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2005/01/09(日)
あけおめ/悠夢■大阪2日目/三人組
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あけましておめでとうございまつりまする。 今年初めて日記を書かせて頂きます。 えー、正月は実家に帰っておりました。実家に帰ったら普通では食べられないものがヒマラヤ山脈のように出てきました。体重が1キロ増えましたぁ。ヤッタネ! さて、そうやって正月気分が抜けないと痛い目にあいます。 劇団夢桟敷は3月から「愛の乞食」の公演に入ります。気をぬとけないというわけでございましょ。 私が今最も気を抜いたらいけません。なぜなら1月の下旬には受験があるからです。 なぜ私がこんなに頑張っているのかというと、1月の受験に失敗したら、大阪の公演と受験日が重なる、という現実にぶつかってしまいました。 そこで私は決心しました。「よし!1月の受験で終わらせよう」と。 今、僕の目玉の隙間から脳みそが出そうなくらい勉強をしています。 明日になったら脳みそだけになっているかもしれません。 それじゃあこのへんで、あっ身体は大切にネ。
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大阪の旅も二日目である。 昨日の日記では書かなかったが、今日は二回目の尼崎ロマンポルノ公演を見る。 この劇団には元・劇団員である村里春奈が所属する。 彼女はテレビのレポーター役で登場していた。 午後4時開演、3ステージ目(楽日)である。客席は満杯を越え、パイプ椅子の追加の作業で開始時間を押す。 私たちはPA・照明卓の後ろの特等席を提供して頂いた。 劇評ならぬ「劇想」は、後日、山南が彼等に原稿を送るということでそのままこのHPへ転載することにした。 骨のある劇団である。 主宰の橋本さんの才能は言うに及ばず、まず役者がいい。活きがいい。 大阪弁が心地よい。だがテーマは深刻であり暴力的でもあった。 つまり危険な劇である。・・・それは「偽善」を排除するかのような「現実」を提示しているからだ。 この劇の裏側に<部落問題>がベッタリ張り付いていた。しかし、劇の暴力的で素敵なところは思想の押し付けがないところだ。 「親の因果が子に報い」 まさに「因果」に自由な想像力を見せてくれた。
大阪の旅も最終日である。 難波をうろついたり、電気の店建ち並ぶ日本橋で「愛の乞食」たちと再び遭遇したり、おばちゃんのノリツッコミにも出会えた。 吉本でおみやげを買ったり、たこやきも食べた。 何よりも収穫だったのは、近大の学生や大阪の小劇場の人たちとコミュニケーションが図られたことだ。 3月の公演では再びお会いすることになるだろう。 大阪はなんて開けっぴろげな街なんだ! 笑顔が明るい街で<面白い文化>が生まれる筈だと痛感した。 「愛の乞食」たちとの共存が街の懐の深さ、人情を感じた。 表情豊かな街である。 ホームレスのみなさん。 この寒い冬を生きて生きて生き延びて下さい。 そして、出会ったみなさん、どうもありがとうございました。
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