―思いのまま気の向くまま―
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2005年10月
前の月 次の月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
最新の絵日記ダイジェスト
2011/10/07 しめじ
2011/10/06 蟹の横歩き
2011/10/05 体温調整が大変
2011/10/04 風邪に用心
2011/10/03 山の秋

直接移動: 201110 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 月 

2005/10/31(月) 泣いて一日、笑って一日、貴方はどっち?
愈々10月も終わり先程公民館に教室展の作品の引き上げに行った、芳名録には沢山の感想を貰い教室の生徒さんに披露する積りだ、
明日から11月早いもので年賀状の準備に入る、教室は11月は二度とも年賀状を画題とする、来年の干支は『戌』色々面白い年賀状が出来そうだ、
私個人的には小学校の同期会がある、これも事務局をやっている関係で同期の人達の近況が色々入ってくるが、何せ古稀とも成れば皆どこか体調が悪いので・・・・などの理由で参加できない人が多い、先日も同級生に久し振りに会ったが、学生時代スポーツマンだった彼も足腰が痛むということで腰が曲がりかけていた、『しっかりせえよ、頑張って長生きせにゃ』と気合を入れたくなった、私は幸いな事に体調も良く毎日楽しく過ごしている
いや楽しく過ごしているから体調も良いのだと思う、やはり昔から『心身ともに元気』と言うけど、心が元気でないと体も元気にならないと思う、其の点私は悩みが無いと言えば嘘になるが、其の悩みも妻と二人で話し合い解決しながら(妻の悩みも同じ)出来るだけ前向き志向で毎日を過ごす事にしている、
『泣いて過ごして一日、笑って過ごして一日』同じ一日なら笑って過ごす一日が良いに決まっている・・・・

2005/10/30(日) 演歌大好き
今日は某電機メーカーの招待で『吉幾三』のコンサートに行った、周りの若い人達はあまり興味が無い様だが、私たち年代は矢張り『演歌』だ、私は所謂洋物の音楽、クラシックから映画音楽そしてハードロックまで何でも好きで聴くが、最近の若い人達が歌う歌、歌詞内容が聞き取れない日本語か横文字かわからない発音でまくし立てられた日には、ついて行けないものがある、其処へ行くと矢張り演歌は日本人の心を歌い上げ、私たちには大いに共感できるものがある、今日の『吉幾三』の唄は私も以前カラオケでよく歌った関係で、今日は懐かしくもあり物凄く身近に感じる事が出来た、矢張り歌というものは聴いて心が和みそして自分自身も口ずさむ事の出来るほど身近なものが良い、何時の世にも親しまれる演歌こそ日本の心だと思う、そんな意味でこのコンサートに行く機会を下さった方に感謝である、
ところで話は全く変わるが、私の机の上に小さな南瓜が二個転がっている、所謂オモチャ南瓜だ、もう一ヶ月以上も転がっている、不思議と変色もせず傷みもしないで無事でいる、ふと思いだしたのは冬至に南瓜を食べると言う事・・・・夏に取れた南瓜は保存が利き、冬の冬至の頃野菜が無い時期に、保存の聞く南瓜が絶好の栄養源となったと何かで呼んだ事がある、ただこのオモチャ南瓜は元々『ズッキーニ』が原点だそうだから本当の南瓜と意味合いは異なる、それにしても変わった植物である

2005/10/29(土) 金木犀
この時期ウォーキングコースで目に付く花は、『背高泡立草』と『金木犀』だ前者は俗に『ブタ花』とも言ってこの時期にこの『ブタ花』の花粉が飛び、花粉症の原因ともなると言われるので私は極力避けている、後者の『金木犀』を植えている家が多く角を曲がるたびに甘い香りが漂ってくる、特に朝のコースの途中それは大きな木がある、同じくらいの大きさの木が約三十メートルの間隔で立ち、其の大きな枝は直径が五メートルもあるだろうか、その下に立つとまるで甘い香りに包まれた、大きな傘の下に立っているようで、毎朝その木の下に立ち止まり妻と二人それこそ甘い雰囲気に浸っている、
かく言う我が家にも金木犀の木はある、唯未だ小さな木だが一人前に今年も花を付けあの香りがしている、其の花の一枝を折り小さな一輪挿しに活け玄関においてみると、玄関にほのかに甘い香りが漂って来た、
やがて金木犀の小さな花びらが散って道路を黄色く染める頃、秋はやがて冬えの季節代わりをしてくる、今年も駆け足で師走となる、そうなると特別に何があるというわけでもないのに慌しい気持ちになるのは何故なのだろう・・・・
今日用いた葉書は先日大阪の友人S君から貰った、手漉きの葉書で『奈良の吉野スギ皮和紙』で描きやすい葉書用紙だった、

2005/10/28(金) グレープフルーツダイエット
今日から我が家は『グレープフルーツダイエット』の実施である
それも私の為のダイエットだそうだ、
実を言うとここの所少し?多少太り気味な私である、かといって目の色を変えてダイエットするほどの事は無いと思うのが・・・
妻に言わせれば『身長に対して腹が出すぎ』だそうだ、とはいっても私自身も少し自覚はしている、最近靴下を履くのが少し苦しい状態だ(これは内緒・・・にもならないか・・・・)
せめて後5キロは減量の必要はあると思っている、今のところ検査結果は数値的には問題ないが、如何せん外見に現れ今日も教室のTさんに『先生又太りましたか?指輪が埋まってしまって』と言われた、
だから折角妻が一緒にやろうと言ってくれている、『グレープフルーツダイエット』挑戦してみようと思う、
このダイエットなんでもテレビでやっていたそうで、
先ずっグレープフルーツを半分に切り3分かんひたすら匂いをか
ぐ後に食べる、これを一日2回続けるのだそうだ、これでダイエット効果があるなら、果物特に柑橘類の苦手な私だがガマンして頑張ってみようと思う、これで若し効果があれば妻様さまで最敬礼である、そしてテレビにも感謝である・・・どうだろうか・・

2005/10/27(木) 同期会と桜の葉
来月始め小学校の同期会を催す、卒業が昭和23年終戦後の未だ焼け跡の残った状態の中、校舎もバラックの校舎で机も無く学び卒業した仲間との同期会だ、卒業証明書発行原簿かろうじて母校に残っていたのを頼りに名簿を作り、五年前漸く約30名が集まり今回招集をかけたが、結局19名しか集まらなかった、連絡を取りこの五年の間に亡くなった者、体調を崩し闘病中の者、そして女性の中には主人が倒れ看病の為離れる事が出来ないなど、何れにせよ年齢から来る理由がほとんどだ、今回が最後の積りで声を掛けたが、古希と言う年齢は仕方の無いものだと痛感した、
かと言って元気なものが19名も集まる事が出来るのだ、私自身もこの元気な仲間として出席できる事を喜び、まだまだこれからの人生大いに謳歌しなければならない、
折角生かされた命、折角戴いた幸せ、大切にしこの喜びを一人でも多くの人に分けて行きたいと思う、
所で私の好きな桜はこの季節はカラフルな枯葉が、春には花が人の心を和ませる、尤も最近の桜はこの季節にも花を咲かせることがある(現在我が家の近くのソメイヨシノに花が咲いている)然し矢張り桜の花は春のもの、この時期咲いた桜はどうもお呼びでない、野菜・果物・魚に、勿論花だって旬に見るから良いのだと思う

2005/10/26(水) 秋を実感する時
ウォーキングコースに農家があることは以前にも話した事があるが、其の農家に柘榴の木がある、今年はかなりの実がなり、通るたびに色づくのを見るのが楽しみだった、先月大分色づき始めたごろ其の家のお年寄りが『描くくなら採って上げよう』と枝を切ってくださった、それから日も経ち今度は実の割れる頃を楽しみにしていた、毎朝通るたびに覗き込み割れるのを待っていたが、昨日見事に割れた実を見つけた、たまたま昨日はくだんの老人に会えなかったので、用意していたデジカメで撮り帰宅後PCに取り出しプリントアウトし描いてみた、割れ目からはみ出した真っ赤に光る実は、まるでルビーを散りばめた様で、それこそ秋の深まりを目の当たりに見て、自然を感じる事が出来た、
こんな瞬間何時も思うのは(街の真ん中からこうして郊外に引っ越してよかった)、今私の住む町は現在も尚田園風景の残る自然豊かな町だ、当分この風景が続いてくれれば良いが・・・・

2005/10/25(火) 枯葉と男の立場
ここの所本格的な秋らしい日が続いている、確かに朝夕は冷たささえ感じる、急に秋らしくなり人々は冬えの準備に入っている、
今まで出したり入れたりしていた衣装も冬物に替えて、暖房器具の整備など慌ただしい日を過ごしている、
庭の紫陽花の木も来る春に向け充分に蓄えていた緑の葉も、この時期徐々に色を変え、赤や茶でカラフルに見える、やがては一枚一枚と散って行く事だろう、
私は部屋のすぐ傍にあるこの紫陽花の枯れ行く葉を見ながら人の命に置き換えてみる、
子供の為家族の為心身を使いふるしやがては老いさらばえ散っていく、特に最近テレビドラマでも『熟年離婚』なるドラマで見るように、一身に家族子供の為働き続け定年になりこれから妻と二人の生活を考えようとした矢先、妻から離婚を突きつけられる、
実は観ていて余りに腹立たしく悔しい思いがして、ドラマも一回で見るのをやめたが、結末が如何であれ不器用な男同士として余りにもふがいなく悔しい思いがする、
ただこのドラマ所謂団塊の世代を対称にしたものらしいので、其の世代の人には共感を呼ぶのかもしれない・・・と言うのは私が年を取ってるということか・・・・
それともこんな事を考えられるのも、私自身の立場が余りにも恵まれているからだろうか、矢張り幸せ者だと感謝しなければならないと思う

2005/10/24(月) オレンジを洗剤に
妻が買い物から帰った、袋の中に大きなオレンジが一個入っていた、聞けば食べるのが目的ではないとの事、何でもテレビでオレンジの皮で床の汚れを落とすとの事、柑橘類の好きな妻にしては食べる目的以外で態々買うのも珍しい事だ(もっとも使うのは皮で実の方は結局食べるそうだ)
最近ではテレビで『体のどこそこには何を食べたら良い』何てやるもんだから良いといわれたものは全国のスーパーの棚からすぐなくなるとか、テレビの力はすごいと思う、ココアが良いと言うとすぐ売り切れになり、笑い話ではないけど(良いといわれたココアを飲み続け血糖値があがった)なんてばかな話があるくらいだ
いかにマスメディアの影響が強いかと言う事だ
何れにせよ洗剤にされる前の描いて置く事にしよう、

2005/10/23(日) ノドグロ
昨日から山陰に行っていたMさんが土産として新鮮な魚を下さった、其の中に島根県では高級魚の中の高級魚と言われる『のどぐろ』がいたこの魚は日本海の水深100メートル以上に生息、底引き網で獲る、煮付けにすると非常に美味い、元来目が大きく赤い魚なので『アカムツ』と呼ばれるが口の中が黒いので島根県では『ノドグロ』と呼ばれているとの事、元来魚の煮付けは苦手な私だが、こればかりは美味いと思って食べた、季節的にもこれからが旬に成る『ノドグロ』だから美味いはずだ、
ところで話は変わるが、こうして絵手紙をやっていると随分色々の人に出会う、遠い地方から面識の無い人から絵手紙を貰うと、嬉しくなり旧知の仲のように返事を出す、岩手県にも何人かのそういった知人はあるが、中でもかの地で小児科クリニックの先生のUさんは絵手紙からの知人ではなく、私の孫がお世話になっており、そのU先生のHPを拝見し、又U先生がわたしのHPも見てくださったりで親しくして頂いている
特に孫が大変お世話になっており、其のお人柄に惹かれて時折メールや絵手紙を差し上げている、
何時も思うことだが、人との出会いの不思議さは、想像も付かないものがある、こうして不思議な出会いで知り合った中、大切にしこれからの人生の友としてお付き合い願いたいと思っている

2005/10/22(土) 秋深まる
午後から冷たい雨が降ったり止んだり、気温も急に下がり秋の深まりを感じます、『今年は台風も少なかったし、気温がこの調子だと、紅葉が綺麗だろう』と久し振りに会った友人のU君が言っていた、
U君といえば、奥さんが一ヶ月前歩道を歩いていて、ガレージに入ろうと急に歩道を横切ってきた車にはねられ入院中、幸い奥さんは少しずつ快方に向かっているようだが、U君自身が身体が丈夫でないので私とすればそちらも心配である、然し今日会った限りでは元気のようなので安心した、
さて今朝となりのHさんから花が届いた、小さな菊で『ユウゼンギク』だそうだ、花言葉『深い愛』と言われるのにふさわしく
優しくそれでいて強い感じの花である

2005/10/21(金) 最後の柿
『最後の柿よ』うらのTさんの声とともに窓からの差し入れ
畑の隅の柿の実を全部採ったとの事、今年は柿の『なり年』に当たり随分実がなったようだ、聞くところによれば一年おきに良く実がなるようだ、そういうことで今年は食べきれぬほどな成ったようで我が家にも随分戴いた、
矢張り店先に出たのを買うのと違って、採り立ては美味いとの事
(果物を余り食べない私には如何でも良い事だが・・・)
さて今日教室展に新聞の取材を受けた、教室展というので生徒さんのMさんとGさんにも会場に来て貰い一緒に取材を受けた、有難い事にこうして新聞に取り上げて貰えば、又絵手紙に興味を持つ人が増え新しい出会いも生まれると言うもの、振り返ってみれば私も絵手紙を始めて十年になり、可也の出会いを得ることができた、未だ会ったこともない人たちとも、絵手紙を通じて心を通わせることも出来る、こうしてPCもやりメールなどでの交流もあるが、矢張り毛筆での付き合いは不思議な力を持っていると思う、暖かく心に通じる魔力を持っている、今では私の生活の大部分を占める絵手紙に力を貰い、毎日充実した生活をしている、
絵手紙万歳である

2005/10/20(木) トルコキキョウ
この季節色々花があるが中でもトルコキキョウなど晴れやかで好きな花である、
調べてみるとトルコと名が付いているが実際の原産地は南アメリカらしい、では何故トルコが付いたのか不明だが・・・
さて早いもの来月の教室の画題が年賀状とある、来年は戌年教室で参考になる資料集めをしている、
犬といえば毎朝のウォーキングで会う犬の散歩をする人の多い事、何時も会う顔ぶれに『お早う御座います』挨拶は交わしている、
ところが中には仕方なく犬に付き合っているおばさんが、目覚めが悪いのか声を掛けても知らぬ顔、不思議なものでそんなおばさんの連れている犬まで可愛くない、それこそ『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』とはこの事だろう、反面良く挨拶をし気持ちの良い人の連れている犬は妙に可愛く見える、そんな犬には此方も声を掛け頭の一つでも撫でてやりたくなる、
人間どんなときにも笑顔は必要だと言う事だ

2005/10/19(水) ラ・フランス・・外人部隊の事
教室の帰り妻と待ち合わせをしデパートに行った、
『母さん、今日はラ・フランス(洋梨)が描いてくれえ言いよるで』少し歪な形をしたラ・フランスだ、ふと思ったのは『フランスの名前らしく無くスマートでない、たぶんこいつは迷彩服を着た外人部隊だだからこんなに歪なんだ』こんな事を思っている私自身が可笑しく、こんな事を思わせるこの物をどうしても描きたくなった、
外人部隊といえば昔フランス映画の『外人部隊』を観たのを思い出した女優はジーナ・ロロビブリジーダだったと思う、描きながらこの映画を思い出そうとしたが、女優の顔は思い出したが、何と無く砂漠が多くでて嫌に埃っぽい感じがしたのは、かすかの覚えていた・・・・・随分昔の事だ

2005/10/18(火) 丸大根
久し振りにデパートの地下食品売り場に行った、野菜コーナーに廻った途端目に入ったのが、綺麗に並べられた丸大根の列、例によってかにも描いてくれと訴えているように見えた、早速妻の押す買い物カートの籠に入れる、旬の丸大根は煮物にし箸を立てると抵抗も無く箸が入るほど柔らかくなる、ほのかな苦味と一緒にとろけるような歯ざわり何とも言えない美味さだ・・・
『母さん、描いた後美味しく煮て呉れよ』返事は無いが自信ありそうな顔で安心した
こうして今日も我が家は平和に時を刻んでいる

2005/10/17(月) 同期会
教室の11月の予定をたてる時期が来た、早いものでもう来年の年賀状を描く時期になった、一年が早いと言う事は年を散るのもそれだけに早いと言う事、先日も書いたように既に古稀を迎えた私だが、其の古稀を記念しての同期会をやろうと言うことに成った、実は五年前集まりこのたびで三回目の同期会である、何しろ小学校の同期会というので卒業後五十年以上会ってない者もいる、
どんな容姿になっているだろうか、随分変わっているだろうな、と思いながら出席者の箸袋を描いた、一人ひとりの名前を書く毎に、あの頃の顔を思い出そうとしてみたが殆どが思い出せない、
屹度会えば思い出すと思う、11月5日の当日が楽しみである、

2005/10/16(日) 初心
愈々明日から五日市中央公民館教室の絵手紙展が始まる、
教室の生徒さんたちと夕方から作品の展示をした、
作品総数124点、会場にぴたっと収まり上出来の展示となった
こうして生徒さんたちの作品を集めてみると、うぬぼれでは無いが今まで教室を続けて良かった、これからも出来る限り頑張り続けたいと思う、一人一人の一枚一枚の作品が『頑張っているぞ』と呼びかけているようだった、今までやってきたことは決してむだでは無く効果がでていると実感した、この絵手紙を描いた生徒さんは初めて教室に来た時は、全く絵も描いた事がないといっていたが、こんなに心を伝えられる絵手紙を描いている、この人もあの生徒さんも・・・・眺めていて嬉しくなり胸の熱くなるのを感じた、
だからこそ私自身初心を忘れることなく頑張る為にも、初期に描いた画題に時折挑戦している、今日も『人参』を描いてみた、何故か満足できない絵手紙になる、常に初心で頑張らないと頑張っている生徒さんたちに申し訳ないと、言い聞かせながら筆を持つ

2005/10/15(土) 古里の秋
昨日久し振りに妻の長兄夫妻が我が家に来てくれた
妻の両親は既に他界し長兄夫妻が実家にいる、長兄は長年公務員を勤め上げ定年後田舎に帰り、山の管理畑の管理とのんびり頑張っている、この長兄は私の亡くなった兄と同じ年なので、私自身も実の兄のように思え、つい何かと甘えている、毎年春と秋には山の旬をこうしてそれこそ山のようにもって来てくれる、
この度も色々の物と特に嬉しかったのは、柿の枝葉付を私が描くだろうと、実が落ちないように義姉が抱え、大事にもって来てくれたことだ、
嬉しくて早速描いた絵を郵送した。
付記
健太との会話、
今日孫の健太から電話が架かり話をした、この前まで四次元的会話で意味不明だったが、今日は違っていた
爺『この前は爺ちゃんの顔上手に描いてくれて有難う』
健太『どういたしまして』
傍にいた電話の向こうの母親もびっくり、何も行っていないとの事、当然こちらの爺婆は唖然とするばかり

2005/10/14(金) さつま芋の事
さつま芋の季節だ、私たちの年代になると『さつま芋』とは切っても切れない縁がある筈だ、戦時中から戦後に掛けて貴重な食料源だった、まだ蒸かしたさつま芋を間食にしていた頃はまだしも、やがては主食となり、ひとつの芋を半分ずつ分け合って夕食としたり、町から田舎へ食料の調達に行った母が、苗を取った後の種芋を手に入れて帰り、殆ど筋だけになった其の芋を蒸かして腹を満たした事もある、さつま芋と言えば芋の蔓をキンピラ状にして食べたりもした、尤も最近では態々この芋のつるが束にして店頭に出ている事がある、昔を懐かしんで食べるようだ、
車で来る『石焼芋』も昔は深い素焼きの壷に針金でつるして店先で焼いていた物だ、『さつま芋』の思いではまだまだ尽きない、
だが親しみやすく美味い、最近では蒸かした芋がスーパーの棚に出されている、然し焼き芋にしても蒸かし芋にしても熱々を『フーフー』いいながら食べるのが最高である、

2005/10/13(木) アケビ
毎朝のウォーキングコースには、コスモスが秋の朝の爽やかな風ぬゆれ、コスモスに混ざって朝顔も一緒にゆれ、近所の桜の木には花が咲いている、世の乱れと一緒に自然界も変になったのだろうかと心配したが、そうでもないらしい、柿の枝は今にも折れそうに実をたわわに付け、栗も割れた大きなイガから実が顔をのぞかせている、先日も教室にアケビが枝葉の付いたまま届いた、
私はアケビはここ数年前まで見たことも無かった、ましてや食べられるなんてあの割れた姿からとても想像も付かなかった、ましてや食べれば美味しいなどといわれると、完全に引いてしまう、『何であんな物を』としか思えない、今では唯画題としか思えないのである、そこでアケビの葉を描いてみた、次回教室の画題は
木の葉だから・・・・

2005/10/12(水) 爺ばかな嬉しい一日
一昨日から今日に掛けバースデーのメール、食事えの招待そして贈り物と嬉しい気持ちを沢山頂いている、
昨夜の事孫の健太から『広島爺ちゃんお誕生日おめでとう』と珍しくはっきり聞き取れ、この爺メロメロになり続く電話の向こうの言葉が意味不明で、受話器を傍の妻に渡してしまった、ところが今日ゆうパックで岩手からプレゼントが届いた、開封すると最初に目に入ったのがA4の用紙に書かれたものだった、それは健太の描いた爺ちゃんの顔・婆ちゃんの顔だった、一生懸命マジックペンで描いた二人の顔『こりゃあ三つにしちゃあ上手いもんで』完全爺馬鹿と言われようと良い、私の目には立派に爺さんと婆さんと見分けが付くよう大小に描き分け、立派に目鼻も付き顔になっている、そう誰がなんと言おうと立派な顔なのだ、そう言えばおめでとうの言葉の後『△▼■□X##』『郵便・・・』だったのかもしれない、この健太が大きくなり私と絵手紙のキャッチボールが出来るようになるまで私は元気でいなけば・・・・・
何が何でも本物の爺馬鹿と言われようとも幸せな嬉しい一日だった

2005/10/11(火) アア七十歳
朝近所の氏神さんに行った、私の『古希』の報告とこれからの一層の頑張りが出来るよう祈願する為だ、
そう10月11日私の誕生日である、正直私が七十歳になったとは本人が驚いているくらいである、まだまだ若い積りだ、ただそれは事実の事だが考え方を『もう七十』より『未だ七十』で行きたい、但し周囲からは『年相応に無理しないよう』と何時もブレーキを掛けられてはいるが・・・・何のまだまだ今から青春を謳歌する積りだ、心燃やしときめきたいと思う・・・・・
このホームページのトポップに告知しているように、以前から思っていた旅紀行を、『小さな旅』として写真と簡単なエッセイ風に書き込むページを立ち上げる事が出来た、私の旅だからほんの小旅行にとどまると思うが、そんな小さな旅でも、私の知らない発見があり驚きがある、そんな事を書き込みたいと思う、
今日は、隣のHさんから頂いた『黄色のほととぎす』を描いてみた、偶然昨日TVで『ほととぎす』について放送していた、色も種類も多いらしいが、私自身黄色の『ほととぎす』は初めて見る

2005/10/10(月) 自然に生きる
以前住んでいた町で親しくして頂いていた、Iさんのお母さんが亡くなったとの知らせを受けた、この前私の娘が会って元気だったと聞いていたのに、人の命の儚さを又一つ思い知らされた、
さて昨日裏のTさんが『描いたら?』と言って一枝持って来てくださったのは、去年も頂いて描いた記憶があるが、何か豆の花のようだが、Tさんも何か判らないと言う、頂いた時には真っ白い花だったが、今日描く時にはほんのりピンク色になり、本当に優しい感じの花だ、恐らく小鳥が運んできた種が根付いた物らしい
畑の持ち主も知らないとの事だが、かなり蔓を伸ばしている様だ、自然に鳥たちの媒介により種子が広がり命が生まれる、
絶える命そして生まれる命、人間も其の大いなる自然の中でほんの小さな命を与えられ生かされている、不思議な事だと思う

2005/10/09(日) 出会いは心の宝
私の子供の頃から我が家は人の出入りが多いい家である、したがって色々な新しい出会いがあった、特に私たちが結婚し両親と同居(妻の希望で同居したのが結婚四ヶ月目頃から)するようになってからは、両親と私たちとの夫々の客でほとんど絶え間ない状態だった、当然其の都度忙しい思いをしたのは妻だが、何一つ愚痴をこぼすことなく動き回る妻だった、幸いな事に妻自身も客が好きで余り気にしていない風だった、朝からコーヒータイムと称し、近所の奥さんたちが奥に陣取り、両親の客は食事時間を除いてほとんど表に陣取り四方山話にふける、まるで集会所状態だった、
その後今の家に引越し両親も亡くなりはしたが、いまだに我が家の客は朝から絶えない、だらも訪問客が無い日など此方から電話を架け誘ったりする、このような生活環境が私の今のライフワークである『絵手紙』に大いに影響して居るのかも知れない、
『出会いを求め』『出会いを大切に』この心は今始まったことではなく、子供の頃から生まれ育った環境でつちかわれたものかもしれない、
『出会いは心の宝石』で大切にしどんどん増やして生きたいと思う、我が家を出会いの場とし開放しながら、同じ思いの妻と毎日を幸せに暮らし、生かされた命に感謝しながら過ごしたいと思う

2005/10/08(土) 番狂わせ
甲高い小鳥の声につられ目をやると、庭のピラカンサスの木に小鳥が二羽止まり忙しく紅い実をついばんでいる、そう言えば気が付かなかったが我が家のピラカンサスも今年は紅い実を沢山付けている、去年は実が少なかった、それはおそらく実が少なく紅くなるまでに小鳥に食われてしまったのかも知れない、然し今年は可也の量の紅い実だ、花にしても木の実にしても自然の状況により出来不出来は決まるようだ、
そう言えば昨年寒い時期に桜が咲き驚いたが、今年は今咲いているのを見る、近所にそれは見事な枝振りをし春の満開時が楽しみな桜の木に去年と同じように今年も既に花が咲いている、今年の春は例年のような見事な満開は見られなく花色も薄く少しがっかりさせられたが、今年もこの時期咲いた為、本番の来春にはどんな花を見せてくれるか心配でもある、
自然界もこのように思いもかけない番狂わせがあり、人間社会も予想も付かない大変な事が各地で起こっている、このような不安な時代何とか成らない物だろうか、

2005/10/07(金) ランタナ
毎年夏になると小さな花を付ける『ランタナ』が今年の夏は咲かなかった、妻も好きな花なので今年は駄目だと残念がり諦めていたが、昨日頃から花が開き始めた、白とピンクの小さな花びらが寄り添うようにこんもりと盛り上がり可憐に咲く、ひとつの枝から色変わりした花が咲き別名『七変化』と呼ばれている、
花言葉は『合意』『協力』『確かな計画性』などがある、
唯残念なのは可憐な花に似合わず、葉の匂いがどちらかと言えば『どくだみ草』に似てどうも臭いのが頂けない、
だから私はこうして描くのは良いが、摘んで花瓶に入れたりは遠慮したいと思う、

2005/10/06(木) 自然
昨夜は毛布無しでは寒さを覚えたが一夜明けて今日の暑さ、まるで真夏に後戻りしたようだった、然し自然の植物たちは間違いなく秋を深めている、たわわの柿は色づき始め、反面柿の葉は日ごと変色し茶色に色変わりしていく、秋の深まりとともにこうして彩を変えていく木の葉も、絵手紙の楽しい画題のひとつである、
次回の教室ではこうした木の葉を画題としている、
私自身以前は騒音の街中に住んでおり、こうして日に日に移ろう自然を見ることすらなかった、然し現在の家に引越し手から身の回りに自然が溢れ、時には戸惑いさえ感じる、自然を目の当たりにし、触れ肌で感じながらこうして楽しく老後を過ごせるなんて考えだにしなかった、然しこの地もいつまでもこのままではすまない、やがて自然も追いやられる事になろう、だから今の間に大いに自然を満喫しておきたいと思う

2005/10/05(水) しし唐と九十歳の元気な人
朝夕のウォーキングコースに一軒の農家があることは以前にも書いたが、昨日夕方其の農家の畑の傍を通りかかった際、其の家の老人が畑に座るようにして作業をしているのを見た、『何をしているんですか』声を掛けたら『今晩のビールのつまみにしよう思うて、しし唐を採りおるんよ』
見れば老人の足元に7センチほどの鮮やかな赤と緑のしし唐が無数になっている、
『あんたらも、もいで帰りんさい、油でいためたら美味いよ』言葉に甘える事にした、田舎生まれの妻も無論私も直接採るには初めての事、『まだまだ遠慮せんこう採りんさいよ』我が家も二人の事『もう充分です』と頂いて帰った、
何時も見るその人、多分七十代後半だろうと思っていたが、
『今何歳になられます』『もうすぐ九十に成るんよ』驚いた、顔の艶と言いかくしゃくとした物腰とても九十とは・・・・
『何時までもこの様に元気で居たいものだ』と話しながら家路に付いた。、

2005/10/04(火) 京芋大好き
何時の頃からかこの時季になるとでてくる京芋が好物となった
特別想い出があるわけでもない、唯薄味でじっくり煮込んだこの京芋の、
口に入れると噛む必要も無く溶けるような感触は何とも表現しがたい、舌の上で本当に細かい粒子でとろける様なほんのりした甘み、唯時折出来の悪い芋があると硬い物があり、そんな芋に当たると、当然期待を裏切られたようで落ち込んでしまう、
かと言って私は特別グルメではない、食卓に出された物にはほとんど物言いはつけない、折角美味いものを食べさせようと色々工夫して調理する妻を見ていると、『世の奥さんは大変だ、毎日食事の献立に頭を痛め、調理に一生懸命に力を注ぐ、それを食べるのに美味いとか不味いとか・・・・』などと思うが矢張り不味いものより美味いものが良い、幸い我が家は美味いものを食わせてもらっている・・・と私は思っているが、だから最近私が太り気味なのかな????

2005/10/03(月)
秋の風が吹き朝ウオーキングコースの田圃も間もなく稲刈りが始まると思う、又裏の畑にある柿木も赤い実が鈴なりになっている
すっかり秋の風景だ、
裏のTさんがその紅く熟れた柿をもぎ袋に入れてきた下さった、
中にはちゃんと枝葉の付いた物がある『描いてのに葉っぱがついとった方がええ思うて』心得た物だ、私が何時も描いているのを見ており、枝葉の付いたものを良く描いているのを観ているからだと思う、
何時も思う四季折々に書く画題に事欠く事が無く、其の折々の旬を手にして描く事が出来るって本当に幸せなことだ

2005/10/02(日) 自然に親しむ
今朝教室のMさんから『若い者がチヌを釣って来たので要りませんか』と電話があった、釣ったばかりの新鮮頂く事にした、20センチばかりの小ぶりだが活きの良いチヌだ、養殖ものでなくまさに天然ものだ、どれも先程迄瀬戸内海を悠々と泳いでいた旬の魚だ、
チヌを見ると思い出すのは子供の頃、手製の銛を竹の棒の先に付け、車のチューブを細く切ってそれを動力とし、大田川にもぐり、底の石につかまり目の前に近づくチヌを待って銛を放ち獲っていた、
昨今ではこのようなことは到底出来ないし川に入る事すら禁止されている、自然に接し自然の中に入り込み、自然の大切さを学んでいた我々の子供の頃を考えると、最近の子供たちが可哀想にも感じる、そもそも川に入ってはいけなくなったのも、大人たちが無制限に自然破壊をしたために起因していると思う、
夏になると各町では町内を流れる川に、櫓を組み皆総出で川を掃除し遊泳場を作り、子供は朝から川に入り魚を獲り、蜆を掘り
川と一体になり育っていったものだ、挙句の果て唇を紫色にし、交代で見張り役の町内の伯父さんに怒られて、アスファトの道路に長くなり体を温め再び川に入る、この様な時代が再び来る事は無いのだろうか

2005/10/01(土) 生かされて七十年
さて今日から10月、昨日も書き込んだ様に
今年の10月は私に取って節目の年でもある、かと言ってこれと言った特別のことをするわけでもないが、何かしら背中にずっしり重いものを感じる
七十歳までは何とか生かされた命を全うしてきた、七十歳過ぎたら余分に生かされた命だから一層大切にしたいと思う・・・・・
昨日教室にMさんがコスモスの束を持ってきた、秋の到来である
小さく揺れる黄色、紫色、紅色などのコスモスは矢張り秋らしい雰囲気をかもし出す、花言葉は『乙女の真心』『少女の純潔』
『野生美』などある


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.