稽古場日記
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2004/05/25(火) しばらくは唐十郎を想う/山南純平
只今、唐十郎さんの劇に迫ろうと台本に取り掛かっている。
思い出したように「何故、演劇をやって来たのか?」その謎解きに捉われ始めた。
唐十郎率いる「状況劇場」の存在とあの時代の怪しげな風が吹いていて、青春真っ盛りだった私は市民生活に疑いを持っていたことには間違いなかった。・・・会社組織への嫌悪であった。
学生運動が後退して行く中で、変なおじさんたちが「こっちにおいで!」と手招きしていたような気がした。
「アレもコレもウソなんだから、コッチで生きてみなさいよ!」と三途の川の向こう側からニコニコ笑って誘っているようだった。
「三途の川」を渡ると極楽浄土=解放区があるに違いない。
生きたままアチラの人間になってやろうか。
1970年代は<既成概念>が美術や音楽・映画と演劇の分野で破裂した時代でもあった。
とりわけ演劇界は私にとって魅惑の世界に思えた。
集団で「あの世」=解放区を作り出して見せるのだから、舞台ほど不思議に見えるものはなかった。
そのトップランナーたちが唐十郎であり寺山修司であり鈴木忠志、それに続く流山児祥や山崎哲・・・いわゆる眩いくらいのアングラ劇であった。明らかに「この世」のものとは思えない。いや、「この世」が「あの世」であり、まさに現実を認識する視点が逆転するほどのコペルニクス的展開。これも「この世」の花なのだ!

唐十郎の劇世界は怪人たちの祝祭に見えた。
1987年の秋、熊本市の子飼橋下の河原で赤いテントが建てられた。
「ユニコン物語」〜カツ丼は空を飛び、心だけにしてくれ〜とわめき散らす小林薫。根津甚八はギターの弦を引きちぎりながらホンキートンク。季レイセンは胎盤を投げつける。唐十郎は「ネンネコしゃったらネンネコしゃ!」とやけに目だけが優しく微笑みかけているところが、気が狂って見えて恐ろしい。
その当時、私の父はガンで死にかけていた。
悲しい状況の中に、盆と正月が一緒になってやって来たのだ。
笑えば笑うほど涙が溢れ出してくる。

これだ、これが時代を走り抜けていく「演劇」なのだ!

終演後、赤テントの中でグルリと輪になり宴会が始まった。
私は「こんなヘタな芝居を見たのは生れて初めてです」と負け犬の遠吠えをしてしまった。
あれから四半世紀。今、子どもたちと共に、唐十郎の熱い劇世界へ挑戦する。
「夢棧敷版・愛の乞食」・・・さぁ、劇団員たちに灼熱のマグマを!


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