日常日記
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2006/10/25(水) 壬生寺の二つの顔
新世界近くの動物園前駅から地下鉄御堂筋線で梅田へ出て阪急電車に乗り、向かった先は京都の四条。先祖の墓参りに壬生寺を目指した。京都の壬生寺といえば新撰組の初期の一部隊士が眠る地としても知られていて、日曜ということもあって観光客が集まっていた。

地元の人の話では新撰組の墓参りには若い人が多いということだったが、事実若い人しかも女性が多かった。写真は新撰組愛好会とおぼしき「<誠>羽織」を羽織った人と記念撮影を行う女子高生の集団。単に沖田総司がかっこいいとか、大河ドラマにかぶれたという手合いではなく、歴史認識の造詣の深さを伺わせるディープな会話が時折漏れてきた。こういう女子高生となら、メル友になってもいいかも(笑)。土産物店店頭の新撰組ピンバッチのガチャポンでは、シークレットの芹沢鴨を引き当てて黄色い声を上げていた。新撰組を描いた司馬遼太郎も子母澤寛も、まさかこんな若い婦女子が新撰組の墓参に集うなど思いもしなかったのでは。

壬生寺に眠る11人の隊士の名前の中に、謎の人物がひとりいる。その名は田中伊織。識者の間では3人いた局長のひとりで水戸派の新見錦の別名という説が濃厚らしい。近藤勇も晩年は大久保大和と名乗っていたように、人の上に立つものはいずれ狙われるという宿命にあるようだ。私の先祖など一般人が眠る納骨堂は、新撰組関連のものがある壬生塚と反対側で、併設の老人ホームなどの建つ一角にある。その静けさといったらあまりに対照的で、90年以上長生きした先祖と、太く短く生きた隊士たちとも対照的だなどと考えながら焼香した。


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