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2011/12/14(水)
★忠臣蔵 ★石内蔵助
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今日は暖かくて過ごしやすい1日でしたね。 こんな日が続いて欲しいけどなあああ。 年末にかけて寒い火が続きそうです。
今日14日は赤穂浪士討ち入り、忠臣蔵の日。 「今夜はヒストリー 忠臣蔵なう」を見ていました。
★忠臣蔵
日本人なら誰もが知ってるあだ討ち物語。^^;;
【1702(元禄15)年のこの日、赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げた。
1701(元禄14)年3月、江戸城松之廊下で、 播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩[あさのたくみのかみながのり]が、 幕府の礼式を司る高家[こうけ]筆頭の吉良上野介義央[きらこうづけのすけよしなか]に 小刀で切りかかるという事件が起った。 浅野には即日切腹、領地没収という厳しい処置がとられたが、 吉良には一切のお咎めがなく、これが事件の発端となった。
家臣たちは主君の仇を討つ為に綿密に計画を練り、 翌年12月14日寅の上刻(現在の暦法では15日午前3時ごろとなるが、 当時は日の出の時間に日附が変わっていたので14日となる)、 大石内蔵助[おおいしくらのすけ]の率いる47人が、 本所の堀部安兵衛宅に集まり、そこから吉良邸へ討ち入った。 2時間の戦いの末、浪士側は一人の死者を出さずに吉良の首を取ることができた。
世論は武士の本懐を遂げた赤穂浪士たちに味方し、 幕府は翌年2月4日、一同切腹という処置をとった。
この事件を題材として、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』等100種にも登る作品が作られ、 現在まで語り継がれている。】 ネット検索サイト「今日は何の日」より。
雪が深深と降る夜中に「山」と「川」との意言葉で吉良邸を目指す47士。 鳴らすは山鹿流陣太鼓! 何度も映画・ドラマ化された日本人の大好きな物語です。
★石内蔵助
逸話も多く残され、歌謡曲でもいっぱい歌われていますね。 中でも石内蔵助と堀部弥兵衛はその中心人物。 高田馬場のあだ討ちと、 敵を欺くために阿呆のマネをした内蔵助と大石の話は知らない人はいないほど。
今年も鏡五郎が「大石内蔵助」を10月末にリリースしました。 練習してDAMともで公開しようと思ったけど、ムズイ。^^;; おいら、セリフは得意なんだけどね。^^;;
1. 松の廊下の刃傷を 国へ知らせる早飛脚 殿に殉じて切腹か 城を渡して浪の身か 揺れる家中を前にして ひとり思案の石内蔵助
「殿に忠節を誓い、藩の行く末を憂う各々がたのご心底、しかと見定め申した。 二心なき証拠の血判押したる連判状と各々方のお命は 赤穂藩城代家老大石内蔵助良雄(よしたか)しかとお預かり申す。」
2.問わず語らず胸の内 妻に持たせた離縁状 他人の謗りを背に受けて 廓通いの撞木町 うつつ抜かすもやがて成す 秘めた大志の隠れ蓑
「雌伏一年十ヶ月、亡き殿の仇を討つ日がついに参った これより吉良邸へ討ち入りいたす。 刃向かうもののみ切り捨てよ。
目指すは吉良上野介殿の御首(みしるし)ただ一つ 山と川との合言葉を忘れず各々方 存分にお働き召されい!」
3.殿のご無念晴らすため 武士の一分 立てるため 雪を踏みしめ吉良邸へ 赤穂浪士が四十七 今宵討ち入り大石が 打つは山鹿の陣太鼓
いいねいいね。^^;; セリフだけでも喋りたい。(笑)
この歌とセリフを覚えれば忠臣蔵のすべてがわかるね。^^;;
今日は録音に行ってちょっと疲れた。 美和明宏の「ヨイトマケの唄」はむずかったよ。^^;; 切々とした哀感を出したかったけどなあ。。。 めっちゃアレンジして歌ったから得点は60点台しか出なかった。(○゜ε^○) もう一度やり直し。(笑) ということで今日の日記は手抜きでごめんね。(_ _(--;(_ _(--; ペコペコ
では、また明日。。o@(^-^)@o。ニコッ♪
忠臣蔵の浮世絵画像をおまけします。^^;;
左 忠臣蔵:堀部弥兵衛と堀部安兵衛 歌川国貞作
右 忠臣蔵十一段目夜討之図、歌川国芳作
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