―思いのまま気の向くまま―
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2004/05/31(月) 墨田の花火
今日で5月も終わり完全に梅雨に突入と言っても今年は入梅が少し早いとか、当分鬱陶しい毎日を過ごさねばならない、ただ紫陽花に慰められ特に雨の中の紫陽花の風情はなんともいえない、こんなことを思うと梅雨も満更悪くないようだ、昨日で教室展の礼状も書き上げ、今日は銀行のロビー展の作品を前期、後期と差し替え作業をしなければならない、庭で雨に濡れる紫陽花を見ながらその下準備をしよう、
一口に紫陽花と言っても種類は豊富だ、その中でも変わり紫陽花は『墨田の花火』とよばれ我が家の庭の片隅に花開いている

2004/05/30(日) 防災訓練
私の住む学区で防災訓練があった夫々の班に参加人員の割り当てがあり当番で班長をやっている私も参加した、この地区は数年前土砂崩れによる災害を受けていることもあり、私も勢い込んで参加したものの実際に災害にあって避難などした場合これで良いのだろうかと、些か疑問のある間に訓練は終了した、終了後主催者側の講評では満足との声があったが・・・?
何はともあれ訓練も終わり帰宅途中、生垣に初めて見る黄色い花が見事に咲いていた、その家の人に声を掛け?一輪手折り持ち帰った、早速絵手紙に描き念のため後からインターネットで調べたところ『未央柳(びようやなぎ)』と言う花だと判った、別名は
美女柳などと呼ばれているらしい。
ところでせっかく参加した防災訓練、せめて家の周りなど片付け
放火などの魔の手から守らねば、はたまた何か事有るときは速やかに近所に声掛け合い自らの安全を図る必要を知った・・・
あれっ?私も勉強していて防災意識を高めたようだ。

2004/05/29(土) 必携品
度々言っているように私は花粉症に悩まされている、それも市内中心部から今の家に引っ越して暫くして急に症状が出た、かかりつけの医師は『年をとってからは花粉症になり難いのだけど未だ若いと言うこと』と笑っていた、冗談じゃない本人は至極深刻なのだ、特に今年は鼻づまりと鼻水、目はシバシバ、咳は出る、くしゃみは出る、見られた様じゃない、病院で貰った薬は飲んでいるがそれでもなお、何とかウーロン茶が良いと聞き飲み始めたらこれが意外と良い様で今では何処に行くにもポットにいれ持ち歩いている、特に私のは季節が無いようだ、思わぬときに症状が出て悩まされる、何時になったらこのポットを持ち歩かなくて良くなるものやら・・・・・

2004/05/28(金) 勘違い野郎
突然だけど神は実に粋な方だと思う、隣家の裏に根を張るドクダミが花をつけている、ドクダミは『毒痛み』と書き別名『十薬』とも言い毒消しなど漢方薬として用いられる、それにしても同じ花で有りながら臭いは頂け無い、然し不思議と花の姿は可憐である、こんな粋な計らいは神のみなし得る事、香りの悪さを可憐な花で補ったのか逆に可憐な姿を臭いで守ったのか、これに似た事はよくあること『天は二物を与えず』の言葉があるように良くしたものだ、ところが世の中勘違いしている輩も多い、エッ?お前も勘違い野郎だって?それは如何も・・・・・・・

2004/05/27(木) 素晴らしい財産
昨日は大阪から来た友人S君夫妻と山口の国宝建築を尋ねた住吉神社、功山寺、そして瑠璃光寺と巡り歴史を感じ、日本古来の建築の素晴らしさに素人ながら感銘と驚きを覚えた、特に瑠璃光寺の『五重塔』は言い表せない感銘を受けた、そして日本建築の素晴らしさを誇りに思った、たまたま外国の人も何人か訪れていたが彼らにも誇らしく自慢したくなった、これは私がまぎれも無く日本民族だからだろうか、半世紀以前我が国は戦いに敗れ戦火で沢山のものを失い、その後も自然の猛威にそして火災など随分と財産を失ってきた、然し残された素晴らしきものを大切に後世に残す責任があっると思う、何とか守り続けて行きたいものだ。
ちなみに絵手紙の言葉は私のひねった俳句?のつもりである
『新緑に ゆかしき姿 五重塔(ごじゅうとう)』

2004/05/25(火) 頑張っている
昨日大阪から友人のS君夫妻が来てくれた、久しぶりに会い色々話が弾む、然しいつの間にか話題はお互いの健康につてい・・・我々の年齢になると如何してもこの話題は避けられないのが常、コレステロールが如何の、血糖値が高いなどと話す内容は決まっているが、お互い至極まじめである真剣に話し意見交換する、何て言ったって元気でいたい一心である、自分は元気だいまだに現役だと虚勢を張ってはいるが、実のところ内心は不安なのだ、スタミナをつけるためニンニクなど臭いなど二の次で常用し始めている、そして今日も元気だぞ!!明日も頑張るぞと自分自身に気合を入れている。
今日も上天気私は午後教室があるけど終わり次第S君夫妻と山口のほうに一泊旅行に出かける、そのためにもスタミナを付けて頑張らないと

2004/05/24(月) 瀬戸の海
昨日久しぶりに娘親子が来た、『お爺ちゃんお婆ちゃんの墓参りがしたい』との事、これも目的の一つだがメインは私の作る冷麺のタレが目的のようだ、それはさておき我が家から山手に約10分車で登ったところにある墓苑に同行、五月の晴れ渡った空の下見渡せる瀬戸の海は実に穏やかだった、それこそ波一つ無い海に浮かぶ小さな島は、心の底までゆったりさせてくれる、ふと遠く岩手県に住む息子たち家族を思う、孫も二歳になり腕白振りを発揮しているようだが、かの地の海はこのように静かな海とは聞いていない、遠く広島まで来てこの穏やかな海を見る日は何時のことやら、その折にはどのように感じるやら・・・。

2004/05/23(日)
蟹・かに・カニ美味なものの代表とまで言われている、が然し
私はそこまで食べたいとは思わない、とは言うものの蟹の美味なことは十分承知している、なのにあまり好まないのはつまり私が不器用で横着者だからかもしれない、と言うのは蟹のみをほじくって食べるのが苦手なのだ、誰かが蟹のみを出してくれれば『美味い』と感心しながら食べる、つまりかように横着者なのかもしれない、と言うよりそこまでして食べなくても良いわけだ、周りに起用に美味そうに食べる者が控えているわけだから、
ところで蟹といえば子供の頃広島市内を流れる本川(大田川の支流)で2月頃から春に掛けズガニと称する爪に毛の生えた大きいもので甲羅が15センチもある蟹を岸から手作りの網や銛で捕り、生きたまま鍋に入れ塩茹でして食べたことを思い出す、然し後年川も汚れヅガニの姿を見ることは無かったが、最近川も綺麗になりヅガニの姿も見えるようになった、然し今の子供たちは川での遊びも知らないだろう、町の中でも自然に触れ自然の中で遊ぶことは出来るのに、これでいいのかどうか私から言わせると、今の子供たちは可哀想だと思う、話が随分横にそれた『蟹だから横に歩いた』落ちが付いた様で・・・・

2004/05/22(土) 逆さ馬
最近友人のH君が事務所兼住居のマンションを引っ越した、ついては何かお祝いをと考えていたところ、彼の方から『何か縁起の良いものを描いて欲しいとの申し出があり、あれこれ考えた末色紙に『逆さ馬』を描くことにした、うまを逆にすると「まう(舞う)」に通じ古来目出度いときに舞うと言うことから、縁起が良いとか、馬の字の下の部分が巾着に似ているところから金がたまり商売繁盛に繋がるとか、色々な説があり縁起の良いものとされていると言う、今日もある人との話で文字を書くと言う話が出た、然し私はいつも話している事だが、書を習得したわけでもなく、恥ずかしながら我流で最終的には文字を書くのではなく、
絵手紙の中で絵として描いているので、実のところ書を修めている方に叱られはしないかとびくびく者である。

2004/05/21(金) 帽子
人は何かしら身の回りに如何しても手放せない物つまり愛用する物を何点か持っている、私もご多分にもれず如何しても無くてはならない物がある、その一つが帽子でそれも野球帽タイプの物、所謂「キャップ」と呼ばれるもので、その中でも「つば」の出来るだけ長い物にこだわっている、かといって特別お洒落な訳でもない、第一何を被ったって変わり映えするほどの者でないことは自他共に認める者だが、これだけは譲れないこだわりを持っている、何時どこに行くにも帽子を忘れたことは無い、勤めを止めスーツを脱いでからは手放したことは無い、だから教室でも皆さんに断りずっと被ったままである、極端に言えばスーツを着る必要のある外出はしたくない(帽子が被れないから)、不思議なもので何個か持っている中でもお気に入りがある、『何時も同じものでなく他のを被ったら』妻に言われても形の崩れかけたものを被っている、『家に帰ったときは帽子脱いだら』注意されても被っている、そのくせ帽子掛けには一度も被ったことの無い帽子が何個かあるまあせめてこれ位の贅沢?は許して欲しいと思う
今ではこの帽子が私のトレードマークにさえ成ろうとしている

2004/05/20(木) 雨上がりの庭
昨夜来の雨もどうやら収まり今から出かける私にとっては大変嬉しい限り、庭の植木や花も雨上がりに色も鮮やかに輝いている、
そんな中で今朝は「ゼラニュウム」の赤が際立っていた、以前同じゼラニュウムを描いたが、それは葉の色も形も変わったものだった、又この花は香りがいただけない、花の香りと言えば甘い優しいと相場は決まっているが、どっこいこれはおよそ甘いなどと言うものでは無い、同じような感じで「ドクダミ」の花も可憐な姿をしているが、香りは頂けた物ではない、然し花はたとえ姿や香りは異なっても、人の心を癒してくれる、世界中の人が花を愛する心のように隣人に接したなら、傷つけあい、果ては殺しあうことも少しは無くなるのではなかろうか。

2004/05/19(水) 藁葺き屋根の描かれた箸袋
昨日はMさんの仕事が休みとなり、私たちとMさん夫妻とでドライブに行く事となった、特別当ても無くMさんの車で走り昼食に立ち寄った店の造りは、昔の田舎家を再現した和風の店で、出された食事もまずまずだったが、興味を引いたのは箸袋だった、
田舎の藁葺きの家が描かれ、店の造りとマッチしてなんとなく懐かしい雰囲気を盛り上げていた、ふと何処かで見たことの有るような錯覚さえ覚えた、道路脇の藁葺きの一軒家をは町に生まれ育った私でさえ懐かしさを感じるのは、通りがかりに見たことのある風景かもしれない、田舎のどこにでもあった懐かしい風景も今はほとんど消えて行き無くなっている、先日『私は藁葺きの家が好きでそれを探しては写真に収め集めたものです』と言う人の写真展を観た、どことなく郷愁を誘い暖かい写真展だった、日本古来の良き物が次々と無くなるのも寂しいものだ、色々なものの発展に伴い人間は徐々に古いものを壊し、自然破壊まで無神経に進めている、これも時代の流れと諦めるべきなのだろうか

2004/05/18(火) 春から夏に
隣家の庭に咲いた『ホタルブクロ』を一枝いただいた、此花は6月初めから終わりにかけて咲く花だ、「蛍袋」と書き「花の中に蛍を閉じ込めるとその明かりが外へ透けて見える」とか 提灯の古名を「火垂(ほたる)」といい、その提灯に似ているので「蛍」になったとも言う(季節の花300より)
いずれにしても春から夏に季節が変わる頃に咲く花でもある、だから毎年この花を見ると『アアもうすぐ夏だな』と思う、春から夏への季節の移ろいを実感する

2004/05/17(月) 頑張った分だけ
ここの所梅雨に入ったかのように不安定な天気だ、今日も午後から雨こそ止んだが、むしむしと不愉快な天候だ、
我が家玄関先の植え込みにあるサツキだが、今年は花のつきが悪く緑の中に紅色の花が数得るほどしか付いていない、そのわずかな花が申し訳なさそうに雨に打たれ落ちもせず、雨上がりの鮮やかな緑の中で頑張っている、その花を見ながらふと私が良く絵手紙に書き込む言葉を思い出した、『頑張った分だけ結果が出る、結果の数だけ幸せになれる』そう頑張って一日でも永く咲き続けていて楽しませてくれ・・・・

2004/05/16(日) 優しさ
まるで梅雨みたいに良く降る、空を見上げては『よう降るね』誰かが聞いて『よう降るよう降る言うて褒めるけえ空が良い気になって、梅雨が来た思うて勘違いして降るんよ』とはいってもまもなく梅雨に入るのは間違いないと思う、ところでこの時期は色々な作物の収穫がある、今日は裏のTさんに採りたての葉玉葱を貰った、土の汚れを取り一皮剥けば薄いグリーンの艶やかな肌を現す、いかにも柔らかく甘そうで香りも良い、早速今夜の食卓に出るだろう、有難い事だ人との出会いがほんの優しい心からこうも幸せ感を得ることが出来るとは。

2004/05/15(土) ヤマホロシが咲いた
季節はもう夏、梅雨から夏に掛け咲く花「ヤマホロシ」が咲き始めた、今にも折れそうな細い枝の先に紫色の優しい花をつける、
この花が咲き始め紫陽花の花が色づき始めると、季節は春から夏
(梅雨)にと移っていく、最近では店頭に並ぶ野菜や花から伝わる季節感は薄らいできたが、こうして庭に咲く花からは季節の移ろいを目の前に見そして肌で感じることができる、花に季節の移ろいを教えられる、実のところ私にこんな生活を送る時が来るなんて思いもしなかったが、これも絵手紙を始めてからのこと嬉しい限りだ、

2004/05/14(金) 親父世代
昨日の雨が嘘の様な天気、むしろ夏日を思わせる一日でした、
たった今教室から帰ったところですが我が家の玄関口に鉢植えの「葵」がしゃきっと背を伸ばして出迎えてくれる、
鮮やかな緑の葉の間から覗く紅色の花、「葵」といえば時代劇をすぐ連想するのは、親父世代だろうか、ならばそれで良し、昔懐かしい東映時代劇随分楽しませて貰った、本当に良き時代でもあった、こんなことを言えば益々お歳と笑われるかな?

2004/05/13(木) あまなつ
今朝から実に良く降る、まるでもう梅雨に入ったかの様に、テレビで土砂崩れの報道をしている、私の知人も何人か山の傍に住んでいる人も有る、被害に遭わなければ良いが心配である、
ところで今朝隣家から「あまなつ」の採りたてを戴いた、瀬戸内の島で育った物だ、消毒などしない自然のもので、器量は良くないが美味しいそうだ、(私が食べないので妻の言による)自然で瀬戸内海の風と太陽を充分に浴び育った柑橘類は、全国でも有名な美味さがある様だ、これも岩手の孫が特に好物だというので送ってやることにする、

2004/05/12(水) 行く春を惜しむ
今夜から下り坂になると言う天気予報、日中は既に夏を思わせる暑さ、カラリと晴れ渡った天気の中Mさん夫妻と予てから計画していた、『藤園』に行く事になった、私の健康状態から延び延びとなっていたドライブである、勿論運転の出来ない私たち夫婦はMさんの車に乗せてもらう、談笑のうちに目的の『藤園』に到着
入園料は一人700円の所今日から500円に値下げになったとの事、園内には1200本の藤が見事に咲き乱れている筈が、残念、既に盛りを過ぎイベント会場の一部を除き、既に色褪せて居た、案内役のMさんはしきりに残念がっているが、初めて見る私たちは尚残る甘い藤の香りに感動し、園内のしゃくなげ、リビングストーンデージーその他の色鮮やかな花に見とれるばかりであった、花と緑のオゾンを胸一杯吸い込み堪能する事が出来た、
Mさん夫妻とはふとした縁から親しくして頂き、年齢的にも私の兄の様な存在となっている、不思議なもので兄とも思っていたH氏と永久の別れをした矢先、入れ替わりMさんとの出会い、人生色々あるがこうした出会いこそ幸せに繋がり、新しい希望が湧いてくるものだ、この出会い一層大切にしたいと思う

2004/05/11(火) 夏日
今日は朝から夏のような日だ、昼間の温度が28度まで上がるとの事、私のこの部屋の温度計もまさしく28度をさしている、
裏の畠では菊菜の黄色い頑丈そうな花が、春の終わりを告げるかのように、太陽に向かい咲き誇っている、我が家の庭に目をやれば、気の早い『黒姫紫陽花』が色づき始めている、「ヤマホロシ」「アオイ」「エゴ」その他色々の花が、春という季節に乗り遅れまいと一斉に咲き競っている、まさに百花繚乱である。、
私自身も少し心配した体調も戻り、咲く花たちに負けじと気合をいれ頑張るエンジンをふかす事にする。

2004/05/10(月) アリガトウに有難う
『コンニチハ』の声、来客はM家のK・K兄弟だった弟のK君の手には見事な色の花『カラー』の鉢植え『母の日のプレゼント』兄のK君と声を合わせる、振り返れば妻は目に涙が溢れている、言葉も無く立ちすくむ、代わりに私が受け取る、二人を招きいれ昼食を共にする事にした(勿論私のパスタ料理である)早速M家の両親も呼び賑やかな食事となる、その折今日のプレゼントの花はK・K兄弟の小遣いで買ったと聞きまたもや感激の涙である、数日前娘と孫からそして遠くに住む息子夫婦から勿論ワ・タ・シからも、先日来のプレゼントの花攻勢に幸せと嬉し涙に溺れそうな妻の心はまさしく『アリガトウに有難う』の涙一杯である

2004/05/09(日) 人間考え様で・・・
人は誰でも何かしら悩みは持っている、悩み苦しみそして悲しみ喜び憤る、そんな事を一つ一つ乗り越え大きく成長する、人間だからこそ出来うる事、これこそ人間の素晴らしさだと思う、私自身毎日がこの繰り返しかも知れない、朝な夕な好き勝手に過ごし周りからは、『悩みも無く何を考えている事やら』等と思われがちだが、私だって人間の端くれ、悩みもする、苦しみもする、然し常にプラス思考でくよくよしない事にしている、いくら頑張ったって今まで生きてきた人生の年数ほど生きられる訳でもない、だったら生かされ与えられた私自身の残りの人生楽しく生き抜こう精神で過ごしている、他人様に迷惑を掛けず嫌がれる事無く、良い人生を過ごしたいものだ

2004/05/08(土) トマトを好きになれない
実に美味そうなトマトだ、『よく冷やしかぶりついたら美味しいだろうね』全く私にとっては他人事である、どうしても生のトマトを好きになれない、かといってトマトジュースは美味しく飲むし、料理に使った煮たり焼いたりしたものは抵抗が無い、何故なのだろうか不思議である、だからこのように良く熟れて、ずっしりと思いトマトはパスタ料理に使いたくなる、良い酸味が出るだろうな、今夜はトマト味のパスタにしよう、我が家ではパスタ料理は私の当番と言う事になっている

2004/05/07(金) 紫陽花の頃
心地よい春の風も何時しか初夏の日差しえと季節も移った、夏の暑さの前にあの鬱陶しい梅雨を覚悟しなければならない、然し其の梅雨だとて楽しみもある、雨に濡れる花・雨上がりの花、そう
紫陽花の季節である、私は個人的になぜか紫陽花が好きだ、『雨降りは嫌いだが雨に濡れる紫陽花は最も好きだ、と言う事は雨もまんざら嫌いでもないと言う事に・・・』この時期になると毎年一人思う、あんなこんなで我が家には紫陽花を何種類か育てている、面白いのはブルーの花と思って育てた花がピンクだったり、育つ土により色が変わると言う紫陽花、土を変えたあの鉢の紫陽花は何色花」が咲くかなんて色々楽しんでいる。

2004/05/06(木) 空豆の旬
空豆の旬だ、空に向かってなる所からこの名前が付いたと言う、
又、サヤが蚕に似ている所から(蚕豆)とも言うそうだ、子供の頃父親たちが茹でた空豆をつまみながら、美味そうにビールを飲むのを見ていた、確かにこの時期の空豆は美味い、緑色の豆をつまみ口の中でくるっと皮をむき柔らかい実を食べる、まさしく旬の美味さである、次々と現れる旬のもの、春夏秋冬それぞれの旬のものを食べる事は、何ものにも変えがたい楽しみである、だからこのような事を喜ぶ私はグルメと言われる所以かも知れない・

2004/05/05(水) 端午の節句
最近の子供に『端午の節句』と言って皆すぐ判るだろうか、ただゴールデンウィークの中の子供の日と理解していると思う、ましてや『男の節句』など、尚更判らないと思う、私の育った広島市内では、前日から菖蒲と蓬を束ねたものを家の屋根におき、当日其れを風呂に浮かべ其の香りのする湯船に浸かり、父親に菖蒲で鉢巻をしてもらい、風呂から上がれば母親手作りの、柏餅、粽(ちまき)を食べ男の子が元気に育つよう願い祝ったものだ、最近では柏餅、粽も売っているものを買って済ませ、母さんの手製はほとんど無くなった、我が家にしても夫婦二人きりになると食べるものも無いので、最近はスーパーで一つ二つ買い求めるだけになった、寂しいと言えば確かに寂しい、昔からのよき伝統が一つ一つ無くなって行く、そして{お袋の味)が一つ又一つと消えて行く、これも時代の流れと言うものだろうか。

2004/05/04(火) そっと春
昨夜来の雨も漸く上がったようだ、雨に濡れた庭に目をやると、
隅の方に紫の小さな花が咲いていた、名も知らぬ花で別に種を蒔いた訳でもなく、風に吹かれたか小鳥が運んで来たか、種が落ち芽を出したものだろう、このように小さな花でも生命力は強い、
自然に生かされ見る者の心を慰めてくれる、私はどちらかと言えば名のある華麗な花より、むしろ名も知れず小さく咲く花に心魅かれる、人間だって華やかに脚光を浴び生きるのも良かろう、然し私などそのような事はありえないが、それにしてもそんな生き方は一日たりとも我慢できないだろう、其れより平凡で良い自分なりの生き方をしたいと思う

2004/05/03(月) 友情
今日はGWの中日、今の私にとっては特別のものでもない、其処にもってきて朝から雨模様、不思議と春の雨の日は特別鬱陶しさを感じる、其のせいか少々気分も沈みがちだったが、届いた宅配便で元気が出た、荷物は熊本のH君夫妻からの物だった、パッケージには『メロン、ホームランスター』と印刷されている、彼とはふとした出会いから家族ぐるみの付き合いが始まり、既に三十年にもなるだろうか、彼と彼女と直接接していたのは僅かな期間だったが、彼達は故郷の熊本に帰り無事結婚式を挙げ、幸せな家庭を築き今では孫まで有り、然し私達とも遠くはなれ中々会う機会が無く、時折こうして彼の地の名産を送り届けて呉れる、南国の太陽を一杯に受けた果物は他に無い美味さがある、届いた品物より何時までも忘れる事も無く、こうして届くH君夫妻の友情の証が、私たち夫婦の心に響き胸の熱くなるのを禁じえない、
久しく会って居ない彼達はどのように変わっているだろうか、今でも昔のままの美男美女で居るだろうか会いたいものだ、其のうち元気な間に熊本に出向いて見たいとも思う。

2004/05/02(日) 葱坊主
私の部屋の窓越しに畠が見える、季節ごとの野菜が丹念に育てられている、今朝は奥さんが見事な葱坊主を取り除いていた、ふと『アア、葱も終わりか、お役ゴメンだな』と哀れさえ感じた、種がまかれ育てられ旬を提供し、やがて先の方に葱坊主として種を蓄え旬の終わりを迎え、再び種となり時期が来れば蒔かれ再び旬を迎える、野菜や花などはこうして繰り返し,生まれ変わり旬を迎える、人は如何なんだろう、生まれ育ち,やがて老いそして命を全うする、其れきりで生まれ変わる事は無いのだろうか、同じ人生を繰り返す事は無いのだろうか、人は生かされ命果てるまでがむしゃらに生き、それぞれに何かを残す事が出来るだろうか、私自身何をしているのだろうか、人を信じ愛し頑張った積りでも、何処かで人を傷つけ裏切っているのかもしれない、人それぞれ受け取り感じることは違う、だからこそ頑張る必要もある、かと言って人に認めてもらうために頑張り生きる訳でもない、唯自分を信じ、ひたすら自分らしく生きる事に徹したいものだ

2004/05/01(土) 春の香りと味実感
昨日は以前から計画していたMさん夫妻に筍堀に連れて行って貰った、初めての経験である、目的地に着き先ず蕨採りから始める、山の方に向い雑木林の中に分け入り無数に生えている蕨を、手当たり次第に手折る、すぐ近くで聞こえる鶯の声、所々に咲く山ツツジの淡いピンク、見事に咲き房をなす紫色の藤の花、緑の風とオゾン一杯の空気を思い切り吸い込み幸せを感じる、『蛇が出るのでは』と危惧していた妻も我を忘れ嬉々として袋に蕨を入れている、池の傍に敷物を敷き昼の弁当を広げる、自然の中での食事の美味さ、平素経験できない心に豊かさを感じる、昼食後目的の筍堀を始める、山に入るとすぐ無数の筍、聞けば竹薮から広がった竹の根で処かまわず筍が生えてくるとの事、雨が降った後で文字通りの雨後の筍、Mさんのお父さんが慣れた手で鍬を使い筍を堀り上げて行く、続いて本命の竹林に入る、無数に地面に顔を出している筍に感動すら覚える、田舎に生まれ育った妻もこのような経験は初めての事で、今まで見たこともないような喜びようで目を輝かせている、まさしく昨日一日で私たちの今年のゴールデンウィークは充分堪能できたようだ、
このような機会を下さったMさん達に心から感謝である


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