―思いのまま気の向くまま―
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2005/02/28(月) 明日から3月
昨日苦しませてくれた花粉は今日は何処に行ったか、全く害も無く楽だった、

今日で2月も終わり明日から3月、愈々始まる、
息子も間も無く広島入りする、明日から彼と最終準備で忙しくなる、

3月と言えば、下関・東京間のブルトレが3月1日から廃止になるとか、直接関係あるわけではないが、朝のウォーキングコースで山陽線沿いに歩く、その際下関行きのブルトレが朝の空気を引き裂き走り抜けるのに逢っていた、今まで一度も乗った事が無いと言う妻に『いつかきっとあの列車に乗ろう』と約束していたが
とうとう其の約束も果たせないままだった、
今度は『トワイライトエキスプレスと言う列車に載る計画を立てよう』と今朝の事約束をした・・・・

いずれにしても明日から3月春は確実に近づいている、我が家の裏にあるTさんの家の畑の隅にふきのとうが開き始めている、
冷たい風の中ふくよかな春を感じ幸せ気分である

追伸
夕方駅に息子を迎えに行った、トコロガ大変なことがあった、
改札口に現れたのは息子達親子三人連れである、今回は諦めていた親子三人で帰ってきたのだ、妻は驚きと嬉しさに涙涙・・
挙句身体に震えまで来たようだ、私たちを驚かすため息子達の仕組んだ計画にまんまとはめられたわけだ、驚くばかりに成長した孫の元気な姿、其れより当分我が家は台風に見舞われた状態になりそうだ、どうなる事やら・・・・・

2005/02/27(日) 花粉症
朝から快晴の一日だった、然し冬である空気は冷たく明け方は白いものが時たま降り近くの山も頂上の方は白くなっていた
ところが、トコロガである、何と花粉飛来のせいかクシャミの連発には参った、全く集中力を欠き筆も持つ間もないほどのクシャミである、

とうとう今まで嫌で使用しなかったマスクを買い入れた、こうしているまも花はむずむずして、実に憂鬱である

明後日は『三人展』の作品搬入である、其れまでに何とか花粉の飛来も収まってくれればいいが

こんなわけで今日は絵手紙も描けなかったが昨日『ツタ大根』と一緒に貰った『青首大根』を描いていたので、その絵を書き込むことにした

そういえば昨夜この青首大根細く千切りにしてドレッシングをかけサラダとして食卓に出ていた、食べてみると大根臭くなくしゃきしゃき感が良く予想外に美味かった、これはいけると思う機会があれば食べて見ては?

2005/02/26(土) ツタ蕪
今日も冬型の天候で晴れたり曇ったり時には雪がちらついている
『三人展』もすぐ目の前に迫ってきた、いろんな人から応援や期待のメッセージが届き、私の気持ちもいやおう無しに昂ぶって来ている、

個展は何度か催して来たが、親子での共同の展は始めてでもあり、ましてや息子が遠く離れているので、作品が間に合うのだろうかの心配から始まったが、流石に彼もしっかりと作品の製作も余裕を見せて我が家に送り込んできている

次々と送り込まれる作品の入った荷物を見ると、安心もし緊張もして必ず展を成功させなければと心が引き締まる、

ところで教室のSさんから「ツタ蕪」だと言って紫色の蕪と青首大根を貰った、この「ツタ蕪」は以前広島の廿日市産だといって手に入れたことが有るが「ツタ」と言う所が廿日市なので同じものかもしれない

ただ新鮮な採れ採れの品でしっとりと新鮮が伝わる、この蕪の葉
は刻んだものをいためて食べると美味とか、又紫の根の部分は名までサラダが美味だとか今夜は早速食卓に並ぶ事だろう

2005/02/25(金) 新聞記事
朝一番に弟から電話があり『○○新聞の7面にあんたの事が載っているよ』との事、早速新聞を開くと、『記者手帳』の欄に先日私の事を取材に来られた記者の手記が載っており、内容が私との出会いから今度の『三人展』に話が及び最後は新たな出会いえの期待の言葉で結んである、

嬉しい事だこうして私との出会いを喜んでくださる人の言葉を聞くたび、絵手紙の持つ大きな力も感じるし喜びも再確認する、

今日は昨日と変り天気も良く朝から割りと暖かさを感じる一日だった、テーブルの上にはフリージアが花瓶に入っている、鮮やかな黄色と紅色、そして蕾の緑が若々しく正に春を告げているようだ・・・・春は確実に近づいている・・・・

2005/02/24(木) スキャナ復活
昨日は春一番が吹いたかと思う全くの春陽気だったのに、ところが今日は如何した事か朝から冷たい曇り空、挙句のはて雨からみぞれに変り全く冬に逆戻り、山間部ではかなりの雪で積雪を見ているとの事、ドウナッテルンダと天に向かい怒鳴りたいくらいだ

そんな天候の中、朝から出かけ久し振りの友人Sさんと会い懐かしい時間をすごし、Kさんのグループの絵手紙展を観た後Hさんの病気見舞い、最後に同級生のT君N君の所属する油絵のグループ展にと、忙しく廻った、夫々に皆頑張っており、そんな姿を見て来月催す『三人展』えの気持ちに力を貰ったようだ、

さて、今日久し振りにスキャナの修理が完了したので、先日教室のSさんのご主人の釣果であるメバルを頂き描いていたので、早速取り込んでみた、これで漸く雑記帖も其れらしく楽しみに書き込むことが出来る

2005/02/23(水) 春一番
ラジオで関東地方で今日春一番が吹いたと放送していた、広島も今日一日暖かく、風も強かった案外春一番ではないかと勝手に想像している、ところが明日は又気温が下がるとの事、こんなに気温が不順だと体調も壊そうというものだ、

教室でも風邪を引いた人が多いい、私は今風邪など引いている暇は無いのだ、其の為にも外から帰ったときには必ずうがいと手洗いは実行している、用心にこした事は無い、

我が家は出来るだけ暖房器具は使わないようにしている、暖かい部屋にいてぬくぬくとしていると外に出た時すっと風邪が身体に進入してくる、そういう意味で暖房機は使わない事にしている

それに省エネに通じるし、本音は経済的にも・・・・・??

2005/02/22(火) 三人展迄一週間
昨日に比べ今日は空気こそ冷たいが実に気持ち良い一日だった
『三人展』まで後一週間と成った、工房空・息子の方も懸命に作品の仕上げを頑張っているようだ、私自身もこの年になってこうして息子共々共通の目的の為頑張る事の幸せを噛締めながら、心のどこかはときめいている、

これに親父が生きていれば最高だが仕方ない事だ、兎に角展の成功を願って頑張らないと・・・・

2005/02/21(月) 寒い!!
今日も昨日と同じ様に冷たい一日だった、時折ちらつく雪が一層寒さを感じさせる、然し盛岡の絵手紙仲間Sさんから久し振りに便りが届いた、貼り絵のお雛様だ、春を心待ちにする雪国の人の願いが溢れているようだ、書き添えられたコメントにも『春が来るかと思えばドカ雪で2メートル近く積もる・・・・』とある

広島の最高温度が4度と聞いて震え上がっては彼の地の人たちに申し訳ないことだ、息子一家もそんな寒い土地で頑張っていると言うのに、私たちは天国にいるようなものだ、

寒さに負けないで頑張らなければ・・・・

2005/02/20(日) 蕗のとう
今朝から空は晴れた良い天気だったが、これが冬型の天気とでも言うのか、朝のウォーキングの時から白いものがちらほらしており日中の晴れた空から雪が時折降り、風は冷たい風だった、

そんな折裏のTさんの奥さんが「蕗のとう」を採って来てくださった、
毎年一箇所固まって蕗のとうが芽を出す場所がある、私が画題にしたくて芽を出すのを待っている事を知りこうして採って来て下さる、ありがたいことだ私の筆も皆さんの協力があるから春を知り踊り始める(少々大げさな表現かな?)

何はともあれ冬の冷たい風の中暖かい春を感じた一日だった

2005/02/19(土) 便利さと不便さ
今日突然プリンターに不具合が出た、早速購入先に連絡しサービスマンに来てもらったが、機器を持ち帰りメーカーにまわして修理する為一週間はかかるとの事、

私のプリンターはスキャナと合体型のため、代替のプリンターは置いて行って貰ったもののスキャナが無いので、絵手紙を取り込むことが出来ず、当分の間日記のみの記入となる、

便利がいいのでこの機種にしたがこんなときには不便だ、便利さの裏には必ず不便さがあるもの、何でもこれで完璧というものは無い、人間だってそうだ、誰だって欠点はあるお互い其の欠点を補いあってこそ人と人との関係がうまくいくものだと思う、

当分味気ない雑記帖になるが仕方ないけど我慢しよう

2005/02/18(金) 新鮮
教室の生徒さんOさんから新鮮な野菜を頂いた、
どの野菜も青々とした葉で、いかにも新鮮そのもの土の匂いのする正しく抜きたての野菜である、

何時も思い感謝していることだが、こうして新鮮な野菜を頂ける
のも絵手紙という出会いがあったからのことありがたいことだ

Oさんの畑にできるものは、それこそ無農薬でえ形は少々変わっているが美味いのだ

時折Oさんの手を見ることがあるが気の毒なほど痛んでいる、事実彼女は手が痛く筆を握る事もままならないときがある、そんな手で丹精込め育てた野菜を、惜しげも無く頂けると言う事は、
本当に幸せなことで勿体無い事でも有る、そんな事を考えると、
葉先一枚も粗末には出来ない、

だから我が家では大根葉まで調理して食卓に上る、これが新鮮なだけに美味いのである

2005/02/17(木) 雛人形
朝のウォーキングの途中今は刈り取られて広い田圃が有る
其の田圃の隅に桃の花が咲いている濃いピンクの花が枝を覆うように咲いている、其の田圃を過ぎると広い土地に梅のたくさん植えてあり今は白梅が花開き始めている、確実に春の足音が聞こえるようだ、

二月も十日余り本当に春は其処まで来ている、然し息子のいる岩手の方では昨日も雪が降り又積もったようだ、随分違うものだ、

ところで三月ともなればひな祭りである、其処で教室では今回
雛祭を画題にした、PCで色々調べて見たが随分色んな雛人形が有る、古来からのものはそれなりの威厳を保ち、素材形も様々でzる其の中からピックアップしたものを見本として何点か描いて見た、其の中でも其のシンプルさが気に入って描いたのがこれである

2005/02/16(水) 三回忌の法要
今日2月16日は私の父の命日である、我が家で私たち夫婦、私の弟と妹の四人が集まり、お寺の住職に来ていただいて三回忌の法要を済ませた、読経にあわせ合掌をしながら今度催す『三人展』の報告をした、本当を言えば父が生存中に此の展を開く事が出来ればと悔やまれるが仕方ない、何とか成功させ父にも喜んでほしいものだ、

添付した案内状は息子が作成したもので中々良く出来ていると思う、やはりこんな事は若いセンスに任せるべきだと思う、
ふと『老いては子に従え』少々悔しいけどこの言葉が脳裏を走る

ところで話は戻り法要の間思ったことだが、私の父はさして長患いではなかったが、96歳と言う長寿を全うし、生前よく私の妻に言っていた言葉に『わしは、あんたがいなかったら、こうも長生きできんかったろうて、』妻が色々気を配り作った食事を食べながらの言葉だった、確かに妻は何時も病弱な私の母の面倒を看
其の母を送って七年後に今度は私の父の番、お定まりのようにそのほうは私も妻にまかせっきり、こうして父の三回忌の法要をしながら、今更のように済まなかったと思う、

これからはゆっくりと、今まで出来なかったいろんな事を二人で遣って行きたいと思う、どれほどのことが出来るかわからないが、精一杯楽しみたいと思う、

2005/02/15(火) 春が其処まで
今日は朝から冷たい雨、冬の雨は嫌いだ、冷たいしどんよりと心まで暗くなりそうな一日だ、
気分転換の積もりで雨が小止みになったのを見計らって、妻と少しはなれたスーパーに行ってみた、例によって何か画題になる物はと物色していると、花屋さんの前で沢山の花に混ざり、奥の方に濃い黄色の小さな花が目に付いた、店の人に聞くと「連翹(れんぎよう)」と言う花らしい、早速買って帰りPCで調べてみると春の花との事、良かった春ももうすぐ其処まで来ていると喜び描いて見た

2005/02/14(月) 日本海の香り
出雲の妹の家から鰈の一夜干しが届いた、日本海で取れたての鰈である、思いのほか身が厚く美味である、
こうして時折日本海の美味を送ってくれる、ありがたいことである

特に最近は道路事情がよくなり、運送時間も短縮され新鮮なままの品が届けられる、

詳しい事はよく判らないが郵政民営化の声と共に運送界もかなり刺激されてか、民間も郵便局もかなりサービスが良くなり、利用する側にしてみれば便利な事である、

それにしても日本海の香りが一杯のこの贈り物有り難く今夜早速食卓に出るようだ

2005/02/13(日) 雑煮
2月9日は旧正月だった、我が家では1月1日〜3日までは、朝筒井家の雑煮を食べる、

筒井家の雑煮とは牡蠣と白菜と芹で薄い醤油味のシンプルなものである、そして旧正月には妻の実家の雑煮を食べる

雑煮は所により随分色々有るようだ、妻の実家の雑煮は又色々這入って豪華である、欠かせないのはぶりの切り身、蛤、昆布、するめ、豆腐、蒲鉾、三つ葉、等実に賑やかである、夫々のものから旨味が出て、豪華で濃い雑煮である

今日は娘が久し振りに帰って来ると言うので、妻は昨日から蛤やぶりを買い込んで準備をし作って食べさせていた、

妻も実家の両親は既になく、こうして旧正月に故郷の雑煮を作り、両親をしのんでいるのではなかろうか、
今日画題にしたのは其の蛤である

2005/02/12(土) 春の先取り
毎日寒い日が続く、冬の真っ只中だが暦では既に春に入っている
思わぬところに小さな春を見つけることが有る、朝のウオーキングの途中畑の隅に桃の木には濃い井ピンクの花が咲いている、又桜の木の枝に芽が心なしか膨らんでいるようだ、梅の花も今にも開きそうな風情だが朝の冷たい風に思わず首をすくめている様に見える、

こんな折私の心は既に春である、三月初めの三人展のための準備に心は弾み春の暖かさのように燃えている、

そんな私の心を後押しするかの様に、スーパーも花売り場にチューリップが並んでいた鮮やかな色合いが春を思わせる、元来温室育ちで旬を狂わせる事は好きではないが、今日ばかりは春を先取りしたようで心和んだ(勝手な奴と思われるかな?)

2005/02/11(金) 孫娘
今日は昼から孫娘姉妹が遊びに来てくれた、久し振りである、
昨年末一緒に岡山の方に楽しい旅行に行ってからの事だ、
上の孫娘は今年高校を卒業し次の進学も決まって、友人達と九州に卒業旅行に行ったとの事、下の方は今年中学の三年生、陸上部に籍を置きクラブ活動で中々遊びに来る機会もないとの事、それでもこうして二人で会いに来てくれる、

妻は昨夜から彼女達が来ると連絡を受け、『何を作って食べさせよう、何が食べたいだろうか』大変である、結局『婆ちゃんの餃子が食べたい』の言葉でどうやら今夜は餃子のようだ

『あれを買っておいてやろう、果物は何が、お菓子は何が良いだろうか』朝から大変である、

孫は実に可愛いものである、顔を見るとほっとさせられ、我が家に来てもほとんど話はしなくても、まるで雪の中で真っ赤な藪椿を見てほっとした時のように、どんなに心が苛付いていても不思議と落ち着くものだ、

これもたまに会うからかもしれないが、時折こうして顔を見せてほしいものだ

2005/02/10(木) 軽石の灯篭
我が家の庭の片隅に、軽石で作った灯篭と家がある、どちらも小さいもので灯篭は高さ約25センチ、家のほうは高さ15センチほどのものだ、

いかにも旧いと言う様に緑色の苔まで付いている、これは私の母の父親、つまり私の母方の祖父が彫ったもので60年以上経っている、

原爆投下の1ヶ月前家屋疎開をした時私の父が大切にして手放さなかったもので、今でもこうして庭の隅に鎮座している、母方の祖父の思い出に繋がる唯一の品だ

其の祖父も原爆投下後2年目に亡くなった、祖父は戦前ランプの販売をしていた、今ではインテリアとして用いられるが私の子供の頃はまだまだ実用品として重宝がられていた、

よく『ホヤを磨け』といわれランプのシェードを磨かされたものだ、其の祖父が趣味と実益を兼ね軽石で、灯篭や、家などのミニチュァを彫っていた、

庭に残る作品を見ると、ゴリゴリ音をさせて軽石を彫る祖父の姿を思い出す

2005/02/09(水)
先日本当に久し振りにY君夫妻がねてきてくれた、その日は彼達の結婚記念日だった40回目の記念日である、
彼達は私たち夫婦で始めて仲人した夫婦である、それに私たちも先月43回目の結婚記念日を迎えたばかりだった、と言う事は私たちは結婚して三年目に仲人をしたわけだ、しかも私が29歳の時だった、若い仲人で考えてみれば若さゆえの無謀な行為だったかもしれない、

最近の結婚式は仲人は立てず、せいぜい立会人で式を挙げるようだ、然し当時は仲人は必要とされており、結納から始まり出産までかかわり果ては名付け親まで頼まれたものだ、

Y君の親御さんたちはどんなにか頼りない思いをされていただろう
と考えれば赤面の至りである、然し彼達は無事一家を成し今では孫までいるとの事安心である、

其のY君の手土産の一つに鮎を頂いた、彼の趣味は鮎釣りなどとの事、立派な型の鮎である、釣ったものを冷凍にしていたとの事、新鮮なままに冷凍された鮎は、川魚特有の臭みも無く美味である
今夜は食卓に其の鮎が出るようだ楽しみである

2005/02/08(火) 河豚
寒い冬になるとやはり鍋、鍋と言えば河豚チリは最高とされている、高級魚という事も有るが、昔から河豚の毒にあたるかもと言う危険な思いをしながら食べると言うスリルもあって人気があるのだと思う、
然し最近ではわりと安易に口にすることが出来るようになった、

ただ、昔は肝なども危険承知で食べさす所もあり、又舌先がピリッとしびれるのを押して食べるのが通だと言われ食べていたものだが、今ではそうした特に肝など毒のある部分は調理する事すら法律で禁止されているとか

それでも尚時折河豚の毒にあたって命を落としたと言うニュースを聞くことがある、それほど美味い物なのだ

それにしても昔良く聞いていた『河豚毒にあたったら土を掘り首から上だけ出し体を埋めて一晩置けば毒が抜ける』と言うのは本当だろうか」

2005/02/07(月) 春の先取り
近頃は花にしても野菜にしてもそして果物もハウス栽培で、店の棚に出るものはまったく季節感・旬・がなくなっている、
ただ私の気持ちの上ではやはり其の時季其の時季の旬を大事にしたいので、例えば苺の旬は春と思っているので、たとえ冬に店の棚に有っても割りと無視して、この時期になって初めて「ぼつぼつ苺の旬だな」と振り返る

これは頑固すぎるだろうか、然し苺本来の旬が人工的に変えられる、少々苺がかわいそうな気さえする、

だからこの時期の苺を見ると『春が近づいたと感じ、其の香りを楽しむ、

今朝も頂き物の苺を二粒ほど描くために部屋に持ち込むと、甘い苺の香りが狭い部屋一杯に広がり、一人春を先取りした気分に浸った

2005/02/06(日) ニンジンソップ
別に文句を付ける訳ではないが、最近の人参は昔のように人参独特の匂いがなくなったような気がする、昔の人参は真っ赤であの人参特有の匂いがしていた、だから子供は人参を嫌がっていた、
なのに最近は其れが薄らいでいるようだ、
私などは金時人参を見ると昔の味を思い出す、煮しめにしてあってもあの匂いと味は昔のものに近い、だが最近人参と言えば殆んどが洋人参でオレンジ色をしていて何だか薄っぺらな感じがする(こんな事を言えば洋人参の生産農家から叱られるかも・・・)

人参と言えばその昔私が未だ子供の頃・・・(またまた旧い話で申し訳ないが)ニンジンソップというものが有った、所謂人参を加工してスープにしたもの、と言っても最近の野菜ジュースのようなものではなく、薄茶色の半透明なお茶の様な飲み物で透明な牛乳瓶に入っており、さして飲みにくい物ではなく、体に良いということで虚弱体質な私のために、親が頼んで呉れて毎日配達されるものを飲んでいた、

あの頃は世の中が戦争ムードで間食も無論牛乳なども無く唯一楽しみな飲み物だった、然し戦争も激しくなりそれも無くなり、随分寂しい思いをしたものだ、そして終戦後ニンジンソップを配達してくれていたお兄さんが、電気屋さんを開業したのを見て、「もうあのニンジンソッップは飲めないんだなと」子供心に諦めたのを思い出す

2005/02/05(土) エリンギ
私の中の茸と言えばマツタケと椎茸だった後にシメジやエノキそしてナメタケなどを知る事になったが、エリンギはもともとが
ヨーロッパやアフリカ辺りが原産地で、私自身はここ数年前から知る様になった

歯ごたえ、香りなどマツタケに似たところがあり何か身体に良いなどとテレビで放送されたのでかなり食べもした

生前私の父が『長生きするもんじゃのう、変わったものが食えて』良く言っていたが正にその通り、今では私が何時もそう感じている

時代の流れも昔と今では比べられないほどスピードが違う、私などの年に成ると、ついて行くのに大変である、何時も言う様に電話一つ取り上げても然り、確かに便利良くなっているようだが、逆に私たちにとっては大変である、やはり何事もシンプルが良い
だから私は私なりにマイペースでシンプルに生きたいと思う

話がそれたがエリンギを始めて口にした時、これはいけると思ったのは事実である

2005/02/04(金) 趣味で変わる生き方
先日中国新聞に私の事が掲載されてから、沢山の人からメールや絵手紙を貰っている、嬉しい事だ、有り難い事だ、報道の力を今更のように感じ驚いている、と同時に何かを始めたいと考えている高齢者の多いこと、嬉しい限りだ、年をとって何もしなくなりそのまま老い行くより今から何かを始める意欲を沢山見た気がする

ところで今日は花を描こうと周りを見回したが今この時期花は少ない、目に入ったのが『カニ葉サボテン』葉がカニの足に似ているところからこう名づけられたようだ

花の名を考えた人はかなりの頭脳派だと思う、其の語源を尋ねるのも面白い、

私は絵手紙を始めるまで花に興味は皆無だった、然し不思議な事に絵手紙を始めてからどうしても花に目が向くようになった、
『今までは花のはの字も無かった人が変われば変わるもの』とひやかされている

事ほどさように絵手紙いや趣味を持つ事が其の人の生き方を左右しかねない事も痛感している

2005/02/03(木) 節分
今日は節分、スーパーに行ってみると巻き寿司のオンパレード、
そもそも節分に毎年夫々定められた、方向に向かって巻き寿司を丸かじりする、其の間話をしてはいけない、などと尤もらしい習慣昔からあったかな?

調べてみると1970年代大阪の海苔組合が、海苔を売り出す為に考え出したものらしい、どうも日本人はすぐ商売に利用され乗せられる、私はそれには乗りたくないけど、嫌いでないのでついつい食べてしまう、

色々風習があるが、ヒイラギの枝に鰯の頭を刺し軒先にぶら下げる、ヒイラギは葉のとげが悪魔祓いと成り鰯を焼く煙で鬼を追い払うと言う、此方の方が説得力が有るような気がする、これも鰯を売る為の仕掛けかな?

いずれにせよ『鬼は外・福は内』今年こそ大きな声で鬼を追い払いたいと思う

2005/02/02(水) またまた爺馬鹿・婆馬鹿
久し振りの大雪だ、目覚めてみれば窓の外一面の雪景色、何年ぶりかの積雪である、雪に慣れない者にとってこれだけ積もると大変である、雪の有る間は外出を控え、スーパーにもいけないので冷蔵庫に有るものでの食事になる、

日中は暖かい日差しで雪も溶け、夕方になりようやく買い物に動き始める、今日の買い物はまたまた、爺馬鹿、婆馬鹿の買い物である、孫が柑橘類が好きと聞けば、今が旬の八朔を、玩具の車が好きというので、今度はこの車を・・・と買い込み送る、

この度は孫がメロンが好きだと言う事で、『じゃこれも』メロンを買い込む、遠く離れているから何もしてやることが出来ず、広島の爺、婆が出来るのはせいぜいこれ位の事と、二人で話し合いながら、せっせと箱に詰めている

2005/02/01(火)
昨夜冷え込みが酷く、今朝起きて見ると一面の雪、絶え間なく降り続く雪に朝のウオーキングを諦める、いつもの私の部屋から見える風景は広島では珍しい白銀の世界、

この冷え込みは今夜も続くとのことで、明日の朝道路が凍結するのが心配だ、今日の状態でも車のスリップ事故が沢山発生しているようだ、

ところで先日教室の画題で魚を描いた、その折スーパーの魚売り場で活きの良い鯛を見つけ、描き終わったら食べるとの約束で買い求めた、

私の部屋は朝日が完全に差込み、今の季節でも天気の良い日にはぽかぽか春日和で当然温度も高い、そんな部屋で三日間机の上に置き描いていたのだから、当然のように駄目になったようだ、其の挙句処分する羽目になった、せめて腹を開いていたら大丈夫だったかも、
マ、私にとっては描くという目的は達成したのだから(これは妻に内緒の話である)


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