―思いのまま気の向くまま―
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2004/06/30(水) HP原画展の終わり
HP原画展の後期も今日で終わった、前期後期共で二ヶ月間あっと言う間に過ぎた、会場提供いただいた伊予銀行の皆さんには好意的にご協力頂き感謝である、又この期間内に幾つかの新しい出会いもあり、絵手紙やっていて良かったと感動も貰った、
季節の移り変わりも速く、紫陽花も梅雨の晴れ間に色あせ始め、
向日葵が明るく咲き始めた、又庭の隅には夏の名も知らない花が
顔を覗かせ、トンボさえ姿を見せている、人はこのような自然に逆らうことなく、又自然を大切にし自分達が自然の中で、生かし生かされているという事を忘れないで、生きていく必要があると思う

2004/06/29(火) 薩摩芋の芽
隣のHさんから今年も頂いた物は『薩摩芋の芽』だ、昨年もこの時期薩摩芋の切れ端から芽を出させたものを頂いた、毎度昔の思い出話で恐縮だが、今でこそこうして薩摩芋の切れ端から芽を出させたものが、観賞の為テーブルの上に飾られているが、その昔終戦前後の生活の中で、薩摩芋は主食として大切なものだった、まともな芋は当然のこと、街から疎開していた者にはそれすら口に出来ない事もあった、忘れられないのは、種芋として苗を育てた後の芋、実となるものはほとんど苗に吸い取られ筋ばかり残った芋を母は農家を回り頭を下げ分けて貰い(それだとて只ではなく貴重な着物などと交換で・・・・)蒸して食卓に出していた、今考えてみると生きる為とは言えかなり屈辱的な事でもあった、そんな夜両親の会話で目が覚めた事があった『お国のためと辛抱しているけど捨てるようなものまで着物を取られ、同じ日本人なのに本当に悔しい』子供心に悔しく涙したものだ、そんな事やあんな事を思い出しながら、テーブルの上にある芋の切れ端から伸びている透き通るよう緑の葉を眺めていると、何故かやりきれない気持ちになった

2004/06/28(月) トウモロコシ
先日教室のKさんから、「共同作業所」の皆さんの作品だと言って手漉きの紙を貰った、今日はその紙に描いてみた、滲みも無く丁度頃合の描き具合である、障害のある作業所の皆が一生懸命に手漉きで作り上げた紙である、私も一生懸命に描いた心を込め、
粒は不揃いだがしっかりと実をつけているトウモロコシを見ながらふと思った事は、どんな人の集まりだって、どんな環境の社会だって色々の心を持った人の集まりだから色々の意見があって当たり前、一人の社会人としてどのようにするべきかはその人なりの考えで、やらなければならない、そのとき忘れてならない事は、『自分ひとりで生きているのではない、周りのすべての人や物に依って生かし生かされている』と言う事だ。

2004/06/27(日) 暢気で平和な生活
『今日は雨が降るし買いもんに行かんでも良えじゃろう』『ほいじゃあ昼は何にしようか』『何でも良えよ、食欲も無いし』これが今朝二人の会話である、結局材料があると言う事でたこ焼きをする事になった、夫婦二人になってから時折こうした事態が発生する、そのためにたこ焼き器も購入、食卓が俄かにたこ焼き屋さんに成る、夫婦二人の生活は暢気なものである、これも二人そろって元気なお陰だろう、何時までもこの暢気で平和な生活が続きますように・・・・・

2004/06/26(土) 紫陽花との別れ
南の方では梅雨もあけた様子、ぼつぼつこの辺りも梅雨明けが近いと思うけど、それにしても良く降るもんだ、庭の紫陽花もそろそろ時季も終わりに近く花の色もあせて少し寂しさを見せている
少し前までは次々咲く紫陽花を喜んでいたが、色あせ始めた花が少し哀れにさえ思える、然し花は来年この時季に成ると再び花開き楽しませてくれる、来年を楽しみに待とう一年一年歳を刻み私自身にも色々な事があるだろうが、又来年紫陽花の咲く時季を楽しみに、生かし生かされる命を大切に元気でありたいと願いながら、消え行く紫陽花としばし別れるとしよう。

2004/06/25(金) 門司港での感動
昨日の続きになるが門司港のレトロ地区の散策で特に目を引いたのはブルーウイング門司と名づけられた跳ね橋である、一日何度か定め決められた時間に橋が中ほどから跳ね上がる、前回訪れた際は気が付かなかったが、今回は運良く跳ね上がる時間に遭遇音も無く跳ねる橋を見ることが出来た、その昔東京のかちどき橋が跳ねるのを見たことがあるが、スケールこそ違え懐かしく想いだした、同行の妻は勿論橋が二つに割れ跳ねるなどとは知る良しも無く、私以上に驚き感動もしていた、如何やら此処のところでこの旅のムードは上昇したようだ。
続いて港に係留されたタグボート、ビルの31階にある展望室から見る関門海峡、波止場に係留されているタグボート、レトロな建物の内部、初めて訪れた妻にとっては皆珍しく感動し喜ぶこんな妻を見て永年掛けつづけた苦労が今更の様に蘇ると同時に、この旅えの思いが新たになった。

2004/06/24(木) 関門橋
昨日から今日に掛けて福岡の志賀島に行ってきた、以前から是非訪ねてみたいと思っていた場所だ、福岡から在来線で揺られて、
宿からの迎えの車に乗り継ぎざっと一時間で玄界灘に囲まれた宿に着く、島といっても陸続きになっており車で走る道も道路の両側は海という箇所も有りく感動ものだった、目的の一つでもある絵手紙は色々描く事ができた、福岡に行く前に門司港に立ち寄りレトロな建物など見たり、港に浮かぶ船を眺めたりゆっくり堪能する事が出来た、今日書き込んだ絵手紙は門司港に浮かぶタグボートの背景に見える関門橋を描いてみた、この橋の完成により九州も随分近くなり著しく発展したのも今は昔の話となってはいるが、人間の力特に日本の建設の力は素晴らしいと感じる、

2004/06/23(水) キウイフルーツ
この地方は台風が慌ただしく通り過ぎ正しく真夏日となった、一昨日の台風風は窓を開けた家の中の隅々まで砂埃を残して言ったようだ、掃除してざらざらを取った積もりでも今朝も隅のほうがざらついている、ところで今朝は早立ちで明日に掛け九州の方に行って来る、勿論携帯用の絵手紙用具はリュックに収めて有るけど果たして描けるものやら、出発が早いため起き抜けに手近にあったキウイフルーツを描いてみた、画題としてはなんと愛嬌の無い代物だが、聞けばジューウシーで美味いものらしい、やはりこれも『外見じゃないよ味で勝負』の部類のようだ

2004/06/22(火) 時間
今我が家の時間の流れを管理しているのは、息子の『工房空』で
手作りされた木製の振り子の掛け時計だ、手作りの木の暖かさが
静かに時を刻んでいる、私達夫婦もこの時計から生まれる静かなゆっくりした時間に流され至極平和にすごしている、二人きりの生活に時には友を招き語り合い、夫々の時間を大切に楽しみ、お互い労わり合いながら一日を終える実に幸せを感じている、

2004/06/21(月) 太陽に向かって頑張れ
アジサイもぼつぼつ終わりを迎えている、いれかわりに我が家の庭には夏の花「ルドベキヤ」が待っていましたとばかりにつぎつぎと咲き競っている、又向日葵もぐんぐん伸び、中には気の早いのもあってすでに花開いたのもある、ところがこの気の早い花は少々気が咎めるのか、太陽に背を向けている、『向日葵は常に太陽のほうを向き、日の光を一杯に受ける物』と思っていたがこいつばかりは少し違っている『何だ元気を出して太陽に向かって行け』と毎朝エールをおくっても、依然として何をすねているのかそっぽを向いたままだ、ところが今日は台風の接近で風が強く、花を付けた向日葵が風に翻弄され今にも折れそうで、仕方なく切って花瓶に入れた、流石に今は部屋の中で悠然と輝いている

2004/06/20(日) パイナップルに想う
パイナップルを頂いた、その昔万国博覧会に行った時始めてパイナップルを食べた、終戦後学校の給食で進駐軍の払い下げとか言われてパイ缶なるものを口にしたのを思い出した、それはほとんどジュウスで刻まれた身がたまに何個か入っていた、そのうち輪切りのパイナップルの缶詰が出て『この世にこんとうな美味いもんが有るんか』と驚いたものだ、その後万国博覧会に幼いわが子を連れ、暑さと人の多さにくたくたになり場内を歩きながら見つけたのが、細長くカットをし割り箸を突き刺し氷で冷やしたパイナップルのみだった、それは実に冷たく甘酸っぱいものだった、始めて生のパイナップルを口にし、果物の苦手な私もそのときばかりは『なんと美味いもんじゃ』と声に出していた、だから今でもこの部屋一杯に広がる香りも進駐軍、外国の香りとして受け入れている、又その昔沖縄に行った時パイナップル畑を見て『日本もなんと広いもんで、外国でなるもんが畑に一杯ななっとるんで』と早速妻に馬鹿な電話をしたことを思い出し一人苦笑しているのを妻に見られ『気持ち悪い何を一人で笑い居るんね』と言われふと我に返ったが、それにし手も暑い日だ現在室温31度、開けた窓から時折涼しい風は入るのだが、(我慢しよう折角南の国の香りと、ポールモーリアの優しいCDをかけているのだから)
汗を拭きながら我慢している。

2004/06/19(土) 幸せを実感
色々な花があるもんだ、朝のウォーキングの帰り近所の家の軒先に珍しい花を見つけた、ちょうど花の手入れ中の奥さんに尋ねると『マツモトセンノウ』という名の花だそうだ、絵手紙に描くからと一枝切ってもらった、絵手紙をやっているとやたら花など目に付く、『前は花など興味なかったのに不思議なもんね』妻に時折ひやかされる、然し好きな事を好きなように出来る毎日、こうしてホームページまで持ち益々出会いのチャンスを広げて楽しむ事が出来る幸せを実感している、ホームページと言えば、トップページのボタンにある『工房空』のホームページも更新して、今までより一層明るく楽しいものになっている、中でも作者(私の息子)の奥さん(お嫁さん)が書き込む日記は、田舎の風景その中に溶け込む親子の暖かい姿、そして工房の状態など楽しくさらっと書き流して読む者に安らぎをくれる、これから毎日覗くのが楽しみだ、

2004/06/18(金) スモモはスモモ
先日プラムとスモモは一緒のように描いたけど、妻がスーパーからスモモを買って来たのでよくよく見ると、スモモとプラムは違っている様だ、両方わっって見るとスモモは中身まで赤くプラムは白かつた、食べた妻に聞けばやはり味は違うみたいだ、結論はスモモはスモモ、プラムはプラム、外見が同じように見えたからと言っても中身まで同じものとは限らないと言う事を知らされた、

2004/06/17(木) ジャガイモの実
本当に珍しい物(事)があるもんだ、裏の奥さんが『これ何じゃろうか』と我が家に持ち込んだものを見て『茄子の実?』『イヤジャガイモの枝に成ったんよ』見れば確かにジャガイモの枝に直径1センチくらいの実が5〜6個ぶら下がっている、初めて見るものだ『花が咲いた後こんなものがなっとったんよ』『長年ジャガイモ植えるけど初めてよ』奥さん少々気持ち悪そうにしている、
早速パソコンで検索して見たところ、確かにジャガイモの実として出ていた、今まで平成2年毎日新聞岐阜版で報道されているとの事、天候が良く気温の高い年にジャガイモの実が成る事があるとの事、黄色く熟し食べると甘い実だそうだ、それにしても珍しいものを見たそして描いてみた、

2004/06/16(水) 山ほたるぶくろ
絵手紙教室で『暑いねェ』と話しかけたら生徒さんの一人が『暑い言うても言わんでも暑いんなら言わん方がええよ先生』と言った御尤もである、それにしても今年の梅雨の中休みは実に暑い、
そんな今日の午後隣のHさんから山から採ってきたと、山ホタルブクロの一枝を頂いた、なんだか山の涼しい風と山の香りが部屋一杯に広がっていくみたいだった、緑と白の優しいコントラストが見る人に安らぎ、癒しを与えてくれるようだ。

2004/06/15(火) カタカナ言葉
『プラム買う来たけえ描いてみたら』『何や?スモモかあ』『いやプラムよ』私には如何見てもスモモにしか見えない、後で調べると同じようなものだけど、どうやらプラムはプラムスモモはスモモの様だ、然し納得いかないまま描いたけど、昭和初期生まれの私としては頭の中で少々不満が広がっている、新聞を見てもテレビを見ても、世の中にはカタカナがあふれすぎていると思う、特にテレビのコマーシャルなどカタカナで始まりカタカナで終わってしまうものがある『今のは何のコマーシャルや?』『解らんかった』何とも腹立たしい事だ、時代とは言え大人の世界も解釈不明な言葉が飛び交い、若者の話す言葉たるや何度聞いても解釈に困るほど短縮しているし、言葉を大切にとの思いで過ごしているつもりの私にとっては実に悔しいことである

2004/06/14(月) 団扇
梅雨を通り越し真夏に入った感じの陽気である、今月の教室も今日で前半が終わり紫陽花の花をみんな見事に描きあげた、どの教室も生徒さんが本当に楽しそうに描いてくれるので、私のほうも楽しく時間を過ごせる、次回は早いもので暑中見舞いが画題となっている、前回団扇を製作した際の材料もあり団扇を作ってみた今日は6枚製作暑中見舞い代わりに郵送した、郵便物も団扇の原型のまま出せるのでありがたい、夫々に配達され私の心からの贈り物を届けて欲しいものだ

2004/06/13(日) ツユクサ
朝のウォーキングから帰って今を盛りの庭の紫陽花を見ていて、ふと朝露に光る紫陽花の葉の陰に青い小さな花を見つけた、ツユクサが咲いていた、昨年『来年花を付けたら絵手紙に描けば良いね』と妻が植えたものだ、本当に小さく可憐な花だがこんな小さな花が、思いっきり今を盛りの紫陽花の葉の陰になりながら
こんなに小さくても誇らしげに咲いている、しかも小さければ小さいほど私の心の大きな癒しとなり呼びかけているようだ
『見て、見て私も精一杯頑張っているよ、綺麗でしょう』と・・
小さなツユクサに頑張れと勇気付けられた朝だった

2004/06/12(土) してやったり
梅雨独特の湿っぽい日だ、雨が降るでもなくカラット晴れるでもなくパッとしない天気のせいか頭も少々重い、
昨日は教室で紫陽花を画題とにした、生徒さんが各自持ち込んだ画題の紫陽花は多様である、特に「柏葉紫陽花」は葉の形が柏の葉に似ており白い八重の花が上品な花だ、又特筆すべきは大人の顔ほどある大きな紫陽花だ、直径が27センチ近くありこんもり盛り上がった花は見るからに堂々とし心をゆったりとおおらかにしてくれる、早速貰って帰り先日の大きなトマトの仕返しとばかりいきなり妻の目の前に『ドウダ』と突き出す、あまりの大きさに声も無く立ちすくむのを見て「してやったり」我が家は平和そのものだ

2004/06/11(金) 一厘のバラ
Oさんの奥さんからバラの花を一輪頂いた、ご主人のO翁は過日九十一歳で他界されたが生前は書画を愛し、私の良き理解者でもあり師とも思っていた人である、このバラも生前花を愛し育てて居られたO翁が、幾つもの花と共に丹精込められた一つである、
O翁の優しさと書画に対する秘められた心を其のまま受けて育ったような花である、私もO翁のような生涯を過ごしたいものだと思い改めてO翁のご冥福を祈りたいと思う 合掌

2004/06/10(木) 大きなトマト
突然『どうだ』と言って妻が私の目の前に何か突き出す、それは妻の握り拳の三倍も有ろうかと言うトマトだった、『大きいトマトじゃのう如何したんや』『スーパーに出とったけ描きゃ良い思うて』、
有り難いもので妻も今では何時も私の画題を念頭に置き物を見てくれている様だ、ただし全てと言うのではなく値段と後で食卓にあげることの出来るものに限られているようだ、画題としては確かに面白い良い物を買ってくれたとは思うが・・・・・、
描いた後こいつを二人で食うには・・・そうだ手っ取り早く明日の昼食は(トマト味のパスタでも作るか)内心そう思いながらこの大きなトマトを受け取った

2004/06/09(水) サボテンの花
友人のMさんからメールで花の写真が送られてきた、サボテンの花と言うことだ、淡いピンクの上品な花である側に写っている本体からは想像も付かない優しい花である、サボテンと言えばあの映像でしか見たことの無い、暑い砂漠やメキシコの風景を思い浮かべるが、もしあの風景の中でこんな花を見たらどんな気がするだろう、実際に見てみたいもんだ、こうして写真で見るだけでも心が和む花である

2004/06/08(火) ルドベキア
今年も「ルドベキア」の花が咲いた、この花は実に繁殖力が強く毎年何人かに株分けしているが、我が家の塀沿いに並べたプランターにこの時期に成ると、濃い黄色の花を付け鮮やかに咲き始める、一寸見は向日葵の小型のように見えるが関係ないようだ、ただ原産地はアメリカで花言葉は「鮮やかな態度」とのこと、何にしても向日葵に先立ち夏を知らせる花である。

2004/06/07(月) 空気清浄器
まだ梅雨に入ったばかりと言うのに連日の暑さじっとしていても汗がにじみ出る、おまけに花粉症から来るアレルギー大変なんです、とうとう部屋の空気を綺麗にしたらと、僅かな望みから私の部屋に空気清浄器を据えることにした、センサーで確実に作動し空気を綺麗にしてくれている、お陰で鼻づまりクシャミ等ほとんど皆無になった(気のせいでは無いと思うイヤきっと効果があると信じよう)センサーは大した物でほんの僅かなほこりや臭いに反応している、(内緒の話ソット漏らしたすかしっ屁にも・・)
偉いもんだと一人感心して居る

2004/06/06(日) 枇杷の旬
今年も裏の畑から枝に付いた枇杷が届いた『描いてんでしょ』元気な裏の奥さんの声、正しく地物の旬である、妻は早速洗い皮を取り一口に頬張る『美味しい』満足そうな声、裏の畑の枇杷の木は黄金色の実が鈴なりである、届いた枝の中から一枝選び描き始める、そう言えば今年は枇杷の当たり年かもしれない、朝夕の ウォーキングの途中あちこちで黄金色の実を付けた枇杷の樹を良く見かける、このような新鮮な旬がすぐ近くで手に入るんだから、杉や桧がある山の近くで花粉症が少しくらいひどくても我慢しなければ、街の真ん中にいたんじゃこんな旬は手に入らぬもの、と最近は思うようになった

2004/06/05(土) 夏の風情
天気予報で明日ごろから下り坂になると聞き、今日のうちに用事を済ませようと急に昼前から妻と二人出かけた、出かけるときは
丁度同じ方向に車で出ると言うMさんに同乗をさせてもらう、途中交通事故の現場を見た、高校生らしい若者が道の真ん中に倒れ動かない状態だった、詳しいことは判らないけど事情は如何であれ、被害者も加害者も本当に気の毒だと思う、どうか怪我など軽ければ良いがと念じながら現場を通り過ぎる、街の中心部に出ると折から当地では夏第一番手の祭りの日で、かなりの人手だ「この日から浴衣を着始める」と言われるこの祭り、流石に浴衣姿が目立った、ところが今年の浴衣の柄色合いがどうも涼しくない、
おまけに中には浴衣の丈がひざの上辺りのミニスカート風のもの、浴衣ではないが胸と腰回りだけ隠し、でっぷり太り気味の臍のあたりを出した者まで見ると『勘弁してよ』と言いたくなる、妻は『仕方ないのよこれもあれも若い人のフッアッションだから』と言う『何を言うか日本の夏の風情はどうなった情けない』と言ってみても所詮(頑固な年寄りの遠吠え)と笑われるのだろうな、
真夏のような暑さとイライラでうだり帰宅すると庭先でランタナの小さな花が『まあ落ち着いて』と優しく風に揺れていた

2004/06/04(金) 暑さ凌ぎ
ラジオで今日の暑さ加減を放送している、広島県内で30℃を越えたところがあると言う、不思議なことは県北の山の地域だそうだ、市内が29℃を越えたとのこと、こうしてじっとしていても熱さを感じる、こんなときはグッと冷たいビールをと言っているが飲めない私にとっては他人事、ならば辛いものでも食べ汗を流して風呂にでも入り・・・ではないけど店頭で見つけた大きな唐辛子、ところがこれは辛い唐辛子ではなくサラダにして食べると言う、パプリカの仲間のようだ世の中変わったもんだ、大きな唐辛子が辛くなくなっている、長生きするもんだな・・・・・、

2004/06/03(木) ばらの花
ホント暑い、梅雨一足飛びで越え真夏突入か?今朝から市の中心部を歩き回り午後は教室に入ってたった今帰宅、ドッコイ今から暑さに参っていては・・・・
ところで昨日書いてきたバラの花に色をつけてみた、こうして優しい香りと色を思い浮かべながら仕上げいる間にもあの甘い香りがしてくるようだ、実のところ絵手紙を始めるまでは、花に興味があるわけでもなく、『暑いのにわざわざ遠くまで見に行くなんて』と思っていたのに、今は妻に不思議がられる程自分から率先して花を見に行くようになった、これは絵手紙をやるからだけでもなく、私も年を取り心が花を求めるほど落ち着いたのかも、はてさて喜ぶべきか如何か・・・

2004/06/02(水) 湧永庭園
急にMさんから誘いを受け湧永庭園にバラを見に行った、それはそれは見事な幾種類ものバラが咲き乱れ甘い香りが漂う園内は平日にもかかわらず沢山の人で賑やわっていた、私は一応用意した筆で葉書に描きおさめたが、色付けまで及ばず未完成のまま引き上げた、何とか美しい色の記憶がある間に仕上げたいと思う、
ところで我が家のそれこそ猫の額のような庭の紫陽花も次々と花開いている、夫々色と形を個性的に主張しながら咲き競っている、朝目覚めと共に庭の花と挨拶を交わし日課のウォーキングに出かける、今朝開き初対面の花を花瓶に移し筆をとる、実にさわやかで心地よい目覚めである

2004/06/01(火) 豆ご飯
入梅宣言を聞いて一夜明けた今日は一足飛びに真夏になったような一日だった、朝スーパーで『ぶんどう豆』(グリンピース)の鞘入りを見つけ買って帰った、昼食は豆ご飯、買ってきた豆を鞘からだしさっと塩茹でし炊き立ての白いご飯に混ぜる(勿論妻の仕事である)真っ白い飯につややかなグリーンの豆が光ってる、
いつもの癖でこんなものを見るとつい昔を思い出す、(昔を懐かしむのはそれだけ年を取った証拠だとのこと)戦中戦後の食糧事情から豆ご飯と言えば、こんな白い飯ではなく麦で黄土色の飯に大豆が入りおよそ綺麗なものではなかった、大豆も米や麦の量を補うための物だからごろごろしていた、特に強烈なのは大豆の絞りかすの配給がありそれが飯に炊き込んであった、いくら空腹でも中々食えるものではなかった、こんなことを思いながら真っ白な飯の中で緑に光る豆を一粒一粒つまんで口に運びながら一層幸せを感じた


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