―思いのまま気の向くまま―
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2007/01/31(水) 無理しんさんな
いよいよ一月も今日で終わり、明日から二月と言うことで本格的な寒さがやってくるようだ、あまりにも此処のところ気候が良すぎた、3月か4月の気候などと言われる暖かい日があった、
それにしても国会は下らぬことで迷走している、一人の大臣がとんでもない失言をしたために、野党にこれ幸いとつつかれ女性議員には突き上げられ総理も大変だと思う自分が信頼して選んだ大臣に足を引っ張られ、さぞ無念なことだろうと思う、かと思えば新宮崎県知事新任早々『鳥インフルエンザ』で忙しさも倍増・・
やる気の新知事とことん頑張って欲しいものだ、
それにしても今年は新年早々色色なことがありすぎるように思う、毎日毎日続出する色色な事件、報道する方も聞くほうもどれがどうなったか、こんがらがって整理付かなくなりそうだ、
然しそう言っても明日からは2月月日は容赦なく経つもの、浮ついた世間に惑わされず私は私のことを一つ一つこなしていこう、
毎日目標を決め確実に消化することが一番大切だと思う、
頑張れ、頑張れ・・・・足を地に付け一歩ずつ・・・
・・・・・・これからが出番だ・・・・・・・
どこかで妻の声が聞こえる・・・『無理しんさんな』・・・

2007/01/30(火) 名刺絵
2月教室で『名刺絵』を画題に予定している、
私自身は現役を引退後名刺は不要になるかと思っていた、ところがこうして絵手紙をはじめ出会いを得るたびに又必要になった、
そこでパソコンんで手製の名刺の裏面に和紙を針底に絵を描き一言の言葉を入れる、この名刺が渡した相手に非常に喜ばれ、又昔あった何処かの新人県知事の様に目の前で名刺を折られたり破棄される事は先ず無い、
名刺は初対面の挨拶であり昔からよく『名刺代わりに・・・』の言葉があるようにいたって重要な役目をする、、
だからこうして手作りの名刺一枚一枚決しておろそかには出来ないのだ、よく印刷した絵で済ます人もあるようだが私は一枚一枚手書きにする、そして添える短い一言も慎重に描き込む、若し明日はじめて会う人が分かっている場合は出来るだけその人にあった絵と言葉を描き込むことにしている、
あくまでも名刺は自分自身の分身だと言う気持ちを忘れては成らないと思う、
そう言う意味で見本として描いた名刺からすうまい載せてみた

2007/01/29(月) Sさん回復する
今朝から良い天気だった・・・と思いきや午後3時頃外に出てみると道路が濡れていた『母さん雨が降ったみたいなど』『エッほんとに?』全く気がつかない間に雨らしきものが降り外を湿らせていた、朝から家の中ばかりでパソコンや絵手紙などに熱中して外の様子が全く分からなかった、かと言って空は晴れ間が広がっている『狐の嫁入り』と言う現象だろうか、
今日はうれしいお客があった、教室の生徒Sさんだ、彼女は昨年暮れ脳の血管がきれ救急車で運ばれ入院していた、ところがその処置も早く症状も軽かったので、さしたる後遺症も残らないで回復しているとの事、入院中にリハビリーも済ませ殆ど回復状態だが、もう少し完全になるまで教室は休むとの事、その退院報告かたがた訪ねて来てくれたのだ、もともと元気な彼女のこと発症したときも、趣味のテニスをしている最中だったそうだ、教室一番の張り切り者だっただけに、その時は驚きもし又心配もした、然しもう安心だ以前の元気ななSさんに帰っている、もう少しリハビリーをして完治して又教室で会おうと約束をした、
教室の生徒さんは割合年齢層が上のため色色体調には気を使うことが多いが、みんな元気で好きなことをやるということで、心が元気なため体もひっきょう元気でいられるのだと思う、生徒の皆さんがこれから何時までも元気で楽しく教室を続けられることを願っている、
又私自身もそれ以上に元気であるよう頑張らねば・・・・・
近所の家に椿が数え切れないほど咲いているので描いてみた。

2007/01/28(日) 節分
早いもので1月も終わりになりすぐ2月の声を聞く、
2月と言えば節分、節分には古くから地方により色々のしきたりがあり、色々な形の厄払いが行われる、
私の子供の頃は、町内の大棚の家に近所の子供が集まり、豆まきを楽しんだ挙句、連れ立って各家の玄関口で『鬼の豆つかあさい』と大きな声で言う、すると家の中から豆やお菓子を差し出される、若し断られたら『まだ煎れん生臭い』とはやしながら次の家に・・・こうして夜遅くまで練り歩いたものだ、それも原爆投下後そう言うしきたりもなくなりただ各家で豆まきをするのみと成った、
此処数年前から広島市の中心部にある『住吉神社』では節分当日
平安時代の厄除け行事を復元したようだ、
当日は巫女さんが1000尾の鰯の頭を焼き、その匂いを畳一畳ほどの大団扇であおぎ厄祓いをするという『焼嗅がし(やいかがし)の神事』だそうだ、
また柊は厄除けになると言うことで、鰯の頭(先の神事に通じる)を柊の枝に刺し軒先に出して厄払いをしたということも聞いたことがある、
こうした旧き良き時代のしきたりは少しでも残し子供たちに伝えたいものだ、
戦争の恐ろしさ原爆の恐怖を伝えることも大切だが、こうした昔からのしきたりや行事を、日本の文化として伝えることも必要ではなかろうか、

2007/01/27(土) 苛々して・・・・
テレビを見ていて驚いた、若いお母さんが集まりそれぞれ赤ちゃんを抱いて一斉にあやしている『赤ちゃんのあやし方講習です』又その中のお母さんにインタビューその答えが『どうしてあやして良いか分からなかったけどこれで分かりました』何と言うことだろう、母親と言うものはわが子を抱きしめ本能であやしているものと思っていた・・・私が間違っているのだろうか、・・・
わが子のあやし方まで習わないと出来ないと言う母親、そこまで親子の関係が希薄になっているのだろうか、だから子供の虐待そして殺す・・こんなことを平気でやる母親がいるのもうなずけるような気がする、わが子を胸に抱きしめ愛しむ母親の姿は何時の世でも美しいものとされてきた、然し誰かに教えられて抱きしめあやす、自然体の母の姿はどこに行ったのだろう、『あやし方が分からないんです』済まして当たり前のような顔で言ってのける母親は、子供の頃わが母親に抱きしめられた経験はないのだろうか、こうして受け継がれた親と子の絆が徐々に薄れ行くのではなかろうか、
生まれたときから情愛と言う心が薄らぎ、人を愛し国を愛し、人に優しい心が育たないのではと心配するのは・・・・
又言われそうだ・・・年寄りの考えだと・・・・
まあ兎に角花を愛で、天を仰ぎ流れ行く雲に語りかけ一日を過ごす・・・・お前は仙人か・・・・そうでもしないとあまり周りを見ていると苛々して寿命がちじまりそうだ・・・・

2007/01/26(金) 頑張るU君夫妻のこと
矢張りなんと言っても我が家が一番落ち着く、
昨日2泊3日の旅をしてきた、今回はそれこそのんびり旅何の屈託もない二組の夫婦での旅、気の向くままの行動でそれこそのんびりした旅だった、それでも矢張りこうして家に帰るとどことなく疲れが出て「ヤレヤレ」と思うかといって後に残るほどの疲れではないのだが・・・
ところが一緒に行ったU君夫妻今日の午後又でかけ、今度は大阪だと言う何でも2・3日すればその足で伊豆の方に行くと言っていた、
それにしても元気なものだ、本当にいいことだと思うU君もあまり元気なほうではないが此処のところ体調も良いようだ、又奥さんの方は一昨年事故に遭いかなりの重症で心配したがようやくリハビリーの成果が出て最近歩行もかなり可能な状態に成られた、そんなわけで我が家では感心すると同時に心配もし、又あそこまで元気成られたことを心から喜んでいる・・・。人間何時も一生懸命は必要だ「頑張った分だけ結果が出る」ということを忘れてはならないと思う、
ところで今日は例によって『描くでしょ』の声と共に味の干物が妻の買い物袋から出てきた、当然描くには描くが『描くでしょ』は『食べるでしょ』に通じる言葉で有無はない、明日は鯵の開きが食卓に出る・・・頑張って食べることにしよう・・・

2007/01/25(木) 帰ってきました
今日まで(つい先ほど)三日間留守をしていた
友人のU君夫妻と私たちとで熊本の方に行ってきたのだ、
南阿蘇の国民休暇村を基点とし阿蘇山を中心に熊本の水前寺公園、熊本城など廻ってきた、
中でも雄大な阿蘇山をめぐりその足で立ち寄った「風の丘大野勝彦美術館」で受けた感銘は忘れることの出来ない思い出と成った、
その他大小の沢山んの思い出を創った三日間の様子は何とか別途まとめて見たいと思っている、
色色なものや人との出会い、それは掛け替えの無いものと知りながらも、今更のように実感した旅だった、
兎に角明日から写真の整理をしながら改めて旅の思い出をかみ締めてみることにする、

2007/01/22(月) パスタ料理
人間長く生きると色色な事に出くわす、何時の頃か私はパスタ料理に興味を持つようになった、とはいっても完全な素人、素人のオッサンが好きでやっている程度のものだけど私なりに自信はあるし、又美味しいと言われれば気を良くし又調理をする、だから正式なパスタメニューが出来るわけでもない、そんな私でも新しい野菜やそのほかの素材を見ると、今度はこれを使って調理してみよう、誰か昼食時に遊びに来ないかな?などとカモをまっている、今日も妻がホワイトアスパラを買ってきた、「絵手紙に描くでしょ」そういってアトリエのテーブルに置いた行った
早速描いてみる描きながら今度はこれを使ってパスタ料理をしよう、・・・ときめいている・・・・白いアスパラには緑のホーレンソーが合うだろうなそれに紅いパプリカをあしらって・・・・
色色想像している、果て味はどうなることやら・・・誰に食べさせるかな?・・・・

2007/01/21(日) 大根
昨日からアレルギーが顔を持ち上げくしゃみと咳に襲われて今日一日寝たり起きたり・・・おまけに空は全く冬型のどんよりした一日だった、ただ「ひろしま男子駅伝」の様子をテレビで観戦、
郷土の栄誉を一本の襷につなぐ若者たちの姿に感動した、わが広島は結局13位・・・よく頑張ったとエールを送る、
ところで昨日「畑に出来たんじゃけど貰うてちょうだい」近所のYさんの奥さんが畑から抜き立ちの見事な大根を両手に抱えて玄関に、「貰うて呉れにゃあ困るんよ」と差し出された、まだ土がしっかり付いた見事な大根だ、聞けば家庭菜園で作った大根が出来すぎて近所に配って歩いているとの事、かと言って我が家も二人きりそんなに大根を貰ってもと思ったがたまたまU君夫妻が来ていたので1本、隣のHさんに1本Mさんに1本と思ったがMさん宅はあるからいらないとの事、結局昨夜も今日も大根の煮付けが食卓に・・・然しそれは新鮮なだけに中々美味いものだった、やはり素材が新しいと料理したものは美味い、
そういえば何処かの有名菓子メーカー、旧い素材を使ってとうとう会社そのものが危なくなっている、結局大手企業と言う名に胡坐をかき消費者を舐めた報いだと思う、恐ろしいことだ、何事も地道に「誠心誠意」(この言葉は私の母が残してくれた言葉である)

2007/01/20(土) 温暖化
U君夫妻が昼前にやってきた、今度皆実阿蘇に一緒に旅をすることになりその最終打ち合わせ・・・と言うのは口実で遊びに来たのだ、
我が家で珈琲を飲み談笑の後昼食の為外出、宮島が見える対岸の大型ショッピングセンターに行く、そこの中に『ビビンバ」の美味しい店がある、あまり大きくはない店だがビビンバ専門のような店で、焼かれた石の器に入れられて出るそれは実に美味い、又値段も600円とは手ごろで嬉しい、今まで何箇所かでビビンバを食べたことはあるが此処が一番のような気もする、此処はU君夫妻お勧めの店だ、
ところで今日は「大寒」だと言うことだが何と暖かい一日だった、まるで3月か4月の気候のようだ、空は雲もなく晴れ渡っていた
これも地球温暖化の表れだろうか、朝テレビでも今年は雪がなく全国のスキー場は閑古鳥が鳴いているようだ、一方ゴルフ場は雪によるクローズもなくホクホクのようだ、
それにしてもこう温暖化が進むと地球上の生態系にも異変が現れてくるのではなかろうか、・・・・とはいっても私たちの時代には・・・・
今日添付したシシャモも北の海で獲れるようだが、こういったものもだんだん減少するのでは、そういえば鯨が増えてきて小魚が減りその為マグロが少なくなったとかで規制になるとか・・・・
ますます美味いマグロがわれわれ庶民の口に入りにくくなるのでは・・・・

2007/01/19(金) 遠くから春が
広島出身のタレント風見慎吾さんのお嬢さんが交通事故でなくなったニュース、実に悲しいニュースだ現代社会にどうしても必要な車、その車が走る凶器となり毎日のように犠牲者が報じられている、私自身は免許がなく車に乗る事もないが、子供や孫たちが乗っているので、人事とは思えないで朝夕妻と無事故を祈っている、
ところで今日は妻が買い物から帰った際、画題を探すために買い物袋を点検、『菜の花』を見つけたので早速描いてみた、描きながら春の足音が遠くから聞こえてくるように思えた、透き通るような緑がやわらかく春の兆しを示していた、
そういえば近々南阿蘇の方に友人のU君夫妻といくことにしている、阿蘇山は何十年ぶりかに訪れるわけだが、山は変わっていないと思うあの雄大な阿蘇山・・・その姿を思いっきりカメラに収めて帰ることにしよう、実は妻は始めて行く場所で想像も付かないようだ、会社の旅行だ招待旅行だと、私は随分色々な所に行っているが、妻は今までは家事に追われ旅行に行くこともなかったのだ本当に申し訳無い事をしていたと思う、そんな意味から出来るだけチャンスを作り旅に出たいと願っている、
その為には二人が元気でいなければと日毎話している

2007/01/18(木) 吊るし柿
昨日教室のHさんから珍しい物を頂いた、『干し柿』である、
それも『祇園坊』と名の付いたものだ、今朝ウォーキングの途中で出会ったSさん夫妻と早速早朝の珈琲タイムとしてその祇園坊の干し柿を出した、Sさんの奥さんは物凄くこの干し柿が好きだそうだ、ちょうど良かったわけだ、
広島ではこの干し柿を『吊るし柿』と呼ぶ人もある『この吊るし柿を作るために怪我をするもんも居るんよ』『何で?』『二階の窓の外え吊るそう思うて足を滑らして落ちるんよ』なぜか二階の窓の外に干すにのが良いらしい、Sさんの主人の話は昔の話が次々と出て退屈しない、
今朝はのどかな話で出発・・・・一日嫌なこともなく楽しく過ごした、

2007/01/17(水) 絵手紙を描く心
何事にも基本の形はある、今私がやっている絵手紙にも基本の形はあると思う、線の引き方から始まっていろいろあると思う、教室を持っている私がこのようなことを行って随分無責任なようだが、私自身最初から何処かで習ったわけでもなく、自己流でやってきた関係で、教室ではその人なりの絵手紙を描くように言っている、ただ絵手紙を描く心は何時も話しているが、兎に角自分の気持ちを相手に伝えること、そのためには『構えない・気取らない・怖れない』この三つのことを念頭に入れるよう生徒さんには話している、堅苦しい決まりなど関係なく、絵手紙は『楽しんで描く事』これが大切だと思う、教室での2時間が楽しくその延長で家に帰っても楽しんで筆を持てるように・・・・・・
確かに初めて筆を手にする人でも2度目か3度目には』形が出来てきて楽しくなるようだ、そうなれば又描いてみようという気持ちがわく、その繰り返しで上達してくる、そこで私は言っている『絵や字が上手にならなくても心を伝えることfが出来るように成れば良い・楽しい気持ちが伝われば良い』、生徒さんの多くはそれが分かってくれているようだ、
私自身は何時も初心を忘れないで筆を持つことにしている、

2007/01/16(火) 五本指ソックス
最近五本指のソックスが出回っている、何年か前は所謂軍足と言って作業用にはく厚く白いソックスで指が五本に分かれているものだった、その頃は何だか野暮ったく履く気にもなれなかったが、後にその五本指のものがカラフルになり、実は私も愛用している、『五本指のソックスは足に力が入る、第一水虫予防に良い』などのキャッチフレーズで売られていた、なるほど履いてみるとなぜか足にフィットして、手放せなくなった、また女性用も出回り実にカラフルで可愛いものがある、最初は食事などに行き座敷に通され五本指のソックスをはいていると少し抵抗はあったが今では堂々たるもの・・・
それに先日もテレビ番組でコメンテーターの女性が『007のショーンコネリーは五本指のソックスがお気に入りで愛用し人にも勧めている』と言っていたのを聞いた、ひょっとして彼も水虫持ちかな?と親近感を覚えた、そう私もこの五本指を愛用するまでは水虫持ちだったが今では完全に治癒している、
まあ兎に角一度五本指のソックス使用してごらん・・止められなくなること請けあいだ・・・・・

2007/01/15(月) 何時までも・・・
来月教室の画題にしているひな祭りの教材のため、それに関する絵手紙を制作中だ、色々な資料集めから始め描き上げると言う作業は大変だが楽しみながらやっている、色々な種類の人形、古式豊かなもの陶器の人形それから変わり雛など幅広く材料は豊富である、
こうして優しい雛人形の絵と対峙していると心は和み、又娘や孫娘の為ひな壇を用意し、一緒に飾り付けした想い出はつきない、早いものだ娘と二人で飾り付けをしたのもついこの前と思っていてもその娘も母となり、孫娘は今年成人となった、あっという間の事のようだ、つい先日も孫娘の成人式の晴れ姿に涙した、やがて数年もすれば曾孫を抱くようになるかも・・・・
そういう私たちも先日45年目の結婚記念日を迎えた、
良くぞ45年もと言われるが私たちにとってはそれこそあっという間の出来事としか思えない、
勿論その間にはそれこそ山あり谷あり苦しいことも随分あったが至って暢気・・と言うより物事を常に前向きに考える私たちのこと、苦しいことより楽しいことを大切にして今までやってきただから今でも初心を忘れず、楽しい夫婦をやっている、

2007/01/14(日) キウイ
昼前友人のU君からの電話で急遽出かけることになった、
この季節には珍しく全く雲のない青い空だ、ただわずかに吹く風は流石冷たく感じた、然し『小春日和』とでも言いたいような陽気だった、花屋の店頭にはチューリップなど春の花が華やかに並んでいた、U君夫妻と我が家との共通の所用を終わり食事をし、お茶を飲み別れて家路に着く、
こうして親しい友人と家族ぐるみでお付き合いをし、妻は妻同士で語り合い私たちは私たちで色々と楽しい計画を立てたり趣味の話をする、幸いなことにU君と私の付き合いも旧く、お互いの気持ちも分かり合え、それこそツーカーの間である、分かり合える友達を持つことは幸せである、
一昨日書き込んだMさんにしても、今日のU君にしても私にはまだまだたくさんの友人がある、こうした友人たちに色々助けられ今日があるのだと思う、考えてみると私の友人たちは皆心優しく温かい人が多い、
ところで今日絵手紙にした『キウイ』外見は形色とも何の変化もなく、人間に例えれば何を考えているかわからないような人のようだ、そういう意味で私はどうも好きになれない果物だ、元々果物が苦手な私なのだがその中でも特にこの『キウイ』は頂けない、然しこうして描くとき私は必ず『まず手に取り重さを感じ、匂いを嗅ぐ』そして好きになったつもりで描き始める、そうしないと嫌いなものはどのように描いても心が通じない・・・と信じている

2007/01/13(土) Kさんのこと
今日悲しい知らせが来た、2年前の秋のこと、直接お会いしたことはないのだが、私のことが新聞に掲載されその記事を見たからと言って、県北のKさんと言う方から便りが来た、それによるとご主人が入院されたので励ましの絵手紙が欲しいとの依頼だった、知らない人とはいえご縁があってお手紙頂いたので早速励ましになるような絵手紙を送った、その後退院されたとの便りを貰っていたが、昨年11月今度は本人からのはがきで再入院されたとの事、ついては是非又絵手紙が欲しいとの内容だった、早速描いて送ったのだが今日奥様からの便りで、昨年末22日に他界されたとのこと、
結局お会いしないままだったが残念なことだ、出会いがあれば必ず別れもある、然し会えないままの別れは又寂しいものだ、
Kさんのご冥福を祈りたいと思う
さて今日添付の絵手紙は、先日『葉の付いた蝋梅』の絵手紙を載せたが、その蝋梅の葉がとうとう過敏のそばに散っていた、あの透き通るような花びらと、甘い香りを育てた葉が、とうとう力尽きて散ったと思うと哀れな気もした、たまたまKさんの事と重なりなんとも不思議な寂しさを感じながら筆を進めた

2007/01/12(金) 確実春るが・・・
Mさんご夫妻と新年会と称し昼食を共にする、
場所は広島駅前のデパートのあるビルの11階窓際の席、駅を見下ろしその向こうに広がる広島市を囲う低い山が見渡せる見晴らしの良い場所、上り下りの新幹線のではいりもよく目得る、この近辺もやがて再開発され、大きなビル建設予定が発表されている、こうして高い場所から広島の厳寒を中心とした場所を見下ろすと、まだまだ大都会とはいえないと思う、地下の様子ひとつとっても、駅前の地価は単なる通路にしか利用されていない、折角地下をこれだけ工事したのならなぜ地下街として生かせなかったのか、岡山辺りの駅を中心にした地下街の利用はうらやましいものがある、なぜ広島はただ単に地下通路なのだろうと不思議でならない、だから今度大型ビルが出来るとはいえ、果たして如何なのだろうと首を傾げざるを得ない
ところで今日花や屋の店頭に『蕗の薹』を見つけた、
間違いなく春は近づいていると言うこと感じた、
そう春が近づくと言えば今朝のテレビで鹿児島には『土筆』が顔を出したとか田んぼにおたまじゃくしが泳いでいるとか春の兆しを伝えていた

2007/01/11(木) 絵手紙やってて・・・
年が変わって2箇所目の教室だった、『おめでとうございます』新年の挨拶の後恒例の線引きの練習を10分間実施、
生徒さんは殆どが家庭の主婦、家で筆を持つ時間は少ないようだ、中には教室に来たときだけ筆を持つと言う人もある、それは仕方ないと思う、女性は家庭に入ると、こまごまとすることが多く、時には自分の趣味など手がつけられないことも多いと思う、それはそれで仕方ないこと教室はあくまで趣味で良いと思う、将来その趣味で生計を立てるわけでもない、本当の趣味で通ってくるのなら、その時間楽しく過ごせればいいのではなかろうか、ただ絵手紙は『下手で良い、下手が良い』と何方かが言った言葉が常識となっているが、折角習いに来るのなら少しは上手になってほしいのが本音だ、事実最初はどうなるかと思うような人も2度3度通ってくる間に形が出来、色が上手く塗れるようになって面白くなる、こうなると欲も出て上達もして来る、ただ私は常々生徒さんに言うのだが、『絵や文字が上達するより、心を上手く伝えられるようになって欲しい』時折生徒さんから『友人に絵手紙を送ると凄く喜んでくれる、』とか『兄弟から絵手紙の催促が来た』などと聞くことがある、それは見る人に心が伝わっている証拠、こうして一人一人絵手紙を理解し描く喜びを知ってもらえることこそ私自身の喜びでもある、
一心に線を引く生徒さんたちの様子を見て『本当に絵手紙やって良かった』と一人喜んでいたのだ。

2007/01/10(水) 蝋梅
これが冬型の天気と言うのだろうか良く晴れて良い天気だと思っていたらどんより曇ってくる、そして一日冷たい空気が張り詰めている、今日は一日寒かった、
朝のコーヒータイムのとき隣のHさんが蝋梅を一枝持ってきてくださった、その枝の先には珍しく葉がち付いていた、今まで良く見かける蝋梅は花の咲くころには葉は枯れ落ちている、だから蝋梅の葉は見たことはあると思うが気づかなかった、
この蝋梅一枝あるだけで部屋中甘い香りが一杯になる、また透き通るような花びらは全く蝋細工のようで名の如しだ、
この時季ウォーキングで歩いていると畑や小川のほとりに植えられているこの花が咲き始め甘い香りを漂わせている、冬はまだまだこれからなのにこの花の香りをかぐと、春が近づいているような気になる、

2007/01/09(火) 耳かき
今日絵手紙にしたのは、私の父が生前何十年も前銅の電線をたたき造った耳かきだ、この耳かきは不思議と耳にフィットし、楽に使用することができる、我が家では必需品となっている、
父は金の台の角に銅線の端を持って行き、小さい金槌でトントンとたたき器用に耳かきを作り上げていた、先の微妙なくぼみと丸み、この感じが実に良いのだ
耳かきといえば私は耳かきを使うと不思議に咳が出る、特に左耳が特に感じ咳が出る、何か咳の出るつぼがあるのだろうか、
話が飛ぶようだが、妻は面白い癖をしている、と言うのは爪楊枝を見ると無性に耳がかゆくなり必ずその楊枝で耳かきを始める、
耳の中が痛かろうと心配するが、本人はいたって気持ちよさそうだ、さらに不思議なのは妻の兄弟全員が同じ癖を持っていると言うことだ、過日兄弟が全員集まり食事をしたが、その咳でふと気が付くと兄弟が全員爪楊枝での耳かき合戦だ、思わず噴出したが
これは一種の遺伝なのだろうか、
ちなみに私はみみを掻くと咳が出るがくしゃみをする人もあるようだこれも危ない・・・耳を突かないように・・・

2007/01/08(月) 早くも春を待つ
今日一日以下にも冬らしい天候だった、冷たい風が吹き今にも雪になりそうな冷たさだ、外から帰ると玄関の格子戸のところに落ち葉が一枚、綺麗な色をしている、おそらく庭の隅にある紫陽花の葉が風に飛ばされたのだろう、ちょうど私が座って絵手紙を描く窓越しに見える紫陽花だが、これから春にかけ葉が枯れていき綺麗に散った後、新芽が出始めて五月に入ると葉も茂って花の準備をする、やがて六月の梅雨時季になると美しく花を咲かせる、私はこの紫陽花の花が好きで、春になると咲くのを待ち遠しく感じる、その年によって色が異なることがある、さて今年はどんな色の花が咲くものやら、また葉も美しく枯れていくのでなかなか興味がある、今日はその紫陽花の枯葉を描いてみた、
ところで昨日は『七草粥』の日、古くから『人日(じんじつ)の節句と言って1月7日に七草{(せり・なずな・はこべら・仏の座・すずな(蕪)すずしろ(大根)}をお粥で食べ、正月料理を食べ弱った胃を休めると同時に、邪気をはらい万病をのぞくと言うしきたりから来ている、ところが最近では元旦からスーパーも営業をしており特別正月だからと言って平素と変わらないものを食べているのだから必要ないと思うけど、やはり日本古来からのしきたりの良いものは残したいものだ、

2007/01/07(日) 幸せとは・・・
今朝は雪化粧を見て朝を迎える、早速岩手県の息子に電話し『3センチから5センチの積雪』を知らせる『何のそれしきフン』と鼻であしらわれた、考えてみると冬はマイナス3℃が普通で、
積雪と成るとひどい時には二階から出入りするほどだと言う、そんな寒い岩手から見るとこんな広島の積雪など問題外だろうと納得する、然し昔は広島だって冬となるとかなり積雪を見ていたがやはり地球の温暖化が原因で雪も少なくなったのだろう、
さて今日は昨日に引き続き節分の絵手紙を描いた、節分と言えば鬼に豆まき、然し福の神も必要だと思うそこで今日は『お福さん』を何枚か描いた、描きながら幸福ってなんだろうと考えてみた、その人その人によって受け取り方は異なると思う、ただ私は『大きな幸せを望むから、毎日の幸せに気づかない』『今が幸せだと思える人はすばらしい』などそのほか幸せについて色々考えて見る
事実こんなことを考えながら絵手紙を描くことが出来る私はすばらしく幸せな気分なのだ、
今私が一番幸せなことは『妻と二人が元気で毎日楽しく過せる事そして子供たちや周りの人たちの笑顔が見られること』なのだ

2007/01/06(土) 鬼は外
二月に教室で節分の絵手紙を画題にすることにしている、その準備で今豆まきの様子や鬼の面を描いている、そんなことをしながら思うのだが今の世の中鬼が多すぎる、
毎日あきもせず悲惨なニュースが流れる、親が子を虐待し果ては死に至らしめる、兄弟喧嘩の末殺してしまいしかも体をばらばらに・・・・おぞましいことだ、先生が生徒を相手にセクハラ行為、自治体の汚職行為、そして大臣の不正など数え切れない事件が横行、
情けないことだ!!悲しいことだ!!人間の誠意や優しさはどうなっているんだろう、
昨日偶然見たテレビに母犬が毎日菓子店に通い貰った菓子を我が家まで持ち帰り子犬に与える姿が映っていた、その母犬は自分は全く食べることはしないで子犬に与える、しかも毎日欠かすことなく・・・犬だってこんな母親の優しさがある、なのに人間の母親がなぜわが子を虐待し殺してしまうのか、昔から犬畜生にも劣ると言う言葉があるが、全くその通りの行為繰り返している、
2月の節分の日だけでなく日本中が年中豆まきをして鬼を追う必要があるのではなかろうか、
・・・鬼は外・・・鬼は外・・福を招き入れる前に兎に角鬼を追い出さないと・・・・

2007/01/05(金) 爺婆は孫に弱い
冬休みもボツボツ終わりとなるころだし、正月に来なかった孫娘二人が来た、昨日の話で10時頃大型ショッピングセンターで会おうと言うことになっていたのでその気で朝ゆっくりしていた、
ところが朝8時前『ピンポン』奇襲攻撃をかけてきた、しかも上の孫の方は両手に彼女手作りの大きなケーキを持っている、すぐ近くまで母親(私たちの娘)に車で送ってもらったとの事、親子三人での騙しにかかっていたようだ、然しうれしい騙しであり奇襲攻撃なのだ、上の孫は製菓学校に通ってケーキなど習っている、又下の高校生の孫は自分で作ったと言う『肉じゃがときんぴら』を持参していた、妻はそれらを見て涙で大変である、こう言う私も少々怪しくなった、この子達も大きくなったものだ、昼は久し振りに四人で外食夜は彼女たちの好きなものを豪華に並べ楽しい夕食だ・・・そしてたった今バスストップまで送って来た、
昼食後孫たちが一緒に撮ろう』と言って『プリクラ成るものを撮った、なんと先端技術というかそのプリクラもそばで見ていて不思議なくらいコンピューター化されている、孫たちはその機械を巧みに操作しオリジナルな写真が見る間に出来た、おまけにその写真を携帯に転送できるとのこと、こういった遊びの中にまでコンピューターが入り込み、とてもじゃないがこの爺婆付いていけるはずないとつくずく思い知らされた、
作物だってどんどん変わって行き今まで良く見ていたものも出番をなくして今では商品棚から姿を消したものさえある
昨日近くのTさんから『芽キャベツ』を頂いた、今では殆ど商品棚では見かけなくなった野菜だが、シチュウに入れたりゆでてテマヨネーズで食べたり美味いものだ・・・
ところで孫たちが持ってきてくれたケーキ、さっそくMさんを呼び5人で食べ残りは今から妻と二人でコーヒータイム、又『肉じゃがときんぴら』は今夜食べたがそれはそれは今まで食べたことのない美味さだった・・・これって爺○○丸出しも良いとこ・・

2007/01/04(木) 夜明け前の海
今年も元日から相変わらずデジカメ持参のウォーキングであるところが今日までの4日間東の空も西の空も余りいい感じではない、ただ元日の朝近所を流れる『岡の下川』の河口に出て瀬戸内海に上る朝日をかろうじて写すことが出来た、その折日の出前の東の空が薄く赤くなりかけたころ、一艘の釣り船が静かに港を出ていた、目的は海上から初日を見るのか・・・いや間違いなく一年の釣り運を見るための釣行だと思う、まだ明けやらぬ鏡のような瀬戸内海に音もなく滑り出す小さな船は印象的だった、まるで映画のシーンを見ているようだ、
そのとき写したものを絵手紙にしてみた、
妻は先日来挑戦している布で編む草履の片方をようやく編み上げたようだ、子供の頃からわら草履を身近に見たこともなく勿論はいたこともない(妻は広島県北の田舎の出身のはずだが?)彼女にしては良く頑張っていると思う、さてあの調子でもう片方編み上げることになるのやら・・・

2007/01/03(水) 出会いは心の宝石
正月も今日で三が日が終わる、私のこの三日間は大半が年賀状の返事を描くことで費やされている、
こうして年賀状を一枚描くごとに、大げさな言い方だが幸せを感じている、絵手紙を始めて沢山の出会いを得てこうしてその出会いの一つ一つを思い出しながら返事を描ける幸せ・・・
これこそ絵手紙をやっていて良かったという思いがひしひしと沸いてくる、
今日来た一束の年賀状の中に、先日教室の様子がテレビに放送されたがそのときのレポーター『大ちゃんこと、大松しんじさん』からの年賀状が届いた、テレビ撮影に来られたときの約束でもあったが、忙しい彼がその約束を守ってくれた絵手紙がうれしく又すばらしい出会いを得た思いがした、
長い人生いろいろな出会いがある、これからもずっと沢山の出会いがあると思う、『出会いは心の宝石』私の心の宝石箱は底なしなのだだからいくらでも受け入れられる、
宝石と言えば今日Mさん夫妻に誘われ『大ナポレオン展』を観にいった、すばらしい肖像画の数々に感動し、又秘蔵ジュエリーのすばらしい技術、美しさに魅了させられた、
兎に角この三日間かなり充実しゆっくりした正月でもあった

2007/01/02(火)
不思議なものでまだ現役で仕事をしている頃正月休みと言えば、年末から年始にかけて休暇の日があっという間に過ぎていくようだった、今こうしてほとんど毎日が自分の時間となって生活していると、ことさら年末年始も関係なくなっている、ただ回りの人たちが休みで・・・ああ全国的に休暇なんだな・・・と思う程度だ、然しいつの間にか祭日が『ラッキーマンデー』などといって流動的に成っている、われわれは成人の日と言えば1月15日(余分なことだが高校時代水泳部での寒中水泳も1月15日だった)その成人の日が今年は1月8日になっている、ちなみに来年2008年のそれは1月14日らしい、国の祭日がこう都合よく変えられるのは我々年代から言わせれば合点がいかないのだ、このことや公立の学校まで週休2課にして教育現場に混乱さえ招いている、このような国民の生活ペースを乱すようなことを考える輩もまたそれを決めるものも良かれとして決めたことだろうが、教育現場でも、授業時間の不足などでかなり混乱しているのではなかろうか、実に寒々とした法律でもある、
正月早々もう少し楽しい話題は無いものかと辺りを見回す、ミニ奴たこがあった、たこと言えば最近正月なのに大空に舞う凧を見ることが無い、凧揚げする子供は正月早々塾通いか?それとも家の中でゲーム三昧だろうか、そういえばこの冬休みになってから子供の声を聞くことも無い、やたら近所が静かである

2007/01/01(月) 2007年元旦
2007年元旦である
今年は私にとっても特別な年になりそうだ、
年男と言うことで72歳になる、『猪』と言えば猪突猛進、これと思ったら前後も考えないで突進するタイプ、・・・そうかもしれない、私自身何かを思いつけば『まずやってみる』『まず一歩踏み出す』それで『若し駄目ならやり直せば良いじゃないか』今までそうして何とかこの年まで来た、長い人生それだけではすまないことも確かにあった、然し何とかこれまでやってこられたのは、沢山の人に助けて貰ったからやって来られたのだと思う、
沢山の人と出会いその人たちの力を貰い、そして暖かい心に助けられて来た、
今年は6月に山陰での個展を計画している、以前出雲の銀行でフロアー展は一度やったことはあるが、本格的ギャラリーでの展は初めてでもあり遠く離れていると言うこともあり、今度ばかりは今までのように、兎に角やってみればの調子では行かないと思う、
テーマを考え作品をまとめる大変なことになりそうだ、慎重に頑張らないと・・・
2007年の元旦である、我が家の玄関に飾り付けたしめ縄を描いてみた、少し大きめなのでA−4サイズの画仙紙に描いたものだ、この絵手紙を今月の1枚としてトップに載せることにした


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