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2004/04/13(火) 幸せであるという不幸
私が自身を看護師に向いてないとする理由の最も大きなものは、
『他人の気持ちが分からない』
ということだったりします。


以前、級友のお父さんが突然お亡くなりになるということがありました。
担任はその事実を泣きながら伝え、それを聞いて泣いてしまった級友もいました。
私はというと、何も感じていませんでした。
その光景を見て、なぜ泣くんだろう?と不思議に感じていました。
ですから、お葬式にも参列しませんでした。
意味も分からないまま手を合わせても、意味がないと思ったからです。
今思うと、お父さんが亡くなったその子はとても辛いだろうな、と共感して泣いていたのではないか、と思います。

私はこの『共感』ということがとても苦手なのです。
『その人の立場になって考えなさい』といつも教えられてきました。
でも、私はいつだって客観的過ぎるのです。
いつだって我関せず、結局は他人事にしか思えないのです。

『その人の立場になって考える』ためには、ある程度似通った体験をしていないと無理だと思います。
想像はあくまで想像です。
そしてそれはその人の能力によって限界がある。悲しいけれど。
結局、手首を切る人の気持ちは切ったことある人にしか分からないし、
大切な人を失う悲しさは大切な人を失ったことがある人にしか分かりません。

そして、私は身内が死んでも泣かないような気がするのです。
いや、父や母、兄ならば泣くかもしれません。でも、祖父母では泣かないような気がする。
だって彼らはきっと近いうちにそれが訪れるだろうことが、分かっているから。
そういえば田口ランディ氏も同じようなことを書いていて、とても安心した覚えがあります。
(だから私は田口ランディが好きなのです)

でもいくら考えたって答えがでるはずがありません。

だって私は不幸なことに、不幸なことがなかったのですから。


BGM# くるり「WORLD'S END SUPER NOVA」


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