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2006/05/18(木)
煙に巻かれてしまうのか?
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また煙草を値上げするらしい。日常的に吸わないので関係ないといえばそれまでだが、旅に出たりすると旅情にかられて吸うことがあり、そのときにかりそめに喫煙者の立場になるわけだが、おそろしく肩身が狭くなっていることに気づく。空港の待合所などがその典型的な例で、狭いガラス張りの一角に押し込められ、企業戦士たちや腕の立つ職人などが、まるで実験用モルモットのように煙に巻かれている。
煙草をやめたのはまぎれもなく経済的な理由だ。今の生活で、月に1万円小遣いが増えるかその分失うかを選択すれば、間違いなく小遣いが欲しい。煙草をやめて小遣いが増えるならそちらを選ぶ。健康的な面は二次的である。起き抜けのノドの不快感や、部屋の壁紙の汚れや、火の元の心配など片付くことが多いのも事実だが。
最近の世の中はおかしい。千何百年と続いてきた人間としての習慣が失われつつある。挨拶をするということ、感謝や礼を示すこと、働くことなど、ほとんどの人間がこれまで出来ていたことが、今のかなりの数の人間ができなくなりつつある。喫煙もそうなるのだろうか。千何百年間も守られてきた習慣を、この僅か何年かの間に潰そうとしている。このまま課税を続ければ、煙草文化は滅び行くばかりだろう。税金を集めたければ、出鱈目な運転や放置をする自転車の運転者からや、罰せられないとわかっていて交通違反をする歩行者からでも巻き上げればいくらでも集るはずだ。
体に悪いことをやめなくてはならないのなら、塗料を扱うのもいけないし、猫と暮らしてもならないし、テレビを一定時間以上視聴するのも許されないことだ。人間らしい行動の一端である喫煙が、たった何年かの社会の流れによって抹殺されはしないか心配である。 (写真は福岡交通センターの喫煙所)
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