日常日記
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2006/01/31(火) 地震と家庭不和
日付が変わってすぐに、久しぶりに体に感じる地震があった。震源地は玄界島付近のようだが、まだまだ地震に対して心休まるときは遠いようだ。気象庁の発表はともかく、私の体感したところでは震度3くらいあったように思う。

他人から見るとずいぶんと悠長な話だろうが、心配なのは家の猫なのである。揺れを感じてしばらくはそわそわしていた。うちの猫は私が甘やかして育てたために精神的にひ弱で、先日私が2泊の旅に出ただけで相当心配したらしく、きのうなど家でシャワーを浴びていると、昨夏の事件(http://diary1.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/silkvelvet/?Y=2005&M=7&D=28)を思い出したようで、大きな声でミャオンミャオンと鳴き叫び出した。しばらくは不安を感じているのだろう、トイレに行くにも台所に行くにもずっと付いて来る。いつもは近所の買い物に出たくらいでは迎えに来ないのに、今日は買い物からの帰りには玄関に迎えに来ていた。

ここでまた大きな地震があると、精神的に大きく傷ついてしまうのでまずいのだ。玄界島では福岡西方沖地震で多くの猫が取り残され、飢えだけでなく精神的ストレスから力尽きた猫も多いようだ。娑婆で生きる野良猫に致命傷となるくらいだから、外界を知らない家猫などはすぐに病んでしまうのではないか。正直なところ、賃貸なので部屋がぶっ壊れるのは仕方ないとしても、家庭不和だけは避けなければならないのである。

2006/01/30(月) 旅のまとめ
まだ工事中の箇所があるが、沖縄旅行のコンテンツを一部別館にUPした。
今回の沖縄旅行は、久しぶりに充実した旅になった。その一番の理由は未踏の土地に行けたので、見るものの多くが新鮮に映ったことだが、ついに日本一周を果たしてしまったので、国内ではもうこの充実感は味わえないという哀しい満足感も同居している。

47都道府県のうち、46までは二十歳過ぎまでに早々と回ってしまった。しかしこの歳(三十半ば)になってから沖縄へ行ったのは良かったと思っている。この十数年でものの考え方や価値観は大きく変わった。十数年前に知人が沖縄へ転勤することになったとき、正直気の毒に思い同情したものだ。もしも自分だったらかなりショックだったと思う。しかし今なら喜んで赴任するだろう。沖縄という土地は、ウチナー(島内出身者)かどうかは名字ですぐにわかるため、県外出身者には壁があるというし、様々な問題はあるかもしれないが、今ならそれも苦になるまい。

今回の旅の一番の収穫は、一度もタクシーを使わなかったことである。タクシーを使えば楽だが、それをしてしまうとなかなか土地勘が掴めないし、町の空気も味わえなくなる。ということで、車を借りた日以外は、実によく歩いた。気候が良ければ体も素軽く動くものだ。そして島に流れるいい意味での気長な空気にも乗って、目的地まで焦って急ぐ気持ちもなくなったこともあるだろう。車もゆっくり走っていた。信号待ちのとき、地図に目を奪われて何度か青になってもしばらく気づかずにいたが、一度もクラクションを鳴らされることはなかった。南国ののんびりした風潮もあるかもしれないが、同じ島内にいる者同志、争う気持ちが薄いようにも思えた。

ということですっかり気をよくしたので、また来月か再来月に行くことにした(^^;)。何といっても島内にはギャンブル場がない上に物価が安いので、予算を大きく下回ったのである。沖縄のギャンブルといえばスロットが有名だが、どうも島の空気を吸ったらそんな気になれないのである。今度はスワローズのキャンプでも見に行くのもいいとか考えている。
(写真はきのうの日記で書いたバーミヤン似の地元の中華料理店)

2006/01/29(日) ピンクシーサー
沖縄では商標権などどこ吹く風の、明らかな類似物が多数目に付いた。福岡に本社があり、最近「にしけい」と社名変更した西日本警備保障と全く同じ名前の会社があったので驚いた。場所は赤線の歓楽街が残る宜野湾市の真栄原に本社があった。ある意味無法地帯なのか。資本金8千万円の「にしけい」とは全く関係がないらしいが、社名変更した原因のひとつではなかろうか。ちなみに近年ALSOKと社名変更した綜合警備保障とそっくりの「日本綜合警備保障」という会社が、福岡にあるのも発見したときびっくりした。

また、全国チェーンで展開する中華レストランのバーミャンそっくりのピンクの桃のデザインの「桃桃」とかいう中華料理屋を見て苦笑した。それから、最近本土でも人気の「海人」Tシャツだが、同じ海人の文字でもロゴが全然違うパチモンがあちこちで売られていた。本物の「海人」Tシャツは3千円ほどするものだが、それらの贋作は千円ほどで素材は薄手。牧志公設市場などで大量に売られていた。さらには、PUMAのロゴの動物のスタイルそっくりにシーサーがジャンプする「SHISA」Tシャツも売られていた。遠くから見るとPUMAに見えてしまうほど瓜二つだった。

極めつけは写真のピンクパンサーならぬ「ピンクシーサー」である。那覇空港の売店で普通に売られていた。どうも沖縄は商標権には寛大な土地柄のようである。これもアジアならではというべきか。ピンクパンサーといえば畑吉広を思い出してしまう、などと言っても沖縄ではほとんど理解されないだろう。畑吉広とは山陽オートの選手で、ピンクパンサーは彼の車名である。彼がこのTシャツを見たらどう思うだろうか(笑)

2006/01/28(土) 桜前線
日本の国土は縦長だが、それを最も顕著にあらわしてくれるのは桜前線だろう。名護や今帰仁の城址に上ってみると桜が満開になっていた。本土に多く見られるソメイヨシノと違い、沖縄北部では寒緋ざくらという種類が見られるが、こちらは桜というより紅梅を思わせる美しさだ。

名護では今日からさくら祭りだそうで、私が出かけた日は露店商や会場設営の業者らの搬入車と、観光客の車とで城へ上る狭い道はにわかに渋滞するほどだった。祭りの前にひと足早く帰って来たが、あの調子だと祭り当日は相当な賑わいになっているだろう。

それにしても1月下旬でありながら桜が満開とは、本当に日本は縦長だと実感する。帰ってきたら、寒さを感じながら冬はまだまだ続くことを覚悟したが、南の方から桜前線は北上を始めていて春は少しずつだが近づいているのは間違いない。
(写真は今帰仁城址付近の桜並木)

2006/01/27(金) サンゴノウミヲ
沖縄の北部に古宇利島という島があり、かつては離島だったが去年本島と橋で結ばれるようになった。海がきれいだということで出かけてみた。肉眼ではまずまずきれいに見えたのだが、あいにくの曇天で写真ではその美しさがうまく伝わらず、連絡橋の陰があるショットがもっとも珊瑚の色を映していた。浜辺へ降りてみたが、玄界灘を見て育った私には真冬の海とは思えないほど穏やかだった。

近年橋で繋がったといえば、福岡の私は山口県の角島を思い出すが、海の美しさや島に向かうと橋の途中で左手に小さな島が見えるところが共通している。島にはこれといった観光地もなく、特に整備されていないところも同じだが、古宇利島には沖縄本土以上の沖縄らしさが残っていた。背丈よりも高いさとうきび畑は印象的だった。

古宇利島のある今帰仁村出身の四十代の小説家が話していたが、琉球大学へ進学し那覇へ出ると、普通に話しても今帰仁の方言は当時ほとんど那覇の人に理解してもらえなかったという。それから二十余年経ち、今では車で簡単に行き来できるほど便利になったわけだが、いいことばかりではないだろう。離島の頃はナンバープレートをつけた車は走っていなかったという。わけもなく訪れる人が増えるのは全て歓迎すべきことでもないだろう。これからこの島は大きく変わっていくだろうが、せめて海の美しさは変わらずにいて欲しいと思う。

2006/01/26(木) 食もアジア
沖縄でアジアを感じるのは、食の面でもしかり。沖縄の食堂でおかずを頼むと、ご飯と汁、店によっては漬物もタダで出てくる。これは韓国と同じ形式である。韓国では汁物を頼めば、キムチ数種類とご飯は必ず一緒に出される。

郷土料理に豚肉を多く使うところは台湾あたりの食文化に繋がるところがあるし、豆腐を使い、そして一部で発酵させて使うあたりは中国にも通じる。炒め物にパパイヤなど果物を用いるのは、マレー半島にも共通するところ。そして沖縄ではカレー専門店が本土より多いように感じた。暑い気候にはカレーが合うのだろう。これもアジアの食の顔のひとつである。

写真は高良食堂の「牛肉おかず」だが、これで500円という安さ。太っ腹で牛肉を大量に使っているのも嬉しいが、もやしと豆腐との相性もいい。常に客が途切れない人気店だが、繁盛する店に共通して感じるのは従業員の動きがいいこと。繁盛しているのは美味しいだけでなく、料理が出てくるスピードや接客も申し分ない。すっかり気に入って、ここには2日連続で来てしまった。おかずものにすっかり魅せられたため、今回は結局沖縄そばを1度も食べずじまいだった。

2006/01/25(水) アジアの一員
那覇空港に降り立つと、なんとも生温かい感触がした。沖縄はここ何日か平年よりも2、3度気温が高かったこともあるだろうが、1年のうちでもっとも寒い真冬の1月に薄い長袖で汗ばむほどである。モノレールへ向かう陸橋を渡ると、その温かい気候と空港ターミナルに並行して鉄道の軌道があること、そしてその間の車道や白塗りのターミナルなどが、バンコクのドン・ムアン空港を彷彿とさせた。

那覇の町へ出てみると、そこはまさしくアジアである。建物の一部分やベランダの欄干が写真のように穴の開いたブロックを使用しているホテルやアパートは、バンコクでよく見るタイプの建物だ。年中温度が高めのところだけに、おそらく風通しをよくしているのだろう。古い建物が多く残っていること、そして深緑色の川の濁りも東南アジアを連想させる。那覇の目抜き通りである国際通りの沖縄三越の前は、その百貨店格にしてはこじんまりしたところや、赤い看板の下に若者ばかりが集っているところは、バンコクの偽丸井の情景を思い出した。

福岡も小汚い屋台など、アジアの一都市という匂いを部分的に感じるが、那覇ほど色濃いものは感じられない。那覇に来ると、日本も間違いなくアジアの一員であることを実感する。牧志公設市場などは、博多区の吉塚市場や千代町のせんしょうと共通した雰囲気を持っているように感じた。いずれにせよアジアである。

2006/01/24(火) 沖縄への道 その2
沖縄で安いものといえば、銭湯もかなり安い。200円ほどだそうだ。しかし今や沖縄にある銭湯は10軒未満らしい。本土と逆に温泉は高く、大した設備でもないところが千円以上取るところがザラだ。

沖縄の銭湯は簡素というか質素な造りのところが多く、別府の竹瓦温泉や駅前高等温泉のように、脱衣所と浴室に仕切りがないところが多く、一体化している独特の風呂場である。

暑い国では湯船に浸かる習慣があまりないようで、インドでは1泊30USドルほどするホテルでもシャワーしかなく驚いたことがある。カルカッタでは160USドルもする最高級のオベロイグランドにしかバスタブはなかった。考えてみると、クソ暑いところでわざわざお湯の中に入るトウヘンボクもそうそういないのだろう。

沖縄の銭湯を調べていたら、全国の銭湯を紹介してホームページを見つけ、そこには自分が学生時代に行った東京の銭湯が出ていて懐かしくなった。地元でも知らないイカした銭湯を発見したが、それより今回の旅の情報を集めなくては。
http://www.kt.rim.or.jp/~tsukasa/sento/index.htm

2006/01/23(月) 沖縄への道
あさってから沖縄へ行くことになった。水木と連休なので小倉の競輪祭に行くつもりだったが、旅行会社の沖縄ツアーは1月いっぱいまでが1年でもっとも安いことを知り、しかも25日出発くらいが最安値となっているので、行かなければ損という気になってきた。

旅費は往復の航空運賃とホテルがついて、1泊なら1万円台という安さ。2泊でもプラス3千円ほどで済む。シティ滞在プランなので旅行会社のツアーには付き物の1人部屋追加料金というお決まりの割増もない。出発は午前中の便ならば3〜5千円ほどプラスになるが、昼過ぎの便にしたので問題なし。結局ホテル2泊分つきで2万円ちょっとという安さなら行くしかなかろう。

そんな料金なのでホテルの内容は期待してはいけないが、沖縄という土地柄のせいか部屋に冷蔵庫がついているのは嬉しい。場所は国際通り近くで悪くないし、モノレールの駅からも徒歩5分ほど。ライブドア関係者が自殺したホテルがテレビに出たときに、建物が何となく似ていたように見えたのは気のせいか(^^;)

もうずいぶん前から沖縄には行きたかったが、JASのマイルで行こうと思った矢先にJASが福岡−沖縄便から撤退したり、様々な理由が重なって伸び伸びになっていた。わずか2泊なので行きたい場所全てに行くのは無理だが、まずはその風土と空気を感じてきたいと思う。

沖縄は以前ほど物価が安くはないようだが、部分的に驚くほどの安さのものがある。レンタカーは12時間で1500円、免責補償料を入れても3千円ほどという安さ。ホテル代も安い。そしてオリオンビールが1杯100円という店も見つけた。さらには歓楽街では、おねえさんと5千円から戯れることができるという。質が伴わなければ安くてもあまり意味がないと思うが、そのあたりは実際にこの目で確かめてこようとおもう(笑)

2006/01/22(日) 「シルヴィ」と「フレンズ」
うちの愛猫シルヴィについて、どうしてその名前になったのか尋ねられることがときどきあるので、今日は名前の由来について書いておこう。

1970年の作品でルイス・ギルバート監督の「フレンズ」というイギリス映画がある。昭和の終り頃までは、深夜にテレビでよく放送されていたので、私以上の世代の方は見たことがある人がいるかもしれない。15歳の男女が家出して駆け落ちする内容なのだが、やがて妊娠し生まれてくる子の名前が「シルヴィ」といい、そこから拝借している。

3年後に「続・フレンズ」が製作され、そこでは生活に追われ、二人は擦れ違いの生活となってしまうが、それを繋ぎとめるのは子どもの「シルヴィ」の存在というように描かれており、うちのシルヴィも、(当時は私は昼の仕事してたので)夜な夜な飲み歩く私と家とを繋ぎとめるために、シルヴィと名付けられたともいえる(^^;)。同じ一人娘ということもあるが。

この「フレンズ」という映画、音楽はブレイク前のエルトン・ジョンが担当するなど、いろんな面で完成度が高いのだが、レンタルビデオ屋ではなかなか見つからないなど、埋もれてしまった感があるのが残念。
(写真はゴミ箱を荒らそうとして説教されるシルヴィ)

2006/01/21(土) そんなに朝定を食べたいのね
午前10時10分ほど前に吉野家へ滑り込んで、納豆でも混ぜながら朝定食を食べていると、10時を過ぎたあたりで1人の男性客が入ってきた。タクシー運転士の身なりだ。それが注文する前に、いきなり店員に文句である。

「ここの時計は進んでるよ」とその内容を2度ほど大きな声で繰り返している。つまりこの客も朝定食を頼みたいようだが、店の掛時計は10時6分を示している。店員は何も言わずに朝定食を厨房に通している。店内でガタガタ騒ぐのなら注文を断られたりしてからすべきだと思うが。店内の時計が何時かどうかではなく、つまり朝定食が食べたいのはみえみえである。

その日はわりと精度のいい腕時計をしていた私だが、明石標準時で10時2分4秒だった。確かに店の掛時計は進んでいたが、10時を過ぎているのも事実だった。それだけにギャンギャン吼えていると穿つこともできる。おそらく何年か後には、掛時計は電波時計がほとんどになる日が来ると思うが、そのときはこんな客は冷たくあしらわれるようになるものかもしれない。程度の低い学校や、誰でも二つ返事で雇ってもらえるような間口の広い職場に慣れた人生では、時間を守れなくて通用してきたのだろうが、やがてはっきりした線に切られる機会も増えるだろう。

個人的には2、3分の遅れくらいで遮断するのも酷かと思うが、問題は他の客に対しての不快な行動である。社会の下層に生きる私の経験上、他の客に対して目障り耳障りだったことと、時間を守れない人間であることは偶然の一致ではなく、密接な関係があると断言できる。決してその客が安物のQ&Qの腕時計をしていたから見下しているわけではない(^^;;

2006/01/20(金) しゃけ弁当の怪
昨夜、中央区某所のほっかほっか亭でしゃけ弁当を注文すると、なんと出来上がりまで30分かかるという(゜o゜;
のり弁ならすぐにできるというのだが、のり弁とシャケ弁の違いは、ご飯にのりが敷いていないことのほかには、シャケが1切れ付くだけである。

厨房に立つ仕事を経験しているのでその視点で考えてみても、30分というのが何とも中途半端ではかりかねる。冷凍品を解凍するのならそんなに時間がかかるはずもないだろうし、まさかどこかまで鮭を仕入れに行くこともないと思うが。冷凍庫の奥の方に固まりとしてあって、取り出すのやその一角を解凍するのが面倒くさいのか。それともしゃけ弁当を出したくない理由が他にあるのか。夜の店の人気嬢の指名待ちじゃあるまいし、弁当ひとつのために30分も辛抱強く待つという者はまずいないだろう。

地域によるとは思うが、しゃけ弁当といえば、のり弁当やかきあげ弁当と並び、ほっかほっか亭初期のメニューを支えた200円台のリーズナブルな商品の一翼だったのだが、いつの間にか200円台のメニューはのり弁当だけとなってしまった。かきあげ弁当やしゃけ弁当は姿を消してしまい、しゃけ弁当だけは復活したものの、のり弁当より90円も高くなった別物に。提供する側としてはのり弁もなくしてしまいたいが、根強い需要がありメニューから消せないのではないだろうか。

ということで、昨夜はのり弁当で妥結した。のり弁当はいつまでも290円で残ってほしいものである。トライアル百下店や黒田屋の105円〜200円の激安弁当に負けないためにも。

2006/01/19(木) マルキョウが三越に勝つこともある・・・
10日ほど前に三越の山本山で仕入れた100グラム500円のお茶「緑優」だが、率直に言って口に合わなかった。産地を見ると鹿児島と静岡のブレンドのようだが、いまひとつ味や香りがこなれていない気がする。珈琲も煙草もブレンドにはブレンドなりの旨さがあるが、「緑優」はいまいち融合されていないように感じる。

同じ価格帯なら、マルキョウや西鉄ストアで売られているJA知覧の知覧茶の方が香りも芳醇で渋みもいい塩梅だ。JA知覧がスーパー向けに出荷しているお茶のグレードはいくつかあるが、100グラム5〜600円の「憩」のクラスでも十分旨い。その上に1000円ほどの「特選」クラスがあるが、感激するほどではなかったので、普段は「憩」を愛飲している。ちなみにマルキョウでは毎週398円で特売されているPB(プライベート・ブランド)の「マルキョウ高級煎茶」があるが、そちらはいまだに挑戦する勇気がない(^^;)。元祖長浜屋のお茶には勝てるだろうか(笑)

実現するのはまだまだ先のことになりそうだが、ゆくゆくは九州の各レース場で無料提供されるお茶を比較するコンテンツを、このサイトにUPしたいと思っている。一部情報によると、九州ではからつ競艇場のお茶がずば抜けて美味いらしい。やはりお茶どころが近いせいだろうか。そうなると久留米や武雄競輪のお茶も期待できるかもしれない。

2006/01/18(水) 時事と旅打ちの夢
埼玉あたりのキャバレー風の飲み屋で飲食し精算を求めたところ、長時間待たされたあげくに一向に従業員が現れず、予定していた新幹線に乗れなくなったことから、腹いせに金庫から200万円ほど盗み逃走するという奇妙な夢を見た。地方へ逃避行するには東京駅へ出ると捜査網にかかるという恐れから、地下鉄や私鉄を乗り継いでいくという警戒心は、夢ながらに自分の用心深い性格を表している。流れ着いた先は遠州浜松。なぜか食べ物屋や洋服屋などは登場せず、パチンコ屋やゲームセンターばかりの光景なのは苦笑するが、どちらも店内に監視カメラがあることから長居を避けるあたりも用心深さを表している。

なぜ浜松かという理由は、自分では薄々気づいている。実は来週、沖縄へ旅行する予定があり、これで1道1都2府43県を踏破しようやく日本一周が完成するのだが、もうひとつの心残りであるオートレース場全場踏破に臨み、唯一未踏の浜松オートの存在が大きくなっているからだろう。オートだけでなく、競輪も競艇も東海地区のレース場には未踏が多い。もう少しゆとりが出来れば、次に旅したい遠距離は遠州から尾張にかけてだと思う。

旅先では、親しくなった人物に犯行を薄々気づかれながらも逃走を助けてもらうなど、ドラマ並みの細かい脚色もあって楽しめた。奪った200万円は浅いズボンのポケットには収まりきれず、周囲に気づかれないように気を遣うあたりのリアリティも面白かったのだが、肝心の浜松オートへは辿り着けないまま目が覚めた。実際に到達するのはいつの日になるのか。それにしても、万札の帯封はステキだった(笑)

事件から2日ほど経って旅先の図書館へ入りこっそり事件当日の新聞を見るも、他の大きな記事に隠れて扱われていなかったというオチだったが、ヒューザーの社長の証人喚問にライブドア系列企業の強制捜査をぶつけた、オウム並みの稚拙かつ狡猾な政府への不満を投射した夢だったのだろう。あまりにも細緻にわたる脚色は、最近CS放送で刑事ドラマばかり見ているからかもしれない(^^;)

2006/01/17(火) 鬼の居ぬ間に・・・
家に帰りつき部屋の床を見ると、ベッドの引き出しに入れていたはずの私のシャツが落ちている。これは2度目のことである。猫の仕業に違いない。ベッドが到着した日に、私がこの日記で案じていた通りである。私のいない間も、なかなか楽しんでいるらしい。

しかしよくわからないのは、引き出しはちゃんとしまっていること。落ちていた紫色のシャツは一番上にあったので、引っ張り出したりして遊んだのだろうが、引き出しを開けてみると、中にあるほかの衣類は整然としたままである。引き出しの中をひっかき回さないだけましかもしれないが。今後の対策はまだ効果的な案がないまま。

猫というものは油断ならない奴で、それまで全く興味を示さなかった飲み物や食べ物を机の上にでも置いていると、ちょっとの間私がトイレに行った隙に飲んだり食べたりしていることがよくある。私が戻りかけると足音を聞いて慌てて離れたりするが、グラスの中の飲み物の表面が波打っていたり、猫のあごの下に牛乳ヒゲができていたりするのでバレバレである。

2006/01/16(月) もつ鍋(゜д゜)ウマー
今日は滋賀の栗東から客人が来て、ほかに小倉や福岡人が集ってもつ鍋を食べることに。場所は南区の「やま中」。久しぶりに食べた今回はみそ味に挑戦。あんまりもつ鍋ではみそ味は食べない私だが、やま中のもつの濃厚さはみそ味がよく合う。いい栄養補給になった。

それにしても男女6人でもつ鍋を囲みながら、最初から最後まで競馬の話というのもすごい。田中剛よりも江田の方が主犯だとか、生生しい話は(・∀・)イイ!。小倉開催が近づくとおのずと福岡の競馬ファンは力が入るが、滋賀や茨城からやってくる走らせる側のスタッフも、小倉で過ごす時間を楽しみにしている人が多いようだ。食べ物が美味しく物価も安めというのが魅力だろうが、小倉の路地の奥にある店まで競馬関係者のサインがあったりして、よく発掘していると感心するものである。

もつ鍋といえば福岡では「やま中」と双璧で「万十屋」も有名だが、キャベツだけでなく玉ねぎまで入っていてその甘さがくどすぎて苦手の私には、福岡市内では「やま中」が最右翼。餃子の皮の入った「もつ幸」、うどん屋を経営するだけにしょうゆ味のダシがいい塩梅の「川端」などがそれに続く。店の名刺を置いていったら、すぐに飲みに来てくれた西中洲の「笑楽」は恩義を感じているだけでなく、もつ系の料理全般が合格点な上に酒の種類が多いという魅力の店。あと美野島にもまずまずの店があるのだが、ホークスファンが多いので足が向かない(^^;)

全国的にはブームが去ったという感のもつ鍋だが、福岡の冬では主要な鍋のひとつである。栗東からの客人はおとといはアラ鍋を食べたといっていた。表裏の看板鍋を満喫できれば、この上ない至福だろう。(写真は南区のやま中本店)

2006/01/15(日) 骨の髄まで腐ってます
夕方から朝にかけて働いている私は、家に帰り着くのは朝方で寝るのは昼過ぎ。よって宅配便などを送ってもらうときは午前着指定でお願いしている。

きのう昼過ぎに荷物が来たらしく、ベッドで寝ているときに何度か呼び鈴が鳴ったが、眠いので起きなかった。後で不在票を見てみると、着時間は13時40分となっている。送り主には午前着指定で頼んでいた物だった。

その後、結局目が覚めてしまい、起き上がり電話をかけて夕方までは在室しているので、今日の夕方までか明日の午前中に再配達してくれと頼んだ。ところが夕方までに音沙汰がなく、今日の午前中にも来なかった。以前何度も苦情を書いた○川急便だが、去年から今年にかけて5つの荷物のうち、3つが指定時間を守れなかったことになる。時間を守れないのなら、初めから時間指定サービスなんてやるなよ。

佐○急便の配送が時間を守れなかったのは我が家だけでなく、うちの身内のところでも大幅に遅れ、さんざん迷惑したという話を聞いている。私はこの会社の内部事情をよく知るので、日曜には格下のドライバーがほとんどであることや、一人あたりの仕事量が多過ぎて会社の営業が売り込む内容に追いつけていないことは察するが、これだけクレームが頻発するのは尋常ではなかろう。私としてはこの配送会社は使いたくないのだが、送り主が指定している場合はどうにもならない。その辺が社会生活の難しいところだ。

日曜出勤の電話口の女性には気の毒だが、風邪気味のダミ声を効かせてヤクザ口調で、今から30分だけ待つとすごむと、20分後に持って来た。すごまれて20分で来れるのなら、言われなくても時間通りに来いよ。午前中といえば何時間も幅があるだろ。

さらに持ってきたドライバーはスイマセンの一言もないし、ぶつくさ言い訳までしていた。何がセールスドライバーだ。社内での伝達にミスがあったようだが、それは客の知ったことではない。形だけの侘びをしながら、体はうちの玄関から後ずさりしていたのは、逃げていたのではなく時間に追われているからと解釈してやろう。そんなにボクが怖かったのかな(笑)。収まりがつかないので、2ちゃんねるのちくり裏事情板のスレッドに、その会社がタイムカードを事実を偽って打刻していたことなど、いろいろとチクることにする。

2006/01/14(土) 猫の黒目と写真写り
猫の黒目は明るさによって幅が変わり、暗いところでは黒目の部分が大きくなり、明るいところでは黒目が糸ほどの細さになる。その昔、中国の人は猫の目で時間を読んでいたというほどである。大半の人は黒目が大きいときの方が可愛いように見えると思うが、それを写真に撮ろうとすると暗い場所になるので撮影は難しい。

というわけで、体調がすぐれず1日中家で過ごすときなどは、ひまつぶしに猫の写真を撮ったりする。猫はオオカミやサメほどではないが、寝ている以外はだいたい動き回っているので、巧くその姿を写真に収めるのは困難である。最初は辛抱強く待ってカメラを構えていたりするが、思うようにいかないと段々いらいらしてくる。元来私は気が短いので、終いには猫に動くなとか言い出している(苦笑)

ドアノブをジャンプして開けたり、引き出しを自力でこじ開けるほどの学習能力がある猫は、おそらく写真に撮られることも理解するようになったと思う。そのせいか最近カメラ目線が多くなったし、私がうるさく言うと動きを止めるようになった。これが全国に発信されることを知ると、もう少し見映えのする写りをしてくれるようになると思うが(^^;)

2006/01/13(金) それでも旨い物を
久しぶりに風邪を引いた。熱は計ってないので正確にはわからないが、感触からしてもせいぜい37℃過ぎるか過ぎないかくらいだろう。それほどきつくはないのだが、鼻づまりとノドの痛みが厄介だ。自覚してから数日経つが、少し直りかけては逆戻りというのを二度ほど繰り返した。

私は風邪を引くと韓国料理のチゲを食べることにしている。呉服町の韓亭でキムチ食べ放題のランチでも食べようかと思ったが、外に出るのもエネルギーが要るので自炊することにした。抵抗力が弱くなると買い物で歩き回るだけでも体が消耗するものだが、今日はスーパーサニーで100円均一をしていたため、余計な買い物が増えて余計に疲れた。荷物も重くなったし。貧乏性は思わぬときにに纏足になる。

1人用の鍋を使用したが、具が多過ぎてふきこぼれたりして時間がかかってしまった。美味しいものを作ろうと思えばそれだけ手間がかかるので、いやしさもまた足かせになるものだ。たいして旨くないものを簡単に作れば疲れもしないのだが、それが出来ない性分なのである(^^;)。おかげで美味しく栄養価も高く仕上がったが、調理に奪われたエネルギーに相殺されさほど体は回復しなかった(-_-;)

2006/01/12(木) 顔より時計
腕時計の話が出たところで、時計ネタの続きをしよう。時計マニアの私は、初対面の人に会うと、容姿とともに腕時計を見る。女性でも男性でも時計を見る。とは言っても、高価な時計をしているからといって、その人の評価が上がるわけではない。たとえば定価は何十万円もするのに、実際にはその中身は1万円の価値もないクオーツ式のブランド時計(http://www.yoka-tokei.com/oyokudati.htm)をしているより、実勢価格1万円ちょいのオリエントのパワーリザーブなんかをつけている方が印象に残るし、個人的には好感が持てる。

この方式は営業の仕事をしていたときに、「タグホイヤーのモナコを着けている仕入の係長」とか、「アニエスBのクロノをしている副店長」などと覚えるのにも使わせてもらった。最近はバス通勤をしているが、「セイコーブライツのサラリーマン」が大手門で降りるとか、「グッチの革バンドの女性」が警固町で乗り換えるとか記憶していると、間もなく降りる客がわかってすぐに座れたりすることもある。日々洋服は着替えても時計を変える人は少ないので、何十人もの雑踏の中で腕だけで人を見分けることができる。

時計マニアの集まる2ちゃんねるの時計板では「つり革バトル」などという用語があり、電車やバスのつり革で隣りに並んだ人の時計と自分の時計を比較し、勝ったとか負けたとか心の中で呟いている時計マニアも多いようだ。先日県庁前で降りて庁舎に消えて行った県庁職員と思われる男性が、エベラールという定価60万円ほどの時計をしているのを見てしまった。その日クリスチャンディオールのクオーツを着けていた私は、つり革バトルで間違いなく完敗なのだが、その男性があまりにもさえない身なりだったので、「そんなに高価なのを身に着けても、似合わなきゃ意味がねえんだよ」と心の中で負け惜しみを吐き捨てるのだった(^^;)。エベラールのようにマニアックな時計に偽物はあまり流通していないだろうから、おそらく本物だろう。福岡にも時計マニアはうじゃうじゃいそうである。

2006/01/11(水) 33年前のTIMEX
CS放送のチャンネルNECOで特撮物のジャンボーグA(円谷プロ製作)を見ていると、主人公の立花ナオキのしている腕時計がTIMEX社製であることに気づいた。このジャンボーグAでは、主人公が変身するアイテムは腕時計なので、かなり重要な小道具ということになる。見ているとなかなかかっこいい時計である。まだファッション時計が日本の市場にあまり流通していない頃にこれだけお洒落なのは、やはり輸入物ならではという感じだ。

TIMEXというと、今ではずいぶん安い価格帯の時計も出しているアメリカのメーカーだが、当時は一応ブランドイメージを確立していたし、それなりに高価だったと思われる。それにジャンボーグAの初回放送が1973年なので、1ドル360円の頃だから日本では高嶺の花だったのではないか。

ということで、TIMEXの時計が欲しくなった。しかし腕時計というものは、いくら欲しくなっても似合わなければ着ける機会を失うので、衝動買いは禁物である。見てくれに釣られて買ったものの、自分の持つ洋服などファッションに合わずにほとんど着けていない時計はいくつかある。たとえばカルロスファルチの蛇柄の時計など欲しいのだが、間違いなく似合わないので買えないでいる。ううん、33年前の物は無理にしても、最近出ているTIMEXのモデルは落ち着いたデザインも出ているし1つ買ってしまうか。他人がどう見ようと、本人がよけりゃいいのである。

2006/01/10(火) 玉露から粗茶へ
何となく心にすきま風が吹くので、天神の三越まで玉露を買いに行った。いいお茶でも飲んで少しでも温まろうではないか。広々とした縦長の売場から山本山のブースを無事に見つけたが、目当ての2千円の玉露は取り扱っていなかった。薬院の山本山福岡支店まで行けばあるのかもしれないし通販で買えるのも知っていたが、今さら待つ心の余裕もないので無難に100グラム500円の粗茶を買って帰る。

ちょうど閉店間際だったので、食品売り場の生鮮品や弁当は軒並みディスカウントされており、それを目当てに集るハイエナ客とで最後の賑わいを見せている。私もハイエナの一味に加わることとし、にぎり寿しを半額で求めた。ネタが肉厚でなかなかの美味。他にもセイロ蒸しが、おこわ弁当が、かしわめしが、しゅうまいが、肉まんがずらりと半額になっている。近くに住んでいれば常連のハイエナになっていたかもしれない。

2006/01/09(月) 華と寂
きのう知人の結婚式に顔を出したら、森口博子の姿があった。どうもその結婚式のために福岡へ帰ってきたらしく、それほど仲が良かったということか。それより私が気になったのは、一体いくら包んだのだろうということなのだが(^^;)。私といくらくらい違うのだろ。それにしても有名人が一般人の結婚式に混じると、主役の存在が霞んでしまうのが困りものだ。

多くの人たちに見守られて結婚をすることだけで、さぞ幸福だろうと思うのだが、そんな存在感のある人に祝福されるというのは格別だろう。よく知れたアナウンサーなどを金で雇い司会をしてもらうというのはよくあることだが、そんな脚色よりどれだけ嬉しいことか。

夕方から仕事の私は、慌しく式場を後にした。福岡競艇の優勝戦は藤丸→吉田でかなり自信があったのだが、時間がないので断腸の思いで職場へ。後でやはり的中していたことを知る。式場に行く前に寄っていくべきだった(^^;)

そんな慌しい1日を過ごし仕事を終えて今朝、家へ帰ると、部屋の温度計は8.8℃しかなかった。今年一番の寒さだ。うちのマンションは一応鉄筋なのだが・・・。しっかり密閉してあるのに外の寒さと変わらない温度で、朝からそこはかとない寂しさを感じてしまうのだった。

2006/01/08(日) ゴッドバーガーの威力
2日ほど前からアクセスが急に増えている。トップページもそうだが、その元はゴッドバーガーのページ。調べてみると「ゴッドバーガー」で検索すると、いつのまにかgoogleでは1位になっている。何でも1番になることは喜ばしいことだが、それにしてもgoogleダンスの基準とは一体何だろうか不思議である。ちなみに「ダークホース」で検索しても、このサイトが1位になる。

そしてもう一つ原因があった。おとといの広島FMの番組で、FM山口が推すローストビーフサンドと広島FM推奨のゴッドバーガーとのバトルをしているようだ。投票者には2万円の旅行券が当たるということもあり、その関係でアクセスが急増している模様。今月のテーマとあるので、しばらくはこの騒がしさが続くかもしれない。

去年は木村カエラ主演の映画に登場したりと、ゴッドバーガーもにわかにメジャーになりつつある。先日佐世保へ行って佐世保バーガーをいくつか食べてみたが、それでゴッドバーガーのレベルの高さを痛感した。冗談抜きで、ゴッドバーガーは手作りハンバーガーでは日本屈指かもしれない。
(写真は案外だった佐世保バーガー)

2006/01/07(土) ♪紅茶の美味しい喫茶店
先日、約20年ぶりに訪れた店がある。恥ずかしながら、私が初めてデートしたときに行った店でもある。最近はシアトル系のカフェとか、ファストフードとか、手軽に利用できる店が増え、お茶するときに喫茶店というものを利用する機会が少なくなったこともあるが、その存在すら忘れかけていた。

紅茶メインの喫茶店なのだが、20年前と変わらずに営業していたので、何となく安心した。お茶する店だけでなく、ケーキを出すような店も福岡では新興の洒落た店がどんどん増えているので、古くからある喫茶店の陰が薄くなりつつある。そのせいなのか、私が入ってから出るまで客は私ひとりだった。

場所は天神のビブレ地下にある「紅茶貴族」という店。紅茶の数では九州屈指だと思うが、味は屈指というほどではないように思う。それでもマニアックな紅茶メニューなどがあり、紅茶好きな人が押さえておくにはいい店かもしれない。それに専門店だけあって、ホテルのレストランやカフェで出てくるような薄っぺらい紅茶を飲むよりはよほど紅茶らしいのが出てくる。

こういうご時世で、昔なじみの店がどんどん姿を消していく中、何十年もの間、長らく営業を続けているのは頼もしい。他にも天神ビブレの地下は、ノスタルジーを感じる食べ物の店がいくつかあって、いい意味で地方都市にある地下食堂街の香ばしさを残している。

2006/01/06(金) 寝正月終了
私の正月期間はきのうまで。今年は例年より休みが多かったこともあり、ゆったりと過ごすことができた。寝正月というのも有難いものだ。久しく長時間だらだら家で過ごすことがなかったので、食糧の在庫加減を失敗したのが反省点だが、昨今は元日でも仕入れ可能なのでさほど問題ではない。

去年は数の子を買ったりと正月らしい食材をそろえてみたが、それは正月休みがないために、せめて食べ物くらいは正月らしくしたかったからだろう。環境が整えば食事などは二の次。年明け最初に食べたのは、某コンビニのからつバーガーだった(笑)

寝正月ではあったが、初詣の空気は感じたりと外の正月らしさも見てこれたのでよかった。近年は正月らしさがめっきり減って、働いているとあっという間に正月が去っていくように感じることが多いが、今年は正月という大きな輪の中に久々に入れたような気がする。これでじっくり休養できたので、新春の特売に元気よく出撃できるかも(^^;)

2006/01/05(木) 過酷な職場だこと
今日は高速バスで小倉へ向かったが、九州自動車道が通行止めのためバスは下道で小倉まで。福岡都市高速は通れたので呉服町から香椎まで都市高速で行き、あとは3号線をひたすら進んで、八幡から北九州都市高速に乗って北方経由で、結局小倉まで3時間ほどかかった。

九州は雪に弱いと毎年冬になると思うのだが、それは仕方ないとしても、北九州都市高速道路は、どうして大動脈の国道3号線からあんなに離れているのか理解に苦しむ。北九州の地元だけの生活道路としかいえないのではないか。福岡から3号線を通って北へ向かう場合、古賀で高速に乗らなければもう北九州市内まで二度と高速道路は近づかない。つまり使えない路線なのである。

九州自動車道が通行止めになった一番の被害者は、旅客よりもバスの運転士ではないか。3時間半ほどずっと雨や雪の中旅客を乗せたバスをいつもと違う経路で運転するのは大変だったろう。もちろんその間トイレにも行けないし、道路事情や運行状況を逐一無線で伝えなくてはならない。その上、自分は何にも悪くないのに客に謝らなくてはならないし。3時間半バスに乗っているだけでひどく疲れたが、そんな状況で運転していたらその何倍も疲れたことだろう。
(写真は今日の小倉・中谷付近)

2006/01/04(水) 正月番組を振り返る
去年の正月に見たテレビは「ナニワ金融道」だけだったが、今年は休みが多かった分、たっぷりとテレビを見た。学生の頃は放送開始からエンドロールまでまる1日テレビを見るというくだらない目標を達成したこともあるが(^^;)、最近めっきりテレビを見なくなったのは、働くようになって時間が削られてきたことが第一だが、今一つの理由は面白いテレビ番組が激減したからだ。
とはいえ、今年の正月はなかなかテレビを楽しんだ気がする。この正月で楽しんだ番組に印をつけてみる。

◎箱根駅伝
これは母校の激走もあったが、他にも見どころが満載だった。感動の裏側には、故障している選手を学校のエゴで引っ張ってタスキをつなげるという現実的な一面が暗躍し、企業の中で一個人が酷使された後に使い捨てにされるという姿にも似て、人生の縮図のような断片も垣間見ることができる深さがあった。

○田舎に泊まろう2006
レギュラー枠のこの番組は、落ち目になった芸能人のドサ回り的な色が強いが、このスペシャルは遠野凪子タン(写真)や工藤夕貴タンなど出演女優の多くが好みだったこともありよかった。美女が行くと、知らない家でもすんなり泊めてもらえるものだ。ネットワークビジネスのツワモノに女性が多いのも納得したりした(笑)
制作費がかかっていない部分と、ヤラセがほとんど感じられない部分が共存しているのがいい。本当に泣きそうになった。1月7日にBSジャパンで再放送するらしいので、見ていない方にはおすすめである。今度は録画しなければ。

▲Gメン75 112〜118話
大晦日深夜からファミリー劇場で一気に放送していたが、藤木悠の惜別と相まって感慨深かった。このドラマは、とにかく内容が暗いことと暴力的なのが今にないところ。上司が部下をすぐ殴る。しかし内容に心がある。そして音楽が優れているのは名作の条件だとつくづく感じる。

△いい旅夢気分2006
ホリエモンがふんどし姿になり、寒中みそぎをする図はある意味貴重。朝青龍一味の乗馬姿も貴重。年末のスペシャルでは落合一家が登場していたが、福嗣クンはかなりデカくなっていたなぁ。

×クイズドレミファドン
実はこの番組にむかしちょこっと出たことがあるので(^^;;;

かつては正月といえば、深夜に必ずヤクザ映画を放送していたものだが、まったくなかったのは残念。何か物足りなさが残るのはそのせいか。

2006/01/03(火) 天下の嶮
愛校心なんてものを感じることはほとんどないのだが、この時期だけはなぜか違う。箱根駅伝である。私の在校時には「参加することに意義」というレベルだったのだが、近年指導者が変わりチームも一変、上位を狙えるチームに成長した。テレビ画面に登場する機会が多くなると興味を感じるものだ。競輪もそうなのだが、人力ゆえに感じる人の力の素晴らしさというものがある。

今時の若者であれば、何もこんなきつい道へ入らなくてもいいと思ってしまうが、多くの人が自由きままに過ごすこの正月に寒い中険しい道を走るとはただただ感心するばかり。後輩に敬意を感じる機会はなかなかないが、鍛え抜かれた体力と精神力はこの時代に生きている若者とは思えない。

平地を走るだけでもすごいのだが、箱根の坂などはすさまじい傾斜で歩くだけでもしんどい。登山鉄道でさえ、のろのろとしか登れないのだ。福岡で言えば福岡と飯塚の間にある八木山峠以上のものがある。気温もさぞ寒いことだろう。
(写真は箱根登山鉄道)

2006/01/02(月) 初詣は雰囲気だけ
きのうはほぼ1日を家の中で過ごしたが、予想外に食糧の消費が進んだため、夜遅くに元日も24時間営業の近所のダイエー@グルメシティへ。本当は21時頃行きたかったのだが、酔いを醒ますのに手間取り、23時過ぎになってしまったのが失敗。めぼしい生鮮品などはほとんど売り切れ。元日とはいえ買い物客はそこそこいたようだ。

その理由のひとつは、店のすぐそばに箱崎宮があることだろう。福岡でも屈指の初詣客の多さで知られているが、さすがに深夜になると少なかろうと立ち寄ってみると、福岡競艇場の無料カレンダー配布のとき以上に長蛇の列ができていたので回避。家から5分ほどのところなので、お参りなどいつでもできる。特別安いものを買うとき以外長時間並ぶのはご免だ。御利益があるのなら、毎年ここへ監督や選手が揃って祈願に来るホークスが2年連続であんな優勝の逃し方をするはずはないだろう。

放生会のときは夜遅くまで露店が営業しているのに、初詣の営業スタンスは違うようで、人出はそこそこあるのに閉まっている店が多かった。参道より境内に人が集中しているのはそのためだったかもしれない。折角何十年かぶりに初詣というものに来て見たが、未遂に終ってしまった。賽銭を入れなかっただけましか。本当は買い物のついでに寄っただけだし(^^;)

2006/01/01(日) 奇跡的に
大晦日と元旦の2連休となった。そもそも大晦日だけが休みだったのだが、職場の後輩が元旦に私の代わりに出てくれることになり連休となった。サービス業に転じて久しいが、この時期に連休した記憶は遠い二十代の頃だったと思う。

実はこの後、4日、5日も連休が決まっているので、松の内に連休が2回もあるという、まさに盆と正月がいっぺんに来たような勢いだが、どこかへ出かけるのはそのときにして、元旦はじっくりと家で過ごすことにした。写真のように頼もしいお供は揃っている。氷や炭酸、ミネもたっぷりある。

一歩も外に出ずに過ごしてやろうではないか。学生の頃のように、吐き気がするほど眠るのもいい。携帯電話以外、電話の線も抜いてしまおうと思う。明日の夕方までは完全ヒッキーである。


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