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2004/09/14(火)
結婚の次は葬式
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元チェッカーズのクロベエの葬式で、一部のメンバーが葬儀の参列を拒否されるという事態が生じた。結果的に参列は果たしたようだが、壇上でメンバー全員が揃ってカメラに収まるということはなかった。かなり深い亀裂があるようだ。
それをテレビで見ながら、大の大人がみっともないと思っていたのだが、よく考えてみると、自分だって二度と口をききたくない人間が何人かいる。職を転々としたのも、主要な理由は長期の海外旅行に行くためだったが、人間関係も原因のひとつである。そういえばきのうのランチでも、Rさんと職場での人間関係の難しさについて話した。体力的よりも精神的な疲労の方が確実にボディに効いてきて、治癒するのに相当な時間を要する。
それにしても葬儀の参列まで拒否するとはあんまりである。日本語には村八分という言葉があり、仲間はずれにはするが火事と葬式だけは別なのである。(火事は延焼、葬式は化けて出るからだそうだが)それもマスコミの前で堂々とやってのけるところに、深刻さを著しく感じる。
他人の葬式を見ると、自分の葬式はどうなるんだろうかと一瞬考えたりする。結婚しなければ子どももいないだろうから、下手すると葬式さえないかもしれない。私が以前、師と仰いでいた方が亡くなったとき、有名な仏文学者と死期が重なり、それなりの著名人であったのにすごく寂しい葬儀となったのが忘れられないが、私としては葬式などなくてもいいと思っている。(色気のある)店をしていたとき、働いていた女のコたちは、もし死んだら葬式で泣いてくれるといっていたが、信じてもいいのだろうか。いつも教え子(従業員)たちには、社会での「やらせ」の大事さについて教えてきたので、しっかり泣きまねくらいしてくれるといいが(笑)
私は写真を撮られるのが嫌いで、十代の頃は集合写真以外にほとんど写真に写っていない。国内外のあちこちに旅したが、そのときもほとんど写真を撮っていない。その後も極力写真はご遠慮してきた。ゆえに葬式に使う写真も選べるほどないだろう。そんな私がこんなサイトを作り、デジカメなんぞ駆使しようとは夢にも思わなかった。皮肉な話である。
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