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2004/09/10(金)
自宅の中心で歪んだ愛をさけぶ
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ドラマ「世界の中心で愛をさけぶ」の最終回だけをエンディング直前にちょっとだけ観ました。原作も映画にも特に興味が無かったので(いや正確には映画「タイタニック」と同類の苦手度あり)第1話から全く観ていないドラマです。
今朝から昼までTBSの番宣が余りにもしつこかったせいか摺り込まれてしまったのかもしれません。というよりTV放映の映画「ベイブ〜都会へ行く」が観終わった流れでチャンネルを変えただけだったり(死)
今日のこの酷いコキオロシっぷりには理由があります。
映画がブレイクしたのをきっかけに、いろんな情報番組で取り上げられたこのセカチュウ。「セカチュウ」という強引な略称でムリヤリ流行らせようする姑息さもさることながら、このタイトルを「今までに耳にしたことの無い斬新なタイトルが人気の要因でしょうね」と絶賛しているのを聞いてからは、興味が無いというよりも嫌悪感しか芽生えませんでした。ここまでくると宣伝というよりホメ殺しです。
最初に「世界の中心で愛をさけぶ」という作品タイトルを知った瞬間、私の脳裏に浮かんだのはあれ?エヴァンゲリオンの最終回?という印象でした。ただし正確には「世界の中心でアイを叫んだけもの」です。
まあリスペクトとかオマージュとか、便利のよい理由でソレにしたんだろうな〜というだけで終わっていたことなのに、畳み掛けるように過剰な宣伝効果のおかげで私の印象は最悪な形で残ってしまったわけです。もちろん「セカチュウ」という作品内容そのものに罪はありません。
しかしよくよく調べてみるとこのエヴァのタイトルにも元ネタがありました。ハヤカワ文庫/ハーラン・エリスン著「世界の中心で愛を叫んだけもの」というSF作品です。
ということはエヴァの最終回放映直後にも「タイトルおもいっきりパクっとるやないか!」と自宅の中心で愛を叫んだSFファンがいたのかもしれません。
そういや映画「華氏911」のタイトルも元ネタはSF作品「華氏451」のパクリだと糾弾されていましたっけ。ちなみに華氏451という温度は紙の燃え出す発火点なんだそうです。へえ〜。
というわけでセカチュウに対する印象の悪さは過剰な番宣が原因なわけですが、それはともかく山田孝之の17年後が緒形直人ってのは無理がありすぎやしないでしょうか。同じ原人系ならせめて織田裕二あたりにして…
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