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2005/08/27(土)
こだま1号車の哀愁
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小倉競馬場へ行ってきた。いつもは高速バスを利用しているが、今日は新幹線に乗った。夏休みの土曜日ということで、新幹線のホームは勤め人やら家族連れやらで賑わっている。馬なりならぬ蛇なりに並んでいるのはのぞみやひかりなので、混雑を避けて岡山行きこだまに乗り込んだのだが、空席を探すのにきょろきょろしながら探し歩くほど。こだまの場合ほとんどが小倉で降りるとはいえ、ゆったりと座っていきたいものである。
いつもは煙草を吸わないのだが、旅に出たりレース場へ行くとなぜか吸いたくなることがある。ということで今日は唯一の喫煙車である1号車へ。知的後進国であるこの国でもどんどんと喫煙できる空間が駆逐されていくばかりだが、こだま号でも唯一のとりでとなった1両の中の喫煙者は、煙越しに車窓が望める懐かしい空間でもある。
かつてはどの車両でも煙草が吸えた長距離電車だが、当時は吸う人も吸わない人も混在していたため、部分的に煙が上がるに過ぎなかった。今は喫煙者がほぼ100パーセントと化している現実から、発車前からモクモクと煙が立ち込めている。しかも満席近い状態ゆえに70年代のスター歌手のステージのように、ドライアイスの世界ばりの曇りようだ。
SL阿蘇BOYは明日で廃止となるが、かつて蒸気機関車が走っていた頃は、汽車がトンネルにかかると車内は煙が充満し顔にすすがつくことさえあったという。時は流れて今や車内で喫煙できることすらなくなるかもしれない21世紀になるが、きっと喫煙の習慣は減りはしても一部に根強く残るだろう。これだけ禁煙が声高に叫ばれながら、多くの売店では煙草が売られているし、健康を売り物にしている薬局でも煙草を売るところが多い。焼き鳥屋ほどの煙たさの1号車に乗りながら、いつもは嫌煙者の立場ながら喫煙者の心境を考えることになった。
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