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2005/10/08(土)
揺れる2005年
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あんまり友達が多くない私だが、数少ない友達は国内よりもむしろ海外にいる方が多いように思う。特にインド、パキスタン、ネパールに多い。現地で知り合ったこともあれば、日本でインド料理屋などで働いていて知り合ったという経緯もある。共通の話題があれば、知らない同士でもすぐに親しくなれるものだ。そしてお互いの国の歴史や文化を知っていれば、さらにそれは深まるといえる。
そんなわけで、インドやパキスタンで大地震があれば心中穏やかでない。気持ちを通わせた人の多くいる国で起きた災害には心が揺れる。マグニチュードで比較すれば阪神大震災よりも酷いと思われ、日本ほどライフラインや交通事情も整備されていないだけに、被害はかなり深刻になるのは必至だろう。先進国のように耐震の建物は少なく、耐震はおろか鉄筋の建物すらごく少数の国であるだけに、かなり悲惨な状況が推察される。
震源はイスラマバード北北東100キロ付近というから、私の友人の父親が遭難した標高8100メートル超のナンガ・パルハット山の付近になるが、被害は多方面にあるようだ。パキスタンは日本のように縦長の国土で、首都のイスラマバードは北部にある。在パ邦人の多く、というより各国の特派員などはその周辺に多く住んでいるだろうから、その安否が案じられる。泊まったホテルや救世軍のホステル、美味しかったパン屋、中華料理屋、両替した銀行など、私が触れた人々が無事であることを願うばかりだ。
日本人医師としてパキスタンで医療活動をしている中村哲医師は、イスラマバードよりさらに北部のペシャワールが拠点だけに、さらに心配される。中村医師が作家火野葦平の孫であることを、今日の地元紙で読んだばかりだった。彼は私の出た学院の先輩でもある。私の在校時にはすでにペシャワールで活動していたが、これほどの地震に遭ったのは初めてではなかろうか。
どうやら犠牲者は千人を軽く超えそうである。今年は大規模な地震が各地で頻発する年だ。そういいながらも、福岡でも今後安心できるわけではない。今一度非常時の対策を反芻し、心に備えておかなければならない。
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