―思いのまま気の向くまま―
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2005/06/30(木) ガリと言う奴
所によれば豪雨の被害を受け、又一方では水不足どうにもならない自然の猛威、これだけ発達した科学技術力をもってしても、自然の力にはに及ばないのだろうか、なのに人間は山を崩し海を埋め自然破壊を続ける、何と言う事なのだろうか、自分たちで破壊した自然に苦しめられるこれこそ自業自得ではなかろうか、
ところで今日は新生姜をスーパーで見つけた、以前我が家では新生姜をスライスしていわゆる自家製の『ガリ』を創っていた、然し妻と二人になってから創らなくなった、私が全く食べないからである、妻はこのガリが好きで回転寿司に行っても皿に山盛りに取り食べている、私は昔からこいつが苦手な食べ物だ、要するに
酢に漬けたものが駄目なのだ、とはいっても以前にも言ったが、一日一個の『梅干』と一皿の酢物体の為と思い食べている、特に梅干たるや雅の拷問に合うが如く涙を流し目上お閉じて飲み込む
こんな事で体の為になっているやらどうやら・・・・辛いものだ

2005/06/29(水) 赤い色は元気のもと
南区民文化センターでの展も後半に入っている、ここのところ教室等色々あって二日ほど行っていない、明日は是非会場に行くつもりだ、お陰で好評のまま県外からも態々来場下さった方もあり
絵手紙やってよかったと実感している、
毎日天候の事になるけど、昨日の暑さはまさに異常、そして地方では豪雨に見舞われたとか、今日も本当に暑い一日だが午後急に雷鳴とともに雨、喜んだの束の間すぐに止み日照り、そして又雷鳴と雨と日照り、ほんのわずかの雨の為地面の熱気が少しの雨を蒸発させ、余計に蒸し暑さを誘う、天を見上げて雨乞いでもしたい気持ちだ、
こんな日は描く絵も暗くなり勝ち、思い切って冷蔵庫をあさり赤いものを描き元気を出そう

2005/06/28(火) 同じ作物でも
もう梅雨の雨は諦めた方が良いのかもしれない、思わせぶりにほんの少し降っては止みすぐに暑い日ざしがさす、今年は兎に角変だ、
ところで我が家の周りは昔は殆ど農家で宅地になる前は田畑の真っ只中になる、子供の頃たまにこちらに来ると全くの田舎だった、それがどんどん宅地に変わり住宅は建つ、マンションは林立するで全く様子が変わり都会化し住宅街と成っている
然し昔の名残で今なお頑なに農業を本業とする人もあり、私の散歩コースにも本格的農家がある、水を張った田圃には稲がかなり伸び風に揺れている、又胡瓜、茄子なども毎朝見るたびに大きく実が成長し収穫を待っている、
又、我が家の裏のTさんのように百坪くらいの土地を家庭菜園とし本格的農業のように作物を育てる人もいる、そこで採れたものは美味い野菜だ、ハウス栽培のようにきれいに育てた物とは外観はかなり悪いが、中身が厚く感じる、今日裏のTさんから頂いた胡瓜、茄子、トマトもスーパーのものとはおよそ味が違う(外見はよくないが)
これならトマト嫌いな私でも食べられそうだ、

2005/06/27(月) 茗荷と母
今日は私の母の祥月命日である
母の記憶と言えば、病弱な為か神経質で厳しい母だった、特に六十年前の原爆で長男を亡くしてから特にひどくなったように思う、ただ終戦前後の食糧難の時代リュックを担ぎ島の方の知人を頼りサツマイモを求めに行き、又疎開先の農家に着物など持ち、米などを求めに行き『疎開者』と差別を受け『お国のために頑張っている同じ日本人なのに』と、悔し涙を流す母を何度か目にしたことがあった、育ち盛りの私たちの為必死で頑張る母もそんな体の無理を重ねた事と長男(私の兄)の死亡、しかも行方不明のままと言う残酷な事実が、精神的肉体的に一度に出たのかもしれない、
この時季茗荷を店先で見ると母を思い出す、何故か母はこの茗荷を好んだ、特に晩年は茗荷を細く千切りにしポン酢をかけ美味そうに食べていた、何故か私も妻もこの茗荷が苦手なので、母がいなくなってこの茗荷を買うのはこの時季一度だけ、私が描く為に買うだけだ、ただ見るからに涼しさを呼ぶ食材だと言う事は私にもわかる、然し何故か口にすることは無い・・・・

2005/06/25(土) オクラ大好きな女の子
夏野菜と言う事で「オクラ」を描きながらふと物凄くオクラの好きな子がいたのを思い出した、妻の姉の娘で広島市内の大学に通う頃良く我が家に遊びに来ていた、彼女が来るときは必ず夕食を準備して待っていたが欠かす事が出来ないのがこの「オクラ」、何が無くても「オクラ」さえあれば良いほど好きだったのだ、
其の彼女も今は結婚し小学生の子を持つお母さんになっている、
彼女は見るからに華奢でヒョロヒョロのあの体にどうしてあの頑張りがあるのか不思議に思えるほどだ、朝から晩までしっかりと仕事をこなし、たまに会う私達に愚痴の一つもこぼすことなくあのように頑張れるのは、「オクラ」のネバネバが効いているのかもしれない、このオクラ原産地は不明でアフリカ起源説とインド起源説がある、またオクラにはビタミンAとタンパク質が多く含まれると言う、話が逸れたが兎に角オクラの好きな子は両親はもちろん私達にも優しいしっかり者のお母さんになっている、

2005/06/24(金) 真剣に取り組む
私の部屋の5時現在室温31℃広島市内の最高気温33,9℃だったとの事、早くも各地で水不足の声が出ている、特に今の時期稲作には水がもっとも必要な時だとのこと、特に農家の人々にとっては深刻な問題だと思う、
昨日に続いて夏野菜と取り組んでいるが、私の妻の茨城在住の兄が丹精込め収穫した物を送ってくれたものでじゃが芋がある、このじゃが芋茹でて塩をかけ食べると甘くほくほくして美味い、又皮のまま焼きバターで食べるとこれまた美味、北海道のじゃが芋として店先に出ている物に勝るとも劣らない美味さだ、義兄も趣味の家庭菜園で育てているのだが、どうしてどうして本職に負けないと思う、以前義兄の畑を見たことがあるがそれはそれは几帳面な畑だった、畦は図ったように真っ直ぐで作物もスケールで図った様に整然と並んでいる、こんな畑だから作物もしっかり育ち
其の物本来の美味さを一杯に含んで育つのかもしれない、、
矢張り何事もいい加減な気持ちで接しては結果がよくなる訳が無い『真剣に頑張れば必ず結果が出る』今更ながら知らされたような気がした

2005/06/23(木) 夏野菜
相変わらず雨の降らない梅雨の蒸し暑い一日だった、
新聞の取材で展の会場でT新聞のK記者と落ち合う、たまたま教室の生徒さん三名ほどが来合わせ、にぎやかな取材現場となる、
絵手紙のモットー『構えない・気取らない・怖れない』も、K記者も理解してくださったようだ、
ところで次回の教室は夏野菜を画題に選んだ、一口に夏野菜と言ってもかなりの種類ある、ところが殆どの野菜はハウスで育てる為何時でも目にするものだ、ただ昔から夏野菜と言われるいわゆる旬の物を選んで画題としたいと思う、
今夜はこれから知人、Oさんのご主人のお通夜に参列する、聞けば救急車で搬送される間に息を引き取られたとの事、さぞOさんは気落ちされておられると思う、会って何とお悔やみを言えばいいやら・・・悲しい事だ・・・・

2005/06/22(水) 夏野菜
昨日夕方の雨はただの見せ掛けだったのか、今日も一日暑い日だった、ここまで行くと完全に水不足が心配だ、と同時に集中豪雨も心配になる、今年の真夏はどうなるものやら、まあなるようになるだろう、
ところで今は瓜が旬である、瓜の糠漬けは美味い普通醤油を少しかけ食べるが、私の必殺技はマヨネーズと醤油をかけて食べる、
これが又美味なのだ、(是非試してごらん)
昔から『瓜は客の顔を見て漬けろ』と言われているがそれほどに浅漬けでパリッとした食感が又良い、まさに夏の食べ物だ、ただ我が家では二人きりの為一度に半本を漬ける事にしているようだ
ところで教室の次回は画題を夏野菜にしているこれから次々と夏野菜の旬が続く楽しみな事だ

2005/06/21(火) 個展が始まった
今日から愈々『広島市南区民文化センター』の展が始まる
朝9時から搬入展示作業何とか形になった、あとは一人でも多くの人が観てくださり少しでも喜んでもらえれば良いと思う
さて今日は夏至、このままだと梅雨の時期が無いまま真夏に入りそうな気もする、ただ雨の梅雨はうっとうしいがかと言って今雨がないと、農作物が大変だろうし、第一水不足も起こりかねない、
兎に角私たちの国には四季があり季節の美しい移り変わりがある、
草した自然の現象も変わることなくあってほしいものだ、
寒さの冬、心和らぐ春、鬱陶しいが天の恵みとなる雨降る梅雨
そして暑さの夏、もの想う秋日本のこうした季節の移ろいが私は好きだ・・・・・

2005/06/20(月) 真夏日
毎朝のウォーキングの楽しみに季節の移り変わりが見えることだと以前にも書き込んだ事があるが、水を張った田圃の稲も日ごと伸び蛙の声も盛んに聞こえている、なのになぜ雨が降らないのだろうか、今朝などは蛙の声もどこと無く元気が無い、
然しある家の前に差し掛かると突然大輪の向日葵の花が目にび込んできた、そう真夏の花向日葵が咲き始めている、
日中の気温はますます上昇気味、梅雨だというのに雨が降らない
一足飛びに真夏の景色模様だ、かといって明日から私の展も始まる、雨が降れば降ったで出足が鈍る・・・痛し痒しである
とにかく明日からの展盛会であれば・・・・・・・・・

2005/06/19(日) 巨大茄子
どうなってるんだ!!
暑い・・・何と言う暑さだろう、贅沢言うようだけど矢張りこの時季、梅雨は梅雨らしく雨が降らないとどうも調子が狂ってしまう、こんな折妻が買い物から帰り『如何だ参ったか、』と少々暑さでボーッとしている私の目の前に突き出した物を見て
『何じゃコリャァ』眠気が覚めてしまった、妻が持っているのは紛れも無い茄子である、今まで見たことも無い大きな茄子、太さが8センチ長さが50センチ、『嘘3・5・8』と言うけど正しくこのサイズの巨大な茄子である『描いたらどう?』
そういわれても大きければ良いというものでもない、さて葉書に如何描けばいいかと考えるほどだ、
胡瓜の大きな物は見たことあるが茄子のこんな大きな物は始めてである、『第一二人でどうやって食べるんや』結局輪切りにしてステーキにしたり、酢ものにしたり、煮たり・・・・・・
やれやれ当分茄子攻めにあいそうだ

2005/06/18(土) 家庭菜園の収穫物
茨城に住む妻の兄から家庭菜園の収穫物が届いた、じゃが芋・レッドオニオン・珍しいイエローズッキーニまで入っている
それこそ無農薬の品である、兄弟と言う物は有難い物で毎年収穫時期になるとこうして新鮮な収穫物を送ってくれる、特に今年は私がパスタ料理をするというので態々ズッキーニを送ってくれたようだ、早速ズッキーニ入りのパスタを試してみたいと思う
じゃが芋のほうはこふき芋にし食卓に出ていた、実に美味い芋である
ところで電話では茨城のほうは涼しくまだ長袖が離せないとの事、広島と随分違うようだ、『こちらは半袖と短パンだ』と言ったら嫂は驚いていた

2005/06/17(金) 狸と新鮮野菜
いつものように朝のウォーキングに出かけ家を出て間もなく前を走る猫らしきものが目に入る、猫にしては顔が長い犬にしては足が短いと思ってみると『狸』間違いなく狸である、いきなり路地に駆け込んだがふと振り返った顔と毛並みは間違いなかった、十年前この地に引っ越してきた頃親子連れの狸を二三度見かけたことがあり、何と田舎に来たもんだと変に感動したものだが、その後見ることも無かったが久しぶりに姿を見て『この近くの山も狸にも住みにくくなり食べ物を探しに来たんだな』と納得したながら少々狸が可哀想になった、
こんな今朝の事、私が何時ものように広縁(私のアトリエ)で絵手紙を描く準備の墨をすっていたら裏の畑に面した窓をたたく音がする、見ると裏の畑のTさんがいつもの笑顔でブロックの上にトマト・胡瓜・茄子の採れ立てを並べての差し入れだ、朝の露に一つ一つが光っている、『ありがとう』妻が早速裏に廻り頂く
ふと「今朝の狸は餌にありついただろうか」と頭によぎる

2005/06/16(木) 絵手紙の友
今朝っ珍しい友人から電話があった、盛岡市のSさんの元気な声である、絵手紙が縁で付き合いが始まり以前私が盛岡に行った際初めてお会いし短時間ではあるが話をし、その後は時折やり取りする絵手紙の友である、彼女の電話によると昨日山口の湯田温泉に泊まったとの事、今日は萩・津和野と回り巡り明日は広島の平和公園に来るとの事、是非会いたいと思ったがバスツアーでの団体行動のため無理のようだ、いずれにせよ遠くの絵手紙仲間からの電話連絡など嬉しいものだ、先般の『三人展』の折は姫路のTさんが家族ぐるみで態々来てくださった、こうして絵手紙を通じ色々の人達との交流が出来るのは、私の絵手紙をはじめた一番の目的でもある、
さて、今教室では暑中見舞い用の団扇を創っている、骨だけの物に画仙紙に描いた絵を貼り付け自分だけの団扇を創る、生徒さんも実に楽しそうに二時間の教室もあっという間に終わるようだ、
参加する生徒さんが何もかも忘れ楽しむ、これも私が教室を続ける喜びの一つだ
今日添付したのは其の団扇の見本の一つで、以前どこかの道の駅で買ってきた竹細工のバッタを竹串で描いたものである、いかにも夏らしく涼しそうな団扇が出来たと思う

2005/06/15(水) 枇杷
毎日暑い日が続いている、今年は空梅雨かと思っていたが、予報によれば今年も例年通りの梅雨で雨量も例年通りのようだ、と言う事はまとまって降るのかもしれない、そうなると今度は土砂崩れなどという災害が心配になる、
ところで今朝Hさんから初物の枇杷が届いた、日照りが多い為か枇杷も甘いらしい(早速食べた妻の弁)、この枇杷今息子が住んでいる岩手県のほうには無いらしい、気温のせいだろうびわ、無花果・柘榴など収穫されないようだ、以前息子夫婦が一頃広島に住んでいた頃、息子のパートナーがこれらの物を知らないと言うので妻が夫々の旬の頃すぐ買って来て見せると非常に珍しがったことがある、日本も広い物だと感心した事がある

2005/06/14(火) 暑中見舞い
いきなりの中休み、今年の梅雨は空梅雨なのだろうか、ならば水不足が心配だ、庭の紫陽花も梅雨になれば水を得て元気になると思っていたのにこう日照りでは心なしか色も褪せ元気ないように感じる
教室も今日で紫陽花の画題ともお別れだ、明日からは『暑中見舞い』で葉書と団扇に入る、団扇は本当に手作りの物で、広告などで貰った団扇の紙をはがし画仙紙に描いたものを貼り付ける、毎年生徒さんも喜ぶ画題でもある
果てどの様な団扇が出来る物やら楽しみだ
それにしても暑中見舞いの時期に成ったんだ、早いものである

2005/06/13(月) 兎に角暑い
暑い!今日は異常な暑さだ、と言っても今からは暑さもこれ以上にエスカレートする事だろう、今部屋の温度計が30℃を完全に越している、急に暑くなったせいか体がだるく特に昼からは集中力が皆無で何もする気が起きない
少々気が緩んでいるのかも、気合・気合を入れないと・・・・・
毎朝のウォーキングで楽しみは以前にも書いたが、途中に見られる自然の移り変わりの様子である、田や畑の様子、色々咲き競う花自然は季節の移り変わりを微妙に教えてくれ心慰めてくれる、
家々の庭には季節季節の花が丹精こめられ其の時折にカラフルな呼びかけをしてくれる、今朝は一軒の家の玄関先の植え込みで鮮やかに咲き誇る『鉄線』を見た
花びらが六枚の物が『鉄線』と呼ばれ其の名の由来は其のつるが細く丈夫で針金のようなところから鉄線と呼ばれもともと原産は中国との事、
また花びらが八枚の物は『風車』と呼ばれ原産地は日本との事
然しこの二つとも同じ種のようだ、
因みに『花言葉』は
「精神的美しさ」「旅人の喜び」
この花言葉葉どうして誰が言い出したものか興味もある
いずれにせよ、梅雨の中休みと言う事でこれから蒸し暑くじとじとした日が何日か続くわけだが健康には気をつけて元気に過ごし
心は負けないでからっと明るく過ごしたいものだ

2005/06/12(日) のどかな風景に健康を感じる
昨日の入梅宣言もつかの間今日は早速梅雨の中休み、蒸し暑い一日だった、息子の『工房空』は昨日今日と若松市での『工人展』に参加している、何とか雨に降られないで盛会であれば良いが・・・
ところで今年の紫陽花は少し期待はずれだった、雨が少なかった為だろう、色にも精彩が無く花も何時もより小さいように思える
やはり水が大切なのだろう、特に自然の物は人工的に散水しても土地そのものに潤いがないと植物に完全にいきわたらないところがあるのだろう、『天の恵み』と言うけれど実によく言ったものだと思う
この時期に毎朝のように通るウォーキングのコースの田圃にいつの間にか水が張られ、稲が植えられている最近は機械での田植えだと思うが整然と植えられた稲が田の水面に影を映し、爽やかな風に揺れていて蛙の声が聞こえる、こんな朝は実に平和を感じ、のどかな風景に改めて健康の喜びを感じる、

2005/06/11(土) 新鮮は良い
漸く入梅宣言が出た、朝、雨の音で目を覚ました
豪雨に近い雨足だ、明るくなった庭は久しぶりの雨に生気を取り戻したよう花、特に紫陽花が艶を増していた、
然し其の雨も昼前には上がり後は蒸し暑く、湿りが足りないのか地面から湧き上がる湿気がむんむんとし、又暑い日となった、
早速梅雨の中休みのようだ、
昨日教室のOさんに採れ立ての新鮮を頂いた、胡瓜、じゃが芋、玉葱、流石採り立ては艶も香りも違う、特に胡瓜の緑と香りは良い、じゃが芋を早速焼き芋にしバターで食べてみる、何でも特別な作り方をしているとの事で、甘い確かに市販の物と違い甘い、
又胡瓜も輪切りにし三杯酢に漬けたものは香りも歯ごたえ味とも抜群である、やはり新鮮は良い、新鮮は有難い

2005/06/10(金) 漆器の汁椀
いかにも梅雨間近と言うような蒸し暑い一日だった、今夜あたりから天気は崩れそのまま梅雨に入ると言う事なのだろうか、
先日のサッカー北朝鮮を相手に素晴らしい勝利をもぎ取った、素晴らしい試合をしたと思う、ただ悲しかったのは試合終了間際の北朝鮮の選手の行為、確かにエキサイトはしていたが日本の選手を足蹴にした行為、スポーツマンとして許されるべきでないと思う、折角両チームとも頑張って良い試合をしている、と思っていたのだが一人の心無い行為を見て彼の国らしい行為で資質の問題だと誰しも思ったのではなかろうか、
話は変わるが、先日四国に行き『桜井漆器館』を訪れた際私たち二人用の漆器の汁椀を買ってきた、今朝から其の椀で味噌汁を飲んでいるが、やはり日本古来の製法で作られたものは良い、『漆器の汁椀で味噌汁を飲む』これぞ日本人の朝餉と言えるような、何故か誇らしい物さえ感じた

2005/06/09(木) 四国の旅二日目
真っ赤な日の出を見ることは出来なかったが宿の窓から望む瀬戸海には、静かに小さな島「平市島(へいちしま)」「こ平市島」が並び波も静かに、ゆっくりと時が流れているようだ
今日も天気は上々、宿を九時過ぎ出発最後の目的である『桜井漆器館』に向かう、和風作りの大きな建物は外部も内部も黒を基調にした落ち着いた雰囲気である、玄関を入ると紫陽花と蟹の置物をしつらえ、そして唐傘を組み合わせた飾り棚が迎えてくれる、
おそらく初めてお会いした専務(社長夫人)のセンスだと思う、その専務は会議中を態々私のため店に出てきてくださり、艶やかに和服を着こなした美しい人で、初対面とは思えない気さくに話をされる人で想像以上の方だった、三年前はじめて訪れた私は今まであまり興味を持たなかった漆器に、桜井漆器の美しさと他に見られない身近な物を感じ、帰宅後絵手紙で臆面も無くお便りしたところ、専務から態々電話を貰い是非一度お会いしたいと思って、このたび訪ねた次第だが、あのときの私の絵手紙が店の中央に貼り出してあり、又それを見た人からも絵手紙が来ているとの事で何枚か貼り出してあった、ここにも又新しい出会いがあったと感激する、
帰途尾道の町を散策した後S君夫妻と別れJRに乗り帰途についた
気の置けない友人との旅で後味爽やかな心地で列車の揺れに身を委ねた

2005/06/07(火) 四国の旅一日目
予てから計画していた大阪の友人S君夫妻と私達で四国一泊旅行に行く日が来た
今回の私自身の目的は三つある、まず瀬戸田の耕三寺の中にある未来心の丘に行きそこのレストランでコーヒー・エスプレッソを飲む事、次に宿泊場所である新築された東予の国民休暇村に泊まり翌朝海から昇る朝日を望む事、そして桜井漆器会館に立ち寄る事だ

其の一つ未来心の丘は瀬戸内海を望む丘の上に真っ白い大理石に刻まれたモニュメントが青空にまぶしく光り、心が空に引き込まれるような気にさえなった、其の一角にこれも大理石で建てられた真っ白いこじんまりしたレストランに入り、生チョコの添えられたエスプレッソを注文、其の香りと味は三年前はじめて飲んだ感動をそのまま伝えてくれた、
二つ目の目的以前宿泊したときの東予の休暇村は立て替える前でいかにも旧く、そのままだと再度来る事はなかったと思うが、今回は新築された施設にスタッフ生き生きと心地よかった、ただ残念な事は翌朝日の出を待ったが、もやがかかっていたため真っ赤な朝日の昇る瞬間が見えず、少し上に昇ったオレンジに輝く朝日を見た
きっょうの画題は『未来心の丘』の真っ白い大理石のモニュメントである

2005/06/06(月) スミダノハナビ
どうやら梅雨も少し待ってくれるようだ、明日とあさって四国に行くので折角なら雨が降らないで欲しい(と言う事で雑記帳も二日遅れに記入する事になる)

ところで今朝いつものように隣のHさんから紫陽花絵お貰った
紫陽花も色々種類があって今日貰った物は『スミダノハナビ』と
言われる新種の物だ、星型の花びらが花火に見えるところから名付けられたとの事で、正しく打ち上げられた花火を連想する、葉も夫々上を向き夜空に飛び上がる感じがする花だ

話が変わるが教室で最近のJRに対する妨害の話が出た、それも割合この近辺での事、可部線の犯人は逮捕されたようだが、三原尾道あたりでまだ続いているようだ、明日朝私たちが尾道まで行くと言う事から、『用心してください』と言われても乗客として乗る以上は何とも仕方ない事、それにしても何とつまらない事をする奴がいるもの、情けない事だ、一日も早く犯人逮捕ということにしていただきたいものだ

2005/06/05(日) 旅に出る
今朝から曇りがちな天気で愈々入梅かと思っていたが、先ほどから又青空となり夕日がまぶしく思わずカーテンを引きパソコンに向かった

二日後大阪の友人夫婦と四国の東予に行く予定にしているので何とかこのままもてて欲しい、
一昨年東予に行き夜明けにホテルから海岸に出て眺めた来島海峡に昇る朝日が、あまりにも強烈に美しく感動したのでもう一度見たく友人のS君夫妻を誘った次第だ

最近私達は旅に出る機会が多くなった、と言っても年に二三度の事だが・・・これも今までにいろいろの事情で果たせなかった夢を、今元気な間に二人で楽しもうということから、機会を見ては行くことにしている
とはいえ大きな旅をするわけでもない、一泊か二泊の気儘な旅である、考えてみれば結婚してこの方妻と二人での旅などした事はなかった、ここ数年前から二人っきりの生活になり漸く動けるようになった、私自身は会社の旅行などで国内かなり行って入るが妻はこんな機会も無くほとんど県外を知らない、実に済まない事をしたと思う、だからこうして元気な間に許される範囲の旅を楽しみたいと思う、そのためにも日ごろ健康第一で元気でいたいものだ、
贅沢は出来なくても、心豊かに生活できる幸せをかみ締めながら毎日を過ごしたいものだと思う

今日の画題はいつもの隣家のHさん宅に咲いた八重のホタルブクロである

2005/06/04(土) 四葉の花
今日は随分蒸し暑い一日だった
私がアトリエ?にしている場所から小さな我が家の庭が見える
と言っても庭に面したところに広縁があり、其の広縁をアトリエ代わりに道具を広げていていつでも筆を持てる状態にしているだけの事だが、そこから見る紫陽花、今年は少しは何元気が無いようだ、毎年大きな花がつき、また鉢植えではあるが『墨田の花火』も昨年に比べ今年ははるかに小さい、天候の関係だと思うがどうやら今年の紫陽花こじんまりと終わりそうだ、
ところで鉢植えではあるが四葉に花がついていた淡い朱色の小さな花が印象的で、四葉に花が咲いたというだけでいっそう何かいいことのありそうな予感がした

2005/06/03(金) バラとO翁のこと
Oさんからの電話『バラが一つ咲いたから取りにおいで』との事
Oさんは一昨年ご主人を亡くされた、Oさんのご主人は以前この雑記帳に取り上げた事もあるが、あの『O翁』の事である、
其の『O翁』が生前丹精込めて育てておられた花壇のバラに今年初めての花が咲いたのである、
『O翁』にはご生前私は随分可愛がっていただいた、私が絵手紙を始めて最初に理解くださり色々アドバイスしてくださった、いわゆる私の師でもある、生前は時折お尋ねし、絵や書の事に関して
話をし教えを受けた、と言っても特別手法を教わる訳でもないが
色々話をしているうち自然に『なるほど』と教えられる事が多かった、九十二歳で永眠されるまで実に精力的に作品に取り組まれていた、我が家の仏間のとこにかけている掛け軸の『南無大師遍照金剛』は真言宗の我が家のため翁が書いてくださった物である
こんな私とご主人の間を知っておられる奥さんがはじめて咲いた花を態々私に下さった気持ちも理解でき有難く思い出いっぱいに描いてみた、
なおこの奥さんも今九十歳を過ぎておられるが、私の父が生前木彫りをやっていた頃たびたび父に教えてもらいに来ておられた
然し私の父も亡くなり、ご主人も亡くなられ今は彫刻もやっていられないようだ
こんな事を思うとここ数年の間に私の周りも随分いろいろな事があったもんだと思いを巡らした

2005/06/02(木) 紫陽花とツバメ
今年は紫陽花の開花が遅いように感じる我が家のそれも漸く蕾が開きかけてまるで乙女のような淡い若草色の花びらの先がほんのりと紅色をつけ始めている、間もなく大きな花となり雨の中で艶やかに咲き誇る事だろう、
ところで昨夜姫路のTさんから彼女の家の軒にツバメが巣をつくり子ツバメが六羽生まれて元気に親ツバメからえさを貰っているとの事、メールできた写真を見ると蛇よけのネットまではり保護しているようだ、せっせっせとこのためにえさを運ぶ親、夜は親子肩寄せ合って眠る様子がメールで伝わり何ともいえない親子の絆を知らされた
こんな話から思い巡らしたが、最近の人間社会世界のどこかで殺し合いの戦いが絶えず、又、平和であるべき我々日本国内でも親が幼いわが子を虐待し、挙句の果ては命を奪い、また親の都合で幼いわが子の命を絶つ、
こんな悲しい事件が毎日のように報道される、なぜだろう、なぜこのような悲しい社会に成ってしまったんだろう、
本当に悲しい事だ・・・・・・

2005/06/01(水) ホタルブクロ
この時期蛍が話題に上る、私の子供のころ町に住んでいても夏になると窓を開けて寝ている部屋に蛍の訪問を受ける事がしばしばあった、冷房も無く窓は開けっ放しにし部屋につった蚊帳の中に捕まえた蛍を放し楽しんだもの、実に情緒ある思い出である、
ところが最近は蛍の見られる場所は限られわざわざ車で走り蛍を見に行く事になる、それでも限られた時間群舞する蛍の明かりは
実に幻想的である、
この蛍昔は捕まえ花に閉じ込め、花びらが透けて見えるのを楽しんだであろう花が今日画題にした『ホタルブクロ』である、こうした遊びから呼ばれるようになったと言う説もあるようだ、
又提灯の古名は『火垂(蛍)』と言いその提灯に似ているので
『蛍』つまり『蛍草』となったという説もあるようだ又此花は別名『提灯草』とも呼ばれるとの事


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