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2004/06/28(月) せつないもの
わたしは「むねがぎゅうとなる」という表現をよく使うのですが、
それは実際にわたしが「むねがぎゅうとな」ってむねの辺りが痛い、ということを経験したことがあるからです。

そしてそれはいわゆる“せつない”という感じを抱いたときに起こります。
おそらく血管が収縮して一時的に血液の流れが悪くなるから痛みを感じるのではないか、と思うのですが。

別にわたしは狭心症などの心疾患はありませんが、
胸の真ん中の胸骨の奥あたりが「ぎゅう」となって、ひどくひどく痛むことがあるのです。
たまに息すら苦しくなって、時に涙を喚起します。


しかしなぜ神経回路は丁度むねの位置辺りの血管を収縮させて、痛みを感じさせるのでしょうね?
それは一体、何のために必要だったというのでしょう?

とてもとても不思議です。


感情が湧き出るところを、わたしたちは「こころ」と呼んでいます。

こころは心臓である・心臓にある、とは思わないけれど、
確かにその辺りが痛むことがあるのです。

やっぱり、とてもとても不思議です。



こういう日々感じるものの謎を解明してほしいなぁ。


BGM# クラムボン「便箋歌」

2004/06/22(火) よろこぶおこるかなしむたのしむ
店長に発注が甘いと注意されて、少しムッとしました。
『じゃあやり方や発注時の注意点を教えろよ!』と心の中で思いました。
思えばあの店長は色んなことが大雑把でわたしは大変苦労をしているような気がする、とか
なんでバイトのわたしがこの店で一番長時間働いて一番多くの仕事をこなしているんだろう、とか
なんで葉や棘の処理をしないでしかも長さや色さえ揃えないでドライフラワーを作るんだろう、とか
それをわたしが全部整えて吊るし直していることに気付いているのかなぁ気付いていないんだろうなぁ、とか
そういうあまり関係のないことまで思いついてイライラしていました。


でも、少し時間が経ってから
あぁ、これは自分にとって良い傾向なんじゃないだろうか、とふと思いました。

なぜなら、それまでは注意されて他人に対して苛立ちを抱くことはなかったからです。
いつもいつも自分を責めてばかりいたからです。

数ヶ月前のわたしならば、注意されたら
『あぁわたしはなんてダメな人間なんだろう』と心の中で思っていたような気がするのです。


どうやらわたしはこの数ヶ月間で、「怒る」という感情を取り戻したようです。

怒ることや悲しむことは、一見、無い方が良いようにも思えます。
でも、やっぱり無いとだめなんだと思います。
感情というのは、喜怒哀楽の四つがあって初めて、バランスがとれるのだと思います。


生きていく上で大切なものはバランス感覚なのではないか


最近、よく思っています。


BGM# aiko「かばん」

2004/06/14(月) こわれもの
例えば、


映画やテレビを観たり、本を読んだり、音楽を聴いたり、
ひとを見たり、ひとと触れ合ったり、ひとと話したり、
優しくされたり、悔しかったり、苛立ったり


する、そんなとき。


そんなときにわたしがよく

涙を溢してしまうのは、


感受性が豊かだとか、こころが繊細だとか、

そういうことでは一切、なくて。



わたしがあまりにも愚かで、

こころが弱い。



それだけのことなのだと、思う。



ただしくまっすぐなものをうけとめてもこわれないじょうぶなかいながほしいのです


BGM# 浜田亜紀子「しずく」

2004/06/01(火) ことだま
わたしが「ことばには魂がある」と思うようになったのは、そう遠くない昔のことです。


以前、わたしはわたしの小さなトラウマを元にした作り話を、笑い話として話しました。
きっと相手も笑ってくれるだろう、と思って。

そうしたら相手のことは、本気でわたしのことを心配してしまったのです。
そんなに心配されるとは思ってもみなかったわたしは、
「あの話は嘘だよ。作り話だよ」といいました。

するとその子から返ってきた言葉は、「最低」の二文字でした。


わたしはそれまで、自分は言葉を巧みに操っていると思っていました。
わたしが選んだ言葉は、間違いなく自分の思った通りの意味で相手に伝わっていると思っていました。
でもそれは違った。どこかで意味が変化していた。

変化する。それは生きているということだ。

魂があるということだ。


そう気づいた瞬間、わたしは怖くなりました。


それからのわたしは、話すことが怖くなってしまいました。
特に、自分の気持ちを話すことが、怖くなってしまいました。
わたしの気持ちが言葉によって変化して伝わるのが怖くて、必要以上に言葉選びが慎重になりました。

この言葉の意味はこれで正しいのだろうか。
もっと相応しい言葉があるんじゃないか。
もっともっと、違う言葉があったはず。わたしはそれを知っているはず。
思い出して思い出して。
チャンスは一回しかないんだ。だから間違ってはいけない。


言葉の選択を間違っては“絶対に”いけない。


そんな思いがわたしの中で渦巻いて、
何度も何度も反芻し、推敲するのです。
喉まで出かかっては、引っ込めるのです。


そうしているうちに、今度は相手が痺れをきらしてしまいました。

「話してくれなきゃ分からないよ」、と。



お願いだから、待っていてください。
わたしが言葉を選べるまで、待っていてください。
わたしはただ、間違いたくないだけなのです。


あなたを、傷付けたくないだけなのです。



わたしが話すことよりも書くことを好むのは、この所為なのかもしれません。



    大事な言葉を何度も言おうとして
    吸いこむ息はムネの途中でつかえた
    どんな言葉で君に伝えればいい
    吐き出す声はいつも途中で途切れた
               (スガシカオ「黄金の月」)


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