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2005/04/26(火)
JR福知山線脱線事故
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なんとも痛ましい事故が起きた。被害にあわれた方、また遺族の方には、何とも言葉が見つからない。
泣ける。
事故原因が何にしろ、亡くなった方の命はかえらない。行き場のない怒りと虚しさが沸き立つのは俺だけではないだろう。
テレビで、救出された人が救急車から病院へと搬送されるところを見た。負傷したのは18歳の男性で、重態。病院の外では家族が救急車の到着を待っていた。 救急車が到着するや否や、父親が声をかけた。 「がんばれ!○○!がんばれ! 」 「○○ー!!」 「お父さんやぞ きこえるかー がんばれ!!」
こちらまで声をかけたくなる。 「がんばれ!」 伝わるわけも無く、見ず知らずの俺だが、心の中で声をかけさせてもらった。自然と涙がにじんだ。
テレビの報道で感情移入しつつ、傍観者であるとも自分に実感する。 大きな事故等があると、報道番組では現場の模型が作られるのは周知の通り。それも発生から短時間で電波に登場する。 俺は事故に心を痛めると共に、模型に対して感心していたりもするのだ。
9・11の同時多発テロで飛行機が貿易センタービルに突入したというのがあったが、俺の知り合いである映画監督は当時こう話した。
「冷たいこと言うようだけど、あの2機の飛行機突入は、できの悪い特撮映画にみえた。」
これは彼だけでなく、映画関係者の間では皆が一致した意見だそうだ。
これについての俺の意見はひかえるが、“テレビは事実を伝えるが、真実を伝えるとは限らない” このフレーズが頭をよぎった。
話は少しそれるが、こういう大きな心痛ましい大惨事が起こったとき、自殺願望をもっている人たちは一体どう感じているのだろうか。 自分も被害にあいたかった などと、死にたいけども、死ねずにいる自分本位の考えでいるのだろうか。。理由にもよるのだろうが、話を聞いてみたいものだ。
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