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2005/03/11(金)
消えていくもの
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私の使っている携帯電話はツーカーホン関西のプリペイドのやつで、三菱製のTD11。 かなり古い機種で、カメラ機能なんてものも付いていない。 余計なモノが付いていないので、薄くて軽いので新機種に乗り換えないでいまだに使っている。
ただ古いだけあって、メールが150件しかメモリー出来ない。 そして、メモリーの内容をPCに転送出来ない。 なので時々、古いメールを消していっている。
メールを消す時は、思い出の一部を消していく様な気がして、少しセツナイ気がする。 消したくないものは保護をかけて残しておくが、150件の制限があるので、いずれ消さなければならない・・・
メールという記録が消える事で、そのぶんだけ過去が不明確になっていく様に思う。
過去は未来と同じで、不明瞭なものかもしれない。 すぐ近くの未来は予測出来ても、遠い未来になる程予測しにくくなる様に、ちょっと前の過去は既に起こった事として確定しているが、遠い過去の事になると次第に判らなくなっていく。 ・・・記録しているものが無くなっていくからだ。
消したメールは、思い出として残るものや、他に記録をしていなければ、やがて忘れ去られて未来の出来事と同じくらいワカラナイものになってしまう。
たとえ記録していても、それが読めなくなってしまった時点で過去が実際に起こった事なのか判らなくなりはじめる。
私の携帯は2ヶ月ぶんくらいのメールしか保持出来ない。 それより昔のメールは、やがて忘却の縁の向こう側へと消えていく。
過去が消えていくのが嫌で、私は写真を撮っているのかもしれない。
<今日の写真> 朝、電柱を見上げてみる・江東区
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