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2005/01/21(金)
ええ、泣きましたとも PART2
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昨日のつづき。 そういう自分の泣きのツボにルーツがあったのを思い出した。
小学校の頃、国語の教科書で読んだ「ごんぎつね」。 あれが最初だった。 教科書で「ごんぎつね」を読んで、ひっそり一人で泣いた。 恥ずかしいので友人には当然内緒。
理由は不明だった。先天的なものなのか? ある種のナスシストは、この手の話に過剰反応するっていう 心理学的な統計があったりするとか?
劇中でキャラクターが死ぬ。 少なくとも、私はその程度じゃ泣かない。 もうひとヒネリがないと駄目。
だいたい、キャラクターを殺して涙を誘おうとする物語の大半はクソだ。 そんなもん、ある程度感情移入の余地のある善人キャラが死ねば、 観客または読者が100人いれば、最低でも数人は泣くもんだ。 いわゆる“可哀想”系映画。
これって、物語を作る上では、もっとも安易に感動を誘う手法。 本当にグレイトな感動物語は、人を殺さずに涙を誘い出す。
で、そんな持論が崩れ去るのを恐れて、 あらすじだけ聞いても泣きそうになる「忠犬ハチ公」や、 泣きアニメの金字塔と言われる「火垂るの墓」等の “可哀想”系と思われる危険な作品には 絶対に近付かないようにしている。
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