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2005/08/31(水) たかのり君の花火
今日で8月も終わり、子供たちの夏休みも終わりである、
孫たちも十分夏休みを楽しんだだろうか、私たちの時代と私たちの子供の時代そして孫たちの時代、夫々全く異なった時代の夏休み、夏休みと言えば毎日川に行き真っ黒になり唇が紫色になるまで泳いでいた私たちの夏休みのことを思えば、今の子供たちは可哀想に思える、夏休みだといっても塾に通い、遊ぶと言えば家の中でのゲーム、泳ぐと言っても決められた時間プールで泳ぐ、自然に触れ真っ黒く日焼けをし、其の黒さを競うなどと言う事はとんでもない事らしい、どちらにせよ今の子供たちはこれが当たり前のこと、それを可哀想だとか可笑しいだとか言う方が間違っているのかもしれない、これが時代というものなのか、
ところで夏休みといえば何時の時代も宿題はつき物、皆夏休みの終わりが近づくと追い込みで大変なのは何時の時代も変わりない、
教室のNさんから4
4年生の男の子のお孫さん『たかのり君』が夏休みの宿題で絵手紙を描くのでアドバイスが欲しいとメールを貰った、早速何点かアドバイスしたところ、私宛に其のお孫さん『たかのり君』からお礼を兼ねて絵手紙が届いた、男の子らしく力強い天真爛漫な花火の絵手紙だった、この様な絵手紙は本当に嬉しい物だ、宮島で見た花火見物の楽しさが表現され私まで楽しくなったので、Nさんとたかのり君には無断で申し分けないが、今日の画題とさせてもらった

2005/08/30(火) 弱い心
8月も明日と明後日を残すのみ、流石に朝夕は秋らしくなり日中も風は秋を思わせる優しい風になった、あれほど姦しかった蝉の声も時折聞こえるそれは重いなしか弱弱しく感じる、
今朝も何時ものようにアトリエの座卓の前に座ったが何故か気持ちが昂ぶらない、、ふと見ると目の前の棚に並ぶ父の残した木彫りの仏像が一斉に私の方を見ているようだ、其の中でも『地蔵菩薩』の立像の目が優しく笑いかけているように見えた、
どうやら父が『頑張れ』と声をかけてくれるような気がした、毎日こうして筆を持つ事を、自分自身の心に決めていながら、時にはどうしても筆を持つ気持ちが起きない日がある、そんな時には
父の仏像と会話する事にしている、そうすればかならず仏像は返事をくれ筆を持つ勇気を呉れる、そんな気がするのも私の心の弱さかもしれない、などと大いに反省した一日だった・・・・・

2005/08/29(月) 愈々今日から
愈々始まった昨日の夕方搬入を終えた会場に着き作品の点検をする、大小合わせての作品103点観る人に私の心がどの様に届く事だろうか、
私が会場に行くまでに既に観て下さった人たちの嬉しいコメントが書き込まれていた、こうして直接会えなくても記入されたコメントで心が届いたことを知るのは本当に嬉しい事だ、今日は出来るだけ会場に居て来場者との出会いを楽しみたいと思い午後3時まで頑張った、
ところで今朝裏の畑と境のブロック塀の上に南瓜が置かれていた
裏のTさんからの贈り物だ、それこそ採りたての物だ、ズッシリと重い旬である、有難い事だ南瓜の煮物、てんぷらはちぇはパンプキンスープ等お好みで食卓にでてくる事だろう。

2005/08/28(日) オクラ
愈々明日から『さざなみギャラリー』での展が始まる、夕方から作品の搬入展示をしてきた、展示する間にも何人かの人が立ち止まり作品に見入って下さっていた、さて明日から期間中何人の人が見てくださり、何かを感じてくださるだろうか、何時もの事ながら期待と不安な気持ちがよぎる、
さて朝のウォーキングコースの畑に『オクラ』が植えられている
オクラの実が成っているのを見るのは始めてである、枝の途中から上に向けにょきっと仁王立ちしている、毎朝見るたびに其の実は成長しているようで、今朝など実の長さが20センチくらいになっていた、ここまで大きくなって食べられるのだろうか心配である、見る殻の皮が硬そうである、又お蔵の花は黄色で可愛い花である、不思議に思える、優しい黄色の楚々とした花の実がこれほどまでにいかついとは、ここにも『天は二部つを与えず』があるのだろうか・・・・

2005/08/27(土) 我が家の食品庫
何と言う事だろう、朝ウォーキングに出かけた時は本当に心地よく秋を感じ、道々咲く花や穂の出始めた田圃の稲を眺め爽やかな秋の朝を満喫したと言うのにこの日差しの暑さ、とは言うものの窓から入る風は気持ちが良い、仕方が無いか・・・季節の変わり目少しは辛抱辛抱、外では間もなく始まる選挙の前哨戦とかで割と賑やかになっている、どちらにせよ世の中少しでも良い方向に変わってほしいものだ、
ところで裏のTさんから採りたての茄子を貰った、『秋茄子は嫁に食わすな』と言うことわざがあるが、このことわざの意味は色々言われている「秋の茄子は上手いので嫁には食わさん」と言う意地悪な意味や「秋茄子は種が無いので嫁に子供が出来ない事を気遣う」と言う意味などあるが、本当は『茄子は体を冷やすので、
食べすぎは良くない』と言う意味らしい、それにしても裏の
畑は私の目を楽しませ、私の画題の宝庫でもあり我が家の食卓の絶好の食品庫でもある、有難い事だ、少々蚊が発生しようが、たまに長いにょろにょろとした蛇殿が出ようが『我慢ガマン』これはうらのTさんには内緒の話、

2005/08/26(金) 西洋風蝶草
台風も各地に爪跡を残しながら通過したようだ、毎度のことながら被害を受けられた地域の方々に心からお見舞い申し上げます
然し四国の方ではいまだに水不足が続いているとか、世の中上手くいかないものだ、
朝のウォーキングコースで珍しい花を見た、早速PCで調べて見るとどうやら『西洋風蝶草』と言うらしい7月から9月にかけて咲き
蝶が舞う姿に似ているところからこの名がついたとの事、
別名『クレオーメ』と言う
因みに花言葉は『あなたの容姿に酔う』とあった、
何れにせよ私は始めてみる花である、こうして朝道々色々咲く花を見ながらの妻とのウォーキングで始まる一日にささやかな幸せを感じる。

2005/08/25(木) 気持ち良い一日のスタート
昨日の秋らしい日は何だったんだろう、今日はまるで夏の逆戻り、ただ数日前のように一日に何度もシャワーを浴びていた事を思えば少しは良いかもしれない、今日はシャワーの回数2回で終わって居る、
ところで今朝区役所に、ある手続きに行った、最近の役所は昔と比べ全く行きやすくなっている、係りの人の親切さ、それ以上に友好的な応対には感心する、私は其の手続きの相談会開始時間より早く行き、会場で待っていたところ、係りの人が来られ開始まで15分もあるのに『いいですよ始めましょう』といって快く相談に乗ってくださり、面倒な書類も事も無く終わり手続きが完了した、
役所はかっちりとしていて、融通の利かないと言う印象も吹き飛んで爽やかなすっきりした気持ちで区役所を後にした
帰宅後妻に其の事を話しアトリエに入ったが何と心地よい事、昨日夕方の散歩で買い求めていた『リンドウの花』を描き始めたが筆も進み、今日一日の楽しいスタートとなった

2005/08/24(水)
流石に昨日あたりから秋らしい風になった、最も近づきつつあった台風のせいかも知れないが、今日などは一度もシャワーのお世話にならなかった、
ところで、続けている妻とのウォーキング、毎朝のように同じ時間に同じコースを歩いていると、何時も行きかう人は同じ顔になる、会えば『お早う』と声を掛け合っているが、不思議な事に同じ人と日中会っても声は掛け合わない、朝の顔と日中の顔は違うのだろう、お互い気がつかない訳ではないが、如何言うわけか声をかけないで、翌朝会えば『お早う御座います』・・・実に不思議だ
朝会う人達で犬の散歩中の人に会う、其の犬が小型権であればこちらも案して声をかける、犬も可愛いもので何回目からは会えばしっぽっを振って喜ぶ、実に可愛い物だ、だがこれも引率の飼い主にもよる、飼い主がいかつい顔で多を寄せ付けないような人であれば(時折そんな飼い主ある)、犬がどんなに可愛い犬でも
そうは見えないでこちらも敬遠する
それにしても外はすっかり秋の風情、花も秋の花が咲き始めた
のも事実だ

2005/08/23(火) 百合の花
我が家の裏、ブロック塀沿いに毎年百合の花が数輪咲く、別に植えた訳でもないが自然に生えてきて花を咲かせる、百合も色々種類があり我が家の物は『高砂百合』といって最もポピュラーな百合のようだ、
百合と言えば私の母が生前好きだった花だ、(正確には妻に聞いたところ母が好きだったそうだ)だから毎年この花が咲けば妻は必ず切花にして仏壇に供える、何故母が百合を好んだのか判らないが、潔癖症な母だったから百合の白く凛とした所を好んだのかもしれない、
因みに白い百合の花言葉は『純潔』とある、なるほど頷ける。

2005/08/22(月) パソコン
不思議な物で盆を過ぎ雨が降った成果随分過ごしやすい一日だ、
とはいえ湿度が高く蒸し暑さを感じないでもないが、一頃に比べれば楽になったと思う、今日は久し振りに友人のU君夫妻が遊びに来た、夫妻はお盆休みで帰郷した二人のお嬢さんと墓参りを兼ね山口県の方に行き、下関の関門橋傍のホテルに泊まったとの事でひとしきり土産話を聞き、U君と二人で私の部屋のPCの前に座りパソコン談義を交わした、彼は私のPCの師でもある、教室にも通わないで独学でPCを覚えた私はU君をはじめ何人かの人に随分お世話になっている、特にU君は公民館活動のパソコン教室の講師もやっており、私にとっては絶好の師である、
何時も私はPCに向かうたび思っている、私のくだらない質問に嫌がる事無く、優しく答え教えてくれる友人達に感謝である、こうしてPCのキーボードに向かい新しい世界を実感できるのも、彼ら友人たちのお陰と感謝で一杯である、
ところで少しずつこうして涼しくなると、昨日まで逞しく咲いていた向日葵もぼつぼつ終わりとなり、以前の力強さも無くただ大人しく咲いている、
ただたとえ如何であろうと向日葵は凛として太陽の方に延び様と頑張っている
さてお知らせです、何時も私のホームページに立ち寄ってっくださり有難う御座います、近日中に当ホームページを移転いたします新しいURLは
http://yousuke-no-etegami.comdです、
今まで以上に頑張りたいと思いますので、変わらずお立ち寄りください

2005/08/21(日) 太平楽
久し振りの雨朝から降ったり止んだり一日中ぐずついた天気だった、窓を開けていると雨が入り込むので締め切った部屋は矢張り暑い、かと言ってボーッとしている訳でもない、私はアトリエに入り筆を持ち、妻は近所の友人を招いてのお喋り、但し夕食後は二人共通の時間を持ち同じテレビを見て可笑しい場面ならば一緒に馬鹿笑いをし、スポーツ放送なら同じチームに声援を送る、そして政治問題はテレビに向かって反論し、何も無ければ二人でゲーム(友人には笑われるけど麻雀の二人打ちで燃える、)考えてみれば太平楽な夫婦かもしれない、
ただこうして太平楽を決められるのも二人が元気なお陰、いや二人だけでなく子供たちの家族も皆元気で幸せだからこそと、
元気に感謝、幸せを有難うの毎日である
今日の画題は我が家の近所の家にも咲いている『芙蓉』を描いてみた

2005/08/20(土) ドラゴンフルーツ
先日孫たちと回転寿司へ食事に行った際廻って来た見たことも無い物に孫が手を出した、皿に乗っている物は果物らしく、黒いゴマのような物が一面にあり皮の部分が赤い何ともいえない不気味な物だっった、聞けば『ドラゴンフルーツ』だそうだ、結構サッパリして癖になる感じだそうだ、私など手を出すどころか「なんでこんなものを・・・」と言う感じだった、
ところが今日、妻とスーパーに言った際果物のコーナーに紅い果物で始めて見るものが置いてある、紅いといっても濃いピンクで緑の葉のような物が何個かついている、良く見るととこれが『ドラゴンフルーツ』の全貌だ、なるほど濃いピンクの実からでている緑の葉がドラゴンのひげに見える、名前の由来はこれだと思った、明日孫たちが来ると言うので、買って置いて遣ろうと言う事になりかごに入れる、勿論帰宅後早速絵手紙に・・・・、
PCで調べてみると、この『ドラゴンフルーツ』
原産地は南メキシコ、サボテン科のものとの事、ヘルシーな果実で、ビタミン・繊維・ブドウ糖・ミネラルなど含み又果実の中のゴマ状の種子が腸を刺激して便秘の改善に良いという事から美容フルーツとして人気が出ているとの事、
実に変わった食べ物が次々と出るものだ、といっても私には縁遠い事だが・・・・

2005/08/19(金) 冬瓜
夏の旬のもののひとつに「冬瓜」がある、冬の文字が付くがれっきとした夏野菜である、夏ばてしない野菜として昔から食べられているが、わりとこのこの冬瓜を家庭で調理して食べる人は少ない、又冷暗所に保管して置くと冬まで持つところから、冬の文字が付く所以らしい、
この冬瓜この時期になると方々から頂く、我が家では昔から冬瓜が好きで夏のこの時期、豚肉の出汁・海老の出汁、椎茸などと色々作ってきたが今では豚肉でスープ状して食べるのが本筋と成っている、
今年も教室のMさんから頂いたとうぶん『冬瓜汁』が続くかも

2005/08/18(木) 夏の風物
盆休みが入ったりあまりの暑さを理由に教室が変則的になった、今日盆明けの久し振りの教室である、この暑さにもかかわらず生徒さんの元気な顔を見ることが出来、又幸せを実感する事が出来た、
ところで今回の画題は『夏の風物』最近は、気温とは関係なく、季節感が薄らいでいる、例えば暑い夏には夕方になると打ち水をした家の前に「縁台」を出し夕涼みをする、こんな事は道路を車に取られてしまい出来なくなった、又夏につき物の「かき氷」「アイスクリーム」こんな物は年中あるただかろうじて「ところ天」は其の名を季節とともに残しているようだ、また「わらびもち」も同じだがただ甘党の店やスーパーなどでは年中扱っているが、ただ、店に行って「ところ店」を注文すると、親父さんが水を張った桶から長方形の「ところ店」を掬い取り、木製の「突き器」にいれガラスの器にスッと突き出して呉れて、後は好みで酢と醤油をかけゴマを振って、つるっとかきこむ感触はまさに夏を感じたものだ、そんな懐かしい事を思い出しながら、色々と『夏の風物』に思いを巡らせた

2005/08/17(水) 秋が近い
日中の気温こそ真夏並みの暑さだが空は秋の空だ、特に朝のウォーキングで見る空は正しく秋の空だ、モクモクとした入道雲に変わって、小さくちぎった綿を敷き詰めたようないわし雲、吹く風も心地よい秋の風である、東の空に昇り始めた朝日が金色に輝く
思わず『秋が来た』と立ち止まる
そんな朝ウォーキングから帰りシャワーを浴び、至福の幸せを感じていると、窓の向こうに裏のTさんの顔が見えた『朝からよう精出すねえ』『暑うなるまでの草をとろう思うて』そして『これ描いてみる?』『何ね』『判らんのよ、草に混ざっとんたんよ』会話はこれだけで彼女の手に何か不明の実の付いた蔦のようなものが握られていた、受け取り得体の知れぬまま描いてみる事にした、
得体の知れない物と言えば最近はそいつが随分横行している、電話・メール・セールス・宗教etc騙されまいぞ引っかかるまいぞ
ご用心ご用心

2005/08/16(火) 出会い
鶏頭の花を頂いた、真夏の暑さに燃えるような赤、何と無く暑苦しい感じがしないでもないが、描きながら意外と灼熱の中での深紅の色は、爽やかに感じ元気を与える色に思えてきた、
心を燃え立たせ、勝ちに行くときには赤色を身に着けるというがなるほどとうなづける、
ところで今日は嬉しいメールを受け取った、昨年の原爆忌の頃、偶然取材を受けた大阪の新聞社の女性記者からだった、其のメールで彼女のコラムの案内があり早速PCを開いてみると、彼女自身の身内の方も被爆者でもあり、昨年の広島での取材を通じ原爆に対する思いが熱く力強く述べられており、私も大いに共鳴を感じ、大阪で頑張る彼女にもエールを送りたいと思う、
ふとした縁で出会い、こうしてメールででも心通わせることのできる、出会いの素晴らしさを感じた一日だった

2005/08/15(月) 不思議な話その2
昨日は不思議な出会いについて述べたが、今日はもう少し変わった不思議を話したい、
先日墓参の為私の妹が孫を二人連れて我が家に来た、其の孫の一人小学三年生の女の子が、リビングに置いているレザー製の犬の縫いぐるみがえらく気に入って夜も抱いて寝たいといった、
其の彼女が縫いぐるみに話しかけているのをっ偶然聞いて驚いた
『ロンちゃん』と呼んでいる『如何してロンにしたの』と聞くと『別に、ロンかなと思った』私も妻も同時の顔を見合わせた、そして背筋が続々するような変な気持ちになった、
と言うのも『ロン』は10年前まで我が家で飼っていた愛犬の名前だったのだ、小学三年生の彼女が我が家の愛犬が「ロン』と知る由も無いはず、何かがあるのではとおもわず背中に冷たいものを
感じた・・・
『そんなバナナ』という意味で今日はバナナを描いてみた

2005/08/14(日) 不思議な事実
本当にこんな事もあるのかと驚いている、先日教室で60年前の原爆当時の話が出たとき、生徒さんの一人が私に『生まれ年が同じだけど入学した小学校(当時は国民学校)は何処?』と質問が出た『原爆前は市内の神埼国民学校で原爆で学校の復興が遅れたので卒業は中島小学校』と答えたところ『私も神埼国民学校』聞けば彼女は隣町に住んでいたようだ、集団疎開も村は違うが同じ方向との事、彼女は原爆で焼け出され終戦後疎開先で洪水の被害に会い当時の写真など無いとのことで、私の家に有った国民学校入学当時のクラス写真を見せたところ、どうやら其の中に彼女も写っているようだ、
と言う事は驚きである、若しこれが事実なら60数年ぶりの再会である、しかもお互い生まれた所と全く関係ない場所で全く偶然の出会いからだ、不思議な事もあるものだ、人と人とのつながりは予期せぬところにあり、鳥肌の立つ思いだ、本当に悪い事は出来ないものとつくづく感じる出来事だった
今日の画題は隣のHさん宅に咲いた「たかさごふよう」と言って
寒さに強く道端で野生状態に育つことが多いいと言う小さな可愛い花である

2005/08/13(土) 採れ立て南瓜
何時ものように裏の畑側の窓をたたく音、Tさんの奥さんの笑顔
『お早う今日も暑くなりそうだね』『涼しいうちに少しでもやっとかにゃ』非常に良く働く人だ、『畑仕事が好きなんよ』彼女は本当に畑が好きだ、あれだけ広い畑の管理を完全に一人でこなす、
其の彼女が今朝は大きな南瓜を手にしていた、『たぶん熟れとるはずじゃけ』窓越しに受け取った南瓜はずっしりと重く、へたの切り口から水分が出ている、正しく採れたてである、
早速描いてみる、描きかけていた返事もこの採れ立て南瓜を書くことにした、

2005/08/12(金) 盆提灯
我が家では明日からのお盆に備え毎年12日の今日仏間にお盆提灯を出す、父が生きている間はこれは父の担当になっていたが、父が亡くなってから当然私の仕事と成った、部品を一つづつ組み立てながら黙々と一人仏間にこもりやっていた父の姿を思い出す、原爆で長男を亡くし、しかも其の遺体すら手にすることなく消息も不明のまま、死を認めざるをえなかった父の思いは、息子である私にも計り知れない物がある、
晩年は木彫りの仏像を彫り其の一体一体、鑿の一打ち一打ちに其の悲しみと憤りを込め、『南無大師遍照金剛』を唱えながら終日アトリエに座る姿が見えるようだ
お盆ともなればあの世とやらで、父も母もそして兄も打ち揃い話し込んでいる事だと思う・・こうして私が組み立てている盆提灯の傍に・・・・・・
                 合掌

2005/08/11(木) はみ出しやろう
朝のウォーキングコースに50坪くらいの西瓜畑がある、毎朝と折りながら時折西瓜の数を数えてみる、葉が茂っているので数は定かでないが、茂った葉の中から大きな姿を見せている西瓜が2週間前には少なくとも10玉は数えられた、今朝久し振りに除いてみると殆ど亡くなっていた、あれでも直径15センチくらいの物が2〜3玉転がっていた、ところが面白い物を見つけた、そのものは直径が矢張り15センチ足らずの西瓜だが、何故か囲いの間から出てきたのだろう、蔓が囲いの隙間から出たのだろう、途中から出た蔓の先に確りぶら下っている、そいつが囲いの隙間より大きくなった為元にもどるわけにも行かず、1玉だけ外に飛び出したまま囲いからぶらぶらとゆれている、『はみ出し野郎』が引っ込みつかないまま立ち往生しているように見え無性にこっけういにみえた

2005/08/10(水) 盆灯篭
時折雷鳴とともに降る雨、少しは涼しくなるかと思ったがそうでもなく夏らしい一日だ、たった今ラジオで河川の下水道を点検中の、市の職員が突然の鉄砲水に流され今捜索中との事、気の毒な事だ、夏になると水による事故、又山での事故など毎年報じられる、今日も登山から帰った弟がたまたま滑落現場を通ったといっていた、事故にあった人は気の毒だが、其の周りの人も大変だと思う、
所でもうお盆休みに入った人もある、毎年この時期になると故郷に人は集まる、夫々故郷のお盆を楽しむ事だろう、其の地方地方により風習しきたりがある、最近では特に古くからのしきたりなどを守ろうという風潮がおきている、
広島は浄土真宗、安芸門徒の地でお盆には墓前に華やかな盆灯篭を供える、竹と色紙で作られたもので、初盆の墓には白い灯篭そうでないものには色の付いた物と、お盆が近づくとそれはカラフルな墓地に成る、親戚同士お互いに供えあうので墓前には何本も灯篭が立つ、(我が家は真言宗で宗派が異なるので灯篭は供えない)
今日画題にしたのがその灯篭である

2005/08/09(火) 平穏な一日
西の山の上の方には黒い雲が出て其の間から太陽が強烈な光を覗かせている、時たま遠くで聞こえる雷鳴、裏の畑の杉の木で一斉に鳴く蝉、正しく夏の夕方の風景だ、
表では妻が植木に水をやる音『雷が鳴りおるけえ、降るんじゃないか?』『予報じゃ雨は北部の方じゃけ、降っても大した事じゃ無さそうなよ』と妻は続けている、
ただ今日は何と無く過ごしやすかった、開けた窓からは風が通り抜け心地よささえ感じる、
『オーイ雷が近うなって来おるで』水やりも終わったようだ、
実際ここらで一降りくれば有難いのに・・・・
今日もこうして我が家は平穏な一日を終え様としている
今日は長崎の『原爆投下60年目の日』長崎の方に向け黙祷をささげる、
今日の画題は裏の畑で朝採りのピーマンだ

2005/08/08(月) 縁台
次回の教室の画題が夏の風物となっている、風物と言えば今の世の中どんな風物があるだろう何と無くぎすぎすとして特に都会では『隣は何をする人ぞ』でともすれば其の隣の事に全く無関心な人さえある、事実私の住む近所でも引っ越してきた家族に、世話人が町内会費の請求に行った際『うちは近所付き合いしませんので町内会にも入りません』と断られたとの事,物騒な世の中心配でもある、こんな時代だから夏の風物を如何して探せば良いか
困っている、だから自然昔の夏の風物しか頭に浮かばない、
今日画題にした『縁台』だって昔道路が車に占領されないで人間の物だった頃、夕方になると家の前に打ち水をし縁台を出し、何時ものメンバーがステテコ姿で集まり将棋盤を囲む、姉妹には誰が将棋を指しているのか傍から『ほら桂馬を飛ばせ』『角を成って王手飛車だよ』『馬鹿じゃのう王さんとられるけえ除けとけ』まるで落語のような状態になる、其のうち広島名物の『瀬戸の夕凪』で団扇が忙しくなり最後は私の母がビールを出し宴会となる、このような風景は今では夢のまた夢、ふと今頃は亡くなった父も、あの世とやらで昔の仲間に会って縁台でわいわいやっているだろうなと思った

2005/08/07(日) 団扇
昨日珍しい人からメールが届いた、岩手県に住む孫の健太がお世話になっている小児科クリニックの先生からの思いもかけないメールだ、其の先生は女医の方で一度もお会いした事はないが、息子夫婦から話も聞いており、又先生のホームページを何時も拝見しており、其の優しく熱心なお人柄に感服している、
孫の姿は直接見ることは出来ないが、息子のホームページに息子のパートナーが書き込む日記で毎日其の成長振りが手に採るように見える、其の日記にクリニックに言った様子も書かれており、
あのような先生に診て貰っていて健太は大丈夫と何時も妻と話している、
其の先生に今日は団扇の絵手紙を送った、さて喜んでもらえるやら、図柄は『健太のトンボとり』、最近あまり見なくなったなくなった昔の夏休みは朝から晩まで網を持ってトンボを追っかけ、
夕方遅くなり帰って父親良く怒られたものだ

2005/08/06(土) 想い出・出会い
五年おきに催している小学校の同期会をやることになり、先日世話人が集まった、今回は『古稀』の同期会と成る、皆が集まれば小学校当時の思い出話で打ち合わせもなかなか進まない、私は卒業は皆と同じ小学校だが、実際には原爆投下後私の通っていた学校が、まだ復活していなかったので、区域外の学校に転入した、
だから皆と原爆投下前の話は会わないが、焼け野原にバラックで机もまともに無かった校舎、天気の良い日の青空教室など話題は尽きない、懐かしいひと時である、そんな話を絵手紙教室でして居ると、生徒さんの一人Iさんがいきなり『えーっ』と大きな声を出した、何事かと聞いてみると、彼女は私と同級生でしかも当時の国民学校が一緒、しかも住んでいたところが隣町同士ということがわかった、縁とは不思議な物どこでどの様な繋がりの人に会うことやら、又ひとしきりIさんと懐かしい国民学校の話で盛り上がった、そんな話をしている中に学校の隅に豚小屋がありやせた豚が居た事、時折『猫じゃらし』で豚に悪戯していた事を思い出した、考えてみれば私の七十年の人生随分色々な事があった、またこれからもどの様な出会いがあるだろう、又楽しみが増え元気も出たような気がした

2005/08/05(金) 自然の力
今日はあまりの暑さに何時もなら自転車で行く教室をタクシーにした距離的にはたいしたことはないがかなり坂道を登るような場所にあるためどうにも辛い、2年前までは其の坂も自転車に乗ったまま登りきる事が出来たのに、悔しいが昨年後半から降りて押して歩くようになった・・・年を感じ悔しいけど仕方ない・・・
ところで7月24日のこの雑記帳に描いた南瓜、其の時は直径5センチほどの物が、今日見ると直径15センチ長さが25センチばかりに成長している、色はまだまだ青いが随分大きくなるものだ、今まで南瓜の実の成長など気にもしたことは無かった、そういえば朝のウォーキングで見かけるゴーヤ、も随分大きくなっている、又冬瓜、そして気になるのが西瓜、ネットで囲まれた畑にゴロゴロ転がってどんどん大きくなっている、自然の物はこうしてどんどん大きくなる、ただどの作物も作る人の細やかな手を経ての事、大変だと思う作物を育てた経験の無い私など考えも及ばぬ作業だと思う
それにしても畑で見る目にはこうしてどんどん育つ作物は、自然の及ばす力の偉大さ、それを利用する人間の力の偉大さを垣間見るような気がする

2005/08/04(木) 蓮の花にほっとする
今日は中広の教室の帰り電車がいつもよりえらく込んでいた、暑さは暑し電車は込んでいるしと思っていて、ふと気がついたのは、8月6日を控え県外から沢山の人が来ているため其の分多くなったようだ、電車の中には『原水禁全国大会○○県代表』とネームを首から下げた人達がいた、戦争を知らない年代の人が多かった、こうして戦争を知らない若者たちが『世界平和』の為に集い話し合うことは意義あることだと思う、
ところで昨日平和公園の中の小さな池で蓮の花を見つけた、白い大きな花と少し小ぶりなピンクの花が緑の葉の間に華やかに咲いていた、焼け付くような照り付ける太陽の下この蓮の花は極楽を見たような安らぎだった、暑さを忘れしばらく見とれていた、私だけではなく平和公園を訪れた人達にきっと安らぎを与える事だと思う

2005/08/03(水) 原爆
出雲市にいる私の妹が小学生の孫を二人連れて昨夜墓参りに帰ってきた、今朝皆で墓参りをし、其の足で平和公園のほうに出向いた、子供たちの勉強も兼ね平和公園の各施設を廻った、私たちも久し振りだった、原爆ドーム・動員学徒慰霊搭・原爆供養等・資料館など小学生には少し強行軍だったがすべての施設を廻った、
其の中でも祈念館での彼らにとっては曾祖父・曾祖母の遺影との対面、資料館での凄惨な陳列物は相当強烈な印象を与えたようだ、
私自身も久し振りにそうした物を見て当時の事が鮮明に蘇ってきた
特に当時十歳の私が最も忘れられない事は、8月6日原爆投下と同時に私の兄を探しに出かけた両親を待って、幼い弟を背負い
国道に出て見た際直面したあまりにも惨い光景だった、
広島の方から山口方面に向けて走るトラックの荷台に見た異様な姿、見たことも無い光景だった、何故か男女の見極めも付かないように黒く晴れ上がった顔、(其の黒さは後で知った事だが黒い雨に打たれた為だ)殆ど裸に近い状態でどす黒い顔、体に赤い血が流れるまま唯目ばかり光らせ、物もも言わぬまま運ばれる人達、
子供心に恐怖と憤りで涙があふれ声を出し泣き、そして立ちすくんだあの時の光景、一生忘れる事の出来ない事実だ、然しその後私も市内に入りそれどころではない悲惨な状況を嫌と言うほど直面し、幼いながらも戦争の悲惨さを実感した、
そのような事に思いを馳せながら今日一日炎天下の中を歩いた

2005/08/02(火) 救世観音
五年ぶりに開催する同期会の準備の為久し振りに小学校の同級生数人と会った、五年前の会での写真を見るとこの五年間に随分変わっている、お互い『年取ったな』と顔を見合わせ笑ってはいたが、実際にこの年になると年々変わっていく、それは仕方ない事と最後には変に納得して話題を変えた、ただ良く見るとお互い良い年をとっているようだ、話の内容は必ず健康のことになるが、
『一病息災』とはよく言ったもの、皆夫々に病を持ってはいるがだからこそ健康に気をつけ『体に良いこと』はしているようだ、
会合の後絵の展を二箇所見て廻った其の途中平和公園を抜けた、
公園は八月六日の式典に向け会場の準備中だ、今年は原爆が落とされて六十年目となる、真の平和を願い心から犠牲者の冥福を祈る人の為に、平和の灯火を灯し平和の鐘を打ち鳴らして欲しいと願う、
ふと親父の彫った仏像を見ると其の中の『救世観音』が目に付いた優しい姿を見ていると、暑さにいらつく心も落ち着くようだ
この像を竹串を使って描いてみた

2005/08/01(月) 六十年の思い
今日から8月、毎年8月は祈りの月であるテレビ、ラジオそのほかの報道すべて原爆と終戦の内容で始まり終わる、ましてや今年は60年と言う節目の年でもある、私自身も何時も話しているように兄を学徒動員で失い、原爆被爆で父方と母方とあわせ49人の親族を失っている、そして直後の入市被爆でもある、一頃被爆者は結婚すら難しい一時期があった、何はともあれあれから60年の歳月は被爆の証言ともなる建造物も時の流れに飲み込まれ、人々の記憶から消え去られそうに成っている、ましてや被爆体験者の高齢化などで、原爆そのものが風化しつつある、
決して二度とあってはならない悲劇、二度と起こしてはいけない事実を、一人ひとりの心に根強く生かし大きな力としなければ成らないと思う
六十年間悲しみ続けた思いを積み重ね改めて合掌したいと思う


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