―思いのまま気の向くまま―
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2005/01/31(月) 便利で不便なもの
機械に弱いものは如何仕様も無く弱い、私はワープロからパソコンまで何とかこなすようになったが、これとて必要に迫られてのことだ、

ところが困っているのは電話機の操作である、我が家に1台ある携帯電話は妻が持っている、と言うのも私がどうしても使いこなせず権利を譲った、それは良いとしても家の電話である、子機が2台あり妻と私が1台づつ持ち夫々の近くに置いているが、困るのは私が電話をとり妻の方に転送する時である、どうしても保留転送が出来ないので子機を抱え家中を走り廻り妻に渡す、

今朝も妻宛の電話をとり、教えられたとおりに転送したつもりが
電話を切ってしまい、しかも相手が妻の友人とは分かっていても誰だか不明の為此方からかけることも出来ず、妻に『なーんね駄目ね』と鼻先で笑われた

なんにせよ最近の電話は便利かもしれないが、私にとっては非常に不便且つ不便で扱いにくい代物である

2005/01/30(日) 好き嫌い
私は果物特に林檎や柑橘類の酸味が苦手でほとんど食べる事は無い、然し酸味の無いバナナ・メロン・スイカあたりは何とか食べる、と言っても自分から好んで食べる方ではない、只林檎の中の王林は酸味がないので林檎を食べろと言われればこの王林くらいなら口にする、

体に良いと判っていながら果物が食べられない、だから妻は色々工夫してサラダの中に林檎を小さく刻んで入れている、他のものと一緒に何とか食べるからだ、

トマトにしても生で食べるのはどうも苦手だが、煮たり焼いたりしたもの、挙句はトマトジュースは平気と来ているから、妻はこんな私を「変な人」とよく言って笑う、

人それぞれ好みがあり、それは仕方ない事だと思う、妻よ貴女が、ワケギやニラは食べられても葱が駄目なように、そして生のウニが駄目でも瓶詰めのウニが大好物だと言う様に、・・・・・

2005/01/29(土) 侘助
花は実に多彩である、椿一つ取り上げても色々種類がある、ただこの椿は折角綺麗に咲いても、散るときには花は丸ごとポロット落ち地面を赤く染め、まるで刑場の打ち首の様だと嫌な連想から嫌う人もいる、

然し隣のHさん宅の庭に咲く椿は色が優しく、あの真っ赤な毒々しさが無い、聞けば椿の中の「侘助」と言う種類のものだそうだ、薄い紅色が何とも言えない優しさと色気さえ感じさせる、

今から雪の気候になるようだが、白く積もった雪の中にそっとうす紅色の花を咲かせる庭の「侘助」は、この季節私の楽しみにしている風景の一つである

2005/01/28(金)
1月2度目の教室は画題を『魚』を描く事にしていた、
どの教室も一貫して難しいと言う声が多かった、然し実際に描いて見ると、結構形にもなり色合いも良い皆熱心なだけに進歩も早い

只人それぞれの個性でドレが上手ドレが下手とか言う事では無く、自分の心を如何に表しどの様に伝えるかが問題だと思う

幸いにどの生徒も一生懸命頑張っているお陰で心を表現し絵にも言葉に其の辺りが徐々に伝わって来るようになった、

魚を描けば魚に精気が表現され、花を描けば優しさが微笑みかけてくる、月2回の教室2時間毎みっちり描く、其の進歩の程は人によって色々だが、どの教室も明るく前向きなのは私にとって非常に嬉しく張り合いのある事実だ

2005/01/27(木) 木彫り
1月も終わりに近づきやはり冬の日、どんよりとした冷たい一日だった
そんな一日のひと時ぼんやり父の作品を眺めていた、其の中に全く初期の基本の勉強で手や足を彫った作品がある、4センチ足らずの手首から先を克明に掘っている、決して上手な出来とはいえないと思うが父の几帳面な性格が感じられ、何と無く懐かしさえ感じられる

父は几帳面な性格で、どの作品も鑿一刀一刀にも其れが見えるようだ

八十過ぎて始めた木彫りも素人の私に其の良し悪しは分からないが、少なくとも私は父の作品が素晴らしいと思い来月の展に出展し、皆様にも見てもらいたいと思う

2005/01/26(水) 変形した大根
早いもの一月もあとわずか、最近は気候の状態が変で、昼間は春を思わせる様な日が続くかと思えば、やはり冬を感じる気候の日も有る、

今朝久し振りに岩手県の写真をHPで見た雪が約一メートル同じ日本でこうまで違うとは、極端な気候の変動で自然界にもかなりの変化があるようだ、

今朝妻が近所のOさんからおもしろい物を貰ってきた、およそ丸大根、若しくは大根とは思えないほど歪な型をしている
作った本人も始めてみる形だそうだ、これも何かの要因でできた
ものだろうが、随分面白い形をしている

形は如何であれ、味は同じだと思うが兎に角このような時代
遠慮しないで個性を表に出し思いっきり目立つのも良かろう
人間だってそうだ

何はともあれ、後僅かで立春だ、やがて暖かい春来る、
其れまで心温めて待つとしよう

2005/01/25(火) 携帯ラジオ
人それぞれ色々なタイプがある、物事に熱中する時完全に音を遮断し取り掛かるタイプ、又何か音楽など聴きながら取り掛かるタイプ、
私は後者の方で原稿を書くときも、絵手紙を描くときも何か音楽など音がないと集中できない方だ、だから朝からラジオをかけて
絵手紙を描き原稿も書く、最近気分転換にラジオのリスナーとして色々投稿もするようになった、そうなると投稿した番組は、片時も聞き逃す事は出来ないという理由で携帯ラジオを買った

其のラジオも他局は聞けなくても良い、私の聴く放送は某民放局で、それさえ聞こえれば良いということで一番安いのを買った、
それでも立派に何局か受信出来るこれで充分である

朝から日当たりの良い窓辺で一人ラジオを楽しみながらの絵手紙三昧、これでどこに不満があろうか、今のところ私は人生に満足している

2005/01/24(月)
今回教室の画題は魚を描くことにしている
例によって画題を求めてスーパーに出向いた
魚売り場にはメバル、オコゼなどパックに入れられ並べてある、其の中で一際目立っていたのが鰈だ、活きが良く先ほどまで泳いでいた感じだった

描いた後は食べると言う約束でこの鰈を購入、約束どおり描いた後の夕食に出てはいたが、流石に活きが良かったのか美味いと思った、

私の場合魚嫌いは骨処理が下手なためうっかりするとすぐ骨を喉だから嫌いなのだ、然し活きの良い魚は骨離れも良く美味いと思いながら食べられた

ふと反省したが、嫌いだ、骨が立つから、などの理由で拒否するなんて何と罰当たりな事だろう、世界では食べたくても食べられない人たちが数えきれない程いると言うのに・・・・
これからは頑張って食べる事にしよう

2005/01/23(日) 旬の味
今日は都道府県対抗男子駅伝の日だ、日本全土から集まった若者達が一本のたすきに故郷の栄誉をかけ、広島の平和公園と宮島を駆け抜ける、午前中の雨模様がレースのスタート時には晴れ間も見え始めた、正しく旬の若者達が素晴らしい走りを見せてくれた、

旬と言えば今が旬とばかりにスーパーの棚には蕪が姿を見せている、蕪の料理も色々ある
私は何と言っても『京風のかぶら蒸し』が一番と思う、口にするととろけるような感触と香りは何とも形容しがたいものがある

我が家ではとても京風は無理だがそれに似せたものを妻が調理してくれる、正しく旬の味である

2005/01/22(土) 器量の悪い蜜柑
毎年冬になると隣のHさんから蜜柑を頂く、奥さんの里が瀬戸内海に浮かぶ蒲刈なので、蜜柑畑があり、出荷が目的でなく、食用として栽培されているのだ、だから頂く品は形は不揃いで器量も良い方ではない、然し『美味である、これこそ瀬戸内海の太陽と風を充分に吸収し、甘く香りも良く本当の蜜柑の味がする、』と妻が絶賛する、
と言うのも私は、果物特に柑橘類は苦手なので殆んど食べる事がない、但し買った蜜柑は駄目だが、Hさんに頂く蜜柑は食べてみようと思い時には手を伸ばす事がある、確かに甘い酸味を感じないで私にも食べられる

この蜜柑の採れる蒲刈は、今は橋も架かり車で行くことが出来、私も今までに一二度友人達と訪れた事はある、実に良い所だ、瀬戸内海の穏やかな海に囲まれ、暖かい海風と太陽がこうした柑橘類の栽培に適しているのだろう、また此処には古くからの製法による藻塩がある、
蒲刈町の宣伝をするわけではないが、静かな瀬戸内の島だからこその産物や風景は心休まるものがある

2005/01/21(金) 好きだからありがとうも心から言える
毎日のように伝わるニュースは又かと思う残酷な内容が多いい、
悲しい事だ、人が人の命ましてや我が子、我が親の命さえ奪う者さえいる、今でも世界のどこかで戦争の名の下にたくさんの命が奪われている、
何故このようなことが起きるのだろう、沢山有る原因のほんの一つかも知れないが、
こうした行為は他人に感謝する心がないからではなかろうか、憎しみの前に感謝の心を持てば、目に見えない小さな感謝でも其れがやがて大きな感謝となり憎しみに勝るかもしれない、

其の為にも私は人を好きになり『ありがとう』と心からいえる毎日を過ごしたい

人を憎むという事は物凄くエネルギーが要ることだ、然し感謝する心は簡単に心に生まれる、一言の有難うは相手の心も和ませ感謝の心が生まれる、其の心は連鎖反応となり周りの人に優しさを生み、笑顔の輪が広がる、

憎み憎まれるより、感謝し喜ばれる方が毎日が楽しいし私は好きだ、

2005/01/20(木) 外食
今日は大寒、流石に寒かった朝から時折雪がちらついたが、広島だけではなく日本全土が寒いようだ、然しラジオは新潟地方は今日の積雪90センチと報道している、こんな報道を聞けば胸が痛むが、気温は平年並みだそうだ、今までが暖かい日だったので
特に寒く感じるようだ

話は変わるが昼食を二度ほど外食にしている、元来私は一人での外食は好きでなく、せいぜい喫茶店に入る程度だがこれもここ数年Oから出来るようになった、どうも一人でぼそぼそやるのは嫌なものだ、然し教室の時間と場所の関係で、やむなく外で食べている

只最近は一人でも手ごろに食べられる場所が出来た

まずコーヒーを飲みたいと思えば、大げさな喫茶店よりセルフサービスでは有るが簡単に入り安価でしかも結構美味いコーヒーが飲める、又食事にしても定食が千円までで、充分満足できる内容のものがある、そして良いのは千円そこそこでバイキングなるものがあり、自分の好きな物を好きな量だけ食べられる

私の様なものにはもってこいのシステムである、良い時代になったものだ

2005/01/19(水) 原爆ドーム
今日は中学時代の恩師H先生を中心に十人余りが集まり昼食を共にした、
話は当然幼い頃、中学時代の話で盛り上がる、広島市内で中学校に入学した時は、原爆投下後の焼け野原から逞しく復興の音が聞こえている最中だった、其の中学は原爆の中心地と言われる区域に、崩れかけ窓も床もない小学校に間借りしての教室だった、

原爆ドームの対岸にあり、窓もない状態だから、天気の良い日はドームまで行きドームの下での野外授業や、休憩時間にはドームの中で、階段もない内部を崩れかけの煉瓦を足場に上の階まで昇ったりしたものだった、

あれやこれや盛り上がった話のうち、私達にとって故郷は焼け野原となり全く変わってしまったが、原爆ドームが残っていると言う事になった、昔ドームを残す為の募金運動が起きたとき、同級生に声を掛け二十数万円集め寄付した事があった、

今は世界遺産となりその存続保全に力が入れられて居り、ドームの中に這入る事も出来ないが、我々くらいだろう、中で遊んだ経験のある者は、

心の故郷でもあるこのドーム何時までも保全し残して行きたいと思う、被爆六十年目と言われる今年、風化しかけたこの事実を忘れない為にも

2005/01/18(火) 八朔
八朔が店先に出たという、ITで調べてみるとどうやらこの時季が出荷時期になるらしい、広島県が特に生産が多いいと言う、
東北地方には柑橘類が少ないとの事で当然蜜柑などと一緒に息子のところに送る、またまた親馬鹿、爺馬鹿である

只岩手の方はかなり雪が降っているようで運送便がどうなるか
期限付きの額を依頼しており其の額に入れる色紙を此方から送っているが、今日現在荷物が付いていないとの事、間に合ってくれれば良いが心配である、

2005/01/17(月) 大きな心
やはり寒い毎日が続く、たった今岩手から電話で一メートル以上の積雪だという事だ、東北地方のこうしたニュースを聞けば新潟の被災者の方のことが思われる、そう言えば今日は阪神大震災から十年目になる、どちらにせよこうした災害にあわれた被災者の方々の気持ちは、その昔原爆と言う悲惨な災害を受けた私には、
他人事と思えなく心が痛む、

心と言えば人間寒さに身が縮まっていれば心も小さくなる、逆に大きな心でいれば自然に体も温かくなる、暖かくなればくよくよすることなくおおらかな気分になれる、大きな蕪を見ていて何故か心も大きくなるようだ

人間『泣いて一日、笑って一日、』同じ一日なら笑って過ごしたい、大きな心でおおらかに

2005/01/16(日) 狸と遭遇
今日は親父の月命日なので朝早く墓参りをした、かなり急な坂道を歩けば約45分かかるので、行きはタクシーに乗り帰りはウオーキングのコース違いだが歩いて坂道を下る、途中親父が最後にいた病院の前を通るが、妻も最近になりようやく慣れて前を通っても涙しなくなった、

その帰途、私達の5・6メートル先を横切る茶色のものがいた、猫にしては随分肥っているなと思っていると、くだんのものツト立ち止まり私達の方を振り返った『タヌキ!』妻と同時に声が出た、
まさかの狸である、団地の車が通る道を悠々と歩く狸、

此処でも野生の動物がえさを求めて里に下りて来ている、彼のの者達も生きるため、人里にまで出没せざるをえない可哀想でもある、

ところで冷蔵庫を開けてみると烏賊の入ったパックが這入っていた、先日妻の作る烏賊飯が美味いと褒めたのでまたぞろ今夜も烏賊飯らしい、
「らしい」などと贅沢を言ってはいけない、美味いと思ったものを又食べられるのも元気だから、幸せだから・・・・・
兎に角良しとすべきだろう

2005/01/15(土) トンド祭り
今日は1月15日小正月といわれる日だ、早いもの1月も半ばとなる、『護国神社でトンド祭りがあるので一緒にどうか』と誘われU君夫妻に同行する、
神殿の前に竹やむしろで大きなトンドが用意されている、トンドに火をつける前に神事があると言うので神殿内に這入ってみる、

厳かに神事が始まり最後に古式にのっとり採火の儀が行われた、
回転式で何かの折に見たことのある古代の火をつける道具を、二人の神官が操る、五分もしないうちに煙が立ち始めやがて火が燃え始める、その折参列者から拍手が沸く、その火を蝋燭に取り、柄の付いたたいまつに移し、いなせな火消し装束の若い衆が打つ拍子木に先導され、二人の神官の手でトンドの山に火がつけられる

初めて見た古式豊かな『トンド祭り』

燃え上がる炎を見ながら過ぎた年の悪魔祓い今年の幸せが舞い込むような気になったのは不思議だ
今年も無病息災で楽しい一年になりますよう改めて神殿に向け、
頭を下げ一日信者となる

2005/01/14(金) でびら
冬の冷たい風が吹き始めると『でびら』の時季である
瀬戸内海とれた掌大を中心とした鰈を干した物で、金槌で叩き骨を砕いて火にあぶり食べると最高である、骨まで食べられるのでカルシュームが充分とれる、瀬戸内海の冬の風にさらされ、身は堅くなり叩いて柔らかくする

私の息子はこのでびらが好きで時折送り届けることにしているが随分懐かしがっているようだ、又自分がして貰っていた様に我が子(私の孫)にも与え食べさせている事だと思う
処が私自身は子供の頃、祖母からこのでビラをおやつ代わりに貰っていたが、沢山居た従兄弟の中で一番年少のため、私の手には最後に残った頭の部分だった、祖母は私に手渡すとき『頭を食うとようすけの頭もようなるけんのう(良くなる)』と言っていたので私はずっとそれを信じ、でかなり後年まで、でびらと言えば頭の部分から食べる癖が付いていた。

2005/01/13(木) 生鯵の開き
この時季鯵の旬とは未だ早い、然しそれにしても見事な生鯵の開きである

丁度教室で次回魚を描くといってあったので妻が『描いては』といって買ってきてくれた

早速描く事にしたけど、今夜はコイツが食卓に上りそうだ
油が乗ってうまそうには有るが・・・・
何とかパスしたいのだが・・・・真仕方ないか

今日も教室だった、久し振りに生徒さんの元気そうな姿を見て
安心した

2005/01/12(水) 手作り其の3
本当に冬である、朝から雪がちらつき山の方が白くなりかけている、岩手の息子に電話すると『何のそれしき』と笑っている
それもそのはず彼の地は0度以下の気温が続き、軒には大きなツララさえ出来ているという、

昨日は隣の奥さんから実に可愛いものを頂いた、勿論手作りのものである、小さな蜆の殻にちりめんの古布を巻き財布などにつけるようになった飾りである、
何と細かい細工である、以前にも言ったように手作りのものは、なんとも言えない暖かさが有る、

『あんたも習うて作ってみたら?』妻は横上目に見返し黙っていた

2005/01/11(火) 跳ねる
今日が今年の教室始めである
久し振りに会う生徒さんたちは皆元気で全員出席、何よりだ

今年は最初から何かと忙しく内容も充実しているように感じる

冷蔵庫を見ると冷凍になったえびが重なっていたその内一匹を取り出し描いて見た、以前友人のS君から貰った手すき葉書に、先日倉敷から買って帰った竹ペンでりんかくをとって見る

中々描きやすい良い感じだ、色々異なった素材の紙に筆だけでなく、色んなものを使って描くのも面白い、夫々の持ち味を生かして描けば楽しいものになると思う

今年は海老が跳ねるように私も色々挑戦し飛び回ってみたい

2005/01/10(月) 43年目
明日は鏡開き、年々小さくなった鏡餅だが例年のように今朝私が小さく割っておいた、鏡開きには毎年ぜんざいを炊き小さく割った鏡餅を入れて食べ、正月気分から完全に抜ける、これが我が家の習慣である、

鏡開きの日は1月11日、この日は私達の結婚記念日でもある、
今年は43年目の記念日だ、43年の間には誰でもそれなりの歴史があるように、私達にも随分色んな事があった、其の間に私も妻も両親と別れ、その代わり子供達は夫々独立し孫まで設けてくれた

今では子供達には爺馬鹿婆馬鹿といわれながらも孫達の成長に目を細めている、其の孫も一番上は今年高校を卒業し自分の希望する道に進んでいくようだ、

何はともあれ毎日元気で過ごしたい、好きな事をし、好きなものを食べのんびり過ごすこんな生活を夢見てきたような気がする

『何か食べたいものがある?』『そうじゃのう、寒いけえおでんが食べたいのう』それではとおでんにする材料を二人前と大根は半分のものをスーパーの店内篭に入れる、実にささやかで平和な事である

2005/01/09(日) 手作りその2
隣のHさんから手作りの酉の置物を頂いた、ちりめんの古布を使った鶏だ、見事に雄鶏雌鶏が配色良く作られている

ご主人を亡くされ寂しさを紛らわす為との事だが、もともと趣味の多彩な人で前々からこうした手作りの置物や、洋和裁の腕も素晴らしく、又山野草にも精通し随分私達も教えていただく事が多いい、

何時も思うことだが、人間趣味を持つ事は年を経てどんな境遇になろうとも其の趣味が常に前向きに生きる力を与えてくれる

私も曲りなりに絵手紙という趣味をもったお陰で沢山の人との出会いを得ることが出来た、今からもまだまだ其の輪を広げることが出来ればと願いながら、毎日筆を持ち続ける

2005/01/08(土) 烏賊飯
久し振りに『烏賊飯』が食卓に出た、自慢じゃないけど妻は料理上手である、彼女の作るこの烏賊飯も中々いける、
生の烏賊にもち米をつめコトコト時間をかけて炊き上げる、中の
もち米は出し汁を充分含み込みしっとりと煮えて実に美味いものだ、

私はこの烏賊飯が好きで、良くデパートの北海道物産展などで見かけるが、実を言うと私の持病の通風には良くないと言われ、烏賊は出来るだけ避けているので見ても買って食べる事はない、
然したまに我が家で妻が炊き上げるものしか口にしないが、私は妻の『烏賊飯』は一番美味いと思っている

2005/01/07(金) ロ・ウ・ガ・ン・キ・ヨ・ウ
年とともに感じるのは体力は無論のこと視力の衰えを感じるのはゆがめられない事実である、

私が老眼のお世話になり始めたのは、今から20数年前40歳代の頃、折からコンピューターの時代となり、納品書,請求書が全て器械で打ち出されたものだった、

印字が薄く小さな文字の伝票を一日中チェックし時には徹夜作業までやっていた為、急に視力が落ち所謂老眼のお世話になり始めた、

其の後老眼化も進むままに自分もワープロを始め、そしてパソコンをと、
目に言い訳はないことも承知のうえで、ついに眼鏡なくては新聞は勿論の事文字を見ることも出来なくなった、とは言えすべてのものが衰えたわけではない『自分自身の名誉のために』強調しておきたい

どちらにせよ、現在は通常かける眼鏡と近くを見るときの眼鏡の二つは身の回りから話す事が出来ない

その昔年寄りが眼鏡をかけて眼鏡を探すと言って笑っていたが
正しく『今はわが身』である

2005/01/06(木)
朝から雨模様の冷たい一日だった、昼過ぎ岩手からの電話でいきなり孫の声『シュッポッポありがと』元気な声に此方も一度に元気が出た、荷物を送るたび乗り物の好きな孫の為、必ず何かオモチャを一番上に乗せて送る、今では孫も楽しみにして一番に開梱しているようだ、・・・爺馬鹿、婆馬鹿丸出しである

ところで冷たい冬の雨に今では花も無く、枯れた我が家の小さな植え込みも一層冷たさを感じさせるがA其の隅に信楽焼きの狸が有る、この狸我が家に来てすでに30数年経つ、以前住んでいた家の庭から一緒に引っ越してきたわけだが、植え込みの中に鎮座しているが、其の植え込みに完全一体化し平素は余り気が付かないが、何かの拍子に目に付く事が有る、今では色も褪せしらけてはいるが、目を剥いて鎮座する姿はなかなかのものだ、
体長約30センチで見ていると中々愛嬌のある顔をしている、

時折『おい、ワシも頑張るからお前も頑張れよ』と声を掛けてくれるように見える、
最近私の体型が似てきたと、妻や時折来る娘に冷やかされる
何故かこの狸が好きなのもそんな親近感から来る仲間意識かも知れない・・・・

2005/01/05(水) 冬に咲く花
寒い筈、今日は小寒だんだんと寒さは厳しくなっていく、岩手の息子達にこう言うと、『何だそれしきの寒さ』と笑われてしまう
広島でこれ位の寒さで音を上げていては、北国の人に笑われてしまう、ましてや新潟の人たちはどんなに厳しい毎日だろう、
私みたいに日がな日当たりの良い場所に陣取り、絵手紙三昧の贅沢をしていては、寒いなどと贅沢を言っては罰が当たると言うもの、

日当たりの良い場所といえば、我が家のリビングの出窓は其れは日当たりが良く、鉢植えの花など良く育ち美しい花を咲かせてくれる、今は『シクラメン』『ポインセチア』『蟹葉サボテン』が
夫々あでやかに咲き競っている

花には夫々特徴があるがこの『蟹葉サボテン』も葉の形から名のついたものだが葉も花もいかにも其れらしい形をして面白いと思う、

次回の教室で花を描くことに成っているが、この時季花は限られている、但し本来の時季のものではない花なら色々ある、温室育ちの物、何時も思うのだがどの花がどの時季に咲くものか分からなくなっている、だから私は都度パソコンで調べている、お陰で勉強にはなるが・・・・

2005/01/04(火) 手作り
朝からどんより冬らしい一日だった、正月も四日になると官庁を初めとし街も動き始めた様だ
私の方も今日は、三月に予定している親子三人展の会場との打ち合わせ、依頼文の色紙他絵の発送そして新聞社の取材を受けるなど結構一人前の忙しい一日だった、

そんな中隣のHさんの奥さんが手製の酉の置物を見せてもらった、
昨年ご主人を亡くされた奥さんは趣味の裁縫の腕を生かし布製の置物など盛んに作られているようだ、
面白く暖かみのある其の酉が描きたくなり借りて帰り絵手紙にしてみた

やはり手作りのものは其の暖かさが見るものに好感を与える、
年賀状にしてもやはり手描きのものは上手下手関係なく、心が伝わるから良い、やはり絵手紙やってて良かったと思う

2005/01/03(月) 慰霊碑に思う
今日で正月も三日目、それも夕闇と共に終わろうとしている
今年の正月は今までに無い静かな正月だった、今まで年始や、兄弟の家族連れでの元旦早々からの来客で妻には随分忙しい思いをさして来た、
だから今年の正月は四十数年ぶりにゆっくりした三日間だった、

所で話は昨日の続きになるが、平和公園の慰霊碑の前に立ちふと思ったことだが、観光客としてきた人々はここに立ち何を感じて、何を得て帰るのだろうか

毎年のように年始と8月6日にこの前に立ち、私は兄の為に手を合わせるのだが、関係の無い人々は何を考えこの前に立つのだろう

真剣に平和を願い又犠牲者の事を思う人も多いと思うが、昨年のように大きな天災や、こうしている間にも同じ人間同士戦い殺し合う、こんな現状とあわせ何を思うだろうか、

私自身ともするとそうした事実を他所の事と考えがちになり、時には反省もする、人間とは身勝手なもので、心のどこかに『よそ事』という気持ちがあるのはゆがめない事実と思う

私は事有るごとに原爆を題材とした話をしたり、書きもして来たが、今からも風化しかけた事実を忘れない為にも、又今からの世代の人々に忘れて欲しくないので、語りそして書き続けて行きたいと思う、

2005/01/02(日) 学徒動員慰霊塔
我が家の正月の初詣は氏神さんは無論のこと、ここ何十年と欠かしたことの無いのは、原爆ドーム傍の学徒動員慰霊塔と平和公園にある原爆慰霊碑である、特に学徒動員慰霊塔は私の兄がここに眠っている(原爆で行方不明の兄は恐らく仲間達と一緒に眠っていっると思う)

私の両親が健在だった頃は私達の子供も一緒に行っていたが、今年は父も母の後を追い、息子や娘も夫々独立している為、初めて妻と二人で出かけた、

この慰霊塔には原爆投下時、学徒動員で市内で作業をしていた
6295人の学生が犠牲になり奉られている、兄も其の一人だ
流石年月が経ち訪れる人も少なく、今朝私達が線香を供え手を合わせていると、外国の観光客の好奇の目を感じ、何故か悲しささと憤りがが湧き出して来た、

2005/01/01(土) おめでとうございます
明けましておめでとうございます
昨年は色々悲しい事がありすぎましたね
今年はどうか平穏な年でありますように
昨年このホームページを立ち上げ、沢山の訪問を頂きました
そして沢山の出会いも得る事が出来ました、『絵手紙やってよかった』の実感をひしひし感じています
今年も毎日頑張って私の心の書き込みをしたいと思います、
お気付きの事などどしど『伝言板』に書き込み下さい

所で今、朝6時27分外は白い雪景色です、火の気の無いこの部屋で指先をこすりながらキーを打っています、
冷たい正月です、一層心が引き締まり頑張る気を起こしています


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