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2006/03/07(火)
玉子について考える
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給料日直前に旅行に出ることが決まり、先月から粗食の日々が続いている。我が家の食糧庫が底をつくまで食品を補充しないこととし、米がなくなってからはカップ麺の日々が続いたが、せめてトッピングくらいはと日曜に玉子(鶏卵)を買い込んできた。福岡の有名スーパー「マルキョウ」では毎週日曜に玉子の特売をするのだが、それに釣られて他のスーパーでも玉子の特売が多い。今週はマルキョウの近くを通らなかったので、サニーで調達。サニーの玉子はMS玉だったので、今度からL玉のマルキョウへ行こうと思った(^^;)
私くらいの世代では玉子はスーパーで安売りをする手軽な商品という印象だが、年長者にとっては貴重品であるようだ。「玉子は一つの命であるから、有難くいただかなくてはならない」とは、若かりし頃にある道の師匠から教わったことだが、毎週98円で買えると思うとなかなかそうは思えない。いくらや数の子、トビ子など夥しい数の卵を目の当たりにすると、さすがにこれだけの卵を消費して生態系は大丈夫なのかとふと考えたりもするが。
確かに玉子は貴重な存在である。天神にあるみすず庵のカレー丼などは、真ん中に玉子が乗っているだけで妙に有難い気分になるし、雑炊だって玉子があるとないとではグレードがかなり違う印象だ。そして玉子かけご飯に至っては、シンプルイズベストの究極のような気もする。最近では玉子かけご飯専用のしょうゆも売られているとか。
やはり玉子の存在は大きい。たとえばチキンラーメンの玉子のあるなしは、在来線に特急券が付くか付かないかくらいのグレードの差がある思いがする。日々の粗食のこんな機会にこそ、これも命だということを肝に銘じて有難くいただかなくてはならない。鳥インフルエンザもひと段落し、ふたたび特売価格で手軽に入手できるようになったことも、養鶏業者や飼料会社の方々の苦労を考えなくてはなるまい。
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