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2006/07/30(日)
待合
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この日記は職場で読まれている方が多いようなので、硬いネタは平日に、軟らかい内容はなるべく週末に書くようにしているが、今日はおとといに続きまた風俗ネタをひとつ。
人には見せたい部分と見られたくない部分があると思う。特に本音と建前がしっかり社会の中に確立しているこの国では、トイレはしっかり囲いがしてあるようなのを見てもそう感じる。中国の扉なしトイレは別としても、米国でも昭和40年代までシカゴの百貨店のトイレに扉がなかったと小田実の「何でも見てやろう」に書かれていたし、今でも外国の空港のトイレなどは、扉が短くひざ下が外から丸見えというトイレが多い。
用を足したり、夜の営みなど決定的な場面は別として、日常の行動の中でも知り合いには見られたくものがある。殿方の場合は、ビデオ店のアダルトコーナーで知り合いに会うのは気まずいだろう。その話題を語り合うほどの仲ならばともかく、一般的にはアダルトなパッケージを凝視しながら真剣に物色している姿など、家族や職場の同僚、友人などには見られたくなかろう。
もっと気まずいのが、風俗店の待合室ではないか。別に世に背いた行為ではないとは言え、愚息の角度を上げながら好みの嬢を待つ姿はあまり誇らしく見せられたものではない。ソープにしろヘルスにしろ、待合室が個室になっている店は稀。新たに入室者が来ると当然視線は入口に向くので、知人がいればバレるのは必至。私がいた店では某地元局のアナウンサーや芸能人など、人目を特に気にする方はマジックミラーでバリアされた一室で待機してもらっていた。写真はある人気店の待合室だが、長椅子がいくつか並び漫画や風俗情報誌が置かれている。店によってはテレビやホームシアターもある。
気の利いた店だと紙おしぼりや爪きりなどもあるが、独特の空気が流れていて筆舌尽くしがたい世界である。案内を待つ心境というのも独特。これは経験した者でないとわかるまい。待合という言葉には、芸者を呼んで待つ場所という意味合いもあるが、言語学的にその歴史を継承する貴重な場所であるかもしれない(笑)
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