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2004/06/03(木)
日常の狂気・狂気の日常/山南純平
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私が高校生の頃、本屋で「正常の中の異常・異常の中の正常」というのを読んだことがある。 立ち読みであったため、今となっては作者の名前は覚えていないが、かなり売れていた本には間違いない。 一部の仲間では必読書でもあった。 「学園をわれらに」とか、同じ作者だったかも知れない。 タイトルに惹かれて何気なく読んだ本だ。 1960年代後半。
あれから35年くらいは過ぎたのだろうか。 稽古が終わって、「国民年金改革法案」強行採決のニュースを見た。 次は「有事立法法案」へ・・・。 政治の世界は「狂気」沙汰で突き進んでいる。 そういう私を「狂気」と思う方が「正気」の時代でもあるのかも知れない。 文法的混乱か、・・・。立場が変わると「狂気」すら逆転するのか。
ともあれ、娑婆の憂鬱をぼんやりと感じつつ、本日の稽古は唐十郎の「透明人間」「ジャガーの眼」「桃太郎の母」などの一部分の台詞を抜いて発声してみた。 もっとテンポ良く!気持ちが細すぎる!頭を揺らさずに喋る!目が泳いでいる!
日常からすれば「異常」な会話である。 どうでもいいことではないか。・・・。そんな空気は稽古場では通用しない。 稽古場の日常は「狂気」に満ち溢れている。 心の闇を叫ぶ!安全な場所とは?・・・ここも一つの場所である。
この世にぼんやりとした危機感を持ったまま「日常の狂気・狂気の日常」に立ち向かうのは演劇の役割かも知れない。 唐十郎の劇へ接近しながら、「思想や哲学」の社会科学の世界よりも、もっと奥行きのある<夢の正常>へ歩いて行こう。
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