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2005/07/05(火)
さようなら
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NSPのリーダー天野滋さんが亡くなった。急死だったが、ガンの発見が遅れたため、見つかったときはすでに全身に転移していたそうだ。NSPは岩手・一関工業高専の同級生3人が結成したフォークグループで、昭和48年にデビュー。最大のヒットは故郷一関の磐井川を歌った「夕暮れ時はさびしそう」だが、デビュー曲の「さようなら」は、私より上の世代なら一度は耳にしたことがある曲だろう。同じ東北出身のオフコースは、一時期NSPの前座をしていたこともある。
残念ながら全盛期は知らないが、ローティーンの頃に文通していた女のコがNSPが好きだったので聴き出した。私が高校生のときまで活動していたが、その後解散。天野さんは作詞作曲活動を続け、クリスタルキングのヒット「蜃気楼」の作詞などを残した。曲も良かったが詞も巧い。「傷ついてしまった僕の心は、飾りのついたスプーンじゃ掬えませんよ」なんて詞は心に響く。
NSPはテレビに出ない主義を最後まで貫き通した。矢沢永吉も松山千春も小田和正も渡辺美里も、結局はテレビに飼いならされてしまったが、NSPは地道に各地をコンサートで回る活動に終始した。曲もいいが、曲の合間のMCも饒舌で面白かった。デビューアルバム「NSP」はメンバーが高校生の頃のライブ盤だが、話も巧いし堂々と場慣れした頼もしさは、今の高校生よりもずっと大人だと思う。
フォークギターを弾いていた私は、NSPの曲をたくさんコピーした。数ある日本のヒット曲の中でも、フォークギターの音色を生かした曲は少ない。売れるようになると、みんなバンドを入れて曲をつくるようになるが、ギターとベースの構成のスタイルを崩さなかった。3年前には再結成しまた各地を回った。福岡ではZEPP福岡で演ったが、ギターとベースと歌のままだったようだ。 今年は高田渡が旅先の帯広で急死したこともあったが、高度経済成長期に活躍したフォークシンガーたちが、亡くなるような年月が経ってしまったということか。
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