keisuke's column
書きなぐり不定期コラム!!
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2004年12月
前の月 次の月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
最新の絵日記ダイジェスト
2005/11/13 このサイトで音楽の配信を…
2005/09/04 少し思った
2005/09/03 私のブログを見てくださっている皆さんへ
2005/08/17 歌いてえなあ
2005/08/11 格言

直接移動: 200511 9 8 7 6 5 4 2 1 月  200412 月 

2004/12/30(木) ギタースキル
ギターのテクニックはいくつかの種類に分類されている。

1.ストローク
2.カッティング
3.ブリッジミュート
4.アルペジオ
5.ソロワーク

このなかで自分が得意なスキルはダントツでソロワーク、スライド、チョ−キング等の表現力。ついでブリッジミュート、ストロークが対を成している。カッティングはスピードが速くなると歯切れのよさを出すことが出来ない。
アルペジオは時に間違った弦を弾いてしまう。
ブリッジミュートは安定して弾けるテンポは200弱くらいまでだと思う。
課題は山積している。
こういったスキルを向上させるには練習しかないがその練習方法が特に重要である。
もっとも効果がある方法は高い技術を持った人に教えてもらうのがもっとも確実な方法だと思う。
あとはプロの演奏の映像などを見て細かく研究し真似をする。ひたすら沢山の曲のコピーをこなすというのが効果的な方法であろう。
スキル向上にものをいってくるのは練習方法と練習時間であることは間違いない。内容の無い練習をいくらつんでもなかなかスキルは向上しないと思うし内容のある練習をしていてもその時間が少なければ伸びはさほど期待できないであろう。

自分の場合は上に挙げた方法は全て実践しているが最近練習量が足りないためか思うように最近はスキルが向上しません。。練習をし続けなければスキルは向上しないのでしっかり練習しようと思う。
今はバッキング技術(カッティング、アルペジオ)の向上とブリッジミュートのスピード、スタミナアップ、ついで速弾きの正確性、スピードアップ、ライトハンドワーク、全体的な引き出し増やしを目標に練習していこうと思っている。

最近イングウェイとドリームシアターのライブDVDを購入したがどちらも凄まじいテクニックを持ったギタリストが演奏している。ソロの凄まじき速さ、正確性、超絶技巧は圧巻である。当然ソロワークは速ければいいというものではなくスピードよりももっと重要なことはチョーキングやヴィブラート、スライドなどの感情を表すテクニックである。これが出来てなければスピードの速いフレーズを弾けたとしてもただ速いの一言で終わってしまうと思う。感情的なプレーが出来てこそ超絶技巧が引き立つというわけである。
そして感情的テクニックが身についているならよりテクニカルなスキルを身に着けているほうがレベルが高いギタリストであるといると思う。
昔友達から借りたポールギルバートの教則ビデオで彼はこういっていた。「チョーキングはギターでできるもっともクールなプレイ。他の楽器では表現することができない」。とても面白いコメントだと思う。ちなみに自分のチョーキングは95パーセント、チョッピングという技法を使ってる。このプレイは右手の腹の部分でチョーキングする弦までの弦をミュートしながら下降していく技法でチョーキングの表現力をより一層豊かしてくれるものである。

上で挙げたギタリストのプレーはある意味でギターの限界に近いほどのプレーをしています。どうやったらここまでうまくなれるのかといえるほどすばらしい。
B'zのTAKのプレイはブルースやジャズの要素が入っていて面白いと思う。
このような人達までうまくなれるとは思いませんがこういった人達を目標に練習していきたい。またいろんなジャンルに対応できるよう幅広い音楽性を身につけられるよう練習していきたい。

2004/12/29(水) 地震 津波
今日から普通にここをコラムとして使用します。

スマトラ島沖地震津波の被害は甚大ですね。現在死者は63000人に達し10万人を越えるのではないかと予想されています。
こうなったのも津波の被害というものをほとんど体験したことのない国々が被害をこうむったからです。今回の地震はM9。観測史上4番目だそうです。恐ろしいですね。
ちなみに観測史上世界最大の地震はチリ地震でM9.5です。このときの津波は18000km離れた日本に達し142名の死者がでました。
また1896年の明治三陸沖地震では38.2メートルの大津波が押し寄せ22000人の死者が出ました。
最も驚くべきは関東大震災です。1923年、相模湾を震源地にM7.9の地震が発生。死者は火災などにより14万人以上。身近なところで発生しているということもあり人事は思えません。

本当に天災とは恐ろしいものだと思います。わかっていても防ぐことができません。ただただこないでくれと願うばかりです。

日本で天災が起きようと世界のどこかで起きようと被害にあった大きな苦しみに直面すると思います。今現在スマトラ島沖地震で被害にあった人達は非常に苦しんでいると思います。
今自分が地震の被害にあった人達にできることは募金等での援助だと思います。わずかながら寄付をしようと思います。

2004/12/28(火) 暴威列伝〜8話〜
少し前の話から入るが卒コン宣伝野ステにNTT追浜が出演した。NTTは学祭後から練習を継続して行っていたため曲数も増え完成度を高まっていた。
そしてNTTにとって伝説的なGIGをすることになる。このライブでのNTTは学祭とは比べ物にならないほど進化していた。演奏楽曲は「NEW WORLD」「DESIRE」「OASIS」「遠くまで」「Summer Days」。
ミスも限りなく少なくまとまりがありメンバーも納得の会心のライブであった。さっさんのギタープレイは決まり俺のドラムも向上していた。
このライブで世にNTTここにありと知らしめることになる。
このライブ以降メンバーの結束は異常に高まっていく。自分にとって家族のような存在のバンドになった。

暴威はこの後第一回小松祭に出演することになる。しかしこのライブでは2度目のしのっち不在であった。
しかし出演しておこうと考えていた我々はドラムレスライブをやることを決意する。
ちなみにこの時期から横ちゃんバンド「カメリアーナ」に参加していた。おなじみ「THE OFF SPRING」のコピーバンドである。
メンバーVo俺、G横ちゃん、Bカバオ、Dr良君。
このバンドのヴォーカルは異常にキーが高く苦戦した。

このころ部室はまったく込んでおらず部室で歌ったりしながら時間をつぶすのが流行っていた。よく行っていたのがドラゴンボールZの主題歌「CHARA HEAD CHARA」の大合唱である笑 このとき世の中ではSMAPの世界に一つだけの花が大流行していた。俺はこのときに何を血迷ったのかこの歌の中居くんのソロの部分の物まねをしてしまったのである。
しかしこれが激似だった!?ここで馬鹿な我々はとんでもないことを思いつく。

小松祭では俺はカメリアーナ、NTT、暴威の3バンドで出演することになる。
このライブで追浜は新曲として「本日ハ晴天ナリ」を披露することになる。できは…テンポが速くなりすぎてしまった…。
ドラムの始まりのテンポの作り方やテンポキープの難しさを改めて思い知らされることになる。
暴威だがとんでもないことをやろうとしていた。この日の暴威のセットリストは「B.BLUE」「ONLY YOU」「DREAMIN.」だった。当然ドラムレス。
B.BLUEが終わった後事件は起こる。俺はMCで「それでは次の曲聞いてください。ONLY ONE!!」。どうせいつものふざけたMCだと思っていた観客は腹を抱えることになる。
始まった曲は「世界に一つだけの花」!?そして中居君の物まねを炸裂させる。その後キムタク、草薙と物まねでつなぎ最終的にサビを普通に歌い終了。客席を笑いの渦に巻き込んだ。

この後暴威は再び充電期間に入りその後3度目の正直を掴みとるため定例オーディションに向けて活動していくことになる。

次回全く暴威の出てこない追いコン編へ続く…笑

2004/12/27(月) 暴威列伝〜7話〜
暴威は次のライブでまたしても軽音史上初ではないかという暴挙をすることになる。

この年の卒コンは10バンド以上のエントリーがありどのバンドがでるのか非常に難航した。しかしそれは小杉さん兄妹企画の12.21クリスマスライブinプッペにより解消されることになる。
しかしこの企画の発案により逆に出演バンド数が5バンドになってしまう。ここであるバンドが召集されることになる、、、。そのバンドこそ我らが暴威である。しかし暴威には卒業生はいなかった。普通なら出ることは出来ない。しかし今回はバンド数が足りないため盛り上げ役の前座ということでこれを了承する。

このとき俺は卒コンに向けあるバンドに召集された。ビッグバンド「チーム菅谷」である。このバンドはMETALLICAのコピーバンドである。メンバーVo&G俺、G菅谷さん、Bカバオ、Drsしのっち。METALLICAの大好きなスーパーメタラー菅谷さんの念願かなったバンドでもあった。
演奏曲目「Hit The Lights」「Master of puppet」「Fuel」「Creeping Death」「Battery」。鬼の曲目が並んだ。
思いっきり練習をこなし本番に備えた。

卒コンの数日前、俺は風邪をひいてしまう。この風邪は卒コンの次の日に完治することになる。
この年の卒コンは、横浜CLUB24 westというライブハウスが会場だった。
暴威は学祭後に練習を開始していた「NO.NEW YORK」と「ONLY YOU」をセットリストに加え演奏することになる。この「ONLY YOU」には面白いエピソードがある。我々暴威が練習をしていると森田さん(師範)が部室に現れた。その時我々はちょうど「ONLY YOU」を演奏するところだった。そして「あなたのために演奏します」と俺がいいこれによりこの曲に「限定1名様」というサブタイトルがつくことになる。現在でもMCの時に「限定1名様」で曲紹介を行っている。

暴威だが1バンド目に前座として暴れまわる。さっさんやTATSUYAはステージをおり踊りながら演奏をしていた。この時にさっさんは一つの飛躍を覚えたといっていた。ステージングの新しい形を編み出した。俺以外のメンバーは大満足のライブだった。俺は風邪をひいていたため声の出が悪く不完全燃焼だった。
3バンド目にチーム菅谷が登場する。このバンドでもヴォーカルを勤めていたが基本シャウトだったので叫び倒したためうまくいった。この日はリードギターを菅谷さんが担当していたがギターソロの8割を俺が担当した。この日は面白いくらいうまく弾く事ができた。バンド全体的な出来も練習の成果が発揮されよかった。学祭からいい流れが続いており会心のライブだった。

終わりよければ全てよしということで俺自身すばらしい状態で卒コンを終えることになる。この調度一週間後に小杉さん兄妹企画12.21クリスマスライブinプッペが開催されることになる。このライブに暴威はブッキングを受けていた。

クリスマスライブで暴威は卒コンライブでの前座とは一転トリを勤めることになる。この日のライブであの有名なお面が製作されることになる。製作していたことを本番直前まで知らなかった俺は驚いた。さっさんが俺の顔のお面をつけ登場したのである。TATSUYAは馬の被り物をしていた。俺はロンコーにツースー、青いワイシャツを身につけていた。もはや仮装行列である。
しかしこの日のライブは俺の風邪も完治し最高のコンディションだった。ヴィブラートもばっちりだった。そして我々は暴威史上に残る名ライブ&パフォーマンスをすることになる。
この日のライブではすさまじいほど笑いが巻き起こった。俺はこの日観客としてきていた大御所よしのりさんから「若き日の桑田圭介の動きにそっくりだった。ものすごいポテンシャルを感じた」と大絶賛された。この日からよしのりさんは暴威の大きいライブには必ずといっていいほど来場してくださるようになる。
この日は「IMAGE DOWN」「PLASTIC BOMB」「NO.NEW YORK」「MARIONETTE」「ONLY YOU」「B.BLUE」「DREAMIN.」の順で演奏を行った。DREAMIN.の前には当然あの台詞をいった!もはやお決まりではあるがこの台詞はマジで会場が盛り上がる。必殺の台詞といえる。そしてこの日の事件はこの後に発生する。

ア ン コ ー ル ! ?

予測していない事態だった。ここで我々はとんでもない選択をすることになる。我々が選曲した曲は練習をしていない「Battery」!?「ギターソロ前で終わります」という俺のコメントに笑いが巻き起こった。そんな消極的なコメントは通常ありえない笑 ここで俺のノリは完全なメタル色になる。演奏が始まると俺はマイクスタンドを振り上げヘッドバンキング。そしてジャンプをした次の瞬間さっさんのギターがクリーンに………そう俺がエフェクターを踏んでしまったのである爆 これにより「Battery」の前奏の途中で暴威のアンコールは終了した笑

この後クリスマスライブ第2部で藤井フミヤの「TRUE LOVE」を弾き語りでB'zの「いつかのメリークリスマス」をAG森田さん、Vo俺で演奏した。一部の人に大好評でうれしかった。

このライブで俺を含め暴威のメンバーは2003年度を締める事になる。
このあと年始から暴威がぶちかます!?続く…。

2004/12/26(日) 暴威列伝〜6話〜
まずは脱線話から。
夏休みをバイトとブライズの練習を中心に過ごし夏休みが明け学祭シーズンがやってくる。この学祭で俺の軽音での活動は劇的に変化(活発)になることになる。学祭で暴威を含め10バンドという途方もない数のバンドに参加することになる。またこの学祭で当然足りない部分も多々あったが練習してきた成果が発揮され華開いた祭りでもあった。

参加したバンドを少しずつ紹介したい。

NTT追浜 Do As Infinityのコピーバンドである。今の軽音を代表する1バンドといってもいいと思う。メンバーVoおつこ、Gさささん、Gたまちゃん、Bカバオ、Drs俺、Keyイケメン。現在は12曲の持ち曲を持っておりうち1曲はオリジナル曲。タイトルは「君まで」作詞たまちゃん、作曲俺。このバンドは俺が始めて本格的にドラマーとして参加したバンドである。ちなみに当時の俺のドラムプレイはTそのもの爆

チノ&よっしー 神ギタリストとしさんのやっているオリジナルバンド「BEEMS」のコピーバンド。メンバー(当時)Vo&G俺、Bチノさん、Drsふりかけ氏。この後VoにJ、Gにさささんが加入することになる。
学祭ライブでは音速ギターのシェルターを演奏。正直大成功だった。今見ても聞いても凄い。必見!!

パクリまくり好き その名のとおりラクリマのコピーバンドである。俺が地蔵奏法を行ったバンドである。メンバーVoていこさんG俺、Gだいさん、BTATSUYA、Drs西君。ラクリマは演奏のクオリティーが異常に高くコピーは困難を極めた。しかし寝ずに練習した成果が発揮され成功を収める。正直必見!!俺は地蔵だけど笑

ジャムパン ジュディー&マリーのコピーバンドである。メンバーVoおつこ、G俺、G広野君(リンキン)、Bきみどり、Drs良君(forteのVo&G)。タクヤの独特なフレーズに苦しむ。2曲目の「小さな頃から」ではアルペジオのところでヴィブラートをかましてしまった…笑 結構好評で楽しくライブができた。

BRIGHT PURPLE 新人にも出演したバンドである。メンバーVoたまちゃん、G福富くん、G俺、Bさおりさん、Drs良君。この時のライブではDEEP PURPLEにくわえてエアロスミスも演奏した。俺はバッキングだったがTとしか言いようのない演奏をしている。

SONATA SONATA ARCTICAのコピーバンドである。メンバーVo&G俺、G広野君、B菅谷さん、Drsふせっち(TOO LONG)、Keyイケメン。Voがバックれてしまい仕方なく俺が歌うしかなかった。しかしこの日は疲れが出てしまい普通の歌さえも満足に歌うことが出来なかった。つまりどT。。。速弾きマスター広野くんのギソロとふせっちの粒のそろったツーバスワークは必見!!

A'z B'zのコピーバンド。メンバーはVoたまちゃん、G福富君、G俺、Bふりかけ氏、Drs良君。結構完成度の高いライブだったと思う。「WAKE UP, RIGHT NOW」での福富君と俺の吸い込まれるようなシンクロユニゾンは必見!!

よーすい 井上陽水のコピーユニット。メンバーVoさおりさん、Vo&G&アコースティックギター俺、アコースティックギター坂口さん。ハモリがうまく決まっていていい感じだった。
陽水をホライズンで演奏(笑)。伊藤さんに「陽水でメタルギター」といわれる笑

メタルマスター 学祭初日一発目に出演した完全なネタバンド。メンバーVoたまちゃん、Gさささん、G福富君、Bカバオ、Drs俺。メタリカのバッテリーを演奏。余りに盛り上がり初日1バンドでアンコールという異例な事態が発生する(笑)

外ステではブライズもライブを行った。当時はポップ色の強い曲を演奏していた。出来はなかなかよかったらしい。このライブを俺のベストテイクといっている人もいる(よくご存知の方)。

肝心の暴威だが既にかなりの人気バンド兼盛り上げバンドであった暴威は最終日のトリから4バンド目に配置される。正直俺は結構満足であった。しかし暴威に思わぬ事態が舞い込んでくる。

順 番 変 更 !!!

なんと最終日トリ前に配置されていたTFSが順番を変わってくれと申し入れをしてきたのである。理由はその時間帯じゃないと自分たちの呼んだ客が来れないということであった。願ってもない事態に暴威は喜んで申し入れを承諾する。
最高に盛り上がるポジションを獲得した暴威はその名の通り暴れまわる事になる。ライブは去年と同じセットリストで同じ進行で進んでいく。非常に怠惰だと思うかもしれないがドラマーのしのっちが激しい怪我を負っていたため練習をほとんどすることが出来なかったため新曲を増やすことが出来なかった。
「Marionette」が終わりB.BLUEが始まると気づいた時にはステージの前のスペースは踊り場と化していた。
もうやってる方は最高の状態である。お客さんも楽しんでいた。
そして5曲しか持ち曲がなかった暴威はあっという間にラスト前を迎える。余りの速さに自分自身が一番驚いた。この瞬間が終わって欲しくないと思った。そしてもうもはやお決まりの台詞を言うことになる。「夢見てる奴ら全員に送ります。DREAMIN!!!」。会場がどっと沸いた。曲が終わるとなんでもない俺は何故か胴上げされていた!?びっくりしたが非常にうれしかった。このライブにはトリ前ということもありOBの皆さんも沢山詰め掛けていた。この馬鹿なライブをしたことで、BOOWYはOBさんの世代のバンドということもあり、暴威という馬鹿なバンドがあるらしいとOBさんの間でも知名度が高くなっていく。こうして暴威の存在は一人歩きを始める。OBさんの中にはある意味ファンで暴威のライブを楽しみにしてくださる方がいて中には暴威だけを見に来て下さる方までいらっしゃるようになった。
こんなにうれしいことはない。ある意味で名声を手にし最高の状態で暴威は学祭を終えることになる。

この後大きくなった暴威が更なる暴挙(不祥事)を巻き起こす…、続く…。

2004/12/25(土) 暴威列伝〜5話〜
さあ暴威は定例オーディションに向けて活動していく暴威であったがメンバーには妙な余裕が漂っていた。恐らく学祭の大成功が原因だと思われる。そして新曲で定例オーディションに臨むことを決定する。この目論見はお楽しみは本番にとっておこうという考えであった。つまり出し惜しみである。
新曲は「ホンキートンキークレイジー」という曲であった。比較的一般的に認知度が低い曲である。正直人気曲の「DREAMIN.」や認知度の高い「Marionette」や「B.BLUE」などいくらでも選択肢はあった。しかしかっこいいしこの曲で十分だと俺は思っていた(Tそのもの)。軽く3位くらい取れるだろうと思っていた。しかし現実はそんなに

甘 く な い !!!

本番に臨んだ暴威は練習不足もありまた手馴れてない曲をやったということもありメンバー一同完全燃焼できなかった。このオーディションは1曲で完全燃焼しなければならないため非常に難度の高いライブであるといえる。後から挽回することは出来ない。
しかしぎりぎり通ったんじゃないかと緊張しながら待つと「第6位暴威とハイカラ(現ロシア)!!」とコールされた。その時顔が青ざめた。一体どうなるんだと恐ろしいまでの不安がよぎった。
正直言ってあの出来でハイカラさんと同率ならむしろ光栄であったといえる。何せロシアグループは俺の大好きなバンドである。そして尊敬している。あのグルーブは凄まじい。

結局ジャンケンにより勝者が決定されることになった。そして俺はボノとのジャンケン対決をすることとなった。

ジ ャ ン ケ ン ポ ン

俺はグー…そしてボノは………パー!?!?!?!?
この瞬間暴威の敗戦は決まりハイカラは歓喜の余り抱き合っていた。俺はメンバーに頭を下げていた。
こうして暴威は2年連続定例落ちし周囲の予想や期待、なにより自分の予想を裏切ることになる。しかし今考えれば暴威はこうでなくちゃと思う。平坦でない道を進んでいくのが暴威である。

この後暴威は学祭までしばしの休憩に入る。特にライブもないのでやりようもなかった。

ここからしばらく脱線話になるがこの日のライブにブライズのメンバーが見に来ていた。メンバーに会ったのはこの日が始めてであった。俺はBRIDES OF IMPACTにギターとして加入することになる。正直ギターで加入するのは不服だった。大学入学当初はギターとしてバンドに組み込まれたくないため自分のことをヴォーカルとしか紹介しなかったほどである。自分のメインバンドはヴォーカルでと決めていた。それは自分の歌で何かを伝えられたらいいと思っていたからである。
今ではギターの占める割合が当初より大分大きくなった。でも今でも歌が好きな気持ちは変わらない。
そうはいっても軽音の中ではギタリストメインでやりたいと思っている笑 全く持って勝手である。まぁいいんですが笑
最近は非常にTな演奏ではあるがドラム業も結構やっている。どのバンドでも迷惑かけっぱなしである。でも自分をドラムとして採用してくれた人達に本当に感謝している。
これ以上は増やさないけどね笑

BRIDES OF IMPACTは最初はコピーから活動を始めていくことになる。「B'z」「SIAM SHADE」「MR.BIG」「METALLICA」「SONATA ARCTICA」などを演奏していくことになる。

この年の定例はビデオ席から降りてくることはなかった。楽しそうに演奏している演奏者を羨ましく思いながらビデオを撮り続けた。

この後軽音では新人ライブの時期がやってくる。この年の新人ライブのバンド数は17バンドと比較的少なかった。
この年の新人ライブでは俺はBRIGHT PURPLEというバンドにギターで参加しDEEP PURPLEの「Smoke on the water」をXというバンドにギター参加しSIAM SHADEの「1/3の純情な感情」をほんとはとしさんというバンドにギターで参加しジャンヌダルクの「桜」を演奏した。
この年は新人王決定戦みたいな投票があり東北ヤンキーの秋村君が獲得した。
秋村君のヴォーカルの特徴は芯のあるまろやかで伸びのある声と切れのいいシャウトである。しっかり腹式呼吸ができてる感がありとてもしっかりしている。FOR WORDSのヴォーカルとしても活躍している。好きなヴォーカリストの一人である。

そして徐々に1年に1度の大祭りのシーズンが徐々に近づいてくる。次回激動の後半戦…。暴威によもやの展開が転がり込んでくる……。

2004/12/24(金) 暴威列伝〜4話〜
暴威はこの後第一回伊藤祭に出演することになる。しかしそれまで大分期間が空くので脱線したいと思う。

この後俺は「初期ルナシ」というバンドで卒コン宣伝野ステに出演することになる。メンバーはVo小松梓、G俺(sugizo)、Gまっつぁん(inoran)、BLUXIAのりょうくん、Dr打ち込みであった。12月でかなり寒い時期であったのでまさに「真冬の野外」的なライブだった。曲は「FATE」「SHADE」「BLUE TRANSPARENCY」「MOON」「PRECIOUS...」だった。全てインディーズ作品のLUNA SEAからの選曲である。
この野ステでは打ち込みが途中で止まるアクシデントが多発し空気の凍りつくようなライブだったことを覚えている。
大不祥事であった。しかし俺はMOONのギターソロで初めてサスティナーをかますことに成功しそこだけは最高に楽しかった爆

この少し後の時期から俺は浜崎あゆみのコピーバンド「ARE YOU READY」にギタリストとして参加することになる。メンバーはVo現ジャズ研の中野さん、Bさっさん、ピアノ長山君、Dr現MOの上野くんであった。このバンドも伊藤祭を目指して練習していくことになる。中野さんは元軽音部員で歌唱力はかなりのものがあった。

そして同時期追いコンに向けもう一つバンドに参加することになる。その名も「殺戮珍走団」。このバンドは氣師團のコピーバンドである。メンバーはVo犬町や不良のぐっさん、G俺、Gまっつぁん、BTOO LONG、犬町のごっちゃん、Drリンキンの西君、キーボおがさんだった。
このバンドはこれっきりだったが結束力があった。追いコンの1バンド目としてぶちかますことになる。
この追いコンでのライブで初めてギタリストとして上の方々から評価をいただいた。「余裕が出てきたな」とか「安定していたね」などと言われた。正直うれしかった。どちらもいまだに足りないので精進して行きたい。

また話は脱線するが1年のときに追いコンでウルフルズの「いい女」という歌をやったことがあった。小杉さんが声をかけてくれたバンドである。メンバーはVo俺、G小杉さん、Bみずささん、Dr辻さんだった。このライブはある先輩が卒業するまで俺のベストテイクだといっていたライブである。事の他評判がよかったが映像を見たことがないのでなんともいえないライブである。気になる…これではただの独り言ですね(笑)

暴威列伝に戻って行きたい。伊藤祭を迎えた。この日俺はARE YOU READY、殺戮珍走団、暴威と3バンドの出演があった。
しかしこの日の暴威はまさに暴挙であった。この日なんとしのっちがこれなかった暴威は2度目の打ち込みライブを敢行する。しかも無練習でライブに出演したのである。ライブは結構Tだったことを覚えている。馬鹿に酷いものでもなかったがしかし無練習では所詮たかが知れていた。
この日のライブのラストで植田さんの持ち曲missing with the kidを即興で合わせてみた。すると俺のストラトコピーモデルは植田さんに奪われた笑 見事な演奏を見せてくれた(歯弾きも…)。この頃から一部の部員は人がやっている曲をコピーするのが大好きだった。

この後暴威は今年こそという思いを秘め定例オーディションに向けて活動していくことになる。思わぬ事態が暴威を待ち受けていた。続く…。

2004/12/23(木) 暴威列伝〜3話〜
こうして5月に活動を開始し部内バンドとしては異例の4本というライブ数をこなしある意味満を持した状態で学祭シーズンを迎えていくことになる。
この時期から俺は山にこもり始めることになる…。

また多少の脱線話になってしまうがこの暴威列伝は脱線上等という感じで進めて行こうと思います。
「山」。これはつまり地元の山の上にあるゴルフ場のことである。人里とは離れておりゴルフ場の中の小屋で練習していた。この小屋には自販機が完備されており電気も使い放題だった(やってることは不法侵入&盗電=どT)。この頃エスカーゴという二人組みのアコースティックデュオにはまっていた俺はこれを現BRIDES OF IMPACTのギタリスト、マサヤくんとともにコピーをすることを決意する。この時期俺は度々横浜駅の西口でストリートライブを行っていた。そしてギターの方ではB'zのコピーを始めていた。「俺にもB'zが弾ける!!」と半ば勘違いしながら意気揚々としていた。
エスカーゴコピーデュオは「SAKAE区」というユニット名がつくことになる。練習は週4回ほど行っていた。つまりこもりっぱなし。この頃初めて耳コピというものをした。楽譜がなくても曲がやれることを知る。練習は順調に行われ曲数は7曲に達していた。練習のたびに録音をしていていい音源が残っている。
あと実はFOR WORDSのまっつぁんとエスカーゴの練習をしたことがあった。シーガル前で演奏した。

途中列伝でもなんでもなくなってしまったが話しに戻っていきたい。学祭は軽音でこの2バンドとフェアウィンの人達とやっていたBON JOVIとSADSのコピーで外ステにでることになる。

暴威はJUST入りもし本番の準備を万端にしていた。

暴威はかなりの実績を残してきたと勝手に思っていた俺は学祭でかなりのポジションになるんじゃないかとても心躍らせていた。
しばらくして順番が発表されると2日目の10バンド目だった。非常にたいがいではあるが俺はこのときこの順番に対しまあまあかと思っていた。
しかし予期せぬ出来事が発生することになる。

順 番 変 更。

暴威は2日目の5バンド目になってしまう。しかしここからが伝説の始まりだった………(笑)

暴威の出番は5バンド目であるからちょうど中だるみの時間帯で人は余り入っておらず10名程しかいなかった。
ところがライブが始まると徐々に人が増えていった。どんどん増えていった。しかも一般客っぽい人達ばかり。俺はステージで踊り定番の拳上げをしながら歌っていた。さっさんは上半身半裸の状態でボディペインティングをして出演していた。見た目からぶっ飛んでいる。これも確実な正解例だったのだろう。
IMAGE DOWN→Plastic Bonb→Marionette→B.BLUEの順で演奏を行った。ラストの曲が始まる頃には部屋は満席になっていた(信じられない事態。まさに奇跡)。60〜70人は見に来ていたんではないかと思われる。
そしてMCで「次でラストでございます」というと会場がどよめいた。「あれだ。あれが来る」。我々のことを知っている人はそういっていた。そう当然ラストは「DREAMIN.」。「この曲は関係ない人もバンバン拳を挙げてください」といい曲スタート。まさに笑いと拳上げがやまないライブであった。
会場は最高に盛り上がり俺は今まで味わったことのない高揚感に包まれた。ライブは本当に最高だと思った。俺は両手を大きく広げていた。そしてすぐにステージを降りた。会場は凄い熱気になっていた。1番盛り上がったという声が色んなところで発生していた。そして一般客っぽい人達はみんなうちらが終わると帰ってしまった。まさに奇跡としか言いようのないライブだった。
このライブである意味確固たる人気?を獲得することになる。
奇跡に感謝し学祭シーズンを終えることになる。この先も馬鹿なことばかりをやっていく暴威。更なる不祥事やアクシデントが暴威を待ち受けていた。続く…。

2004/12/22(水) 暴威列伝〜2話〜
夏休みに突入し暴威にしばしの休憩が訪れる。そしてこの時期にドラマーの上西君が脱退する。話によると上西君は暴威の言葉遣いの汚い歌詞が嫌いだったらしい笑
そして新しいドラマーが必要ということで当時LUXIAというオリジナルバンドで一緒に活動していた篠原先生ことしのっちをドラマーで召集する。そして夏休みも中盤に差し掛かるころ暴威にライブの話が舞い込んでくる。憐憫の企画ライブに出演しないかと言われたのである(憐憫とは自分より2つ上の方々が中心になって活動していた椎名林檎のコピーバンドである。メンバーはVo石行さん、Gハウリングハーツの小杉さん、Bみずささん、Dr辻さん、KeyTFSの斉藤さん。この世代を代表していたバンドの一つである)。
当然了承し暴威初のライブハウスということで胸躍らせた。日取りは9.11。場所は横須賀パンプキンであった。パンプキンでの出演は同年3.29のストラ以来である。
暴威はこのライブでまたも大不祥事を引き起こしある意味で伝説的なことをすることになる。
ここでさらに「Plastic Bomb」「Marionette」「B.BLUE」の3曲を新曲としてライブに向けて練習していくことになる。

ここで多少脱線して話を進めるがこの時期に俺はLUXIAというオリジナルバンドとIMITATIONというLUNA SEAのコピーバンドをやっていた。どちらもパートはギター。LUXIAの練習しに渋谷までいっていた。正直曲はかっこよかった(ベースのりょうくんとドラムのタッキーそしてヴォーカルの人が作曲を行っていた。系統としてはSIAM SHADEやSADSの要素が入っていた)。VoがTであったがそれ以外のメンバーの演奏技術は非常に高かった。そして同年9.01に鶴見CLUB TOPSに出演することになる。このとき観客としてさっさんが来てくれた。この日はレンタルホールで身内でのライブだったがおれ自身は2バンドで計17曲を演奏することになる。ライブは大成功にて終了(観客の皆様に感謝)。
映像が今でも残っているがよくよく考えると当時としてはかなりのプレイをしている。この時期に自分としては第一次のスキルアップ革命が起きておりスキルが大幅に上がった時期であった。当時軽音ではギターで組んでいるバンドがなかったので軽音の人達には余り知られていない事実である。当時ギターとしてバンドに誘われることはほとんどなかった。そりゃあもうキャラクター先行の部員であった。

ここから激動の暴威列伝に戻って行きたいと思う。ライブを直前に大トラブルが起きてしまう。練習がある程度順調に進んでいく中ドラマーのしのっちが負傷したのである…。そしてなんと暴威は初のライブハウスを「打ち込み」で出演することを決意!?打ち込みをLUXIAのりょうくんに作成してもらう。この時点で不祥事はほぼ確定的であった。
そしてライブ当日。暴威は1バンド目に出演!!曲が終わった後しばらくしてタムの連打が発生するなど「打ち込みマジック」が発生する笑 そしてそんな打ち込みマジックに足を引っ張られたり助けられたりしながらライブが終了。正直音はしょぼいし聞こえづらかった。生ドラムの重要性を再確認させられる。この後暴威が奇跡を体感することになる。続く…。 

2004/12/20(月) 暴威列伝〜1話〜
暴威。このバンドは自分が軽音というコミュニティーで活動するに当たって多大な影響を及ぼしたバンドである。
このバンドは2002年の5月に結成された。当時はまだ上の代の先輩たちがR&R系の音楽を結構やっていて俺もハードロックやメタルだけではなくR&R系もやってみたいと考え始めていた。
当時ストラテジックアームスが解散しバンドがなくなってしまった俺はこの機会にR&Rの音楽をやってみようと思いみんなが楽しめる音楽とは何だろうと模索し当時はまっていたBOΦWYをやることを決意した。みんなが楽しめる音楽をやるというのがこのバンドの基本コンセプトである。
そこでストラのベースを勤めていたさっさんをギターで召集。俺がヴォーカルを執り二人で活動を始める。最初に取り掛かった曲は「DREAMIN.」。ようは俺はこの曲がやりたかったのである。この曲はCASE OF BOOWYというライブビデオのラストの曲で「夢を見ている奴ら全員に送ります。DREAMIN!」というMCで始まり恐ろしいほどかっこよかった。この曲がやりたくて仕方なかったのである。もはや今ではこのMCでの文句は軽音でも定番といってもいいほど定着した。
当時一人で「IMAGE DOWN」のギターを部室で練習しているとカメライフの堀川さんに声をかけられたことがあった(カメライフとは自分が1年の時の3年の先輩方のバンドでウィーザーのコピーバンドである。堀川さんはそのバンドのメインヴォーカル&ギターで難しいバッキングを弾きながらさもなんでもないように歌うスタイルを確立しておりかなりの実力者であった。ギターの腕前もかなりのものであった。)。堀川さんに「誰の曲を弾いているの?」と聞かれ「BOOWYです」と答えると「面白いね!」といわれしばらくトークをした。とても楽しいトークだった。そして改めてこれはいけると確信した瞬間であった。
そしてプレ新勧で坂くんを勧誘。さらに上西君を半ば無理やり勧誘し定例オーディションを目標に活動していく。
そして5月半ば頃オーディションに参加。当時は定例オーディションは強豪バンドがひしめいておりかなりハードルが高かった。あのちゅらさいが落ちたほどである(ちゃらさいとは自分の一つ上の世代の人たちがメンバーの中心を占めるcoccoのコピーバンドでVo立和田さん、Gとしさん、Bさおりさん、Drまりこさん、keyあっこさんで構成されていたバンドである。後期ではさらにこまっちゃんがGでなおみちゃんが2nd keyで加入していた。かなりの実力派バンドである)。ある意味実力のみの争いでもないオーディションではあるが。
そんななか我々暴威はDREAMIN.を熱演!!そして落選する。
俺は多少落ち込んだもののまぁ仕方ないものとし割り切る。しかし上の先輩数名に暴威とてもよかったといわれやった意味はあったなと思った。
そして次のライブで軽音はじまって以来の暴挙をすることになる。

暴威は定例宣伝野ステに出演することになる。当時は野ステは1バンド制であった。そんななか対バンで出演ししかも持ち曲は1曲しかなかったのである。
しかしそんなことはまったく気にせず初めての野ステ出演であった俺はとてもわくわくしていた。
そしてライブ敢行!!1曲だけであったが凄く気持ち言いライブだったことを覚えている。そしてライブが終了した後歓声が上がったのである。一体どうなっていると少し動揺した。すると現湘南探偵団のメンバーであるよしのりさんとあいだくんが俺の元に近寄ってきて「お前は最高だ!」と言われ握手した。当時既にとても大物だった2人にそんなことを言われるとはまったく思っておらず。笑える要素があったのか熱いステージだったのか一体なんだったんだろうと考えてしまった。今考えるとそれは両方だったのかなと思う。笑いと熱さ(暑さ?)は今でも暴威の軸となる要素である。

この後新人ライブに向け「IMAGE DOWN」の練習をしていくことになる。この辺りから無理やり加入してもらっていた上西君に限界が訪れ始める。
そんななか新人ライブの出演順が発表される。この年のバンドのエントリー数は29バンドと非常に多かった。
そんななか暴威が新人ライブの大トリに抜擢される。新人ライブの順番など大して意味をなさないが大きなライブで初めてのトリでの演奏ということで俺は大きく胸を躍らせた。
この年の新人ライブでは俺は4バンド出演し暴威の他はフライング慶介というバンドでギターを勤めLUNA SEAのSLAVEのスギゾーパートを演奏し吉澤&中村というユニットでくずのmoonlightのぐっさんパートを演奏&熱唱(大好評だった笑)、さらにホワイト美白というバンドでHALLOWEENのPOWERのVo&3rdギターを担当した。
そんななか暴威の出番が回ってくる。「IMAGE DOWN」熱演する!!空き缶やペットボトルを大量に投げつけられ終了。そして数名の先輩から「吉澤。アレをやれ。」と言われ何故か新人初のアンコールを獲得することになる(ものを投げつけられてアンコールとは一体どういう了見でしょう笑)。
そしてアンコールで「DREAMIN.」を熱唱し新人ライブが終了する。とても盛り上がったライブだった。
こうして結成から激動の2ヶ月間が終了する。続く…。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.