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2005/01/30(日)
尼蔵、酔っ払う/夢現
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稽古の度にイメージが膨らむのが唐十郎の芝居の面白さです。 自分自身でも勿論役作りをします。 でも今回はちょっと特別です。 山南ノートに綴られている山南自身の各登場人物への深い思い入れを感じながら、 尼蔵という人物の奥の深さと対峙しています。 役者は演出家の単なるコマに成り下がってしまわないように、 演出以上のイメージを肉体を以って提出していかなければなりません。 でもこれがなかなか困難です。 ”肉体を以って”というところが難しいのです。
今日は、ある場面で尼蔵は遂に酔っ払ってしまいました。 私自身も「いつか尼蔵は酔っ払うぞ」と内心思っていたところだったので、ちょっと気持ちの良い瞬間でした。 でも今日の酔っ払いは全然ダメです。 ホンモノの尼蔵はそんな酔っ払い方は多分しないでしょう。 稽古の度に「尼蔵」は遠くに行ってしまいます。 小手先ではダメなんだなあ。
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