―思いのまま気の向くまま―
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2004/04/30(金) ゴールデンウィーク
今日からゴールデンウィークという事で、我も我もと浮かれている、ところが私の様に気侭に生活している老人にとってさして有り難い事でもない、然し若い人たちの動きに誘われ楽しい想いが出来るので、まんざらゴールデンウィークと無縁なわけでもない、と言うのも今日は若いMさん夫婦に誘われ筍堀に出かける、
この年になるまで筍堀など経験した事も無いので、出発一時間前の今異常に興奮している、楽しみだ、それに掘った筍は岩手県の息子たち家族に送ってやろう、孫が筍を見てどんな顔をするだろうかなどと想像している、
ところで今日は妻の誕生日でもある、男とは情けないもので心の中で思っていても、面と向かって言えない『誕生日おめでとう今からも何時までも元気でいて欲しい』何も特別に祝う事が出来ないけど、思う事は何時までも変わらない、偶然教室で描いた私の絵手紙を見ながら、『今まではこの手で精一杯頑張ってきたが、これからはお前と手を取り合って命ある限り楽しみながら生きて行こう』などと照れくさい事を一人考えやに下がっている。

2004/04/29(木) 希望
今日はある心身障害者就労促進事業施設から案内を貰い、「春風まつり」の見学に行った、ケーキ、さおり織り、絵葉書など数々の製品が並べられ、特に私の見たかった書画の展示に目を奪われた、全く飾り気の無い文字通り天真爛漫な作品には感動さされた、一文字、一筆がみな精一杯前向きで天にも届かんばかりの勢いがあり、希望に満ち溢れているように見えた、見ていて私は心の中で『何故だろう、この感動は何なんだろう』と問いかけていた、感受性が強く素直に表現できるからではなかろうか、兎に角素晴らしいひと時を有難う、
ところで今年は駄目かと諦めていた鉢植えの君子蘭に、たった一つだが花が開いた、鮮やかな色である。

2004/04/28(水) 黄色のカタクリ
盛岡の絵手紙友達のSさんから『黄色のカタクリ』が咲いたとの便りが届いた今までに見た此花は、淡い紫色のものばかりだったが黄色のものもあることを初めて知った、調べてみると『黄花カタクリ』という種類であるようだ、又盛岡の方は今から桜の時期が来ると言う、おまけに4月25日雪や雹も降った様だ、広島では考えられない事だ、今朝もウオーキングの途中サクランボが実を付け色づき始めているのを見かけた、何と同じ日本でこうまで違うものだろうか、如何に日本が縦長だという事を今更ながら知らされた、そう言えば盛岡の方には竹薮が無いため、筍がないとのこと明後日友人の案内で、筍堀に行くことになっている、沢山掘って孫に送ってやる事にしよう。

2004/04/27(火) H氏の死
今日から新しく始まった教室を終え帰ると『Hさんが亡くなったんよ』妻の悲しい報告、聞けば今朝早くとの事、以前から体調を崩し入退院を繰り返し、先月隣町のホスピスに急遽入院、その際残り数ヶ月と聞き十日前妻と二人で見舞いに訪れたが、未だ当分大丈夫の様に聞いていたのに、急に容態が変わりあっという間の別れだったと奥さんの言葉、最後は苦しみもせず静かだったとの事、せめてもの慰めである、実はH氏家族との付き合いも約六年程である、私自身兄貴のように思い色々世話にもなった、元気で博識者だったH氏に随分教えられたものだった、昨年私の父とも別れ続いて師とも思っていたO翁との別れそして今度はH氏との別れ、何と人の命のはかなさを身に沁みて感じ、幸いにこうして元気でいる私など、本当に『生かされた命に感謝』し、生きることに今以上貪欲になり、自分自身の健康を思い、残された家族の悲しみを考えると一層元気を大切にし、一日でもひと時でも命永らえなければと痛感する。  合掌

2004/04/26(月) ポスト
今回の教室の画題は『有難う』前にも話した事が有るけど、自分の周りに感謝する事は随分ある、考えてみれば人間という者は、周りの人や物にどれだけ助けられて生きているのだろうか、ともすれば『自分ひとりの力で生きている』などと、とんでもない思い違いをしがちだ、然しやはり人間は大きくは宇宙、自然そして取り囲む全ての力で生かされていると言うことを、自覚しなければ成らないと思う、随分大きな話しになったが、こうして絵手紙に親しみ色んな出会いを得ることが出来たのも、ポストがあり郵便でどこにでも心を届けることが出来る、ありがたいことでもある嬉しい事でもある、こうした意味で今日は改めて『ポストさん有難う』と言おう。

2004/04/25(日) 花粉症
此処2〜3日花粉症に悩まされている、十年前市内の中心部から今の家に引っ越してきたが、当時は花粉症などとは縁遠く全く他人事だった、ところが此方に来て二年目頃から怪しくなってきた、
山が近いせいで、杉・檜の類と顔を合わせるようになった為だと思う、この時期と秋になると、クシャミ鼻水涙と忙しい限りで、ダンディーを気取っていた積りの私も全く無残な姿である、
ところで今日描いた花は「アプチロン」別名「チロリアンラプ」とも言いほとんど一年中花をつけている、愛らしい花に似合わず逞しく根付きも良い、我が家から随分根分けしあちこちで花をつけている、季節ごとに花も変わっていく中しっかりと何時でも赤と黄色で楽しませて呉れる、人間もどんな時でも変わらず花開く心で居たいものだがはてさて、人の心は難しいものである

2004/04/24(土) 何時までも元気で
久し振りに孫娘と会った、妹の方は都合が悪いので姉の方と会う事にした、高校3年生になって久し振りに見る彼女は随分大人びていた、其の言動の一つ一つに私たちを労わる心が感じられ、思わず自分たちの年齢を実感させられた、然し大きくなればなったで孫は可愛いものだ、この子達が一人前になるまではこの爺、婆は元気でいなければと、心底考えさされた半日だった、

2004/04/23(金) しゃが
以前教室のOさんから貰った花の中に根の付いた「しゃが」が有った、妻が鉢植えにしておいた所見事に花が開いた、本来「しゃが」は寺院などに植えられ湿気の多い場所に育つといわれる、
花言葉は『友人が多い』との事、朝開いて夕方つぼむ一見寂しそうな地味な花だが、案外幸せ者の様だ折角根付いた花、大切に育てて貰いたいと妻にお願いしておこう。

2004/04/22(木) 紫蘭
小さな庭も緑が日に日に濃くなり春の深まりを感じる、其の緑の若葉の間に鮮やかな紫の色をした「紫蘭」が花開いた、紫はどんな色の中に混ざっていても、鮮やかに目立ち然も上品さを失わない、昔から紫は高貴な色とされている、上品で艶やかな色は何とも言えない色気さえ感じる、私の好きな色である。
それにしても今日はもう夏を思わせる気候だ、無理もないあと一週間あまりで五月になる、早いものだ毎日があっという間に終わり、心ばかり急いでいる毎日のようだ、『若いと思っていても歳は歳なのだから無理しないで』と心配して意見してくれる友人の言葉ももっともだと思い、ここらで深呼吸も必要かと反省した一日だった。

2004/04/21(水) 深まる春
我が家の庭も深まり行く春に花たちが毎日の様に順番に名乗りを上げている、今朝は「一初」が紫の大きな花弁で名乗りを上げた、次は「紫蘭」が蕾を膨らませている、小さいながらも我が家の庭は花たちの晴れ舞台でもある、私は一人観客となり次々と競い開く花の役者たちに声援を送る、『イヨツいちはつやっ』

2004/04/20(火) 春の新玉葱
今日は朝から夏を思わせる暑さだった、春の爽やかさよりいささか遠退いた日である、
ところでスーパーの棚に新玉葱が並ぶ季節だ、いかにも春の野菜らしく軟らかくて甘い新玉葱は、この時期私の楽しみな食べ物である、この時期の筍、新玉葱、鞘豆、をけずりかつおと薄いしょうゆ味で煮たものは、本当に春を感じる私の好物でもある、もう一つ付け足せば白いご飯に入った緑色の豆、そうグリンピースの入った豆ご飯で春を満喫できる、旬それぞれに美味いもの沢山である

2004/04/19(月) 雨に歌えば
久し振りの雨の一日だ、農家にとってこの時期の雨は正に恵みの雨だそうで、雨に濡れる庭で草花も生き生きしたいるようだ、
片隅に咲くスミレも心なしか色を増しているようにみえる、雨の止み間に風に揺れる花たちの姿が、何だか喜びに踊っているように見える、そんな花を見ていると雨のうっとおしさも忘れ、此方まで心が弾んでくる、思わず昔何度も繰り返し観た「ジーンケリー主演の音楽映画」『雨に歌えば』の主題曲を口ずさんでいた、
若き日の懐かしい想い出である、

2004/04/18(日) 握り地蔵
今朝から依頼を受けたお地蔵さんの絵を半切の用紙に4枚ほど仕上げた、実は私には大切にしている地蔵がある、それは以前尾道に行き、持光寺で土を一握りしその折は神妙に幸せを願って造った
『握り地蔵』だ、其の寺で握り目鼻をつけたものを後で、寺の釜にいれ焼き上げ入念した後送り届けてもらえる、本当に自分だけの自分のための『お地蔵さん』である、形は歪で唯の土の塊みたいだけど、心が入っている、不思議と心に行きづまりを感じたときなど、信心こころのない私でも握ると何となく開けるように思える、不思議なものだこれからもズット私の道しるべと成って呉れることだろう

2004/04/17(土) ポピー
庭の隅でオレンジ色のポピーが風に揺れていた、スーッと伸びた茎の先に一つだけ、オレンジ色の花が咲いている、見るからに頼りなげな姿である、然し其の頼りなさも風に揺れながらシッカリ生きている、こんな植物に比べ人間は如何に弱い生き物だろう、
あたかも自分一人で生きているという錯覚に捕らえられ事を起こしても、結局は他人の力を借りなければ、己が一人の身さえ守りきれないと知らされても、尚気が付かない思い上がりも甚だしい者がいる、これが全てとは言わないが大なり小なりこのような気持ちは誰でも持っているものと思う、此処で私は『生かされた命に感謝』という言葉を思い出す、己が先ず生かされていることに感謝してこそ、謙虚な気持ちになり、他人に迷惑をかけてはいけないと気づくのではなかろうか

2004/04/16(金) ニョキニョキ
毎朝一時間のウオーキングを、今朝は父の墓参りを兼ね、コースを墓地のある山の方に変えた、日が昇り始める瀬戸内海の風景は、実に穏やかで平和そのものだ、道中様々な自然を見ることが出来る、吉野桜が終わると八重桜が重々しく、しかも繊細な色で春を謳歌している、また草むらにはポピーが頼りなさそうなオレンジの花を咲かせ、ミヤコワスレの赤い花紫の花、此方には矢車草が、実に飽きることなく見るものはある、其の中でも今日の圧巻は、道路脇の竹林に筍を発見した事だ、さして広くない竹林だが、あっちにもこっちにも筍が頭を覗かせている、ほんの先だけのもの少し伸びかけたもの、ニョキニョキ、『わっ筍』妻が歓声を上げる、田舎で生まれながら、こんな場面を見たことが無いと言う妻、筍の出る頃竹薮には蛇が出ると聞かされ、敬遠し一度も竹薮に入った事のない私、二人とも初めての経験だった、   『今年は筍の味が一味違うかも』妻と話しながら足取りも軽く?
朝のウオーキングを終わった

2004/04/15(木) 教室展
現在私の教室の作品展の前期を催しているが、これがなかなか好評で会期の半ばになったが、見る人の感想がかなり高評価を貰っている、逐次生徒さんには伝えているが、皆の自信に繋がり喜んでいる、年齢層も三十代から八十代とかなり幅広く、それぞれの年代を通り越し和気あいあいの教室、それぞれ個々人の個性をそのままに、特別束縛しない教室が功を奏したのかもしれない、私自身「絵手紙は描く人の心を伝えるものだから、これといった規定はない」と思い、教室で話していることが表れたものと思う、
ところで今日友人から貰った鉢植えは、「ゼラニュウム」との事だが、葉も花も今まで見たことのない形と色のものだ、同じ花でもそれぞれ個性を主張し面白いものだ

2004/04/14(水) アスパラ
三日前、何時もの様に朝のウォーキング中、小さな川べりの草むらで大きなアスパラを見つけた、今まで見た事のないようなサイズのアスパラだ、根元は直径四センチ近くもあり高さは五十センチもあるだろうか、傾斜の草むらに文字通りニョッキリ立っていた、『大きなアスパラじゃのう』『まだまだ大きゅう成るんじゃろうか』そんな会話をしながら暫く眺め、『アスパラは一日に何センチも成長するそうな明日が楽しみじゃのう』と話し、それを楽しみに次の朝同じ場所に行ってみると、何と無残にも根元を、十センチばかり残してポキリと折られていた、そして折られたものが又三つほどに折られ、近くの道路に散乱していた、『アーア可哀そうに』妻と其の残骸を拾い集め、残された根元の傍にそっと置いて帰った、何となく寂しい朝となつたが、昨日見たアスパラの姿を思い、大地の力を見たようで勇気を奮い立たせた、

2004/04/13(火) 自然を大切に
それこそ猫の額ばかりの庭だが我が家にも春が訪れている
色々な花が芽を出し花開く時を待つもの、既に開き春を謳歌するもの、又その短い命も終わり枯れたもの、まさしく春真っ只中である、さまざまな木や花の間に埋もれそうに紫の可憐な花をつけた「むすかり」がソット咲いている、其の時期が来れば自然のままに芽を出し花をつける、やがて「鈴蘭」が白い花をつけるだろう、「いちはつ」も紫の蕾が膨らんでいる、「しらん」もソット蕾をつけ、さつきも沢山の花の準備をしている、自然は素晴らしい、この素晴らしい自然は私たちが守らなければならない。
こんな小さな庭の自然でも大切にする責任を感じながら、
今日も絵手紙三昧

2004/04/12(月) ありがとう追伸
「気の早い話しだが」との書き出しで、以前息子の事を書いたけど、いろいろ「ありがとう」を言わなければならない人と物は、身の回りに随分ある、其の中の一つに自分自身の右手がある、私は右利きでこの右手には、生を得て六十数年随分とお世話になった、いや今からも生きていく限りお世話に成らなければならい、不幸にして若し、半身不随等と言う病に冒されても、何とかこの右手だけは守りたい、守って欲しい、神様、仏様どうかこの右手が、無事で一生私の為に元気で働いてくれますようお守りください、そのためにこうして感謝しております、
それにしても右手を左手で描くというのも面白いものですよ、

2004/04/11(日) 葡萄
昨日友人のU君夫妻が遊びに来た、彼は私のパソコンの先生でもある、彼にパソコンの基礎から教わり何とか前に進むことが出来た、其の彼の二番目のお嬢さんが現在カナダに留学している、口にこそ出さないがさぞ心配な事だと思う、ただ現在は遠くカナダに離れていようと、電話は無論のこと、メールだって簡単に送れるからそんなに距離感が無いと言う、特に電話などすぐ傍で話しているように聞こえるそうだ、治安さえ良ければ問題はないとの事、そんな事を考えると、私達の様に国内で岩手県に住む息子夫婦と大差ないことになる、中々会う事もできずただ電話メールなどで連絡を取り合う、特にようやく話が出来るようになった孫の声を電話の向こうに聞くのを楽しみにしている、こんな事を考えると、実に日本はいや世界は狭くなったものだと思う。
孫といえば果物が好きで特に葡萄などにはめがないようだが、U君から頂いた葡萄、近ければ持って行ってやるのに残念だ

2004/04/10(土) 筍の旬
嬉しいね春の風が心地良い朝、旬の朝堀筍が届いた、根元の太いぐんぐん伸びそうな気配の筍、これこれ、根元に黒い土が付きしっとりとした土の香りがする筍、これが旬の筍だ、ずっしりとした重量感に本格的春を感じる、春は良い、旬のもの次々で描く物沢山、一層心が弾み筆も踊る、まさしく絵手紙三昧の毎日だ。

2004/04/09(金) 元気に成ってよかった
今日の教室では骨折や病気その他で永く休んでいた人が四人帰ってきた、皆それぞれ元気な笑顔だった、「お帰り」「元気に成ってよかった」、皆絵手紙大好き人間だ、四人がそれぞれに、休んでいる間にも、絵手紙を思い絵手紙を描き、「絵手紙やっていて良かった、病床でも絵手紙を描き、元気を出す事が出来た」口々に話している、『お帰り皆元気になって良かったね、又一緒に絵手紙を楽しもうね』久し振りに賑やかな教室だった
今日描いた水仙は、久し振りに帰ってきたOさんが丹精込め育てたもの。

2004/04/08(木) ありがとう
気の早い話しだけど五月は「母の日」がある、そのために四月の後半の教室では「ありがとう」の言葉を題材とした絵手紙を描く事にしている、参考の絵手紙として今日は、母の日定番のカーネーションを描く事にした、「有難う」の言葉で何時も思い出すのは、今から十数年前息子が東京で一人暮らしをしていて、二十歳の誕生日を迎えた朝、彼から花束が届いた、「何であんに(あの人)から来たんじゃろう」いぶかりながら、付いていたメッセージカードを開いた妻は、黙って其のカードを私に押し付けた「何や、どうしたんや」異常な妻の態度に訝りながら受け取った私も、目を通しながら字がかすんできた、
その内容は(命を授けてくれて有難う、感謝している、この命大切に今から生きていくこの気持ちで二人に花束を贈る・・・)この息子も今は素晴らしいパートナーと共に親となり、可愛い孫を私たちに抱かせてくれた、時折電話でようやく言葉になりかけた「ジイチャン」まさに天使の声を聞かせてくれる、今度は私たちが、『生きる楽しみを有難う、元気を有難う』と言いたい。

2004/04/07(水) 童心に返る
久し振りに高校時代の五人の仲間が集まった、久し振りといっても彼らとは月一度の割合で会い、日帰りのドライブに行く事にしている仲間だ、ただ前回私は少し体調を崩し、小豆島行きを欠席した為、皆が心配してくれたけど、お互い何処かが悪いと言う年齢だから、出来るだけ暗い話は避けて、会えば少年の頃に戻り話も弾む、昔の仲間は良いもんだ、何の屈託も利害もなく時間を過ごし次回の行き先に話が進む、何にしても昔の少年団の集いは楽しいものだ、ところで今日はスーパーで良い鯵の開きが有ったと、妻が「描いたら如何」と一枚買ってきた、夕食の食卓に上がる前に描く事にした。

2004/04/06(火) 瀬戸内はのたりのたり
春の陽気に誘われ、自転車で10分足らずの海岸に出る、沖に見える小さな無人島が二つ並んでいる、確か昔から「あまんじゃく」が住むという言い伝えのある島だと思う、その言い伝えはともかく、実に穏やかな海である、「春の海ひねもすのたりのたりかな」其のままの情景が目の前に広がる、あの小島は半世紀前の原爆と言う、悲惨な事実を見ていると思う、そして今も尚世界で勃発している悲しい出来事も全く知らぬげに、のどかな海に浮かんでいる、此処は一つ私も何もかも忘れ、しばしのんびり海を眺める事にしよう、

2004/04/05(月) 季節の移ろい
桜は今を盛りと咲き揃い、間もなく散り始めるだろう、そして
季節は少しずつ移ろい始める、庭の紫陽花の枝に新しい若葉が付き始めた、何故か私は花の中では紫陽花が特に好きな花である、特に雨の中の紫陽花を見ていると、時の経つのも忘れるほどだ、其の紫陽花の新芽を見、散り始めた桜を眺め、早くも時の移ろいを感じる、世の中如何であれ季節は移ろい、咲く花も交代していく、人工的に作られたもので無く、自然の季節に咲く花、これほど眺めて美しく嬉しいものは無い、こうした自然の美しさを何時までも守り続けたいと思う、

2004/04/04(日) 良かった良かった
突然倒れ入院しそして退院したという、Oさんから届け物が有った、新聞紙に包まれた土の付いたままの、人参やほうれん草が畠の匂いを放っている、早速電話をすると、元気になったOさんの声が弾んでいる、「良かった良かった」胸が詰まった、土にまみれた人参は小さく形も色も良くないが、「退院して初めて畠に出たんよ」・「初めてぬいたんよ」彼女の嬉しさが一杯込められた人参、ほうれん草である、話しのついでに「先生体調が悪いと聞いたが大丈夫?無理せんでね」、逆に私を案じての言葉、Oさんも、骨折で休んでいたTさん、Hさん、一人息子の大学入試で休んでいたTさんも、皆教室に復帰するとの事、春風が教室にも元気な春を連れて来て呉れたようだ、私も頑張らないと、それにしても良かった良かった、皆元気になれて良かった。

2004/04/03(土) 桜咲く宮島
明日から天候が崩れるからと、急に友から誘われ二夫婦で宮島に行った、宮島は予想通り桜が満開に近く、行く先々で見事な桜を見る事が出来た、おりしも「みやじま雛めぐり」と言うイベントの今日は最終日、大聖院(寺院)を初め五ヶ所の旧家を解放し、
百年以上前から其の家に伝わる雛人形を展示公開していた、其々の造りの素晴らしさと、何と言っても日本古来の伝統美を観、其の雛人形に纏わるエピソードを聞き、殊更に何十年否一世紀以上も保管され伝えられた、雛人形の素晴らしさを感じた、又これら公開されていた旧家の家の造りが素晴らしく、日本古来の建築を見て一層歴史を実感し、鳥肌が立つほどの感動を覚えながら「桜咲く宮島は昔の風が香っていた」と考える一日だった。

2004/04/02(金) 幸せになろう
昨夜来の雨も上がり今日は本当に暖かい春の陽気だ、ところが
岩手県に住む息子から電話がありあちらは10センチほどの積雪が有ると言う、考えられない事だ、今更ながらに縦長の日本を感じる、季節といえばリビングの額に入れた絵手紙が、未だ冬のままだなと気づいたが、其の前に額の傍に飾ってある、小さな梟の人形が見えた、布製のこの梟は、隣家の奥さんが、古布を使って手作りで縫い上げたもの、「梟は福を呼ぶ鳥、だから沢山福を呼んで幸せになってね」と頂いた、色々大変な世相だけど、少しでも多くの人が幸せになれば良いと思う、
ところで額の絵の季節替えは今日もお流れ、「この部屋に春は何時来るのかな」という妻の揶揄を覚悟で・・・

2004/04/01(木) 初心を忘れない
今月最初のテーマは「絵手紙の言葉はどのように考えればいいか」である、今日教室でこのテーマについて話しているうち、生徒さんたちの真剣な顔を見ていて、フト「初心を忘れるな」の言葉を思い出した、人それぞれで「自分が出来るから誰でも出来る」と思う事事態がおごった心の現われで、これではいけない兎に角初心を忘れてはいけない、と反省しきりの一日だった


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