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2007/11/13(火)
古里の柿
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先日妻の実家に行ったとき、義兄が『柿を持って帰るか?』と言い、一緒に上の畑のほうに行った、そこには大きな古い柿木が1本枝を張っている、妻にとっては随分思い出のある柿木らしく、如何にも懐かしそうな顔をしている、脚立を立て長枝挟みで次々と枝と一緒に柿をとってくれる義兄、妻の両親も今はなくこの義兄が親代わりとなり一番末の妹である妻は随分良くして貰っている。 また義兄は原爆で亡くなった私の兄とも同じ年と言う事もあって、私自身も随分頼りにしている。 と言うわけで今夜は身内の話になったが矢張りたとえ兄弟でも心から信頼しあえる人は大切だと思う、昨今のように親兄弟でも傷つけあい、果ては殺し合うと言うニュースが流れるたび心が痛む。 何故このような時代になったのだろう、戦国時代ならいざ知らず、現代社会において、余りにも稚拙な考え、余りにも短絡的自分勝手な考え方がまかり通る、こんな人間形成は、矢張り教育の問題ではなかろうか、ひいては政治の貧困としか思えない。 ただ今の若者たちを責めるより、其の若者を育てた親、そしてそのような親を教育をしたのは、結局我々年代の者といえる、・・・と言う事は我々年代のものにも大いに責任があるのではなかろうか。 何とか教育の建て直しを早急の課題とし、心身ともに穏やかで平和な時代を作りたいものだ。
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