―思いのまま気の向くまま―
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2006/02/28(火) 展示準備と雛餅
愈々明日から絵手紙展開催です、夕方から弟に手伝ってもらい妻と三人で会場に行き作品搬入展示をしたった今帰宅しました、
今時刻は20時30分何とか予定通りに終わりました、明日から9日間会場に詰める積りです、会場にお見えになったなら是非声を掛けてください、
処で間もなく雛祭り、妻は一昨夜からもち米をお湯につけ準備をし昨日のうちに白・紅・青の餅を搗きバットに延ばし、固まった物をひし形に切りそろえ三色の雛餅が完成、早速初節句の孫、大きくなった孫娘にと送っていた、これは毎年この時期我が家での恒例行事だ、『何時までこんな事をしてやれるやら』随分年寄りじみた独り言を言いつつも嬉しそうな妻の顔である、

2006/02/27(月) アボガド
時代遅れな言葉だと思うが文明の発達と共に世界は狭くなった物だと思う、輸送関係の発達と同時に、世界の文化・食材が居ながらにして手にはいる時代になった、行った事のない国の食べ物だって日常茶飯事商店の棚にあり、思いの儘買い求める事ができる、実に便利な時代が来た物だ、『今更何を』と言われそうだが、こうして毎日スーパーに顔を出し、色々の商品を見ていると外国産の食材の何と多い事、
どうやって食べるのか判らない食材に会うこともある、今日画題にした(アボガド)は何でも中南米の原産でクスノキ科の高木の実で、森のバターと呼ばれているが、食べると其の味は淡白だとの事、又山葵醤油で食べるとマグロの味がするとか(私は遠慮したい)ただ種は猛毒があるので決して食べてはいけないとの事、
最近では果物としてでなく、野菜感覚で色々料理に使われているようだ、・・・(私のパスタ料理に試してみるかな?)・・・
などなど色々珍しい物がたくさんあり、
『長生きするもんだな』と私の父が生前言っていた言葉を今は私が使う事たびたびである、

2006/02/26(日) 太郎冠者と言う名の椿
朝、雨の音で目覚める、其の雨も午前中で上がり午後は暖かい春の日差しだった、
今日は朝から私の妹(出雲大社の傍できんぐと言う飲食店を営む)に頼まれたコースターの製作にかかっており、気持ち良く筆を走らせていた、そんな午後隣家のHさんが薄紅色の見事に咲いた椿の花を手に、ガレージを横切りアトリエに来られた、Hさん宅に咲いた椿である、何でも『太郎冠者』と名の付いた椿だとの事、
其の鮮やかな紅色は如何にも春を思わせる色合いだった、
こうしてHさんは庭の花が開く度一番に手折り、私の画題にと下さる、
以前にもこのページに書き込んだことはあるが隣のHさん、裏のTさん、教室のOさん・Mさん、皆さんが私の為に花や野菜を下さる、其の度に私は新鮮と元気を貰い絵手紙を描き続けることが出来る、本当に感謝である、

2006/02/25(土) 鴨と土筆と春
朝のウォーキングコースに小さな川がある、この川は山の方から流れており間もなく大きな川に合流しやがては瀬戸内海に流れ込む、今朝も其の小さな川に差し掛かると鴨の群れが(鳥に疎いので良く判らないが多分鴨だと思う)餌を漁っていた、折から昇り始めた朝日に水面が光り其の中に浮いている鴨?を見ていると実に平和な心になる、
昨日友人のU君からメールで春が届いた、昨年交通事故に遭遇し脊椎に重傷を受けた奥さんが、漸く快復の兆しが見え退院し、自宅でリハビリー中のところ、初めて家の外を歩いてみたそうで、その際土筆を見つけたと写真を撮りメールで送ってくれた、
モニター画面から春の日差しが舞い込み春の土の香りがするようだ、自然の春とU君の家にも快復と言う名の春が訪れて来たようで私達まで嬉しくなった、
『リハビリーで良うなっちゃったら、春には一緒にどこか温泉にでも行かれれば良いね』妻と話しながら『葉ごぼの炒め煮』に春を感じた今夜の夕食だった

2006/02/24(金) 旬の味と緊張感
今日もまた新しい春が来た、妻がスーパーで見つけた『葉ごぼー』だ、私が毎年この時期になると楽しみにしている旬のもののひとつだ、薄味で煮た『葉ごぼう』は歯ごたえと言い、口から鼻に抜けるほのかなごぼうの香り、これこそ春の味大地の味だと思う、この葉ごぼうは主に茎の部分を食べる、先にも言ったようにこの茎の部分の歯ごたえがなんともいえない、我が家ではこの葉ごぼうは油揚げと一緒に醤油の薄味で煮込む、春になり待ち遠しい旬の味でこれを食べると私の春は来る、
後一週間足らずで私の展も始まる、おおむね終わった準備だが落ちはないか何度も見直している、可笑しなもので何度やっても其の都度が新しい個展である、開催日が近づくほどに緊張感が高まる、
特に今回は広島市の中心部での開催だから特別な物があるには違いない、兎に角一人でも多くの人に観てもらいたいと願う毎日だ、

2006/02/23(木) 蕗の薹とチャーチル会
昨日から今日と気持ち良い春の陽気だ、そんな今日の昼裏の畑にTさんの奥さんを見かけ、『蕗の薹は出とらん?』と声を掛けてみた、Tさんは畑の隅に行き手に三つ程蕗の薹を採ってきて、『在ったよ』と窓から手渡してくれた、『やっぱり時期が来たら芽を出すんじゃね』『春になったんじゃね』柔らかい蕗の薹が開けた窓から入る春の風に少し揺れているようだ、
早速絵手紙に描く、毎年この時期になると必ず描く画題だが、矢張り『春』と言う事で心なしか筆先も軽く心もときめくような気がする、
描き終わってふと友人のT君とN君の所属する絵画グループ『チャーチル会』の作品展を思い出す、私自身の展の準備で行けそうに無いと思っていたのだが、丁度一段落し天気も良い事でもあるし、妻を誘い出かけることにした、
運良く会場にT君が居た、相変わらず彼の冬の海も見るたびに迫力を増し、又N君は珍しく田植えをする早乙女の姿を描いていたが、何ともいえない味わいを出しN君の別な面を見たような気がした、何れにせよ皆頑張っている、私も負けずに頑張らなければと、元気を貰って帰った

2006/02/22(水) 心の宝石
我が家のリビングの片隅に四畳半の居間がある、この居間はオープンではあるが真ん中に掘りごたつを据えている、これは私たち夫婦共通の趣味である『麻雀』をする目的で作った、誰も麻雀客の無い夜は二人での麻雀で時間をつぶす、友人たちには『夫婦で然も二人で何が面白いんや』と言われるが結構盛り上がり勝った負けたとやっている、この部屋の壁に小さな手作り人形がぶら下っている、いぜんMさんの奥さんに貰った手作りのキューピー人形である、カラフルな衣装を着て三角帽子を被った10センチそこそこの人形だ、聞くところによるとMさんの奥さんは実に器用な人らしい、かなり前にこのページで紹介した事があるがMさんご夫妻とはふとしたことでお付き合い願うようになった、
ご主人は亡くなった私の兄より少し年齢は上だが、会っていれば兄のような存在に思える人である、何時も思うことであるが人間永い人生の間に沢山の出会いがある、其の出会いの一つ一つが大切でもあり『心の宝石』にもなる、そんな中で特別光り輝く『出会いの宝石』がある筈だ、Mさんご夫妻の出会いもこの光り輝く出会いの一つである、これからも大切にし、一層輝く宝石にしたいと思う、

2006/02/21(火) チワワのチョビ
三月を思わせる様な陽気だ、昨日からディズニーランドに行っている娘一家は如何だっただろう、昨日は一日雨に降られたようだが、今日明日良い天気であれば良いが、
其の家族が旅行中に預かって欲しいと言う事で、チワワの女の子を我が家に置いている、生後3ヶ月に満たない赤ちゃんチワワである、名前は『チョビ』と言う中々のお転婆で実に良く動く、囲いから出してやるとそのために敷いている敷物の上を絶え間なく飛び歩く、但し敷物から外には決して出ない様躾けてあるので安心はしていられる、其の範囲は約一坪余り、小さくても結構こちらの言う事が理解できるようだ、ただこうして僅かな間だが一緒に生活していて別れが・・・・・
処で昨日スーパーに言った際『伊予柑』が目に付き買って帰った、何時ものように私は食べる積りはなかったが、夜のどの渇きを覚えそっと伊予柑に手を伸ばしてみた、結構甘く美味いと思った、かといって又食べたいとは思わない、矢張り本当に私は好きではないと再認識した

2006/02/20(月) 旬の野菜
近頃の作物には旬が無いと嘆いてはいるが、考えてみると作物の生産技術の向上により、何時でも望みの物が食べられる、然も採り立ての新鮮な作物が、ハウス生産により年中供給され我々の食卓に供される、よくよく考えてみると、旬に旬のものを食べるというのは最早時代遅れかもしれない、採りたて新鮮な食材で調理された物が旬を食べると言えよう、野菜にしても花にしても需要がある限り生産供給がなされる、最近は食べる物に対してもかなり贅沢な考えで、旬を越え採りたての新鮮が求められている、スーパーの棚には旬とは無関係にあらゆる野菜果物花などが顔をそろえている、今年も雪害などで野菜もかなり高騰していた、今日スーパーで見た胡瓜1本¥37がたった何日か前には1本¥90もしていたと言う、台所を預かる世の奥様は大変だと思う、亭主たちが『あれが食いたい』と言えば『季節はずれで出来ない』が言えぬ時代、胡瓜にしても茄子にしてもいつの時季にだってスーパーにはちゃんとあるわけだから、ただ値段については世の亭主族も知って置く必要が有ると思う

2006/02/19(日) たらの芽が春を知らせる
確実に春は近くなっている、昨日スーパーで『たら芽』を見つけた、其の青い柔らかそうな芽は山の春そのものである、早速1パック買い持ち帰る、今朝はその『たら芽』を絵手紙の画題とした、
私自身は広島市内で生まれ育ったので田舎の事は結婚して初めて知る事と成った、40数年前のことだが、妻の里に行き田舎での生活に接して珍しさもあり、義兄の後については山に入り色々教わった、最も季節によっては私の天敵でもある蛇の存在が恐怖で山行きと言うより妻の里そのものを避けてはいた、そんな私に義兄は山の季節を色々送ってくれる、春は『蕗の薹』『たら芽』『ばかの芽』『つわ蕗』秋には『栗』『柿』『茸』『あけび』などなど、皆取り立ての山の旬の物だ、特に最近は私の絵手紙の画題にと、枝葉の付いたものをわざわざ送ってくれる、ありがたいことだと感謝している、
ところで今日午後ちょっとしたことが我が家で持ち上がった、
昼前Mさん家族と買い物に出かけ、昼食を一緒にと言う事で街のハンバーガーの店に行って帰り、2時過ぎ2階に居る妻から電話の子機で私を呼ぶ合図、ただならぬ気配で2階に上がってみると、妻はベットで顔色も青く苦しそうにしていた、『如何したんや』『眩暈がしてもどしそうな』しばらく傍に居たが少し落ち着いた様子なので、何かあったら知らせるようにと言ってアトリエに戻ったが暫くして、合図があり再び駆けつけると、眩暈がさらにひどく吐き気もひどくなったと言う事、兎に角嘔吐してくると言い漸くトイレに、その後不思議に眩暈が緩やかになったとのこと、然し兎に角病院にと言う事で当番医が幸いに総合病院なのでタクシーを飛ばす、念のためMRIで検査してもらった結果全く異常なしとのこと、ただ寝不足、ストレス、などの疲労からくる眩暈との診断だった、ここのところ色々考える事もあって眠れない夜が続いているようなのでそれが原因のようだ、
私達は元気だからと安心はしていたが、何時どのようなことが起きるかも知れないので兎に角身体には充分用心して、絶対無理をしない事だと話しながら帰宅した、いや今の妻は全くもとの元気を取り戻している

2006/02/18(土) 郵便ポスト
殆ど毎日お世話になっている郵便ポストだ、一日に何箇所にも私の心を送り出す、このポスト何時から今の角型になったのか調べてみた、昭和36年試作品が出来翌年から普及し始めたとのこと、元来丸型のポストから何故角型の物に変わったかと言うと、
行き先、種別、の区分作業の合理化を目的にしたとのこと、角型のもので投函口が二箇所の物がある、普通郵便、速達郵便、または大型郵便など投函口が分けてあるのがそれだ、
然し私達にしてみればあの丸型の赤いポストが懐かしく、『郵便ポスト』と言う気がする、
よく郵便局で何かの折貰う貯金箱は大概丸型のポストの形をしているが、中には今日描いた様な核型のものもある、
然し若しポストを描くとすれば矢張り丸型のポストを描く、昔からなじんだ物に対する郷愁だろうか、
最近良く観光地などで赤い郵便ポストを見かける事がある、そんなときには何故か嬉しくなる。

2006/02/17(金) 馬酔木
先日もこのページに書き込んだように、今我が家の庭は冬枯れそのものだ、然し今朝のこと鉢植えのアセビに蕾が無数についているのを発見した、アセビはアシビとも言い『馬酔木』と書く、
枝葉に『アセポチン』と言うものが含まれて、馬が食べると酔って歩けなくなるという所から『馬酔木』とかかれるようになった、此の花が開くとつぼのような形をしたピンクの物白い物とやさしい晴れやかな花になる、
漸く我が家の庭にも春の兆しが見えたわけだ、
色々な事件の続く此の頃せめて花の便りで心静かに和みたい物だ

2006/02/16(木) 春間近
今日は父親の三年目の命日と言う事で朝墓参りに行った、
墓地は老後の事も考え少しでも近くがよかろうと言う事で、父の納骨の際現在の墓地に移転した、今は我が家を見下ろす高い場所にあり、タクシーで約6分の場所だが歩いていけば45分はかかると思う、しかもずっと急勾配の坂道を登る道なのでひっきょう行きはタクシーで帰りはウォーキングを兼ねて歩く事にしている、
今朝も墓参を済ませ妻と二人で他愛ない事を話しながらの帰途、小さな小川の土手に一本だけある、小ぶりな梅の樹に花が咲いているのを見つけた、
『あっ梅の花』妻の声に見やると確かに梅の花が咲いていた、昨夜来の雨にぬれた梅の花はしっとりと白く、春の間近なのを告げていた、
春は間違いなく来ている、実感しながらデジカメのシャッターを切り、帰宅後会う具筆を取り絵手紙にした、
春を間近に見、何と無く幸せを感じたた朝だった。

2006/02/15(水) ウォーキング
今朝は今にも雨が降りそうだったが、降り始めれば引返しても良いと言いながら家を出たのが6時20分、何時もより約10分速い出発だった、流石に曇り空のもと何時もより足元が暗く、懐中電灯をつけてのウォーキングだ、ただ懐中電灯は行き交う車に自分たちの所在を知らせ、危険から守るためでもある、朝早い車は結構スピードを出して走っている、特に歩道の無い道は要注意だ、
こうして毎朝のウォーキングのお陰で夫婦とも元気で居られる、
毎朝雨の降らない限り約40分歩く、この時期でも途中で体はホカホカと暖かくなる、勿論既に朝食は済ませてのウォーキングだ、
何時も歩く間二人でいろいろのことを話す、また歩く途中の畑や道路の路肩に季節の草花を見るのも楽しみの一つだ、
季節季節で畑の作物路肩の草花は異なり、私達に季節の挨拶をしてくれる、又東の空に浮かぶ雲も季節により形が違い、昇る朝日に照らされ輝く空は刻々と様子を変え、其の美しさに見とれる、
兎に角歩く事の楽しさ、健康である事の喜びを感じる毎朝のウォーキングなのだ。

2006/02/14(火) 季節はずれの花
我が家の庭はまさに冬枯れでただピラカンサスの鈴なりの紅い実と、おたふく南天の深紅の葉が目立つだけだ、後は緑の葉も無く、こうや槙の葉も茶色じみているし寂しい限りだ、然し庭の隅の鉢植えで薄いピンクの花が、今にも風に吹かれ散り落ちそうな風情で頑張っている姿が見えた、『真弓』だ、この『真弓』開花時期は晩春から初夏のはずだが何故かこの時期花が付いている、細い針金のような枝は先端に花を付けていて一寸触るとぽきっと折れる、それほどにもろくなっている、元来弓を作る材料になるような木だから強いはずなのだが・・・・
それにしても何故この時期に咲いているのだろうか、色々と調べて見たが答えは出ないままだ、
小さな薄紅色の花がそれも季節はずれの寒空に、冷たい風に吹かれ小刻みに震えているのを見るのはなんとも悲壮感さえ感じる、
ところでもう花粉襲来のようだ、今日はクシャミ鼻水目まで痒くなり、特にクシャミたるや大変な勢いだった、やれやれ今年も戦いが始まるかと思えばうんざりである・・・・・。

2006/02/13(月) バレンタイン
バレンタインの日に女性から男性にチョコレートを贈ると言う習慣は、何処からどの様に始まったかと言う事はこの際考えない事にする、
今年も其の日がやってきた訳だが、随分粋な習慣だと思う、其の裏にはチョコレート業者の画策も有ったと思う、然し義理チョコは別として本命チョコと言われる物には、其の女性の真心が込められていると思う、
私たちの年代の者は若い頃この様な習慣も無く本命チョコなるものは貰わずじまいだが、昨日二人の孫娘が来て夫々手作りチョコを呉れた、上の孫娘は現在製菓専門学校に通っているので、正式に作ったムースのチョコだった、下の孫娘は『自分一人で作ったチョコです、じいちゃん何時までも元気で絵手紙頑張って』
のメッセージ付きで上手にハートを入れたチョコレートだった、
どちらも涙をこらえながら妻と分け合って食べたが、今まで食べた事のない素晴らしい心のこもったチョコレートだった、
こうして孫たちもすくすく育ち、私たちを労わってくれるほどに成長している、『ワシらもこれからまだまだ元気でおらにゃ、今からじゃけのう、体を大事にして頑張ろうで』改めて幸せを二人でかみしめた。

2006/02/12(日) ハロゲンヒーター
我が家のエコ生活について先日このページに書き込んだが、其のあおりを受け使用頻度が減り、おおむね用無しになりかけたものにハロゲンヒーターがある、つい先日まで、湯たんぽを使い始めるまではこのヒーターのお世話になっていたが、今ではともすると部屋の隅から隅に回され邪魔もの扱い、とは言うものの全く無いでは困る、朝の僅かな時間アトリエに太陽が差し込むまでは、矢張りこのハロゲンヒーターの世話に成らなければならない、
さて話は変わるが今日思い付き『置物の犬の絵を描こう』と言う事で、輪郭から色塗り仕上げまでをデジカメで撮りながらまとめてみた、面白い物が出来たと思う、次回の教室は『身の回りの小道具と置物』と言う事なので、生徒の皆さんに配布しようと思う、

2006/02/11(土) 旬にこだわる悪い癖
妻がスーパーから見事なブロッコリーを買って来た、
茎も太く葉?(上の実の部分)もぎっしりつまり全体的に重量感がある、念のためブロッコリーの旬について調べてると11月〜3月が旬だそうだ、何時も言っているが最近の野菜は、ハウス生産が多く自然のままの旬の物が無い様に思う、だから私は其の野菜の本来の旬を調べ、其の時期に見るものは出来るだけ旬の物だと自分に言い聞かせ、『今私は旬の野菜を美味しく食べている』と思うことにしている、
ただ今手にしているブロッコリー『こいつは只者ではない』様な気がする、大きさ色合い重量感、実のしまり具合どうやらハウス物ではないように思える、とは言うもののハウス物が悪いと言うのではない、素晴らしい生産技術で何時でも欲しい物が安く食べられると言うのは本当に素晴らしい事だと思う、だから旬にこだわるのはただ物書きの悪い癖かもしれないと反省はしている

2006/02/10(金) お雛様
またまた新しい雪の被害が報じられています、秘湯の露天風呂に入っていたところに雪崩、良い気持ちのところに振ってわいた災難、作業員の方が犠牲になったとか悲しい事ですね、かと思えば母親が我が子を殺害、悲しすぎます、辛すぎます・・・・
こんな時だからこそ心安らぐ事をしないと、余りにも心が乾きすぎる思いがします、
今教室ではお雛様を画題にしています、教室は皆優しい気持ちになりお雛様を一心に描いています、『この絵手紙孫に送ってやる』『出来上がったら病気の友達に送ってあげる』『認知症になりかけている母の為に描く』など皆それぞれの優しい心を絵筆に託し一生懸命になっている、そんな生徒さんたちの姿を見て、今更ながら絵手紙やって良かった、こんなに沢山の優しい心と触れ合う事ができなんと幸せなことだろうと、嬉しさがこみ上げてきた

2006/02/09(木) 阿波踊り
私の部屋の壁に忘れられたように下げられている人形がある、季節はずれの『阿波踊り』の人形だ、
平素は別段気にもならずそれこそ忘れているのだが、時々ふと目に付き(オウ其処に有ったな)としばらく見つめ思い出すことがある、何年か前私の父も逝ってしまい私たち二人だけの生活に漸く慣れた頃、友人のU君夫妻に誘われ阿波の鳴門を観に一泊の旅をした、それまで病弱だった私の母の看病、其の母を看取った後年老いた父の面倒から看病にと心身ともに休まる事のなかった妻も、心の重荷が降りたのか、見る物触れる物本当に楽しそうにはしゃぎ喜ぶ姿を見て、今更ながら申し訳なかったという気になり、大いに反省さされる旅では有った、この人形もこの時徳島駅前で反省した事を忘れない為買って帰り、目に付くところに置いた積りだった、『これからは彼女の為に出来るだけのことはしたい』と内心誓った筈が、今は又私自身好きな事にのめりこみ絵手紙三昧、・・『いい気なものだ』と手を振り足を揚げ人形が嗤って居る様だ、ただ妻は私の絵手紙は理解してくれていると私は勝手に思っている、兎に角これから二人の人生元気で仲良く『踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら・・・・』愉快にやりたいと思う

2006/02/08(水) 老眼鏡
下の孫娘の高校入試の発表の日で朝から電話を待っていた、午後になり漸く娘から電話が入り『合格』通知が届いたとのこと、以前から希望していた学校なので先ずは一安心だ、
それにしても昨日から今日とみぞれ模様そして雪と断続的だがよく降るものだ、ここ広島も山間部の雪はかなり降っているようだ、ましてや東北の方はどんなにか大変だと思う、
私は『もう七十歳と思うより未だ七十歳と』考え頑張って居る積りだが、どうにもならないのが『目』だ、これだけは老眼鏡が無くては全く何も出来ない状態だ、かねがね思っているのだが、そもそも私が老眼を掛ける様になったのは四十台前半からの事、当時仕事がデスクワークで毎日廻ってくる膨大な仕入れ伝票のチェックをしていた、処が手書きだった伝票がある日を境にコンピューターの打ち出した物に変わった、最近の物は知らないが当時のそれは文字も小さく薄かった為非常に見づらく、苦肉の策で老眼を手にしたのだ、毎日の伝票チェック支払日前にはそれこそ何百枚の伝票と請求明細書との付け合せチェック、まさに目を酷使した結果若くしてはめた老眼がどんどん度が進んだ、周りの者に『それは職業病じゃなの』と言われているが、今更どうにもならずこの老眼鏡手放す事は出来ない、なのにしょっちゅう探し回り、最近のコマーシャルではないが『又探し物ですか、お父さん』ついでに『めがねをかけて探してみたら?』などとからかわれている、チキショウ・・・『年を取ったと笑うなわしを、今にお前もたどる道』なのだと一人ぶつぶつ言っている・・・・

2006/02/07(火) 湯たんぽ
冬日が続く毎日だが、最近我が家では暖房機に異変が起きている、寒い地方の方たちには申し訳ない話だが、エアコンのスイッチは一切入れない、食事のときリビングのテーブルについている間と、来客で珈琲を飲む間は一ヶ月前に取り付けたガスファンヒーターに点火するだけでそれ以外は電気もガスも使用しない全くのエコ生活である、と言うのは近所のMさんから話を聞き『湯たんぽ』を購入した、昔は湯たんぽと言えばブリキ製の物や戦時中は陶製のものもあったが、今では大方がプラスチック製が多く、我が家もこのプラスチック製の湯たんぽを購入し使い始めた、昔寝る時の暖房機としてよく母親が、寝床の足元にタオルを何重にも巻いたブリキ製の湯たんぽを、そっと差し込んで呉れていた、勿論当時は電気炬燵なども無く豆炭のアンカか湯たんぽと決まっていた、其の湯たんぽが最近利用が多く、生産が間に合わないとテレビでも放送していた、灯油の高騰により起きた現象のようだ、我が家は元々安全を考え灯油ストーブは使っていなかったが、このプラスチック製の『湯たんぽ』に湯を入れ寝床に入れておくと一晩中ホカホカと暖かい、又日中は足元に置き足温器変わりにしてよし、実に経済的でヒーターなどのようにちかちかした暑さも無く、ホンワカとして実に良い是非お試しあれ、

2006/02/06(月) 八朔
立春は過ぎても二月は矢張りまだまだ寒い、今日は朝からみぞれ模様の一日だった、
ただ店先には春の兆しの八朔が出始めた、
二月からの旬の八朔はまさに春を予感させる、Mさんとこの八朔に関して話が弾んだ、この八朔に砂糖をかけて食べる人がいるということから私が『昔は重曹を付けて食べていた』と言うと彼女も『そう、そう重曹をつけると酸い味が消えると言って私も食べた経験がある』『何で若いあんたがこうようなことしっとるん』傍で聞いていた妻は
『そうようなこと、私は知らんよ砂糖にしてもそんな事をして食べた事はないもん』『それにしても古い話をMさんはよう知っとるね』『年を誤魔化しとるんじゃない?』そこで大笑いした。
然しこのMさん不思議と昔の事もよく知っているし物知りだ、それにしても彼女の頭が良く記憶力が良いのには関心さされる、

2006/02/05(日) 製菓祭とペット
矢張り陶器のものより生きたペットが心の癒しに成る、
今日久し振りに娘の家に行った、目的の第一は上の孫娘が通う製菓専門学校の『製菓・製パン祭り』を観にいった、生徒さんが一生懸命作ったケーキやパンが、各クラスごとに教室に並べられている、
夫々のテーマに沿い各人が思いを込めて焼き上げ飾り付けた作品一つ一つが『私を見て』と声を掛けているようだった、勿論孫娘の作品が彼女らしく可愛らしい夢を謳いあげていた、
デジカメに納めながら成長した孫が眩しく見えこみ上げるものを感じた、
目的の二つ目は二ヶ月前に娘たちの家に来たペットに会うためもあった、チワワの女の子で名を『チョビ』と名付けられ本当に小さな犬だ、何でも一番小さな種類の犬だとか、掌に乗りそうな小さな犬だがこぼれそうな大きな目で、絶え間なく動き廻り元気で実に可愛い、
昨日描いた陶器の犬より矢張り暖かい体温のあるほうが、心の癒しにもなり本当に我が家でも飼いたくなったのは、私だけではないと思うが・・・・・其処は我慢我慢、近所のパピヨンの『太郎』と
この『チョビ』に時々会うことで良い事にしよう、

2006/02/04(土) 陶器の犬
今日は立春だと言うのに全くの冬日、雪まで降って本当に寒い一日だった
最初に昨日の雑記帳の本文で『新浜』と成っていたのは『新居浜』に訂正します
アトリエのテーブルの隅に陶器の犬が何時も私の描く姿を見守って居る、この犬は以前教室で画題にしたとき色々の種類を買い求めた中の一つだ、何故か私は好きで何時も手元においている、
本当は生きた犬を飼いたいと思うが、以前飼っていた犬との別れが余りにも悲しかったので、妻と二人で二度と飼うまいと話し合ったのだ、だからせめてこの陶器の犬で我慢している、
今日はこの犬を描いてみた、果たして生きた犬に見えるかどうか・・・

2006/02/03(金) 春はすぐそこ
今朝のウォーキングで路肩に咲いている水仙を発見、見れば畑の中の畦道にも咲いています、折りしも今日は節分明日は立春、春はすぐそこまで来ているようですが、夕方になって雪が降り始めた、西の方の山は霞んでかなり降っているようだ
節分と言えば新浜のIさんから届いた絵手紙によると、新浜の方では鰯とこんにゃくを食べるとのこと、広島では巻き寿司を丸かじりし鰯を食べる(人によれば柊の小枝に焼いた鰯の頭を刺し玄関に架けて魔よけとするそうだ)、この風習は私の子供の頃には別に無かったように思う、節分の日に夜になると子供は町の大店に集まり、其の家の主が豆と一緒に小銭のおひねりをまくのを拾い、後で何人かのグループにわかれ各家を廻るそのときの掛け声が『オーニの豆つかーさい(ください)』家の中から豆やお菓子が差し出される、時断られると『未だ煎れん、生臭い』と一斉にはやしたて次の家に・・・こんなのどかな風景など今では夢のまた夢だ、各地方により色々風習もあり面白いが、何とか昔からのこのような風習残したいものだ

2006/02/02(木) 笑顔
今日は素晴らしい笑顔に会うことが出来た、教室に行く為電車に乗り降りる駅に近づいたとき向こうからマスクの女性が笑いかけてきた、最初は誰かわからなかったが相手も気づいたのかマスクをはずしてくれた、同級生S君の奥さんだった、確か昨年暮れだったと思うが、会った時何故か暗い顔だった、前々から体調が良くないとは聞いていたが、今日会ったときはそんな暗い顔など何処に行ったか満面の笑みだった、『あれから四日ほど入院して六ヶ所組織を採って検査して貰ったけど全く異常なく安心しました』それこそ健康と言う喜びが溢れるばかりの弾んだ声と笑顔だった、『そりゃあ良かったね』私もつられて弾んだ声になった、病魔を心配していた事から開放され健康を宣言された喜びで一杯の気持ち、人間健康の有り難さを今更知らされた思いがする、
元気な明るい笑顔は良い、受ける此方まで元気が出る
「S君の奥さん其の笑顔忘れないで何時までも元気で居て欲しい』と願った朝だった
今教室では『お雛さん』を画題にしている、人形の優しい顔を見ていると自然の心が優しくなり顔も笑顔になる、

2006/02/01(水) 写真用額
息子の工房『空』から新製品の写真用額が届いた、
写真のL版用で『栓の樹』を材料にし、左上樹皮の部分をなだらかな丘に見立て、登りきった場所に丘の上の家並みをイメージした暖かい作品だ、特に樹のぬくもりをいやおう無しに引き出した作品でもある、父親の私がこのように息子の作品を褒めるのは、少々面映い気もしないではないが、私自身が親子の関係を別にして彼の作品のファンとなり、新作を期待しているのだ、
昨年暮れかの地で催されたコンテストで、大賞を受賞してから彼は彼なりに自信も付いたのか、新作えの思いもかなり強まっているようだ、これを機会に大いに前進して欲しいと願って居る、ただ決して驕りの心を持たないで、自分自身を信じて努力してほしと言う事を付け加えたい


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