ただいま休止中!
なつかしい給食を思い出してください
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最新の絵日記ダイジェスト
2005/11/30 フライドチキン
2005/11/29 のりとあさりの佃煮
2005/11/28 そぼろごはん
2005/11/27 肉炒め丼
2005/11/26 豆腐の中華煮

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2005/02/28(月) ゼリー
ゼリーも多かったです。私にとって思い出がありまして、コーヒーゼリーとワインゼリーでした。父ってあまりワイン飲まなかったのでワインってたまにお正月お客さんが来ないとなかった物でした。だからワインゼリーってとても新鮮でした。コーヒーも父が大嫌いだったので家でコーヒーは飲んだ事ありませんで...私が飲み始めたのが高校くらいかな?この2つには共通アイテムがあって、生クリームをかける事だったのです。この生クリームの量で給食では揉め事の始まりとなります。写真はチョコゼリーです

2005/02/27(日) 白玉
デザート攻撃したいと思っております。何度も言いますが私の子供の世代って甘い物に飢えていた時代、だから甘いデザートメニューがうれしかったです。まずは白玉です。果物が缶詰系が多かったですけどカラーリングでもう嬉しかった思い出があります。白玉系って多いですね...

2005/02/26(土) ウナギ
土用丑の日ってありますがその日はウナギを一般的に食べます。でも給食のコストだとウナギって...確かに今は中国から安く輸入で手に入りますが高いです。でもやりくりして出しました。ウナギ...給食でウナギ出るって快挙です。アワビや平目とか米沢牛とか出るのはいつの日か...

2005/02/25(金) 管理栄養士
学校給食法には必ず管理栄養士さんによって給食メニューを作るという項目があります。管理栄養士って給食をやっている学校には必ずいます。ただ、2〜3校に1人とか市や町に1人兼任というところが多いようです。よって給食メニューは栄養士さんが決めているのです。脂肪、たんぱく質、ビタミン、炭水化物とか...あとは予算もありますので、これで苦労されております。私の小学校では小学校3年の時と6年の時に栄養士さんが変わりました。公務員だから転勤や異動は当たり前と言ったらそれまでだが...私は小学校1、2年の時の栄養士さんのメニューが好きでした。手がちょっとこんでいて...その時の栄養士さんは確か30代の方でした。でもその後20代の栄養士さんはアイデアがすごくてわが家では絶対お目にかからない物が出ましたから...写真は魚のマリネです!マリネって...小さい時知らなかった(〃/0\〃)ハズカシイ

2005/02/24(木) サンマのエスニックソース
サンマのエスニックソース!ハイカラだねぇ...私の小学校の栄養士さんは20代でした...だから発想は斬新でしたよ!それは翌日の問題提起型の日にしよう...彼女もすごかった。ホイル包み揚げとかタンドリーチキン、ガーリックやマリネとかいろいろアイデアで勝負してくれました...エスニックソース!昭和30、40年代には当時すごい発想のソースがありました。オーロラソース!!このオーロラと聞くだけで南極や北極しか見られない包まれたきれいなベール状の自然現象に似たソースだと思うがとんでもない!マヨネーズとケチャップを混ぜた合わせ技なのだ!例えばクジラのオーロラソース和えなど...当時、ドレッシングも市販がなかった時代、荒業だ!家庭でもオーロラソース作れます。味は...マヨラー(マヨネーズ好きの一般的呼び名)にはたまらないと思います
 さんまのエスニックソースは作ったことがないのでイワシ団子のエスニックソースの作り方、材料
いわし4尾、万能ネギ大さじ6、揚げ油適量、白髭ネギ適量
A(調味料)塩こしょう少々、しょうが汁大さじ1、ごま油小さじ2
B(エスニックソース)ヌクナム大さじ3、さとう大さじ3、しょうが汁小さじ3、レモン汁大さじ2分の1、水大さじ3
 作り方
1.いわしは流水でよく洗いうろこを取ります。えらのすぐ後ろに指を入れ、腹の方に折り、頭を静かにひいて内臓も一緒に取り出します。手で開いて骨をはずし、左右の腹骨を包丁で薄くすき取ります
2.尾をはずし、身を粗くぶつ切りにしてからさらに細かく包丁でたたきます
3.2にAの調味料、万能ねぎを加えて混ぜ合わせ、一口大に丸めて70度の油でカラっと揚げます。
4.Bの調味料を混ぜ合わせ、ソースを作ります。
5.イワシ団子を器に盛り、白髪ねぎと香菜を散らし、4のソースを添えます。

2005/02/23(水) えいちゃんシンポジウム 〜今と昔の給食...現在の給食とはその2〜
バイキング給食の他に生徒がハンドメイドする給食や食材の野菜を自ら育てて作った給食、親が普段食べている給食を一緒に食べる給食、他の学校と交流を深める給食、アウトドアの青空給食などいろいろある。給食はその地域の教育者とPTAのアイデアによって進化しているのだ!都会では田舎では味わえない給食や田舎しか味わう事ができない給食もある。21世紀の給食が今後どうなるか楽しみだ!写真は青空給食の用意風景です

2005/02/22(火) えいちゃんシンポジウム 〜今と昔の給食..現代の取り組みその1〜
今の給食は変わった...まず、勉強するスペースと給食を食べるスペースが違うのである。少子化の上に空き教室が出現したので...私の時代は教室足りないとプレハブの教室もあったくらいなので...この食べるのものスペースができた事で衛生面など改善でき、バイキング給食というものが生まれた。このバイキング給食とは好きなものを好きなだけ取って食べる給食で残す事なく、好きな物も取れる一石二鳥な給食だ!まだ全給食ではなく月一回とかしかできない地域もあるが人気のある給食である。選べる給食が私の頃では想像もできなかった出来事なのだ!

2005/02/21(月) えいちゃんシンポジウム 〜今と昔の給食その2〜
給食は昭和30年代、40年代とそれほどは変化はないが洋食が増えてきたようです。昔はごはんに合ったメニューが多かったのですから...スプーンも先割れスプーンやメラニン食器やアルマイト食器も増えてきて、量全盛期を迎えます。学校も戦後直後の出産ラッシュの子が産んだ世代がまた出てきて教室も足りない学校も出てきました。昭和30年代40年代はバタバタしていた時期にもあたります。授業も詰め込みだったし...ゆとりなどなかった時代で、好き嫌い、アレルギーなど関係なかった時代でした。昭和50年代になり文部省がゆとりという言葉を使い始めたのです。昭和50年代後半になって、やっと生徒数が減り本当のゆとりもでてきたのでしょう。写真は昭和39年の復刻給食です

2005/02/20(日) えいちゃんシンポジウム 〜今と昔の給食その1〜
昔の給食の定義はお腹いっぱいにするでした。当時敗戦の日本でお腹いっぱい食べるという事はできなかった。そこで生まれたのが米軍の配給の小麦粉をいかしたパン給食でした。これも配給をいかした脱脂粉乳という悪名高い今の牛乳のような物を飲んでいました。ある本には昭和45年頃まで脱脂粉乳を使っていたそうです。切り替え時は牛乳もある程度低価格で入れられるようになって、生の牛乳を入れたのです。パンも当時はコッペパンだけでしたが今は食パン、蒸しパン、クリームパン、クロワッサンといろいろ出てくるようになりました。おかずもメインの他に副菜とか出るようになり、量から質重視になってきたのです。写真は蒸しパンであります。
 蒸しパンの作り方(作った事がないのであるHPより抜粋)、材料
小麦粉200g、さとう50g、塩少々、ベーキングパウダー小さじ2、エバミルク大さじ3、ラード15g、水大さじ4
 作り方
1.小麦粉とベーキングパウダーを合わせてふるい、ボールにみず・砂糖・エバミルク・塩・ラードを入れて混ぜた中に加えてまとめる
2.1を5mmくらいの厚さにのばして油を塗り、手前から巻いて3cm長さに切り、切り口を上にして切りゴマをふり、手で軽く押さえておく
3.2をオーブンシートの上にのせて10分くらい強火で蒸す



2005/02/19(土) 地元の郷土料理
郷土料理って以外と作らないお母さんもいます。よってこれがわが地域のメニューという位置付けが必要になったのです。外食、コンビニ弁当では地元の郷土料理って出ませんしね...この志向って平成になってからの試みみたいです。写真は石狩汁です
 石狩鍋の作り方、材料
鮭(甘口)2切れ、じゃがいも2個、長ネギ2分の1個、こんにゃく2分の1枚、だし汁5カップ、味噌大さじ4
 作り方
1.鮭は食べやすい大きさに切ります。じゃがいもは4つ割りにし、1センチ厚さのいちょう切りにします。長ねぎは1.5センチ幅のぶつ切りにします
2.こんにゃくは手でちぎり、熱湯に入れてさっと下ゆでし、ざるに上げておきます
3.鍋にだし汁と鮭、じゃがいも、こんにゃくを入れて強火にかけ、煮立ったら中火にしてあくを取りながら10分煮ます
4.じゃがいもに竹串を刺して柔らかくなったら長ねぎを加え、ひと煮立ちしたら2〜3分煮て味噌を溶き入れます

2月絵日記の続き


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