日常日記
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2004/07/30(金) 岡田さんの命日
今日は岡田正泰さんの命日である。早いもので3回忌になる。
岡田さんはヤクルトの私設応援団長だった人。2002年の今日亡くなったのだが、岡田さんが亡くなるのを境に、ヤクルトは弱くなった気がする。

12球団にはそれぞれ私設応援団があるが、岡田さんは漫画にも登場するほど個性的で有名な応援団長だった。最初はひとりでフライパンを叩いて応援していたそうだが、昭和53年の日本シリーズのビデオにはフライパンを持った岡田さんが確かにまだ映っていた。若松勉選手の応援歌は、今でも高校野球では定番として残っている。

私が上京した昭和62年、ヤクルトは万年最下位で本当に弱かったが、岡田さんは神宮や後楽園で試合があるときにはいつも来ていた。周囲のファンにも気さくに声をかける人だった。看板製作会社の仕事の関係で、いつも7回くらいにならないと現れなかったが、岡田さんがくるとファンの応援も盛り上がったものだ。私が神宮に通っていた頃の記憶には、いつも岡田さんがいる。

2001年にリーグ優勝し、上京して日本シリーズを見にいくと、岡田さんを見つけて嬉しかった。ファンの顔ぶれは変わっていたが、岡田さんは元気にしていた。日本一の瞬間を岡田さんと共に見られて至福である。まさかその翌年、黄泉の国へ旅立とうとは。

最近、ヤクルト戦をしばらく見に行っていないが、岡田さんのいないスタンドの応援はさぞ寂しかろう。ヤクルトの投手陣も、石川がようやく復調し、藤井がどうにか使えそうで、川島の将来も楽しみで、外人も頑張っていて、少し見通しが明るくなってきた。何とか勝率5割に戻して命日を迎えたのは、選手もわかっていて必死にやったということか。


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