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2004/06/01(火)
ことだま
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わたしが「ことばには魂がある」と思うようになったのは、そう遠くない昔のことです。
以前、わたしはわたしの小さなトラウマを元にした作り話を、笑い話として話しました。 きっと相手も笑ってくれるだろう、と思って。
そうしたら相手のことは、本気でわたしのことを心配してしまったのです。 そんなに心配されるとは思ってもみなかったわたしは、 「あの話は嘘だよ。作り話だよ」といいました。
するとその子から返ってきた言葉は、「最低」の二文字でした。
わたしはそれまで、自分は言葉を巧みに操っていると思っていました。 わたしが選んだ言葉は、間違いなく自分の思った通りの意味で相手に伝わっていると思っていました。 でもそれは違った。どこかで意味が変化していた。
変化する。それは生きているということだ。
魂があるということだ。
そう気づいた瞬間、わたしは怖くなりました。
それからのわたしは、話すことが怖くなってしまいました。 特に、自分の気持ちを話すことが、怖くなってしまいました。 わたしの気持ちが言葉によって変化して伝わるのが怖くて、必要以上に言葉選びが慎重になりました。
この言葉の意味はこれで正しいのだろうか。 もっと相応しい言葉があるんじゃないか。 もっともっと、違う言葉があったはず。わたしはそれを知っているはず。 思い出して思い出して。 チャンスは一回しかないんだ。だから間違ってはいけない。
言葉の選択を間違っては“絶対に”いけない。
そんな思いがわたしの中で渦巻いて、 何度も何度も反芻し、推敲するのです。 喉まで出かかっては、引っ込めるのです。
そうしているうちに、今度は相手が痺れをきらしてしまいました。
「話してくれなきゃ分からないよ」、と。
お願いだから、待っていてください。 わたしが言葉を選べるまで、待っていてください。 わたしはただ、間違いたくないだけなのです。
あなたを、傷付けたくないだけなのです。
わたしが話すことよりも書くことを好むのは、この所為なのかもしれません。
大事な言葉を何度も言おうとして 吸いこむ息はムネの途中でつかえた どんな言葉で君に伝えればいい 吐き出す声はいつも途中で途切れた (スガシカオ「黄金の月」)
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