―思いのまま気の向くまま―
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2006/11/27(月) 長くて申し訳ないが{苛め}のこと
最近は親が子を虐待し死に至らしめると言うあってはならない悲惨な事件が続発している、その殆どの根本に流れる動機が、母親が男と付き合うために子供が邪魔になったとか、男が我が子を折檻していても何も言えず見ている・・・何と言う事だろう母は自分の命を投げ打っても我が子を守る者とされてきた、人間としての根本的なものが崩れてしまっている、
そして度重なる苛め問題、その中でも教師が苛めに関与している等とはもってのほかである、とはいっても教師も人間そう言うこともあるのは事実だ、
私自身も思えば遠い昔の事だが小学校(当時は国民学校)3年生の時、組担当の女性教師に苛められた、
当時学校での給食にはこんなもの食べられるのかと言うようなもの、例えば昆虫のバッタを煎ったものなどが出ていた、ある日の給食でヒヨコを頭のままボイルしたものが出た、当時私は身体も小さく余り胃腸も丈夫でなかったので、そのヒヨコには手をつけなかった、処がその女性教師『お国から頂いたものを贅沢な、少しくらい勉強ができるからといって生意気な』そういいながら私の口に無理やりそのヒヨコを入れようとした、私は頑としてその理不尽に抵抗し、とうとう教室を飛び出し家に帰った、処が母親に話をすると『他のみんなが食べてのに、あんただけ食べんけえ怒られたんでしょうが』と私の手を引き学校に行きその女性教師に謝罪した、然し次の日誰かの消しゴムが日紛失したと言う事があり、それを盗ったのが私だとその教師が言い始め親を呼びつけた、処が今度は母親は(当時父は軍隊に行っていた)
血相かえその教師に向かい抗議してくれた、全くの濡れ衣だから母は頑としてその教師を許さず、校長を間にし逆にその教師に詫びさせたのだ、ただ陰湿な苛めは3年生の間続いたが4年生になったときは幸か不幸か集団疎開と言う事でその教師と別れることはできた、
そんな事を思い出すと、やはり苛めを受けた子は親に話をし、親子でその苛めに対抗する強い意志が必要なのではなかろうか、学校ばかりに頼るのではなく、本人も強い意志を持ち頑として苛めに対抗する勇気を持ち親はそれをサポートする、
勿論苛めをするほうも徹底的に強く罰する気構えを学校側にも持つ必要があるのではなかろうか、
苛めは古今東西なくなるものではないと思う、然しそれを如何受け止めるかが問題だと思う、
先の私が苛めに会った女教師今でも鮮明に顔も名前も覚えてはいる、ただ後であの原爆で亡くなられたとは聞いているが・   然しそれに類似した教師が今尚居るということは歪めない事実だ、先日も中学生の名で文科相宛に女教師が『苛め原因で自殺する』などと偽手紙を出してとの事、然もその原因が『むしゃくしゃしたから』なんだと思っているんだろう、そんな幼稚な先生に教えられる生徒も良い面の皮可愛そうだと思う、教育問題が盛んに取り上げられているが兎に角教師の質を向上する事が先決ではなかろうか・・・・・

随分長々とじめじめした話になったが気分治しに今夜は花の絵を添付する、早いものもう町にはジングルベルの曲が流れ始めて居る、クリスマス・・・私は特別宗教的にも関係は無いが世間並みに孫達には『メリークリスマス』のサンタの役はしている、クリスマスと言えば花は『シクラメン』我が家には今『ミニシクラメン』があるので描いてみた


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