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2005/02/11(金)
スターリングラード攻防戦
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社会ネタというかそういうのもコラムでは書きたいと思っていたんですがなかなか暇がなく書くことができなかったんですが今日は書いてみようと思います。
非常に暗い話ですが…まぁいいですか?
1942年6月にドイツ陸軍第6軍はヴォルガ川が流れるソビエト連邦の南部地域の補給路の拠点であるスターリングラードを攻撃し始める。ヒトラーはソビエト軍の補給路を断つと同時にスターリンの名のついた町を攻め落とすことで自分の力を誇示したかった。 ドイツ陸軍第6軍は無敵の軍団といわれていて今まで負けたことが一度もなかった。今回の戦いも長引かないとたかをくくっていた。 ドイツ空軍はスターリングラードに絨毯爆撃を開始し1週間で町は廃墟と化した。そこにドイツ軍が侵攻したわけだが思わぬ事態が発生する。廃墟の中や地下にソビエト軍の兵士が潜みゲリラ戦を仕掛けてきたのである。 街のいたるところに潜伏するソビエト軍にドイツ軍は大苦戦。なかなか進軍することが出来なかった。お互いに粘り強く大激戦となった。スターリングラード中央駅は15回も占領軍が入れ替わる激戦となった。 時間をかけてドイツ軍は街のほとんどを制圧したが川沿いから150mの地域でソビエト軍は粘りどうしてもこれを突破することが出来なかった。 そうしてる間にドイツ軍の恐れていた冬が到来することになる。−30℃の中の攻防が展開されることになる。 冬の訪れと同時にソビエト軍は反撃を開始。スターリングラードに滞在するドイツ軍33万人を100万人の軍隊で包囲。徐々にその包囲網を狭めていった。 ドイツ軍はヒトラーの絶対死守命令を受けていたため応戦した。これは死刑宣告ともいえる命令でドイツ軍は燦燦たる状態に陥った。 1943年2月にドイツ陸軍第6軍はソビエトに全面降伏。ドイツ軍は捕虜となったが寒さに耐え切れずそのほとんどが死亡。生きて祖国の土を踏んだ兵士は3万人にも満たなかったという。一説では500人とも言われている。
ドイツ軍は40個師団が壊滅。死傷者合わせて150万人をだした。
この戦いはヒトラーとスターリンという2人のファシズムのメンツが生み出した戦いであり戦地に赴いた兵士からすれば非常に残酷な戦いであった。
戦地の状況は本当に悲惨でここにはかけないほどの状況であった。生き地獄と呼ぶにふさわしい状況である。正気を保てる人は当然いなかったという。
この戦いのドイツ軍の敗北により戦争は終結へと向かっていくことになる。
戦争は本来何があっても回避しなければならないと思う。 戦争は殺戮による悲しみと憎しみしか生み出さない。自分にはわからないがその傷跡は一生残るだろう。悲しみの連鎖は引き起こしてはならない。
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