は、いまどき黄色のままである。いったいいつの看板や、と突っ込みを入れたくなるほどである。ちなみにペプシのレギュラー瓶は170円という安さで出される。

強いて言えばメニューが少ないのが難だが、ラム肉だって筋ばった肉などまったくなく、下味もちゃんと付いている。最近開店する「企業」経営の新手の焼肉屋は、肉を切って上からたれをかけただけの肉しか出てこない。焼肉ってものは、酒や醤油やゴマ油やにんにくなどを揉んで漬け込んだものが焼肉なのである。

この店を15年以上前から知っているが、ほとんど値上げしない良心的な店である。しかし今回の税込表示により、かなり久々に便乗値上げを行った。肉、いや憎き小泉政権である。
せっかくの小汚い風格のある店のすすけた店内の中で、値札だけが新しいのは不自然きわまりない。

2004/04/10(土) メロンパンより豚足
今日はY駅前の黄色い看板の店に餃子でも食べに行き、以前日記にも書いた軍曹や二等兵のその後も知りたいところだが、もうちょっとちゃんとした中華が食いたくなり、今日は蓮池の「好運来」へ。別に大手餃子チェーンがちゃんとしてないというわけではない。しかし鳥のから揚げが胸肉オンリーなんて、ひとりで食うにはあまりにセンチメンタルである。よって豚肉を「猪肉」とかメニューに書いているだけで、本格中華を食べているような感覚も味わえるということで、華僑色の濃い大衆中華店へ行くことにしたのだ。

蓮池では、最近人気沸騰中のメロンパン屋が集客力ではダントツ。しかし私は行列に見向きもせず、中華屋で今日は「豚足と野菜の炒め」を食らう。メニューには「紅焼猪蹄」となっている。厳密に訳すと「豚足と野菜のうま煮」だが、この店の中国人にそこまでの日本語の語彙を求めてはならないだろう。

さて料理がやってきた♪。ぶつ切りの豚足がてんこ盛り!うんうん、十分すぎるコラーゲンが摂れそう。ネット依存症の私の眼精疲労に染み渡る豚足のゼラチン質である。

2004/04/09(金) 各駅停車
来週箱根に行くことになり、小田急線の時刻なんぞを調べていると、新宿発小田原行きの普通列車の時刻が目についた。幼少期小田急沿線に住んでいた私はよく小田急線を利用したものだ。当時から普通の小田原行きはあったのだが、2時間弱かけて副都心と神奈川の端を結ぶこの電車は利用したくても利用する機会はなかった。大人になった今、機会があれば乗ってみたいと考えるということは、私もかなりの鉄道好きと認めなければならないのか。

かつてはJRの東京発大垣行きや、高松発高知行きなど、普通の夜行列車はよく利用したものである。高知行きは3時間半ほど、大垣行きでも8時間ほどと、それほど過酷とはいえない時間である。乗ったことはないが、山陰線の門司発福知山行きなどは18時間ほどの長丁場であるが、鉄道マニア以外に乗り潰す人は稀であろう。そういえば韓国にはソウル近くの清涼里から釜山近くの釜田まで、12時間半かかる普通列車があった。振り向けば我が国にも過去に、からまつや山陰、ながさきという寝台車を付けた普通列車もあったわけだが。

そんな私のこと、連れが金欠と聞くと節約のため、新宿から箱根まで在来の急行(小田急の急行は乗車券のみで乗れる)で行こうかと、冗談とも本気ともとれる発想をしてしまう。それで切り詰められるのは、たかだかロマンスカーの特急料金片道870円なのであるが(^^;)

かつて吉田拓郎のバックバンドをやっていた猫というフォークグループのヒット曲に「各駅停車」という曲がある。喜多条忠の詞だったと思うが、なかなかいい曲である。猫といえば最大のヒットは「地下鉄に乗って」であるが、丸の内線が舞台であり、今回の上京には、猫の曲がテーマになるのか。いや、「各駅停車」は別れの曲なので・・・忘れることにしよう(笑)

2004/04/08(木) 誰がためにゴミは減る
明治通りの大名付近というと、かつて貫線といわれ市内電車が走っていた福岡の目抜き通りで、オフィスビルが立ち並び、カフェなどもあるところで、街路樹もきれいなところですが、毎日この界隈の掃除をする人たちがいます。
まずは日本たばこのスタッフ。日本たばこの自社ビル前には、樹齢何百年にもなるいちょうの木があって、落ち葉も多いところですが、「スモーキンクリーン」の黄緑色のジャンパーを着て、毎日何人かでほうきを持って掃除をしています。
ほかにはホンダベルノのスタッフ。赤坂門にホンダベルノというディーラーがありますが、そこのスタッフが赤いホンダのスタッフジャンパーを着て、ちりばさみをもって一帯の掃除を行っています。

大変素晴らしいことで、企業のイメージアップにもあると思うのですが、黄緑色と赤という誰からも目立つジャンパーを着ているのがちょっといやらしいかなぁ。どちらもワイシャツの上にわざわざ目立つ色のジャンパーを着てから出てきているのが何となく嫌味。せめてふつうのネクタイ姿でやったら、本当にその企業を好きになると思うんだけどなぁ。「利潤の追求」が企業の理念とはいえ。

2004/04/07(水) 長岡といえば
新潟の長岡から帰ってきた知人から、土産に浪花屋製菓の柿の種をもらった。関東や関西ではかなり有名、それに地元では前田吟のテレビCMですっかりおなじみだが、九州では入手困難なので有難い。以前、「テレビ探偵団」という番組でこのCMが流れてブレイクし、私が食品業界にいた頃、品薄になったこともあった(^^;)

さて、金属製の箱を開けてしおりを見てみると、浪花屋柿の種テーマソングというのが楽譜入りで書かれてある。まったく興味はないのだが、学校の校歌もインターネットで聴けるご時世、もしやと思い、浪花屋製菓のホームページにアクセスし見てみると、やっぱりあった。テーマソング試聴(笑)
しかも1番のみと6番まで(1MB)に分かれている。フルコーラス聴く暇人はどんな方なのか・・・(^^;)
http://www.naniwayaseika.co.jp/

2004/04/06(火) 親富孝無宿
朝から天神で時間を潰すことになり、久々に親富孝通りへ足を向けた。親富孝通りとは、天神近くの若年層の集まるスポットで、安い飲み屋やカラオケボックス、ゲームセンター、ディスコ(クラブ)、テレクラなどが集まる、大人は滅多に寄り付かない界隈である。かつてその付近に予備校が乱立していたことから「親不孝通り」と呼ばれていたが、付近にある公園の治安の悪化が社会問題化し、イメージアップのため「親富孝通り」と改名された。

あまり柄の良いところでないとはいえ、福岡の若者は十代の後半から二十代始めにかけて、多くが親富孝通りで遊んだ経験を持つのではないだろうか。私もかつてはよく行った。昭和通りからの入口にはかつてピザバイキングのシェーキーズがあり、女子競艇選手のT郷H美が働いていたこともある。

朝からウエストのうどんという気分でもないので、フレッシュネスバーガーで100%ジュースとねぎ味噌バーガーでも食べようと交番の辺りまで歩いてみると、それらしき建物が見つからない。しかし目の前に更地がある・・・どうやら潰れたらしい。親富孝近辺は店の入れ替わりが本当に激しい。ローソンはなくなっているわ、TAITOのゲーセンはなくなっているわ、すっかり浦島太郎状態である。吉野家の亜流、牛心も潰れていたし、ビフテキ居酒屋のビッグジョンも閉めたようだった。

仕方ないので吉野家で朝定を。吉野家といえども、親富孝においては客層は若造ばかりである。カウンターの端では寝込んでいる兄ちゃんがひとり。ハス向かいには夜勤明けのキャバクラギャルが豚丼を食べながら化粧直し。反対側にはナイト(ホストの廉価版)風で長髪・金髪の黒服が納豆をかきまぜている。それにしても、吉野家で寝込んでいる輩を見たのは初めてだ(笑)

まぁ、親富孝も決して悪いところではない。スターグループでは、遅い時間でも40分2000円ぽっきりのラウンジ(キャバクラ)もある。そのかわり女性のレベルは動物、いや爬虫類並みかも(^^;;;
風俗店だって、ややケバい傾向にあるが、なかなか遊べる店もある。そういえば18歳未満を働かせて手入れを食らった某人気店も親富孝にあった。まあ、その近くには任侠団体の棲みかもあるわけだが。
今度は夜に、話のネタに飲みにくるとするか。

2004/04/05(月) おかげさまで
4月に入ったというのに、福岡市内はまだまだ春らしい陽気がなかなか感じられない日が続いています。特に朝晩の寒さは冬並み。桜の開花は観測史上屈指の早さだそうですが。
それに追い討ちをかけるように、ここ数日は雨の日も多く、写真の鳩もずいぶんと寒そうです。

さて、そんな中、弊サイトは本日50000アクセスとなりました。いつもご覧いただき有難うございます。今後ともよろしくお願いいたします。

2004/04/04(日) 旅の恥はかき捨て!?
周囲に人がいないと、自らを律することが出来ない人が意外に多くいるようである。
ひと気のない埠頭近くの行き止まりや、山奥の渓流、岬近くの岩場などにはゴミがよく落ちているものである。

先日、山口の川尻岬へ行き公衆トイレに入ったら、下の写真のような注意書きがデカデカと貼られていた。手製の張り紙ではなく、業者に発注したと思われるご立派なプレートで書かれてあるところが、かなり深刻さを感じさせる。やはりひと気が少ないところは、それだけやり放題な手合いも多くやってくるという事か。

トイレットペーパーを持ち出す輩は都会のビル内のトイレにも多いが、辺鄙な場所のトイレには、補充する作業も大変なのであろう。インド人と違い紙なしではトイレでしゃがめない日本人にとって、紙を常備できないことはかなり致命的である。都会ではあちこちでサラ金屋などがタダでティッシュを配っているが、田舎では貴重品なのである。

冷凍釣りエサの解凍も困ったものである。とにかく匂いが臭いのだ。家の冷凍庫には冷凍のアミが眠っているのでよくわかる(^^;)
磯に下りてから解凍するのでは遅いという気持ちもわかるが、僅かでもアミなどの残骸が残ると、臭さはずっと残るのだし。
「旅の恥はかき捨て」という諺は、ずいぶん古くからあるわけだが。

2004/04/03(土) 菜の花も見頃
桜もきれいだが、この時季菜の花も負けないほどきれいである。
先日、角島へ行ったときに通りがかった山口の豊北町に、広大な菜の花畑があったので寄り道してみた。

「おぼろ月夜」で歌われたのは千曲川沿いに咲く菜の花畑だそうだが、山陰線沿いの静かな街道筋の菜の花もいいものである。
撮影当日は曇天の下だったが、まぶしいほどこれほどの黄色が放たれている。

食も旬が大事だが、花も旬に楽しむのがいいものだと感じる春先である。

2004/04/02(金) 桜の見頃
福岡市内の平野部では、ここ何日かが桜の見頃である。
桜の木の下には、平日の昼間だというのに敷物を敷いて何人かで飲んだくれている人々があちこちで見られた。けっこうなご身分である。

福岡ではきのうの夜中に強い風が吹き、雨もかなり降ったため、一部の桜はまさに日の目を見ずに散ってしまった。まさに人の世のごとしであるが、また来年、再来年と開花は続くので、少なくとも人よりは寿命が長いことを考えると、それほど感傷的にもならないわけだが。
(写真は久山町猪野の五十鈴橋付近の桜)

2004/04/01(木) 山田市バス誕生
かつて京都に本社のある某運送会社で事務をしていたこともあって、一般の人よりも地名には関心を持っている私だが、このところの平成大合併により新しい町や市が続々と誕生して、さすがにこちらの記憶も追いつかない。

そんな中、4月1日よりさらに新しい町や市がいくつも誕生する。伊豆、四国中央、上天草市などである。

新しい市が出来る一方で、縮小傾向まっしぐらの市もある。福岡では山田市である。
北海道の歌志内や三笠などと同じで、かつて産炭地として栄華を誇ったが、今はもぬけの殻。一時は市制返上も、という噂があったほどの寂れ方だが、この4月1日より西鉄が市内のバス路線の多くから撤退することになり、「山田市バス」が誕生することになった。運賃100円で運行するなどという話だが、山田市の人口密度で採算がとれるわけないと突っ込みを入れたいところだ。


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