―思いのまま気の向くまま―
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2004/10/31(日) 悠久の古代
素晴らしい秋晴れの天気に恵まれ雄大な大山を後にし国宝建造物の『神魂(かもす)神社』に向かった、この建物は木造神社の最古のものといわれている、今回の旅本来の目的である国宝建造物の見学の一つである、

続いてすぐ近くに有る『島根県立八雲立つ風土記の丘資料館』に足を伸ばす

古代の世界にいざなう数々の資料をボランティアの方の説明を聴きながら先に訪れた『神魂(かもす)神社』の様子とあいまって
悠久の世界に浸った、

中でも出土した埴輪の一つ『見返りの鹿』に感銘を受けた、説明員の言『日本三大見返りの一つと呼んでいる』との事、善光寺他の『見返り阿弥陀』菱川師宣作『見返り美人』そして此処の『見返りの鹿』・・・・

特に埴輪、刀剣など太古の時代の造形の技も勿論だが、出土したかけらから此処まで再現した人たちの根気と技術、
そして想像力に感動した

最後に訪れた出雲大社、ここでも太古の世界に思いを馳せ、今回の
旅は思ったより意義があり、又楽しい旅だった

2004/10/30(土) 大山初冠雪
28日と29日二日間大阪の友人S夫妻と二組の夫婦で、秋を訪ねて蒜山から大山そして出雲路の旅に出かけた

二日とも秋らしい快晴に恵まれ楽しいたびであった、ただ期待していた蒜山から大山に抜ける蒜山スカイラインでの紅葉は見ることが出来なかった、特に今年の引き続いた台風のせいで木の葉が飛んでしまい紅葉はどこも望めないとの事だ、

然し大山の雄大な姿は素晴らしかった、又前日初冠雪を見たという大山寺側から見た姿は感動ものだった

古色然としたたたずまいの大山寺は何故か心を落ち着かせてくれた、
そうした感動を後にして次は『国宝の神魂(かもす)神社』に参拝し他語『島根県立雲立つ風土記の丘』を訪れる予定だ

2004/10/27(水) 秋風の音
毎年この時期になると教室では木の葉を画題とする、柿の葉や桜の葉があざやかな色に染まっているのだが、今年は其れが見られない、度重なる台風の来襲で殆んど葉が散ってしまい地面に落ちている文字通りの落ち葉を拾い集めて描く状態だ、

然しそれはそれで面白い、風雨にさらされ葉脈にしがみつき漸く葉の形を保っている枯葉も、じっと見ていると秋風の音が聞こえてくるようだ、カサコソ風に吹かれて地面を這う枯葉に何故か引かれる、何処と無くあきらめきって流されている様子は人の世にもあるように思える、

無気力にただ何と無く毎日を過ごす世の男達に警鐘を与えたい、
前向きに何か自分なりに頑張れるものを探しては如何なのか・・と

明日と明後日大山の方に秋を訪ねてきます二日間この雑記帖休みます

2004/10/26(火) 和柘榴
教室のMさんが和柘榴を持ってきた、知り合いの家に実った物との事、それは見事な柘榴だった『懐かしい味だから食べてご覧』との事でてんでにつまんでいたが、ルビーのような綺麗な実に夫々思い出が有るようだ、其の思い出の殆んどが戦時中のものだ、そんなこんなで話が災害の事に及んだ、

そのとき突然Hさんが涙ぐんだので事情を聞くと彼女は阪神淡路大震災の直接の被害者との事、当時の惨状が忘れられずこの度の震災に胸を痛めているとの事、聞いた私も本当に胸痛む思いがした、

人は誰しも一生のうちに大きな悲しみを幾つも背負いそれに耐えなければならない、然し今現在生かされている命を思い、感謝し
与えられた人生少をしでも幸せに過ごさねば成らないと思う、

その為にも元気一番で過ごしたいものだ

2004/10/25(月) 野菜が高騰
驚いた、台風の影響での高騰との事、野菜の値上がりである
スーパーで目にした値札に胡瓜一本¥150−と有った、その他の野菜特に葉野菜の値上がりである、

確かに台風の為農場に被害が出て品薄の為と言っても、いきなりの値上がり、事情は理解できても中には10倍〜20倍もの高騰何とかならないものだろうか、

実際に台風の被害や地震で沢山の人が苦しんでいる事を思えば、
我々はこれくらいのことは辛抱しなければならないのこかもしれない、・・・当分野菜は値が下がるまでお預けみたいだ、

2004/10/24(日) 熊で無くって良かったね
何度も言うようだが今年はどうなっているんだろう、天変地変の多いいこと台風は記録的に上陸し各地に沢山の爪あとを残して行き、まだ其の復興も手付かずのままの所もあると言うのに、今度は大きな地震、沢山の犠牲者を出し日本国中を悲しみが駆け巡っている、悲しい事だ、どうにか成っていると思う、ただ悲しいかなこの分だけは人間の力も及ばないままただオロオロするだけだ、

このような天変地変のせいか山から熊が出てきてこれまた何人かの人が襲われ傷ついている、我が家の裏の畑にも夜な夜な出没する者が居るらしい、畑の持ち主のTさんは朝になると畑を見回り、其の出没者が食い荒らした後を整理している、

どうやら犯人は狸の一家らしい、畑の中央辺りにある一本の背の低い柿の木がターゲットらしい、毎朝低い位置のもが何個かずつ
食い荒らされているようだ、

ただ熊と違って若し出会ったとしても狸は人間を襲わないと思うだからTさんは『里の方まで出てくる狸にとっては大変な思いで里の降りて来たのだから、せめて柿くらいそっとしておいてやりたいと思う』
それもそうだね狸は人を襲わないし、そのうち狸囃子でも見せてくれるだろう・・・・

2004/10/23(土) 唐糸草
教室のSさんとNさんが『変わった花を』とわざわざ持参してくれたので、早速描いてみた『唐糸草』と言って山野草との事、
調べてみると本来は夏に咲く花で多年草との事、私も始めて目にした花である

花も色々あるもので本当に不思議でもある自然の神のなせる素敵な計らいでもある

又気に懸けてくれて態々持って来てくれた二人に感謝である

2004/10/22(金) 故郷の味
妻の実家の兄夫婦が久し振りに来てくれた、

実家の田んぼで取れた新米を今年も持って来てくれた、有り難い事だ、兄はその足で精米所まで車で行ってくれた・・・感謝だ

其の時実家の山で採れた柿も持ってきてくれた、私に描くようにと枝葉の付いたものまで入っていた、早速描きながら妻にとってはもう両親も他界した今は親代わりである兄夫婦の心遣いと優しさに心打たれた、

妻はその柿を美味そうに丸ごとかぶりついている、おそらく彼女は故郷の山を思い出し故郷の秋を味わって居るのだと思う

故郷を離れていない私にはどうもぴんと来ないところもあるが

妻の今の気持ちはなんとなく理解できるような気がする
故郷は良いものらしい・・・・

2004/10/21(木) バタバタと鶏の如く
夏の暑さが漸く終わったと思えば、今年は特に台風と共に慌ただしい秋の到来となった、

その秋の声を聞いたと単にもう年賀状の準備だ、11月の教室は
年賀状を画題としており、そのため私は今からその準備に入っている、

例年の事だが私は師走気分だ、特別今年は11月に中学校の同期会も控えておりその準備もあり忙しさの上乗せである、妻に言わせれば『好きな事での忙しさ、良いじゃないの元気で居られる証拠じゃけ〜』ご尤もである

来年は酉年、既に私は鶏のようにバタバタと年の暮れを過ごし新年を迎える事になりそうだ

2004/10/20(水) 小鳥とピラカンサス」
台風が又暴れている被害無ければいいけど・・・・
電線はゆれそれに振られて電柱も杉の木も折れそうになるほどに
時には家までぐらつかせるほどの風だ、

ところでそれほど吹き荒れる庭でピラカンサスも風に耐えている
毎年この時期になるとピラカンサスの赤い実に小鳥がやってきてピーピー鳴きながらついばむ姿がある

今年はタップリ赤い実が有るのに小鳥が来ない、人によっては其れを嫌がりネットを張る人もあるが我が家では其れをしない
無心に実をついばむ小鳥は実に可愛いものだ、

山に木の実が無く人里に下りてきて射殺される熊や猪、哀れである、せめて人に害を加えない小鳥くらい大目に見てやりたいものだ

2004/10/19(火) マツタケ
又台風の接近、もううんざりだ今まで各地に残った爪あとがまだ修復していないと言うのに、天の神は惨い事をされるものだ、ただこのたびも無事を祈るだけなのか、何と人間の無力よ・・・・

ところで、今日はMさんからマツタケをお裾分けで頂いた、勿論国産のものでしっとりして、正しく山の秋の香りがする、今年はマツタケが沢山採れるとTVで言っていたが、まだまだ我々の簡単に手の届く価格ではない、
今夜は優雅にマツタケ飯を二人で堪能しよう

2004/10/18(月)
教室のSさんから活きの良い鯖が2尾届いた、
又ご主人の釣果との事、流石に釣ったばかりの魚は活きが良い

早速調理する前に描く事にした
目から描きはじめ一気に描き終えるこれほど艶々と耀いていると
筆も思わず走る、締まった目の周りの具合が何故か挑戦的だ、
これこそ『活きている』と言いたげだ

こうして活きた海の旬を戴き描く事が出来そして口にする事の幸せに感謝し、出来は如何であれ満足な一日だ

2004/10/17(日) 葡萄
季節は秋真っ只中の感じになってきた、
秋といえば食欲の秋、・・・と言えば果物が豊富になる、???
特に秋を代表する果物は、梨・柿・蜜柑・葡萄など・・・

その中でも絵手紙に描いて華やかなものは柿の色も良いがやはり
葡萄ではなかろうか

私事で変な事だが、実を言うとあまり好きでない果物の中でも私にとって葡萄が一番の苦手である、にもかかわらず描くのは好きなものの一つだ、

皮肉な事だが盛るにも嫌いな者であっても描く為には・・・
マ。食べる訳でもないので我慢して描くか、然し描く時にはその画題を好きになりよく観察する事が大切だから、気持ちを入れ替えその気になる事にしている。

2004/10/16(土) きよた柿
『柿買うてきたよ』『柿はもう大分描いたけ、もうええよ』
『ほいじゃが今までと形が違うよ』見ると長手の柿で、聞けば「きよた柿」と名が付いた柿との事、

調べてみると愛媛県内子町で取れる極早生の新種の渋抜柿で
9月から10月にかけて出荷する正に旬のものだとの事、よく聞く
「あたご柿」と同じ所で採れるようだ、

以上はパソコンからの受け売りだが、パソコンは実にありがたく便利な物である、こうしたOA機器を少しでもこなせる様になったのも、周りの人たちのお陰である、又こうして感謝する心に出会え私は幸せ者と再認識した今日である、

2004/10/15(金) アボガド
世の中には随分色んな果物が有るものだ、夕方散歩で出かけた折
八百屋さんの前を通りかかった際、商品棚で一番に目に付いたのがなぜか『アボガド』だった、勿論前々から知ってはいたがあの異常に濃い色合の物がどうも得体の知れない物に見え触ったことも無かった

何時もの様に描いてみたい衝動に駆られ一つ取り上げてみた、ずっしりと重くあまりコチコチに硬いわけでもない感触がどうも好きになれない感じだ、然し思い切って食べると言う事を約束して買った

果たしてどんな味がするものやら・・・不安である

2004/10/14(木) 頑張れケーキ屋さん
突然だが私は嬉しいのだ、たとえ甘すぎると言われようと、爺馬鹿と言われようと、

孫娘が以前から希望していた学校に合格したのだ、彼女は小さい頃からケーキ屋さんになる事を夢見ていた、爾来こと有るごとにケーキのレシピと睨めっこで色々作り私達にも食べさせてくれた

そうする事が自分の目的意識を高めるかの様に頑張っていた、高校卒業後は、学校からの大学推薦も断り、進学をケーキの専門学校に絞って居た、その専門学校に合格したのだ

最近良く若者には目標とするものが無い等と言われているが、彼女はしっかりその意識を持って頑張っている

勿論合格した事のうれしさも格別だがこうしてわが孫が目標を持ち一心に進んでいく姿を見る事が嬉しいのだ

ただ今の時点ではこの先どうなるかは定かではないが、兎に角一歩前に進むことが出来たわけだから、今の気持ちを忘れないで目標に向かって進んで欲しいと願うだけだ

人間自分の好きな事、進みたい道に行ける事ほど幸せなことは無い、『頑張れわが孫よ迷わず自分の決めた道を進め、そして私が元気な内に立派なケーキ屋さんに成れ』爺ちゃんからのエールを送りたい

2004/10/13(水) 自然は芸術
これからの時季楽しみな事の一つに草木の葉の色変わりである、
紅葉だけでなく枯れていく葉の美しさも好きだ、

勿論緑から茶色にそして紅く変色して行き、様々な色模様を示す姿は視覚的にも美しく、枯れて行く葉には心は無いがその様は人間の一生とオーバーラップして目に移る事がある、

少々こじつけに考え過ぎるかも知れないが、年と共に若さを失い、いきなり枯れる者もいれば、失う若さの代わりに円熟した他の力や美しさに耀く人もある、
私は後者でありたいと願う、まだまだこれから枯れ果てる前に耀き燃えたいと願う

正しく自然は芸術だと思う美しさを様々な形で我々に教えてくれる、そして私自身の心にまで入り込み、生きる為のカンフル剤まで与えてくれる。

2004/10/12(火) 鍋物の時期
ぼつぼつ鍋物の時期が来る、その鍋物に欠かせない脇役と言うより準主役が白菜である、数年前は我が家でも鍋物に入れる白菜はかなりの量を使っていた、ところが二人きりの生活になると実にささやかなものとなった、最近鍋に入れる白菜は2枚か3枚で事足りる、
ちなみにすき焼にしても200グラムの肉がともすればあまる事さえある、やはり食事は二人だけより三人四人と多い方が楽しく食も進むと言うもの、

だからと言って二人きりの食事が味気ないわけでもつまらないわけでもない、良く友人達に言われる事だが『夫婦でよく話があるな』我が家は其れが話が弾むのである、以前から食事の時はテレビは切る事にしている、テレビがついていると会話に身が入らないからだ、

『近いうちに鍋物でもするか白菜は2枚もあれば、、茸を何種類か準備して、肉は200グラムで良い・・・二人で鍋をつつく事にするか・・・』今夜の食事の時の会話である

2004/10/11(月) 六十九歳の顔
久し振りに晴天、秋らしい日だ・・・と言いたいが何と夏に返ったかのように暑かった、

今日は私の六十九回目の誕生日だったので、久し振りに妻と宮島に出かけた、過日の台風の爪跡があちこちに残り思った以上に被害が大きかったようだ、

厳島神社の回廊の被害状況もニュースで見たより大きく感じたし紅葉谷公園の方の状況も想像以上のものだった、いたるところに倒れたり折れたりした大木の様子はその凄さを物語っている

公園の通路を塞いだ為に途中から切断されている杉の大木、地面に横たわる根の部分はすぐ傍の建物の屋根の上に達するばかりの大きさ、もう少し倒れる角度がずれていたら恐らくその建物を押し潰していただろう程のものだった、改めて自然の猛威、恐ろしさを確認した

ところでこの世に生を得て六十九年、考えてみれば随分色んな事があった、然し私にとって過去は過去、現在命有る事を喜び、今現在から生かされる私の命を大切にし生きて行きたいと思う、
今は亡き両親に、与えてくれた命の感謝をし、今まで私の命を支えてくださった周りの全ての人や物に感謝し、これからの人生を悔いないよう生きて生きたいと思う、

こうした意味から今日六十九歳の顔を描き残したいと思ったわけだが、少し良く描き過ぎたかな?

2004/10/10(日) 一足早い年賀の季節
朝から雨模様の一日だ、何時になっったらカラット秋晴れの日が来るのやら、・・・・
とか何とか言っている間に今年もぼつぼつ年賀状の事を考える時季になった、

私の場合教室で11月に年賀状を画題とする為、一足早い年賀の季節が来て、今頃からその準備にかからなければならない、色々な資料と睨めっこでアレンジしながら教材の作成である

来年は酉年そういえば死んだ兄も酉年だった生きていれば来年は72歳、昔から「死んだ子の年は数えるものではない」と言われていたが生前の母は原爆忌のたびに兄の年を数えていた、その姿を見て詠ったものに
 『原爆忌 生きておれば六十と 亡き子の歳を 母は今年も』
その母も、漸く行きたがっていた長男の元に行き八年になる、そして父も後を追い昨年向こうに行き三人で楽しくやっている事だろう、

ところでスーパーの中を歩いていると、鰯の干物が目に付いた、
まるで「描いて欲しい」と呼びかけているように見えた、後で食べると約束して買って帰り早速描いてみた、勿論約束どおり後で昼食の食卓に上がってはいた

2004/10/09(土)
昨日から又台風の声を聞いている、幸いにこの度はこの地域は影響なかったが、茨城の兄弟に電話すると今からとの事、何とか被害が無く通り過ぎてくれれば良いがと思っている

今年は何故か台風が多く、各地にかなりの爪跡を残していった
人間の自然破壊に対し神の怒りなのか

話は変わるが11月に予定している中学の同期会の準備をやっている、古稀の同期会である五年毎の会も古稀と言う年齢から名簿整理、案内状送付等により一足先に人生を終えた仲間が必ず何人か判明する、事務局をやっている私は都度名簿の整理をする

亡くなった友の名前を名簿から」消していくのは本当につらくなってきた、だから今回で同期会は休止する予定だ

あの真面目人間が、あの悪餓鬼が、あの可愛かった子が、名前を消すたびその人を思い出し涙する事さえある

我々が中学生と言えば終戦直後原爆投下後の瓦礫の中での学校だった
『瓦礫の中の青春譜』が我々の同期会名簿の表紙である、随分風当たりも強く文字通り窓も無い校舎での勉強、想い出しても色々の風に吹かれながら過ごした中学生時代だった

だからこそひとしお思い出も豊富で同級生同士の絆は強い、
さて今回は何人の無事な元気な顔に会う事ことが出来るやら

2004/10/08(金) トマトは美味い
唐突だがあれほど嫌だったトマトを美味いと思えるようになった、ただしこのメニューに限る事だが・・・・

最近リニッューアルした市内のデパート10階のレストラン街にその店は有る、
偶然昼食の為に入り「手作りハンバーグセット」を注文したところ、セットメニューのサラダとして出たのがトマト丸ごと一個、深めの皿に皮を剥き真っ赤なトマトにドレッシングをかけたものがテーブルに置かれたとき、実を言うと席を立ちたかった、

ところが恐る恐るナイフとホークを使い一口食べて驚いた、ソースの酸味と中に入っている粒状のチーズがトマトの臭いを消し良く冷やされたトマトそのものの味が、美味いと思った、

勿論メーンのハンバーグも熱くした器の上で最後まで熱くジューシーだった、

以来このトマトサラダが食べたくて何度か足を運んでいる、
と言ってもトマトが全て好きになった訳ではない、あの店のトマトはよほど吟味しされたものだろう、其れとやはり調理一つで素材が生きるとはこの事だと思う

当分あのトマトに夢中になりそうだ

2004/10/07(木) 桜が咲いた
散歩の途中桜の花を見つけた、花を咲かせたこの木は毎年春見事な枝に爛漫に咲く桜で目を楽しませてくれている、その木に白いものが散らばっているのでまさかと思いながら見ると、正しく薄紅色の桜の花だ
この時季に桜、これはビッグニュースと何人かの友人に連絡したところが、桜の花は此処だけじゃないようだ、色んなところで咲いているとの事、それにしても何故?この時季の桜かといろいろ聞くところによると、過日の台風で葉が皆落ちてしまい、葉が落ちると花の蕾が生まれてきて、その後気温が上がると春が来たと勘違いし花開くのだそうだ、

何の事は無い、桜の勘違いで私は大発見したと勘違いしたようだ
それにしても今年の異常気象は如何したものだろう、

またぞろ台風が発生しているようだ、その都度びくびくし頻繁に起こる地震に慄く、人為的には身近での殺人事件、毎日のニュースは悲惨な事件の報道が事欠かない、

困ったものだ、情けない事だ、一人一人が「せめて自分だけでも穏やかに、命の大切さを考えて」生きていけば殺伐とした世の中に少しは潤いが出るのではなかろうか、

そういった意味からも絵手紙を通し、ひとりでも多くの人との出会いを大切にし輪を広げたいものだ

今日の花は隣のHさんの庭に咲いた「黄花ほととぎす」を描いてみた

2004/10/06(水) 柘榴
秋の日差しを心地よく感じながら夕方の散歩をしていて、近所のKさんの庭に可愛い実をつけた柘榴の木を見つけた、直径五センチばかりの実がピンク色に耀いている、つい見とれているとKさんの奥さんが『描いてならあげますよ』二つ返事で先に礼を言う、

その木には実が四つしか付いてないのに惜しげもなく枝をつけて切って貰った柘榴を早速描いてみた、

毎年この時期になると柘榴を描くのを楽しみにしている、もう少しすれば実が割れて中の耀くような種が現れるはず、そのルビーのような赤い光を放つ種の一粒一粒は実に魅力的である、

おかしいもので絵手紙を始めるまでは柘榴に洋柘榴、和柘榴と有ることすら知らなかった、ましてや洋柘榴は和柘榴のように割れないと言う事など・・・・・

兎に角柘榴は画題としても面白いものである、

2004/10/05(火) 高野槇
何時も私が絵を描く部屋から見える我が家の庭の隅に、一本の高野槇が有る、九年前高野山に行った際、道端で高野槇を売っているおばさんから「最後の1本だし少々弱っているから」と只で貰った物だ、当時は父も健在で大切に育てていたが今はこの高野槇もニメーター近く伸びている

私が座っている目の前の棚には、父の遺作である仏像が並び、時に目をやると高野槇が見える、何かしら何時も父に見守られているよう気になる・・・・不思議な物だ、

寡黙な父が今私が座するこの場でもくもくと鑿を打ち仏像を彫っていたのはほんのこの前のような気がする、
父は何を考えていたのだろう、今の私のように時には我が子のことをあれこれ考えていただろうか

来年春が来れば父と私、そして私の息子との三人展を催す予定だ
其の時初めて父の作品も出来の良し悪しは別とし私達と一緒に表に出ることとなる

今日はその父の作品の一つを画題としてみた

2004/10/04(月) イチローはスゴイ
実を言うと私は特別野球ファンでもない、強いて言えば我が広島のカープを応援しているが、余りにも情けない成績に少々ブーイング状態である、言い換えればどうでも良いファンである、

現在の日本のプロ野球界のややこしい状況にうんざりしているが、この度のイチローの快挙には諸手を上げ大きな声で万歳を叫びたいほどだ、日本のプロ野球界からアメリカの大リーグに文字通り実力で殴りこみをかけた結果この快挙だ

正しく日本男児此処にありだ、過日のオリンピックでも空前のメダルラッシュで、体力的に劣るためだけでもないが、今まで涙を呑んでいた日本のスポーツ界も、世界レベルに堂々と通用する事を示したが、この度のイチローの快挙はそれに止めを刺し、日本人とし大いに誇りうる快挙である、

『イチローは凄い』正しくこの一語につきる

2004/10/03(日) ピラカンサス
秋晴れとは程遠い一日曇天だったが流石は10月トレーナー姿で丁度良い気温、『今夜は鍋物でも』と言えば妻はニンマリわが意を得たりの表情、朝からそのつもりで用意していたらしい、ではと言う事で足らずの食材を求めにスーパーに行った、

急に秋らしくなったせいで客の服装もばらばら、スーパーの温度管理も儘ならないのだろう、冷たすぎる店内温度に早々に引き揚げる

おかしなもので数日前までは暑い暑いと言っていたが、もう涼しすぎるなどと・・・
早いもので一月もすれば年賀状の事も考えなければならない時が来る、日にちの経つのが早く感じるのは年を取ったせいか、それとも毎日が充実し時間を短く感じる為か、どちらにせよ此処まできたら一年一日一時間を大切に過ごしたいと思う、

ところで庭の隅にあるピラカンサスが今年も赤くなり始めた、この時期になると小鳥が来てその実をついばむ、人によっては其れを嫌がりネットを張る人がいる、然し我が家はそんな事はしないで、キッキッと鳴きながら実をついばむ小鳥の自由にさせている
その姿を眺めるのも又良いものだ

2004/10/02(土) 祭り
秋らしく涼しい日差しに誘われ妻と出かけた、と言うより友人T君の奥さんが通っている仏画教室の教室展を観に行った、その足で「広島城秋祭り」なるものに足を伸ばした、

所謂イベントである、昔から伝わるお祭りと言うものではなく、
メインステージでは賑やかにアトラクションがあり、数知れないブースが立ち並びお祭り騒ぎである、本当言うと私はこの種の祭りより、日本古来の昔から続く「八幡様」や「氏神様」の祭りがすきなのだが、ラジオの生放送が目的だった、

それにしても随分人出が有るものだ、つくづく日本は平和な国だと感じた、人波に流され歩いていて海産物の販売ブースで山陰の「キスの一夜干し」を見つけて買った、
パックに入ったキスは、磯の香りがししっとりと美味そうにみえる、もっとも私の目的は何時もの様に食べるのではなく描くほうだけど・・・・

2004/10/01(金) 発想の貧弱
10月教室の画題として果物を描く事にしている、そのための教材を描いているが、パイナップルを購入し描いてみた、今日の雑記帖にも描いて入れてみたが、以前6月にもやはりパイナップルを描いて雑記帖に載せていた、しかも書き込んだ言葉が全く同じで「南国の香り」

私自身の発想の貧弱さを感じ少し落ち込んでいる
もう少し気の利いた発想が生まれないのだろうか、これと同じように林檎を見れば当然のように雪国か北国しか思い浮かばない
何と言うセンスの無さ、

『頑張れようすけ』大いに反省すべきだと思う


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