日常日記
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2005/04/30(土) 仁義より金集め?
JR福知山線脱線事故の報道が連日紙面を賑わせている。この事故は国鉄だったなら起こらなかっただろう。分割民営化され、私鉄となったJR西日本だからこそ起きたのだ。単なる民営化ではなく、分割することで各社に叩き合いをさせることも命取りとなったのではないか。貪欲に利潤を求めた結果、限界を超えた操業をしていたのだろう。

そもそも企業とは利潤を追求するもの。路線の集客を上げるために、スピードアップや極限まで本数を増やす企業努力をするのは当然だし、利用者にとっても有難いことである。安全が約束されるのであればという条件付きでの話しだが。JR西日本の組織の中ではすでに危うい空気は存分に漂っていたようだが、あれほど巨大な組織の中では、個人の意見や社会的良識などは無力だろう。私も職員だったなら、組織に従って無理を承知で業務にあたっていただろう。それが嫌なら組織を出るしかない。

私の友人の働くビジネスホテルでは、経営者側から常に稼働率100パーセントに迫るよう求められるという。どうしても空室が埋まらない時期や日にちがあるため、稼動する日は100パーセント以上で回さないと数字は上がらない。昼下がりに男女でチェックインし、ベッドやシャワーだけ使って2人揃って退出した部屋は、2、3時間経って戻らなければもう来ないと見て素早くバッシングをしてその部屋に次の客を入れるという。もしその男女が遊び回った末に終電に間に合わず帰ってきたら、もしくは別の部屋で設備などにトラブルが発生きたら、100パーセントで稼動させていれば代わりの部屋はないのである。

運転士が足りないから飲酒した運転士を黙認して乗務させるバス会社もしかり、前の客が残したパセリやキャベツを次の客に再利用したり、床に落ちた食材を使う外食産業もしかり、体調が悪いのに指名だからと接客させる風俗店もしかりである。飲酒運転は事故に直結するし、衛生管理が万全でなければ食中毒の危険を孕むし、体調がすぐれないときは抵抗力が弱まり、疾病を蔓延させることにもなりかねない。

マスコミを名乗る報道機関もしかり。テレビ朝日系の報道で亡くなった運転士がブレーキを握ったまだの姿だったと報道していたが、TBS系の報道では、発見した救急隊員がはっきりと、ブレーキを握っていた事実はないと言ったことを報道した。朝日系の報道は初めから脚色だったのは明らかだ。遺族に向かって「現在の心境は」などと尋ねることもそうだが、面白おかしくドラマ仕立てで報道して、少しでも部数や視聴率を伸ばし利潤追求する大企業の姿である。誰も知りたくない犠牲者の個人情報、たとえば人柄や家族との逸話を全国にばら撒き、肝心の事実の情報が得られない紙面を埋めている。報道された個人情報は単なる踏み台で終りである。

むかしのヤクザには仁義があったが、今は人集めも座布団の高さも金次第になったとよく嘆かれている。その筋だけでなく、この社会全体が金集めの社会になり、ときにこうしてとんでもない事故が起こる。むかしの鉄道員には風格や誇りのようなものを感じたものだが、今の鉄道員にそれを感じないのは、一介の企業の手先という悲壮感を感じるからかもしれない。

2005/04/29(金) ノンアルコールビールも捨てがたい
最近ノンアルコールビールをよく飲んでいる。
これまではオーストラリア産のウエストエンド・エキストラという銘柄を飲んでいた。味がいまいちだったが安いからという理由(マルキョウで69円で調達)で仕方なくそれにしていたのだが、最近愛飲しているのは、アメリカ産のプライムセレクト。以前この日記でも紹介した、ディスカウント店「トライアル」で何とバラ売りながら1本39円という安さなのだ。しかも味はウエストエンドよりだいぶいい。「ローカロリー、ノーファット、ノーコレステロール」という文字が、減量中の私には魅力的でもある。

もちろんアルコールの入ったビールのように酔えないが、酔いたいときはホッピーのように、このノンアルコールビールに焼酎などを混ぜるのである。なかなか刺激的な味がしていい。

かつて溺れるほどコーラなどの炭酸飲料を愛飲していた私だが、減量を始めてからはほとんど飲まなくなった。ファンタに新しくフルーティメロン味が出たので一度飲んだのだが、久々の清涼飲料はあまりに糖分が多く、残してしまった。水やお茶、トマトジュースなどばかり飲んでいたので、舌の感覚がずいぶん変わってしまったようだ。

きのうのような夏を思わせる暑さの日は、外から帰るとすかさず冷蔵庫を開け、このプライムセレクトを飲んでしまう。その後食事の支度をしたり日記を書いたり運動したりするので、アルコール分がない方がいいのである。今の生活になってから、飲み会以外ではアルコール類を飲むのは寝る直前だけになったような気がする。

2005/04/28(木) 今日の獲物は上出来かも
今日は競艇帰りに天神のダイエー(地元ではショッパーズと言う)でズボンを買った。裾直しが出来るまで1時間ほど時間ができたので、最上階のゲームセンター「楽市楽座」へ行ってみた。

私らの世代の福岡人は、ショッパーズの最上階といえばお好み焼きのふきやを思い出す。しかしあの人気店が出て行くほどもはや集客力は非力。ゲーセンもひと気がない感じで、クレーンゲームも楽市楽座にしては取り易そうなムード。パチンコ屋で台の釘を一台一台吟味するようにクレーンゲームを見て回ると、楽勝で取れそうな目覚まし時計を発見。1プレイ100円なので、早速挑戦した。

そこには「現品限り・お早めに」と書かれ、割としっかりした造りの目覚まし時計が2個。僅か400円で2個取ってしまった。嫌な客だ(笑)
プーさんの方は100円であっさりゲットしたのだが、スヌーピーの方は持ち上がってクレーンが取り出し口に移動するまでに落ちることを繰り返し、300円目でようやくゲット。
今日はこのほかにピカチュウの風鈴を1個ゲットし、お遊び代は都合800円と安上がりだった。

目覚まし時計はいくつあっても困らないもの。いつもは携帯電話でアラームをセットしているが、先日職場に携帯電話を忘れたとき、我が家にあまり目覚ましがないことに気づいた。とはいえ2つは要らないから、1つはスヌーピー好きの女友だちにあげよう。ピカチュウの風鈴は、余震感知対策として部屋に吊るしておこう。

2005/04/27(水) 使い捨て時代の悲劇
機械式の腕時計が壊れたので、修理に出そうとメーカーのサービスセンターへ出かけた。壊れた時計はセイコークロノス・セルフデーターという1960年代に製造されたもの。今のセイコーが精工舎という社名だった頃、亀戸の工場で手作りされたらしい。セイコーの腕時計では初めて日付窓が付いた記念すべき製品だが、日付だけを竜頭で動かすことが出来ず、時計の針を8時から2時まで往復させることにより日付が動くという、便利な今では考えられない機能である。そこがまた愛らしくもある。大卒の初任給が1万円満たなかった頃に、8千7百円もしたそうである。

この時計はあるバッタ屋(麻雀牌やライターのガスなどが売っているような店)の店先で人目惚れし、何度か足を運んだのちに多少値切って購入した。確か1万5千円を1万3千円で買ったと思う。バンドを変えたので、プラス3千円ほどかかったことになる。セイコークロノスは精工舎初期の代表的な製品で、一説にはグランドセイコー(現在のセイコーの最高級の時計)の源流になったとも言われている。

動くのは動くのだが、ネジが十分に巻ききれない状態。メーカーでは分解掃除(オーバーホール)が必要なので、2万4千円ほどかかるという。世界一の精度を誇るクオーツ時計を世に出したセイコーだが、皮肉にもそれが使い捨て時代の到来となった。

買値の倍も修理代を払うほど裕福でないので、近所のいきつけの時計屋に持っていくことにした。スイスまで渡り修行し機械式時計のメンテナンスを学んだという整備士が箱崎にもいるのだ。そこでの見積もりは分解掃除と修理で1万5千円ほど。機械式時計には分解掃除が必要とはわかっていながら、買値を出して修理するのは勇気がいる。祖父や父などの形見とかいう愛着があるのなら、それくらい出してでも保守するだろうが。

最近はこの年代の時計も、質屋やバッタ屋でなかなか見かけなくなった。古時計専門の店ならときどき出てくるが、その手の専門店はとにかく高い。セイコークロノスでも3万弱するだろう。
仕方ないが、行けるところまで、完全にぶっ壊れるまでこのまま行くことになるだろう。ネジをいっぱいに巻けば数時間は動くので、出かける直前に巻けば使えないことはない。実は今月セイコーの腕時計の新品を2本買ったのだが、世代交代ということか。使い捨て時代に反対の立場ながら、経済的にそれに従わざるをえないところが何とも口惜しい。次はシチズンのアテッサ(ソーラー式で電池交換不要かつ電波時計)でも買ってやろうか。

2005/04/26(火) 2ヶ月経過
体力強化プロジェクトを始めて2ヶ月が過ぎた。臨月だったお腹も、妊娠2ヶ月くらいにはなったか(^^;;;
思えば2月26日はまだ寒かったが、今では走るときは半袖でも汗をかく陽気になった。2ヶ月はあっという間だ。初めは500メートルから始めた走り込みも、今では1600メートルほどになった。立花山に登った翌日から走るのがきつくなくなったのがはっきりわかった。

ものの本によると有酸素運動に体が対応するようになったようで、実際2000メートルくらいまでは何とか走れそうだが、私の通勤コースでは1600メートルを越える(千代町から先の呉服町方面)と信号の数がかなり多くなるので、度々止まることになるだろうから1600メートルに留めている。仕事をする日にあまり体に負担をかけたくないというのもあるが。競走馬で言えば典型的なマイラーだ。3600メートルとか無理だろう(苦笑)

心肺機能も足もマイル程度なら軽くこなすようにはなったが、元来面倒くさがりな上に気分屋の性格なので、僅か8〜9分ほどなのに走ること自体がかったるく嫌だと思う日もある。しかし体力強化プロジェクトのうち最も苦手なメニューなので、1日でも休むとそのまま辞めてしまう恐れがあり今日まで無休で続いている。雨の日も地震の日も泊まりで出かけた日も途切れずによくも2ヶ月続いたものと思うが、ここまで来たら、せめて梅雨入りまでは続けたい。

体重の方はまた1週間ほど横ばい。停滞期なのか最近間食を復活したせいかは微妙だ。間食といっても甘いものではなく豆類などだが、バターピーを1袋食べると翌日の体脂肪率が4パーセント近く上がるので恐ろしい。ピーナツなら未消化で排出されるので体重が増えないという考えは浅はかだったようだ。間食はやめて、当面は都こんぶをしゃぶり誤魔化すことにした。煙草を復活したら運動面で障害になるし。

体重が減らなくなったので、たとえ100グラムでも体重が3日連続で増えたら1日絶食するルールを新設した。さっさと目標の体重まで減らないとズボンも新調できない。以前のブカブカのズボンをいつまでもはくのは辛い。

とは言え、開始から13キロほど体重が落ち、18歳の頃上京した直後にあつらえた背広や、若い頃着ていたシャツなどが全て着られるようになった。むかしの衣類を捨てなくてよかったなぁ。単なる貧乏性だったわけだが(^^;)

2005/04/25(月) 連休なんかないけれど
私にとっては非常に耳障りな話だが、最近「連休」とか「ゴールデンウィーク」とかいう言葉をよく耳にするようになった。そういえば私も社会に出て2、3年はカレンダーの黒い数字だけ働いているような生活だったが、盆、正月や祝日とは無縁になって10年以上になってしまった。

それでも今年は5月2日とか6日とか、黒い数字のところを単発では休めるようなので、また波佐見か三河内にでも焼き物を見に行こうかと思っている。去年、この日記に書いたように、前回陶器市に出かけたときはタマ不足で安物しか買えなかったので、今回はちっとはましな物を買おう。ここ2ヶ月ほどエンゲル係数が急降下し、小遣いが増えたこともあるし。

波佐見は陶器市の中では有田などに比べて人出が少なく、穴場的存在ではあるが、それでも百単位の露店にびっしりと焼き物が並び、中にはちょっと見、安物とは見破られない見てくれのいい器が激安だったりするので、焼き物初心者にはおすすめである。もちろん玄人向きではないけれど。

個人的な好みとして、赤系が多い有田よりも、青系を主とした波佐見焼の方が好きだ。前回の反省を生かし、今回は無駄な時間を省き効率よく回ることと、しょうもない安物には手をつけないよう心がけるつもりである(笑)

2005/04/24(日) まさか再び・・・
ヤクルトの古田が2千本安打を達成した。若松監督が現役時代に2千本安打を放ったとき、ヤクルト生え抜きの選手で名球会入りするのは最初で最後だろうと思ったものだが、まさか再びそんな選手が出るとは・・・。しかも社会人野球を経てプロ入りしてからの達成は感心する。

ヤクルトの2度目の優勝と黄金期を築いた功労者は、野村監督と古田だと言ってもいいだろう。捕手で名球会入りしたのはこの2人だけというが、捕手は2千本も打つ前に体がボロボロになるんだと、ヤクルトの捕手だった大矢明彦がラジオの解説で言っていた。

2千本安打や200勝もいろいろあるが、レギュラー選手として活躍している最中に達成できることは素晴らしい。大洋の平松のように最後の年が1勝11敗だったり、読売の堀内のように最後の3年で2勝しかできなかったりした選手は、名球会入りしてもあんまりカッコよくない。ヤクルトの松岡のように191勝ですっぱり辞める方が、私は潔いと思う。そのように私は名球会入りばかりが名選手ではないと思うが、素質よりも努力と思われる選手だけにその積み重ねには敬服する。やっぱりヤクルトの次の監督は古田かなぁ。横浜の優勝の下地を作った大矢明彦も面白そうだが。

2005/04/23(土) まさかあの人が・・・
久しぶりに飲み会へ行ってきた。その飲み会とは私が最初に就職した商社の元同僚が集るもので、不定期だが何年かに一度行われる。参加者にはたったひとつ条件がある。すでにその会社を退職していないと参加できないというものだ。いくら当時の同僚でも、現職の者は参加できない。参加したければ会社を辞めるんだなと、飲み会の面々はニヤニヤと笑うのである。

今さら言うのもナンだが、それにしても劣悪な職場だった。劣悪な職場というものは、それだけ従業員が無理して頑張っているということで、今でも当時の同僚とのつながりは深い。しかし私の場合は退職してもう8年ほど経っているので、きつかった出来事も今となれば懐かしく酒の肴にできる。

酒の席では、当時の上司や部下の消息が報告されるが、かつての取締役がタクシードライバーをしていたところを目撃したとか、直属の上司だった部長が揉み手で自宅に怪しげな浄水器を売りにきたとか、同じ課の係長だった人物が、定食屋の刺繍入りの作務衣を着てパチンコを打っていたとか、末路はやや荒んでいるのが哀しい。このご時世、中年以降の再就職は厳しいということか。

それにしてもあれだけ真面目だった私の課の次長が、嫁や子どもがいながらそれを捨てて、取引先の女性と駆け落ちしたという話には驚いた。その課では、若い女子社員に手当たり次第に手をつける課長の不倫癖が有名だったのだが、チョコチョコとつまみ食いをするような課長は情けなく、次長のように駆け落ちまでするのが大物だということで話はまとまった(^^;)

次長は駆け落ちした相手との間に、新たに子どもができたそうだ。事実は小説より奇なり、とは言い得て妙。他のみんなもいろいろ悪事を告白して、水面下の男女関係の事実を今頃知ったりした。職場の女の子には一切手を出さなかった私は、不真面目そうに見えて実は一番真面目だったのかもしれない(笑)
次の飲み会はいつになるかわからないが、話の続きが楽しみである。

2005/04/22(金) 今年初のツバメネタ
今年は4月からヤクルトネタを「燕日記」として別記しようと思っていたが、開幕直後から最悪の状態なので、嘆き節になりかねないので頓挫した。

低迷の理由は主力選手の相次ぐ戦線離脱。先発投手の川島やゴンザレス、石堂、押さえの五十嵐、野手では鈴木健などがリタイヤ。飯田は楽天へ抜けたし。そもそも投手陣が手薄だから、先発が3人も抜けると、次は2軍と1軍を行ったりきたりのクラスになる。坂本や館山は素質はあるが、まだまだ他球団のクリンナップをきっちり打ち取れるという風な貫禄はないし。

80年代の後半上京した私はよく神宮球場へヤクルト戦を見に行っていたが、あの頃は負けるのが当たり前で、勝つと本当に嬉しかった。今年はそんな昔を思い出している。先発投手は行けるとこまで、攻撃では5点取っても逆転される、万年最下位の頃のヤクルトは、思えば応援しがいのあるチームだった。

土橋監督だったあの頃から残っているのは、もう土橋だけ。その土橋がきのうはサヨナラヒット。私としては、後に入った古田よりも、高卒生え抜きの土橋の方がずっと愛着がある。今年も頑張ってほしい。

2005/04/21(木) 渋太いメロンパン商法
ずいぶん前に日記に書いた呉服町のメロンパン屋だが、結局開店から1年以上経ったが、私の予想に反して変わらず営業を続けている。しかし行列ができるほどのにぎわいを見せたのは開店直後だけ。当時数人はいた従業員は2人のみとなり、それも最多で2人見かけるときがあるが、ほとんどの時間帯は1人で焼き手から売り手まで全てこなしているようだ。

さすがにメロンパン1本では商売は難しいと踏んだのか、フルーツメロンパンやいちごメロンパンなどメニューも増えた。と言っても、メロンパンにフルーツやいちご、クリームなどを挟んだ単なるバリエーションである。蒸し器を使って点心も売っているようであるが、こちらは買っている客を見たことがない。

というよりも、メロンパンさえ買っている客を見ることは珍しくなった。毎日店の前を歩いて通勤していて、行きも帰りも店が開いている時間に通るのだが、足を止めている客はなかなか見ない。いつもそばを通るだけで派手な呼び込みをするので、こちらとしてはちょっと鬱陶しいというのが正直なところ。

それだけ客が少なくて、果たしてやっていけるのかと心配していたら、先日貿易センタービル(元のエレデ博多寿屋のビル)の前で、自転車に乗せて移動販売しているのを目撃した。すぐそばにはスベンスカという大きなパン屋があるというのに、ゲリラ戦に挑むとはなかなかやり手である。意外にしたたかな店なのかもしれない。

などと考えていたところ、おととい荒尾に行くときに西鉄の大牟田駅を降りたら、駅前に同じ系列のメロンパン屋ができていた。雨後の筍のごとく乱立しているメロンパン屋だが、京都系だとかいろいろライン(派閥)があるようだ。一旦下火になったと思っていたメロンパンだが、まだまだ渋太く根付いていきそうである。

2005/04/20(水) 月のものじゃあるまいし
きのうは夜勤明けの午前中から寝ずに荒尾まで出かけていたので、帰宅し入浴するとほどなく眠くなった。撮ってきた写真をパソコンに落とし日記を書くと、すぐに眠くなったので早めに寝た。23時前に床についたのは久々のこと。
8時間ほどしたら起きようと思っていたが、まさか大きな地震に揺すり起こされるとは思ってもいなかった。今日一発目の地震があったのは6時11分なので、7時間以上眠ったこともあり寝起きの悪い私でもすぐに覚醒することができた。

これまで縦に2つ直列していて倒れた本棚は、前回の地震直後に低く並列に積み直していたので(写真参照)、今回は倒壊しなかった。居間では(といっても実はワンルームだが(^^;))写真のように安物のカセットテープラックが落ちてテープが散乱したこと、何冊かの本が落ちたくらいで済んだ。しかし台所では700円も出して買ったグラスが棚から流しに落下。幸運にもグラスは無傷だった。どう見ても700円ほども価値はないグラスだが、雑貨屋で見かけて一目惚れして買ったもの。無事でよかった。以前日記に書いた25年来使っているコーヒーカップは、棚の奥の方に格納していたので案ずるまでもない。

前回学んだことがいくつかあって、今回はすぐに火の元を考えたり外に出て周囲の様子を見るなど、前回の反省点を実践できたことは収穫。早朝だったせいか、前回のときのように地震直後に家の外に出ている人はほとんどいなかった。福岡の人も地震の規模を体感できるようになったということか。地震速報が出るまでには10分ほどかかるし。

前回の地震からちょうど1ヶ月だそうだが、ようやく余震も感じなくなってきたと思っていた矢先だった。月のものじゃあるまいし、毎月来なくていいよ。先日千葉で大きな地震があり、その報道を職場で見ながら同僚と、福岡の地震もやがて忘れられるなんて話していたところだったが、地震の方も同じ気持ちだったのか(^^;)。もうあの規模の地震は死ぬまで遭わないだろうと思っていたが、21世紀のこの世、一寸先は闇のようである。

2005/04/19(火) 馬は馬を呼ぶ?
きのう届いた掛け時計のブランド「キャメロット」のマークは、障害を飛越するような姿の馬の絵が描かれている。そういえばタイの競馬場では、「カントリーブレッド」という独自の品種が走っていたことを思い出した。タイでは象が象徴的な動物だが、馬もなかなかの人気である。

さて、送られてきた時計には、ご丁寧にタイ産の電池が添付されていた(写真)。その電池の絵柄も馬だった。馬は馬を呼ぶのだろうか。見たところ、サラブレッドにしては脚が太い(笑)。タイ語は読めないのでブランド名は不明だが、英語でホワイトホースとルビがふってあるので、白い馬という意味と思われる。ホワイトホースと言えば洋酒ブランドの商標権に抵触しないのか。まあ、タイには丸井(マークまで一緒)っていう商業施設もあったし、知的所有権にはまだまだ寛大か。

馬のブランドといえば、白墨や黒板消しの馬印という名古屋のメーカーがあるし、馬印というブランドは同じ名古屋にある中日本氷糖という会社も出している。他にも北海道にはミツウマというゴム長靴のブランドがあるし、中学生の参考書「自由自在」で有名な増進堂のマークも馬だったし、時計マニアしかしらない明治創設の尾張時計の商標も馬の絵である。日本でも昔は生活に馬がいたという僅かな名残だろう。

2005/04/18(月) また時計買いました
通信販売で買った時計が届いた。
また腕時計を買ったのかと突っ込まれそうだが、今回は掛時計である。タイ産のキャメロットというメーカーのもので、タイ国内ではよく知られたブランド。主に外国人に好まれているようだ。今回購入したのは写真の古時計タイプだが、主に木彫り彫刻を強調した時計を多く生産している。

写真ではいっぱしの骨董品にも見えるが、ムーブメントは100円ショップの目覚まし時計のような、5センチ四方くらいの単3電池1ヶを使用するチープなクォーツのため、裏蓋を開けるとちょっと萎える。振り子は動くが単なるデコレーションである。本物のネジ巻きの骨董時計は欲しいが、高価な上に故障しやすいことなど、維持を考えればクォーツの方が楽であるし精度もいい。裏側のチャチさとは相反して、表側の木目や仕上げはなかなかしっかりしているのは嬉しい。その辺が売れている理由のひとつだろう。

振り子の動く音が、ポクポクと木魚を叩くような音がかすかに聞こえて愛らしい。うちの近所は金光教の信者が多く、朝方には周辺から木魚の音が聞こえるので違和感はない。

通販の買い物は慣れているので、この商品を見つけた後で執拗にネット検索して価格調査を敢行。いろいろ調べた末に熊本の雑貨屋のサイトで買うことにした。送料、代引手数料込みで約5千円。タイの会社ではもう少し安いのもあったが、タイからの送料や日数がかなりかかるようなので隣県の会社にすることに。中には同じこの商品が1万円以上するボッタグリサイトもあった。

私の部屋は東洋諸国のお面やタペストリーなどをたくさん飾っているアジアンテイストなので、この時計も馴染んでいる。あとは私がいない間に、猫がよじ登ってなぎ倒したり爪とぎしたりしないよう祈るばかりである。
(URLは今回購入した通販サイト)
http://www.qalamkali.co.jp/menu2/menu2_all00.html

2005/04/17(日) 変わらない信号
きのうは時間ギリギリに職場に到着。理由は福岡2区の衆議院補欠選挙のため、自民党総裁が候補者の応援に来ていたため、薬院付近の城南線がものすごく渋滞していたこと。週末の夕方に薬院付近があんなに混雑することはないので驚いた。交通規制がかかり、時の首相の乗ったリムジンが通過するまで、こちらの信号は10分以上赤のままという異様な雰囲気。このまま信号はずっと変わらないのかとさえ思った。権力の力って恐ろしい。もし戦争とか始まったら、こうして市民の自由は権力者たちに奪われていくのだろう。沿道で無邪気に手を振る人のように、私はおめでたくない。

先日は民主党候補の応援に、羽田さんが朝の薬院駅で演説していたし、今日は田中康夫知事が来るらしい。私は2区の住民ではないので、選挙権はなく今回の補選はいまひとつ盛り上がれない。先日はロイヤル創始者の江頭氏が亡くなって南薬院の斎場で通夜があり周辺はものすごく混雑していたし、大物政治家センセイが来るとさらに混雑する。とばっちりはご免だ。1日13時間勤務の私の睡眠時間を奪うのは勘弁してほしい。

2005/04/16(土) 筋張った世の中です
社会は本音と建前で構成されている。ちょっと見、ある水準を越えた人たちの言動は紳士や淑女のようであるが、裏では薄汚れたやりとりが暗躍していることが多い。
たとえば、貧困や凋落などでドロップアウトしなければ、ヤクザなんてものに縁がない社会に見えるが、大企業や政治家はほとんどがヤクザと仲良しである。

最近の社会の動きを見ていると、行動がまるでヤクザなものが目立つ。たとえばある赤い旗の国。チンピラを集めて、抗争相手の経営する店に乗り込んで嫌がらせの営業妨害をするようなことをやっている。法に捕われない若者のデモを水面下で煽動し、表面では放置している。私はあそこをまだ国家として認定していない。それはトイレに囲いや扉がないからではなく、行動が子どもだからである。中○思想というものは、そもそもわがままと言い換えることもできる。

話は変わって、「モー娘。」の矢口真里。交際相手との姿を写真週刊誌に激写されたくらいで、即座にクビとはあんまりな気がする。一度ヘマをしたら組を追われるというのは、まるでヤクザ的発想ではないか。人間としてではなく、タレントとして金を稼ぐ価値が著しく低下したからといって、即座に辞めさせるというのもすごい。これまで8年の実績があるからといって、タレントまでやめさせるのは勘弁してソロで働かせるというやり方は、組員がヘマをしたが、まだいくらか金を集められるようだから、殺すのではなく絶縁状を出ししばらく泳がせるという、いつか任侠映画で見たワンシーンそのものである。

タレント、特にアイドル系ならば9割くらいが異性との交際があるだろう。もちろんバレてしまったことが最大の罪ではあるが、主に童貞相手の商売とはいえ、処女であるとか男性関係が乏しいとか言い張る時代でもなかろう。いっそのことハロプロを敵に回して、AVデビューでもして嫌がらせしてみたらどうだ。小沢なつきよりはきっと売れるに違いない(笑)

2005/04/15(金) さらば使い捨て時代よ
NTTドコモから、頼んでいた電池パックが届いた。
これは携帯電話の同一機種を継続して2年以上利用していてドコモプレミアクラブ(入会無料)に加入している契約者に、1個限りだが電池パックを無料でくれるもので、先週窓口で申し込んだもの。関係ないがドコモショップ薬院店のIさんは、熊田曜子を少し細くした感じでかなり可愛かった。

近年まで携帯電話は1年から2年の間で機種変更していた。電池が消耗して充電してもすぐになくなってしまうからで、電池を新たに買うくらいならポイントで機種変更した方が安いという、矛盾した価格設定が原因でもある。

そもそも私が最初に携帯電話を手にしたのは10年ほど前。新し物好きの私は、新規加入料なる法外な権利金を巻き上げられながらも、数万円も出して購入した。通話料も恐ろしく高い頃で、しばらくは受信専用に近いものだった。公衆電話から携帯にかけると、テレホンカードの残度数がまるでデジタル時計の秒針を逆回ししているほどの早さで減っていたことを思い出す。

最初の電話はものすごくいい番号(03066222xx)だったのだが、当時から新規なら無料、継続すると事務手数料はかかるわ電話機や電池は消耗するわという悪しき状態だったので、当時目まぐるしい速さで新機種の機能が充実していたことに釣られて、次々に新しい電話機(番号)に変わっていった。10年ほどしてようやく古い携帯端末を大事にする姿勢をメーカーが見せたが、ちょっと遅すぎるというのが正直な感想だ。

今の機種は先月末で2年を経過。思ったほど外観は消耗しておらず、まだしばらくは行けそうだ。デジカメを持っているので、画素数の多いカメラ内臓の機種がほしいわけでもないし、通話とi−modeが出来れば十分なので、行けるところまで続けるつもり。思えば最初に契約したモトローラ社のアナログ端末を、今でも持っていればちょっとした骨董品になってたかも。当時はフル充電で3時間の待ち受けが限界だったっけ。

2005/04/14(木) うに丼
たっぷりと運動した後は少々のカロリー摂取はよかろうと、今日は板うにを購入。奮発したわけではなく、輸入物を激安で買ってきたが、思ったよりも美味しかった。

小さい茶碗だが贅沢にうに丼にしてみた。100円均一の薄い海苔を使ったが、ここのところ低カロリー食を続けていただけに十分満足できた。全皿100円回転寿しのうにより全然美味しい。

北海道へ行ったときいくら丼を食べたことがあるが、丼いっぱいに盛られたいくらは後半かなりくどかった。うにはこれくらいでも全然くどくない。壱岐や角島の名物にうにのたきこみご飯があるが、私は生で食べる方が断然好きだ。うにの味を感じるには、卵の黄身などない方がいい。しょうゆはできれば刺身しょうゆで。

博多駅の地下に、そんなうに丼を売り物にした壱岐の郷土料理の店がいくつかあるが、うに丼は1500円くらい取られる。今回のうに丼は板うにが400円弱だったので、原価500円くらいだろう。やはり庶民は自炊である(^^;)

2005/04/13(水) 立花山の歴史
きのう登ってきた立花山は、古くは弥生時代から信仰の対象になっていたそうだが、室町時代の初期には城ができた。柳川では今も有名な立花氏によるもので、その名が今も山の名前に残っている。

やがて小早川隆景に攻められ城は落ち、その後福岡の城は名島の海城がメインとなり、その後黒田氏の福岡城へとなるのだが、かつての立花城の跡も今では細い登山道でつながるだけの寂しさだ。しかしさすがにこのあたりの天下をとったと思えるほど、山頂から市内の見晴らしは見事な頂上だった。そして樹齢を重ねた見事な楠が山中にたくさん見られた(写真)。

かつて賑わいを見せた呉服町や中洲、千代町などが僅か30年ほどで廃れてしまったように、やがて天神や博多駅も寂れてしまうのかもしれない。

2005/04/12(火) 立花山登頂
立花山(福岡市東区)に登ってきた。立花山は「福岡ローカル日記」のタイトル画像の3連山のうちのひとつ。地域の小中学校の校歌に必ず歌われているほど、地元では知られた山だ。
山に登るのは20何年かぶりになる。久々でどこまでやれるか。

ルートは東区下原からのコースに挑戦。ネットの登山案内では下原バス停から60分コースと書いてあった。バス停から登山道に入るまでが、すでに傾斜のある道で、登山道に達するまですでにだいぶ脚を使った感じ。それでも1日10キロ歩いている効果もあって、行程の半分くらいのところまでは割合すんなり歩くことができた。

徐々に傾斜はきつくなり、「立花山まで600メートル」という標識のところにベンチがあったので、そこで休憩をとり後半に臨んだが、一度休むと体は怠けるもので、なかなか脚が上がらなくなってきた。そしてさらに山道の傾斜はきつくなり、後半はバテバテに。立花山には遙か遠いティーンエイジャーの頃に何度か登ったのだが、記憶にあるのは山頂に着く寸前の勾配のきつさ。最後がきつかった記憶だけがある。その通り最後の100メートルから体が進まなくなり、まるでそりを曳くばんえい競馬の馬のように、何度ムチを入れてもちょっと進んでまた体が休む。ばん馬のように重い物は背負ってないのだが。

あいにくの曇り空だったが、山頂からの眺めは素晴らしかった。山登りはずいぶんご無沙汰だったが、頂上に吹く風ってこんなに心地よいものだったか。昔と変わったのは博多湾の眺め。人工島なんてなかったが、今やその形とそれをつなぐ橋が航空写真のようにくっきりと鳥瞰できる。

帰りは三日月山(277メートル)まで縦走(というには大げさだが)した。三日月山頂までは20分ほど。そして三日月霊園を経由してオークタウンのバス停までさらに1時間ほど歩いた。万歩計を見てみると1万5千歩という道のりだった。

正直、まだ今の体力では現級は三日月山クラスか。立花山は格上挑戦だった感がある。60分コースを、休憩10分を入れて43分で登頂したのは時計的には及第点だが、終いバタバタだったのが情けない。上手くいけば次は油山(597メートル)、若杉山(681メートル)あたりに挑戦しようかと思っていたが、三日月、立花山再挑戦が妥当のようだ。
(写真は立花山山頂からの眺め)

2005/04/11(月) 桜坂
毎日10キロ弱を歩くようになってひと月が経過。これまでバスでしか通っていなかった道を歩いてみることで、視点が変わり日々新しい発見がある。店構えや看板は目線が違っただけで印象がだいぶ違うし、いままで気づかなかった花や木などの植物が、中央区といえども意外に残っているものだと考えたりする。

薬院と六本松の間に桜坂という場所がある。かつては路面電車の駅があり今は地下鉄の駅がある地だが、桜坂という名前は1970年代に付けられたようだ。年上に人に聞くと、むかしは練塀町と言ったそうで、電停の名前もその名だった。なぜ桜坂になったかはわからない。桜のつく地名は桜並木や桜が密集するところが多いが、桜坂には桜はポツポツと点在するだけ。丘の上には数本の桜が集る場所があるが、「桜坂」の名にふさわしいほどではない。

確かに坂は坂なのだが、桜の最盛期に視界にピンク色が入ってこないというのも寂しい桜坂である。東京の田園調布や六本木、南は沖縄にも桜坂という場所はあるらしいが、桜坂の中でもっとも桜っ気がないのが福岡の桜坂ではないだろうか。東京のように歌に歌われヒットすることもないだろうし、年配者は未だに「練塀町」と呼ぶし、ちょっと可哀相な桜坂である。

2005/04/10(日) 停滞期脱出
減量の停滞期を脱したようだ。毎日付けている減量日記を見てみると、10日ほど体重が減らない時期が続いたが、ここへ来てようやくふたたび減りだした。きっかけは先日の渓流釣りで、山道を歩いたのと岩登りしたこと、水流の中で足を動かしたことなどが良かったのだと思う。同じ行程で前回釣りに行ったときより、山道を歩くのも、岩を登るのも格段に楽になったのがはっきりわかった。

これで体力強化プロジェクトを始めてから40日ちょっとで、体重は推定で11キロほど落ちた。それでも一般人に比べるとまだやや太め残りだが、最初の目標が見えてきた。停滞期にはちょっとくじけそうになったが、これで当面はやる気が持続するだろう。

最近、会う人に「痩せましたねぇ」と言われ、「ジムにでも通っているんですか?」と聞かれるが、お金をかけずに減量することは可能だと実証できた。食事の内容と量を絞ること、1日10キロ歩くこと、1日1.5キロ走ること、そして腹筋や足上げ、ダンベルなどのトレーニングを並行して行っているが、果たしてどれが効果的なのかはわからない。目標までいったらどれかを縮小したいのだが、というより、走るのは出来るだけ早く止めたいのだが・・・(^^;;)

逆に言うと、低カロリーな食事のみの食生活で、運動量を十分にしていたら、痩せない方がおかしいのである。飯は小型の茶碗に1杯(半合)、おかずは野菜や海草がほとんどで肉類や揚げ物、油を使った料理は一切してないし、間食や糖類は皆無。飲み物は水かお茶となれば、体重が増えるわけはない。(画像は最近の食事例)

今回のプロジェクトの目標は、体重を減らすことだけではなくある競技の大会に出ることなのだが、体が軽くなれば万事好都合なのは間違いない。体重が減るまではいいとして、その後きつい実践練習に体や精神力が付いていけるかが最大の問題だ。自主トレは自分のペースで出来るが、他のメンバーと同時に運動することを考えると、今から気が重い。

2005/04/09(土) 18年前の・・・
その昔、若かりし頃に私があることに真面目に取り組んでいた時期があるのだが、今日はその頃師事していた方の命日である。早いもので18年もの歳月が過ぎてしまった。その日は4月でありながら、何十年ぶりかで大雪が降った寒い春の日だった。各社の新聞を集めるため、駅への階段を駆け上がった記憶はもう遠い。自分は生きているから走れるし新聞の記事を読むことが出来るなどと、走りながら生について若い私は一瞬だけ真剣に考えたことが思い出される。ほとんどの新聞が一面に採り上げていたが、もし今同じ死に方をしたとしても、それだけの扱いを今日の新聞がするだろうかは疑問である。

去年この時期に上京したのは墓参りも大きな目的だったが、おととしは師が好きだった唐津の街でこの日を過ごした。対馬や平戸も気に入っていたが、唐津と松江はとりわけ好きで、実際住みたいと家を探すことまで考えたという。

師は晩年の大半の時間を、ハンセン氏についての取材に費やしていたようだったが、様々な事情からその成果は世に出ることはなかった。ここ何年かでハンセン氏病に対する僻見もようやく社会的に光が当たったが、師はそれをどう見ていることやら。

師と私とのつながりは、郵送されてきた葬儀の後の挨拶状と、生前もらった万年筆だけが残されている。その万年筆も、ここ何年かほとんど使う機会がなくなったことは勿体ない思いだ。

2005/04/08(金) 7年ぶり
私の携帯電話はあまり鳴ることはない。メールはほとんど毎日、何件かのやりとりはあるが、通話する機会がめっきり減った。そんな最近だが不思議なもので、電話がかかってくる日は同じ日に何人かからかかってくる。今日は7年前までの職場の同僚から珍しく電話がかかってきた。

その後、中央区のある店で食事をしようと新しい店に入ると、その店の従業員が偶然私の知人だった。電話ではその後何度も話したのだが、実際顔を付き合わせるのは彼とも7年ぶり。ということで、今日は7年前のことをいろいろと思い出すことになった。

早速着席した私と包丁を握る彼とカウンター越しで近況の交換になり、彼は「ようやく結婚しましたよ」などと苦笑していた。振り返ると7年前はお互い20代。いつまでもあの頃のように遊んでいるわけにはいかない、というのが正論だろう。こっちは時間さえあれば、正論よりセイロンまでお茶を飲みに行くくらい、人生を楽しみたいと自嘲してみるが。

驚いたのは彼の働きぶり。決して不真面目な人間だったわけではないが、7年前には一度も見たことがない真剣な表情で、一生懸命仕事をしていた。伝票に付けずにいろいろタダで出してくれる不真面目さは有難かったが(^^;)
やっぱり結婚して子どもができると、気構えも違ってくるのか。と思いながらも、そういや彼から遊びの誘いがめっきりなくなったのは、そんなわけだったのかと納得してみたりもした。

2005/04/07(木) アブラハヤではなくタカハヤ
ヤマメ釣りの外道としていつも釣れる小さい魚、アブラハヤだとばかり思ってこの日記にもそう表記してきたが、よく調べてみるとタカハヤという魚だとわかった。アブラハヤは九州にはいないらしい。タカハヤというこの魚、アブラハヤに習性も形態も酷似していて、「不味のため、食用にしない」という件りまで一緒。体の表面のぬめり気が強いのも同じ。こいつらは遠い昔は親戚だったのかもしれない。

ネット上の「市場魚類図鑑」を見てみると、『唐揚げで食べたが、何とか食べれる程度』と書いてあった。何とか食べれる味ってどれほどの味なのだろうか。白身の魚の肉でそんなにまずいのっているのだろうか。(川魚専門店で)鮒の刺身を食べたときは不味いと思ったが(^^;)

雑食性だと書かれているが、5センチくらいのヤツでも2センチほどのエサのブドウムシに食いつくほど獰猛だ。私はコイツをチビスケと読んでいる。きのうの釣りでは、「またチビスケちゃんか」と何度呟いたことか。

2005/04/06(水) 蛋白源より食物繊維
今日は一日中曇りの天気だった。夕方くらいから雨が降るという予想だったが、休みだったので釣りに出かけた。海釣りの方は目下メバルのシーズンだが、今年は全国的にメバルが釣れてないらしい。大岳(西戸崎の近く)あたりでは、カレイがぼちぼち釣れているらしいが、今日は山歩きをして脚力をためしたいこともあり渓流釣りへ。山の釣りは曇りの天気がベストコンディションである。

しかし今日はのっけからあたりがさっぱりなく、水温も低そうで魚の動きもひと息のようだった。結局ヤマメはゼロでアブラハヤばかり。いつもは見向きもしない魚だが、今日は甘露煮にでもしようと少しだけ持って帰った。それだけでは寂しいので、路傍にたくさんつくしが生えていたので、我が家の貴重な食物繊維として収穫していくことにした。しかし今日の最大の収穫は、岩登りをした際に感じた体の軽さ。体重が減ったことを実感した。次回は立花山(367メートル)くらいに登ってみようと思った。

前回の釣行でこの日記に書いた「猫のような犬」も元気にしていて、今日は頭やあごを撫でると、こちらの顔をぺろぺろと舐めてくれた。仲間として認めてくれたようである。それにしてもこの犬の体を撫でると、サウナの洗面所にタダで置いてある安物のヘアリキッドを手にしたような、ベタベタした手触りが手のひらに残るのである。飼い主もたまには洗ってやれよな、と思いながら、実は自分の愛猫ももう何ヶ月も風呂に入れていないことを気づくのであった。

2005/04/05(火) 停滞期
体力強化プロジェクト開始から1ヶ月と10日。ここ1週間、まったく体重が減らなくなった。減量にはつきものの「停滞期」というヤツのようだ。停滞期やリバウンドというのは、減量に縁がない人でも知っているほど有名な言葉だが、いずれも急に体重が減ったときに体が防御しようと、体重を減らすのを止め栄養や脂肪を蓄えようとするためのようだ。

成果が出ないときついことは続けにくくなるもので、ここ数日はいつもの運動量に体がついて来なくなっていた。以前にも書いたが、体を動かすのは頭。頭の方で、成果が出ないことに対しての拒絶が出始めている。停滞期は1ヶ月ほどだというので、もうしばらくの辛抱か。

体重は下げ止まりだが、体脂肪率は少しずつながら減り続けている。安定して18パーセント台に落ち着くようになった。腹筋の効果も出てきた。最終的な目標の実践練習までの基礎体力作りは、そろそろメドが立ってきた。まだまだ先は長いが、コツコツと続けるしかなかろう。

歩く方は1日10キロを始めてやがて1ヶ月になるが、こちらは全く負担にならない。そもそも歩くことは苦にしない方だったので、通勤時間を効率的に使えることもあり楽しんでいる。走るのはいくら慣れてもきついのだが(笑)

2005/04/04(月) 古豪復活
友人が布施明のベスト盤を買ったという。私がカラオケでよく「積木の部屋」や「霧の摩周湖」を歌うので感化されたようだが、ヒット曲が多い歌手のベストだけに買ってハズレはないだろう。大塚博堂が作った「めぐり逢い紡いで」もいいし、ウイスキーのCMで流れた「落ち葉が雪に」もいい。グロリア・ゲイナーをカヴァーした「恋のサバイバル」のような、ディスコ調の歌も巧みに歌いこなす器用さもある。

海外で言えばトム・ジョーンズのような、ダイナミックな歌い方が出来る歌手は日本には少ない。これぞ歌手という一人で、60年代から数々のヒット曲があるが、80年代以降、しばらくヒットから遠ざかっていた。しかし久々に出した「少年よ」が今週のオリコンで12位と久々に大ヒット。仮面ライダー響鬼の主題歌だが、子どもたちにも親世代にも両方受けているのだろう。

そういえば去年は、ロッド・スチュアートのアルバムがビルボードで78年以来、久々のNo.1になったことがあった。去年はイムジン河も売れたようだし・・・。ベテラン歌手が復活ののろしを続いて上げることは出来るか。「少年よ」はベストには入っていないから、このままチャートを上がれば友人はシングルを買い足すことになるかもしれない。カラオケに行ったら、こっちが先に曲を入れて歌うつもりだが(笑)

2005/04/03(日) 100円のカニ缶
100円均一で見つけたカニの缶詰を食べてみた。
カニといってもタイ産の渡り蟹の缶詰。以前タイに行ったときに、スーパーで格安の渡り蟹缶詰を日本に買って帰ったことがあるが、あまりに水っぽくそれはひどい味だったことをよく覚えている。今回の「厳選わたりがにほぐし身」は、そのときのモノよりはいくぶんましな味だった。

そもそも渡り蟹は身ではなく、ミソや内膜など体全体を食べる蟹なので、身だけではあまりに頼りない味だ。蟹だけを単体で食べるのはちょっと弱い。今回はノンアルコールビールの肴にしたが、ちょっと物足りなかった。しかしそれほどひどい味ではなかったので、サラダと混ぜるのにはいいかもしれない。100円にしては上出来な部類か。

100円ショップにはよく出かけるが、個人的にはダイソーよりキャンドウの方が好きだ。靴下やトランクスはキャンドウのものの方がゴムも丈夫で長持ちする(笑)
100円ショップでは、雑貨よりも食品を買うことが多い。意外に掘り出し物があるのだ。次回はこのカニ缶でサラダに挑戦してみよう。

2005/04/02(土) 掲示板休止について
掲示板を休止した。別に荒れてきたわけでもないが、書き込みの頻度も決して多くないし、客観的に見て有意義かつ効率良く使われている感も乏しいので閉めることにした。一番の理由は最近、自分の時間がないことで、掲示板を閉めると自分の睡眠時間がいくらか増えそうだというのが本音。そして執拗な広告書込みが増えてきたこともある。

開設当初から考えると、広告書込みが頻発するほどサイトも賑わってきたと解釈することもできるが、それだけ本意でない閲覧者も来ているということ。公開している以上、一部の閲覧者だけを部分的に遮ることができないのは辛いところだが、しばらく掲示板を閉めれば、そういう目障りなものを見ずに済むことができる。不労な金儲けは人の手を借りるのではなく、自力のみで行ってほしいものだ。

ご意見やご感想など連絡事項はメールにてお願いするが、福岡ローカル日記には一言メッセージが書き込めるし、更新履歴の頁からは予備掲示板へのアクセスも可能。これまでの掲示板の過去ログは、サイトマップから掲示板へアクセスできるので、そちらで対応をお願いします。

2005/04/01(金) 自転車買いました
自転車を新調した。これまで使っていた24型のママチャリはとうに限界を超えていたが、使う頻度が低いのでそのまま放置していた。先日ついにブレーキが切れ、修理するほどでもないほどボロボロだったので購入することにしたのだ。

とはいっても、買ったのは量販店の日替わり特売品。6千円未満という激安品だが、福岡市内で3本の指に入るといわれた治安の悪い地域に住んでいるだけに、使い捨て社会には反対ではあるが、そこそこの値段のものを買うと取られた痛手が大きくなるので安物で十分。一応1年保障がついているし。

これで12キロほど離れた実家へも自転車で帰ろう。渓流釣りで早良区の山奥へ釣りに行くときはちょっと無理そうだが、海釣りで東区や新宮町あたりへ行くときも自転車にしよう。

これまで住んでいるマンションの自転車置き場では、バイク2回、自転車1回盗まれているので、うちは1階ということもあり自転車は玄関に入れ込むことにした。入れてみると27インチだけあってかなり場所をとる。以前に原付バイクのジョグを玄関に上げていたことがあるが、それよりも場所を取るとは思わなかった。

追記:
この日記を書いている午後10時前に震度4の余震があったが、サイドスタンドだけで止めていた自転車は倒れることなくひと安心。やはり本棚やCDラックが倒れるってのはよっぽどの規模の地震だったのだとつくづく思う。


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