日常日記
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2006/04/20(木) さよならふるさと銀河線
人は生まれてくる時代を選べないが、昭和40年代前半に生まれた私はわりと幸運だった部類ではないかと考えている。まず食べる物や生活必需品に困ったことはない。バブル絶頂期に大学を出ることになり最初の就職はすんなりと決まったし、十代の頃にウォークマンが登場し、ゲームウォッチや家庭用ゲームと物質的にも進化する過程を見届けるタイミングに恵まれた。通信機器もポケベルからアナログ、デジタルの携帯電話を全て体験でき、働くようになり経済的に余裕が出来だしてからOSのしっかりしたパソコンが普及し、インターネットの恩恵を存分に授かることができた。

鉄道についてもタイミング的には幸運だったと思う。今のJRは私の高校時代までは国鉄だったので、多くの路線が廃止になる間際に乗ることができたし、鉄道だけを使って旅行することが当たり前だった時代を満喫でき、今はな亡きワイド周遊券を駆使して北海道や九州など、特急(以前は急行のみだったが)に乗り放題でよく旅をした。それ以前の小学生の頃は、近郊区間内を最短距離のきっぷで、当時日本一赤字だった国鉄添田線や伊田線勝田線など筑豊の路線も随分乗ることができた。

上京して最初にした遠出は北海道への旅行だった。九州出身なので北へ対する憧れが強かったが、福岡と似て産炭地のため多くのローカル線が残っていて乗りたい路線がたくさんあったということもある。池田と北見を結ぶ池北線は最初に北海道へ上陸したときに真っ先に乗った。今日で廃止となってしまうふるさと銀河線である。ワインで有名な池田から、当時日本で一番広い面積の町足寄、記念きっぷで有名になった愛冠、真冬にはマイナス30℃近くまで下がる陸別などを通り、その昔ハッカで栄えた北見までを結ぶ、道東地区では代表的な路線のひとつで、昭和55年までは急行も走っていた。

これで旧国鉄が廃止対象とした道内の長大四線(天北、名寄、池北、標津)は、すべて姿を消してしまった。道内での鉄路廃止は1995年のJR深名線以来になるが、そのときはどうしてももう一度乗りたくて福岡からニューワイド周遊券(往復が空路)で乗りに行ったものだが、池北線もそうしたいくらい思い出深い路線だ。廃止になるからといって押しかけるのは望ましいこととは言い難いが、北海道の鉄道はその路線からしか見えない風景がある。深名線の名寄寄りなどは付近に道路すらなく、あの車窓は実際に乗車しなければ見ることができなかった。廃止間際に乗ったら鉄道ヲタクだらけで旅情どころではなかったが(-_-;)

願わくばあと十年ほど早く生まれていれば、昭和30〜40年代に廃止になった路線もさらに乗ることが出来たろうが、多くを望んでもきりがない。周遊券という1枚のきっぷで雄大な北海道を旅行できたことは遠い昔のことになりつつあるが、その記憶の中で池北線は忘れがたいもののひとつだし、それを思い出すとき、恵まれた年代に生まれたものだとしみじみ感じてしまうのである。


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