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2005/06/03(金)
情けは人の為ならず?
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ニュースで大掛かりな募金詐欺グループの摘発を聞いた瞬間、憤懣やる方ない思い出が蘇ってきました。事の始まりは中〜高校生ぐらいの頃の話です。
家族で初詣に出かけた時のこと、元日の大きな神社は人で溢れかえっていました。お参りをしようにも、ひしめきあう人波に押されて賽銭箱に近づくことさえままなりません。
そこで母が「じゃあお参りしたつもりで、募金箱に寄付しようか?」と提案してきました。私と弟は二つ返事で「うん、いいね!」と快諾。特に疑問に感じることなく手近な募金集団らしき男性が持っていた、「募金袋」の文字がペン書きされた紙袋にお小遣いの小銭を投じてきました。
深夜の帰り道で弟と白い息を吐きながら「お参りでけへんかったけど、どこかで誰かの手助けになるんやったら気分いーよね♪」と話したのを憶えています。
その後、数年経ってOL時代のこと。花見宴会の席で、大卒の男性新入社員からとんでもない思い出話を耳にしたのです。
「僕ら学生時代はねー、花見の酒代が足らんようになってきたら後輩に、「募金箱」てペン書きしたビール箱を抱えさせてねー、街頭を歩いてる人達に『恵まれない子に愛の手を!』て頼んでこい!言うて調達させたもんですわ。ま、この場合は酒代に恵まれない僕らに合いの手を!ちゅうとこですかな?うわはははははは!」
その場は盛り上がりましたが、私ひとりは苦々しい思いでその話を聞いていました。おそらく昔、私たちが募金した人も同じような輩だったに違いありません。茶封筒に油性のペン書きでしたから。
それからは見た目で判断しての募金協力を行う程度なんですが、今回の事件のようにグループでユニフォームや印刷物まで揃えての詐欺となると判断しようがありません。もしかするとメンバーの中には騙されて手伝っていた人さえいるのかも。
いずれにせよ一連の募金詐欺行為をする輩には、刑事罰よりも本物の募金活動という奉仕刑が必要に思います。今回の事件のせいで道行く人から「お前ら募金ったって、どうせ詐欺だろう?」と、いわれのない謗りを受けている善意ある活動者たちの悲しみの一端でも感じさせるべきなんです!うがー!
古傷のせいで、ちょっと熱くなってしまった…ぷしゅ〜
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