稽古場日記
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最新の絵日記ダイジェスト
2007/04/01 劇団夢桟敷 稽古日記(1)
2005/12/31 瀧本誠を見ますよ。/咲希
2005/12/30 御挨拶/咲希
2005/12/29 2005年が終わります、もうすぐ/咲希
2005/12/28 大掃除/咲希

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2005/03/31(木) 3月31日の午後/山南
 学生というのは進級や進学で成長が数字になって表れてくる。
 それを眺めている大人も子どもの成長変化を感じながら、自分のことのように春を楽しむ。
 しかし、大人は成長しているのだろうか?
 確かに、細胞も皮膚も新陳代謝はしているのだが・・・。
 
 寺山修司は「完全なる死体」になるために生きている。と言っていた。
 唐十郎は「輪廻(りんね)」を唱えていた。
 
 演劇は何処まで「不完全」のまま生き長らえるのであろうか?
 私は燃え尽きるまで生きてみたい。
 燃え尽きた時に「輪廻」を夢見ようっと! 

2005/03/30(水) 星砂がくる海/山南
 今朝は涙が止まらなくなってしまった。

 次回公演予定の「星砂がくる海」のオープニングをえんぴつで書いていると、突然、泣きたくなってしまったのだ。
 悲しいからでもなく、それは衝動的に訪れた。・・勝手にえんぴつが動いてしまい、沖縄の風景があまりにも美しく、テーマに圧倒されて涙が溢れ出してきた。

 午後から菊陽町の温泉「サンサンの湯」に方尾さんと行く。
 湯に浸かりながら、平和に感謝したくなった。
 現実が妄想なのか、妄想の中に現実があるのか。
 台本を書いていると、現実と空想がスレスレの状態に陥ってしまうのである。

2005/03/29(火) もう春ですねぇ/山南
 久しぶりに熊本の街の中を車で走った。
 街行く人は春の出で立ちで歩いている。
 やっとミニスカートが落ち着いて見れるようになった。
 これまでは、こんな寒い日になんで!と眉間にシワを寄せて見ていたのである。
 桜のつぼみも大きく膨らんできた。
 街がピンクに染まる日が近い。
 熊本の色が眩く見える季節がやってきました。
 生きていることは楽しい。

 色男の復活と行くか。

2005/03/28(月) 準備のための準備期間/山南
 年度末である。
 会社でいうと決算期にあたる。
 夢桟敷も同様である。しかし、なんて貧しいのだろう!といったところだ。よくもまぁ、生き延びているものだ。
 可能性があるから、まだ生き延びているのだろう。私はそう信じている。
 どんな可能性があるのか?
 抽象的なはなしではない。
 夢桟敷はこの夏に「星砂がくる海」へ向かう。それ以降、「ねじ式」へと<発明の劇>を切り開く可能性が見えてきたのだ。
 今年度2005は企業秘密が大きい。

2005/03/27(日) お花見?/山南
大阪公演、劇作家大会と2月末〜一ヶ月が慌しく通り過ぎていった。
 夢桟敷にとって、この一ヶ月は演劇界の今に立ち会ったような<大きな事件>でもあった。
 <現在>に立ち会うことを実感できることは、そうしばしばあることではない。
 <肉体>と<ことば>の現在は、明らかに<演劇>の新たな台頭を予感する。それは、<肉体>と<ことば>が希薄になってきている<現在>があるからである。

 今日は吉野スタジオでパーティをした。
 新人2名、復帰者3名を加えて、この春より次回公演のスタートを切るための出陣式でもある。
 劇団員の進学・進級祝い。
 春は生徒・学生にとっても節目にあたる時期である。
 名目は「お花見」ということであったが、桜はつぼみのまま。従って「花より団子」の宴会となった。
 余興で「アドリブ劇」を楽しむ。
 劇団ならではの楽しいひと時である。
 ゲストの松村さん、てるさん、ご参加頂きありがとうございました。
 
 このような交流会を今後もおこないます。
 次は4月23日(土)風の里キャンプ場を予定しています。 

2005/03/26(土) 時には夢桟敷Tシャツを作りたいと主張するように/咲希
劇作家大会が明けて、初めての稽古でした。
百合子ちゃん、田中君、芽衣ちゃんが高校、大学に合格したので復帰しました。
おめでとうございます。
百合子ちゃん御紹介の入団希望者2名と一緒に基礎トレをしました。
芽衣ちゃんとは半年振りだけど、もっと逢ってないような感じがしました。
とっても懐かしかったです。
1時〜2時までは今年公演予定の「1945」「ねじ式」の話し合い。
「1945」は沖縄公演の予定です。
「ねじ式」は年末から来年にかけて大々的に展開してゆく模様です。

今日は山南が稽古中たくさん菌を撒き散らしていたので、ちゃんと手洗いうがいを心掛けます。
明日は劇団で花見です。全っ然桜が咲いてないのに、花見です。
花より団子と言いますが、選ぶ権利もないんです。
♪こ〜んな〜気候に〜誰がした〜

写真は復帰生と新人さんです。

2005/03/25(金) 打上げ/山南
 夜、県劇にて「劇作家大会」の打上をする。
 夢桟敷からは、座長、副島、山田島、村上と私の5人で参加した。
 各劇団からの参加者は70名。
 若者と年配が入り乱れてのパーティである。
 熊本の演劇界の今後が楽しみである。
 迫田さん(演出家)の提案書を頂き、本気で県立劇場の拠点化を考えることになった。
 劇作家大会を終えて、県劇と地元の演劇人の強いパイプができたように思う。
 民間企業も小劇場の提供に乗り出してきた。
 私も近々、提案書(企画書)を各方面に提出しよう。 

2005/03/24(木) ダウン/山南
 風邪で起き上がれない。
 病院嫌いな私は<自己治癒力>でインフルエンザと闘うことにした。
 久しぶりの闘病生活。軽いうつ病である。
 こういう時にこそ、次回公演のアイデアが生まれてくる。
 健康な体に健全な精神が宿る、というのは嘘だ。
 病気だからこそ見えてくる<健全>な世界があるものだ。
 私は今、布団の中で「星砂がくる海」を思い浮かべている。

2005/03/23(水) 冬馬、CM出演/山南
 イト―さんの紹介で「パチンコ屋」さんのCMに坂本冬馬が出演した。
 1・2・3という数字のぬいぐるみを被ってこけるというものらしい。さすがはイト―さん、とてもうまくこけたらしい。
 4月より放映予定だそうだが、(1)番が冬馬なので、笑ってやってください。
 イト―さん、どうもありがとうございました。

2005/03/22(火) おわりのない旅/山南
 昨夜の「劇作家大会」終了日の夜に私がお酒を飲まなかったから、九州は大雨になった!と苦情の電話がありました。
 肝臓が相当くたびれているらしく、余命いくばくもないでしょう。
 演劇の癌。
 おんな、子どもから喜ばれる「アングラ劇」を目指しています。
 この熊本でアピールするのはチト、キビシーのかも知れませんが、ここまで来たら増殖するしかありません。

 次はオキナワです。
 知名度の低さを逆手にとって、日常の延長劇に背を向けて<おわりのない旅>を続けます。

2005/03/21(月) 時には燃え尽き症候群のように/咲希
劇作家大会最終日です。今日、ワタシはひたすらよかもん市の担当でした。
一つの企画が終わったら扉の前に立ってよかもん市の宣伝をしたものです。
冬馬も悠夢もれんこんの被り物を被って人気を得ていました。
朝ごはんはうどん
お昼ごはんはラーメン、肉まん、串1本。
全てよかもん市で購入。
この4日間の食事はほとんどよかもん市でしたよ。
本当にお世話になりましたよ。
噂の「デコポンクッキー売り子美少女姉妹」のお姐さんの方は、
美しいお顔とは反対に、ぐっちゃぐちゃのどろどろのホラーが好きらしいですよ。
平田オリザのワークショップの発表会が色んな所であってました。
エントランスとか、通路とかで発表してましたよ。
ワタシも見たかったのだけど、何かしてたので見れませんでした。
今日の企画数はあまり多くなかったので、自分的にはゆったりして
良い時間を過ごせたと思いますよ。
と言いますか、4日間全体的に見て自分なりに大いに楽しめましたよ。
中庭のよかもん市の食べ物は一通り制覇しましたし、
戯曲見本市ではめぼしい物を買えたし、
興味のある企画には大体参加できたし、
スタッフの仕事も楽しかったのですよ。
山田島さんにはお世話になりました。
彼が居なかったら、よかもん市はなかったですよ。
劇作家大会は本当に良い思い出になりました。
とか言ってられませんよ。
この大会で何を感じたかとか、この企画の意図とか
そんなのを明日考えてみたいと思います。
今日はもう寝ます。極楽湯に行って、塩サウナでお肌がスベスベになったからです。
癖になりますね。

2005/03/20(日) 時には終わりのない青春時代を思い出すように/咲希
激動の劇作家大会、3日目。
朝6時に起きて、吐いた。昨日の居酒屋・壱之倉庫で食べ過ぎたらしいですよ。
毎年この時期はよく体調を壊します。
盲腸になったり、胃腸炎になったり、盲腸になったり、胃腸炎になっTALI。
「ちびまるこちゃん」の山根君とは絶対に話が合います。絶対に。
今日のお昼御飯のメニューはからあげ、おこわでした。
全てよかもん市で購入。
今日のワタシの役割は「国際交流シンポジウム」担当サポートでした。
仕事ですから、参加者のように楽しめないのが残念ですね。
質問したい事があっても、手を挙げることができません。
それは恥ずかしいからでも目立ちたくないからでもありません。
それがワタシのせつない事実なのです。
「ごくせん」の生瀬勝久さんが目玉のシンポジウムに参加しました。
生瀬さんの前の芸名は槍魔栗三助(やりまくりさんすけ)らしいです。
知らなかったので、97へぇ…じゃなくて「97まじで!?」くらい出せそうです。
「80年代 関西の小劇場」と言うテーマでした。
アングラやるより、もっと女・子どもでも楽しめる演劇を作るんだ、
と辰巳琢郎さんは言っていましたよ。
噂の「デコポンクッキー売り子美少女姉妹」は生瀬さんに握手を求めていましたよ。
夜はレセプションに参加しました。
そうしたら!高校時代の教師に再会しましたよ。
5年前の音楽の先生でしたよ。ワタシはこんなに老け込んだのに
先生は5年前と変わらずお若いのです。
そうしたら!劇団きららの制作担当しているらしいですよ。
時の流れは侮れないです。
写真が先生です。
宴もたけなわの頃、エントランスでは「スナックあげむら」が営業してました。
勿論、今大会の重要人物・アシスタントプロデューサー揚村知美女史が
「スナックあげむら」のママです。
チーママも居ます。若い女の子も揃ってます。
世の中に疲れた時、希望を失った時、県劇にいらっしゃい。
「スナックあげむら」はいつでも貴方のそばに。
明日もガムバリマス。

2005/03/19(土) 時には人ごみに流されてアブトロニックを買うように/咲希
今日も暑いけど暖かい、且つ涼しい気候に恵まれ元気に劇作家大会でした。
会場案内係のワタシは合間を縫っていろんな会場に見学しに行きました。
『演劇におけるエロスとヴァイオレンス』は人気でした。
参加者の他に、沢山の見学者がおりました。
もっと深くまで話がふくらめば良かったんですが、時間が短くて何だかもったいない気がしてなりません。
冬馬と悠夢の担当はTシャツ販売でした。
売れないお笑いコンビが深夜のテレビショッピングで叫びまくってる…
と言う感じで二人はTシャツを売りさばいてました。
楽しんで仕事するのが一番ですね。最高に楽しそうでしたね。
今日の昼ごはんは串2本、たこ焼です。
全てよかもん市で購入。
噂の「デコポンクッキー売り子美少女姉妹」と少しだけ話しました。
麗しっ!
今日の日程が終了して、鴻上尚史さんと永井愛さんと山南とで居酒屋・壱之倉庫で飲みました。
山南が東京で演劇をしていた頃の、アングラ第二世代の話が面白かった。
壱之倉庫の厠と入り口も面白かった。
明日もガムバリマス。

2005/03/18(金) 時には小学生が冬に半そで半ズボンで学校へ通うように/咲希
劇作家大会初日。
厳かに牛深ハイヤで開幕しました。和太鼓の重低音が子宮に響き渡りますよ。
お昼ごはんは伊右衛門2本、だご汁、いきなり団子2個、
チーズポテト(ポテトチーズだったかも)。
中庭のよかもん市でおいしく頂きました。
山南氏はズボンのチャック全開で鮎弁当を召し上がっていました。
「戯曲見本市」で寺山修司記念館@、Aを購入。
ホワイエのよかもん市で「デコポンクッキー売り子美少女姉妹」を発見。
心が癒される…都会は時間の流れが早すぎる…

ワタシは「演劇音響入門」の講師・夏井孝裕さんのサポーター役でした。
音響機材や音楽の説明の後、
夏井さんの台本「knob」を使って、熊演の部員が演じ参加者の持って来た音楽を流す。
スタッフとして見ていましたが、一般参加で来たかったと思いました。
色々勉強になりました。本当に。
あと、照明転換の指示を出している夏井さんの背中にぞっこん惚れた。
講義終了後、「デコポンクッキー売り子美少女姉妹」が帰宅してしまっていたので
ぞっこん哀しいし淋しかった。
明日もガムバリマス。

2005/03/17(木) 時にはチェザーレのように/咲希
明日は「日本劇作家大会 2005熊本大会」です。
「日本の演劇が熊本に集まる!
 ナマ。演劇はいろいろあるからおもしろい。
 開催期間中に託児サービスをご利用いただけます。」
夢桟敷もスタッフとして参加します。
演劇ホール・ホワイエで展示されている「戯曲見本市」に、
鮮血も騒ぐような本がありますよ。
『寺山修司記念館@、A』『ジャパン・アヴァンギャルド』
この2タイトルはレアなんじゃないんですか?
そうでもないかもしれない、そうかもしれない、が、これは買いです。
しかも『ジャパン・アヴァンギャルド』はワタシが相当(でもないかも)
苦労して手に入れたお宝なのに、此処にある!此処にA・RU!
2004年9月1日・2日の日記を参照して下さい。
だいぶテンションが上がってますか?
あと、一生大切にしたいチラシにも出会いましたよ。
『ジャパンアヴァンギャルド』
『奴婢訓』
『横尾忠則―熊本・ブエノスアイレス化計画』
前々から行きたかった横尾忠則展。
「熊本はブエノスアイレスみたいだね、と横尾忠則は確かに言った」
のを確かにこの身で確かめたい!
だいぶテンション上がってますか?
そんな事で、
「劇作家大会は辛子蓮根みたいだね、と桃色咲希は確かに言った」

2005/03/16(水) 大会直前/山南
 「うまかもん市」の設置がほぼ完了した。
 明日は中庭にテーブル、洗い場と電気の接続をすれば完了です。
 本番では各店舗の旗が並びます。
 本部では各人のパソコンが並びパチパチやっています。
 
 主人公はあくまでも「お客様」です。
 色々な不手際があるような予感がします。
 マニュアル通りにいかないのがイベントです。臨機応変に対応できるように様々なパターンを想像しています。
 今日になって分かったことは、私の本部付き仕事が写真・ビデオの記録の管理だったということ。各会場の記録集計では終わりそうも無い。
 限られた人員で私も現場へ撮りに行く想像力を覚悟しておいた方がベターでしょう。
 心の中で村上君をアシスタントに付けておこう。
 明日、強引に確認を取り付けます。
 少なくとも、創造的なスタッフワークを準備しておかなくては!
 座長=夢現も各会場の受付業務をこなします。はっきりいって、もったいない!
 さぁ、明日からアレもコレも神経をフル回転しなければ!

 ともあれ、今後の発展的方向性をもって「劇作家大会」と関わっていきましょう。

<この写真は私が死んだ時の遺影になるでしょう。何度も出してスンマッセン。>

 追伸
 今日、県劇から帰って座長から面白い話を聞いた。
 かれこれ20数年前の話。
 東京で演劇をしていた頃、座長のバイト先で知り合った人から電話を受けたそうだ。
 劇も見に来てくれたアノ頃はW大学の学生であった人です。
 彼(Sさん)は今、熊本のK学院高校の教師をしているそうで、西岡さんの乗馬クラブに顔を出している。
 どうやら、西岡さんが夢桟敷の存在を教えてくれたようだ。
 偶然は恐ろしい。
 劇作家大会にも来られるそうだ。是非、声をかけて頂きたいものである。私は本部にいますので、顔を出して頂きたいのです。
 美味しいものをご馳走しますよ。夢現とも再会できます。
 この日記を見てくれているかな?

2005/03/15(火) 劇作家協会/山南
 午前中より県劇へ行く。
 「うまかもん市」の看板、保健所の件や駐車の件で打ち合わせをする。
 いよいよ本番直前である。
 途中で「お菓子の香梅」へ抜け出し、田中さん(熊大演劇部)と副島先生と私で社長に会いに行く。
 山田島さんは保健所へ手続きに行く。
 県劇に戻ると、劇作家協会のご一行がテーブルを並び替え、いよいよ臨戦態勢へ。

 明日は悠夢と咲希を連れて乗り込む予定である。
 事務的な情報を前もってつかんでおかなければ・・・!

2005/03/14(月) 頭がスースースー/山南
 今日は朝から台本に取り掛かる。
 古い台本「1945漂流記」を引っ張り出し、新たに書き換える作業ではあるが、既に2000年から10回ほど公演しており進化し続けているものである。
 初演から5年経過すると、題名も原作である「星砂がくる海」に戻ってしまった。もともと下嶋哲郎氏の絵本から取り上げた題材ではある。 戦争劇のリアリズムを幻想的なものへ変えていく意味は、演劇は只の伝達や情報表現ではなく、もっと独自な世界であると直感しているからである。
 役者の肉体を通して時間を行ったり来たりすることは、台本を組み立てていく上で発見の連続である。
 これはリーディング(読みもの)ではない。
 非戦・反戦・平和への願いを語る劇ではないのだ。
 
 戦争は残酷である。
 舞台では、その残酷さを表現するために<虚構を生み出す>新たな装置が要求される。
 今度は「砂」「骨」そして「血」を映し出す装置を発明しなければ・・・。
 暗黒のオドリも作ろう。
 
 髪の毛を切った頭がスースースー。
 風通しが良い。
 只今、脳みそに電灯の明かりが灯っている。

(写真は売名の顔、実は自分を気に入っているのである。) 

2005/03/13(日) 反省会と計画/山南
 吉野スタジオに集合。
 芽生ちゃん&幸太君も復帰する事を確認した。
 これからの計画を打ち出す。
 本日の大阪公演の「反省会」では悠夢の「唐十郎は可能性が充分ある!」に大爆笑した。
 それは「わたしたちが・・・」だろうが!
 主語を間違えると、世の中を敵に回すことになるのだよ。
 ビデオで「愛の乞食」を鑑賞する。
 やったものだけが分かる個人的な反応で花が咲く。

 さぁ、このエネルギーを次回公演に向けて貯めていこう。確実に劇団員は成長したのだから!
 ところで、この反省会はノンアルコールであった。

2005/03/12(土) よかもん市/山南
 3月18日から始まる「劇作家大会」では、県劇レストラン中庭と演劇ホールホワイエにて「熊本よかもん市」というコーナーが設けられる。
 これのお世話を担当しているのが熊大演劇部と夢桟敷である。
 本日は午前中より出店者への説明会をおこなった。
 この間、中心的に動き回ってくれていたのは山田島さんで、最後まで難航していた「熊本ラーメン」出店も今日で決定した。
 熊大の田中さんも、他企画(リーディングなど)で多忙を極めており、福岡での公演を先日までされていた。
 あと数日で本番であるが、ポキポキと骨を折ってみよう!

2005/03/11(金) 村上+咲希との三人で/山南
 午後は三人で県劇に行って打ち合わせをおこなう。
 「劇作家大会」でのシンポジューム・ワークショップをサポートする担当について確認をした。
 村上はその後、第七インターの公演会場へ。
 
 明日は午前中より「うまかもん市」の打ち合わせと説明会の日である。
 熊本に帰ってからは、やはり予想通り慌しくなって来た。
 
 温泉に行きたい!今は夢である。

 ところで、中学3年生の劇団員(悠夢、芽生ちゃん、百合子ちゃん)!
 卒業おめでとうございました。
 日曜日は吉野スタジオ(13:00〜)で待ってるよ。

2005/03/10(木) 劇作家大会のチケットあります。/山南
 午後は冬馬と「日本劇作家大会・熊本」(3月18日〜21日・熊本県立劇場)の件で走り回る。
 ふりーだむ熊本で山田島さん、副島先生の4人で打ち合わせを済ませ、県立劇場へチケットを預かりに行った。
 夜は久しぶりに副島先生の自宅で酒を頂く。
 大阪の話に花が咲いた。
 酔っ払って家に戻ると、伊藤さんと呑んでいた。
 伊藤さんへのお土産であるウイスキーを又、私が呑んでいる。
 それはイトーさんの! 

2005/03/09(水) 同時進行/山南
 疲れている。が、頭は冴えきっている。
 「星砂〜」「ねじ式」そしてもう一本「・・・」
 まるで売れっ子作家のように同時に三本の台本作成に取り掛かります。
 三本目の台本は「・・・」稼ぎのために秘密裏の内に書き上げる予定です。商売です。

 今日は一日中、ゴロンとしていましたが実は次回に向けての構想を練っていたのです。
 一息ついたら温泉にこもって書き上げることを夢見ています。
 台本を書くことは「発明」であります。
 新しい思いつきがひょっこりひらめいてきました。
 まだ老いぼれる訳にはいきません。
 いつまでもかけ出しのつもりで頑張ります。
 九天の空を駆け巡る“龍”が私には見えています。虚構の中で生きていける世界が劇の力をあぶり出して来ます!

2005/03/08(火) 最後の三人組、帰熊/山南
 村上・香西と私の三人組が本日昼に熊本に帰った。これで脱藩者もなく全員熊本に帰って来たことになる。
 昨日の夜、船の窓から眺めた瀬戸大橋の灯が<旅>の終わりをしみじみと感じさせてくれた。ここは瀬戸内海である。
 村上と香西は「星がきれい!」とサンフラワー号の甲板に出て行く。私はウイスキー(実は伊藤さんのお土産のつもり)をウーロン茶で割ってチビチビ呑む。ロマンを酔いの中で楽しんでいるのです。

大阪での”情”を感じた旅公演でした。
 近大「唐フェス」の全プログラムを見届けたのは私だけである。
 本来ならば、若手に経験させたかった。
 客演してくれた伊藤匠さん、音響係りの宮地君(熊大演劇部)、そして照明の橋本さん(尼崎ロマンポルノ)、ビデオ記録の村里さん。
 身内の関係としてコレからも付き合っていきましょう。 

2005/03/07(月) 時にはゴドーを待ちながら/咲希
熊本に帰って何をするかと云えば、大阪での出来事の反芻、そしてバイトだ。でも今までの日常とは違う気がする。
昨日は唐フェス最終日。大阪に残っている劇団員は打上げに参加した。唐十郎氏も参加されたそうだ。香西さんから『サインを頂きました。』とメールが来た。夜中にテンションが上がってどうしようもなくなり、笑ってみた。そんな美味しい思いをしている3人も、今日はお別れの日だ。次の稽古日に沢山話を聞こうっと。再来週は劇作家大会だ。一スタッフとして、頑張ろうと思う。

●11泊12日の旅を終える。

長かったのか短かったのか?充実した演劇生活でありました。
宿泊所として未知座小劇場の方には本当にお世話になりました。歓迎会までして頂き感謝しています。
近大のスタッフの皆様、尼崎ロマンポルノの皆様、ありがとうございました。
熊本に来られることがありましたら、大歓迎致します。
「唐フェス」での経験を生かし、更に演劇道一直線、歴史的社会的な視点を忘れずに新たな地平を駆け抜ける所存です。
今後とも宜しくお願い致します。
最後になりましたが、熊本より応援して下さった方々に感謝致します。
演劇を続けていく事と発展していく事をもってお礼に代えさせて頂きます。
どうも、ありがとうございました。

2005/03/06(日) 時には出戻り娘のように/咲希
帰りの船の中では皆ぼーっとしていました。大阪に残っているメンバーも疲れてぼーっとしていたようです。早朝、大分に着いて懐かしい九州の風景を眺める。ラブホ街、温泉街を通って熊本に帰る。どうでも良いが、HOTEL VENUSと云う建物があった。中谷美紀が居るかもしれない、とかは思わなかった。
大阪では沢山の人たちに本当にお世話になった。近大女学生の橋本さんも最初から最後まで色々とありがとうございました。
大阪で公演できたことは勿論、未知座小劇場の方たちとの出会い、流山児さんがアフタートークに来てくれた事、唐ゼミ『少女都市からの呼び声』を観劇した事、森田さんと握手した事、村上君のもみあげが格好良かった事、太った事、尼崎ロマンポルノのメンバーとお話できたこと、大阪で経験した事は何一つ忘れませぬ!

●最後のシンポジューム

近大「唐フェス」もいよいよ最終日である。
この日は潔癖青年団(京都)「少女仮面」と唐ゼミ(横浜)「少女都市からの叫び声」を観る。
ここまで来ると唐十郎の劇世界に完全にのめりこまされた感じである。
この期間中、唐十郎氏・西堂行人氏・松本修氏・新宿梁山泊・維新派・南河内万歳一座・未知座小劇場・流山児祥氏、唐ゼミ・潔癖青年団・近大演劇専攻・近大スタッフの方々との出会いがあった。
最後のシンポジュームでは歴史的なフェスティバルであったと確認出来た。
ひとりの現役劇作家をテーマに、今後の演劇のあり方や方向性も見えたように思う。
時間をかけて今回体験した「唐フェス」を次につなげていかなければ・・・。
今はふつふつと発酵する音が聞こえている。

2005/03/05(土) 時には大和撫子のように/咲希
今日はバラシの日。飛行機で熊本に帰る劇団員は、昼前に大阪と別れを告げた。夕方頃、無事に帰れたと云う連絡を受けたが、熊本はなんと雪だったらしい。
朝食と昼食を一緒にガストで食べる。太った、504円。
近大生の方や、尼崎の皆さんや、色んな人の協力の元、バラシを終えた。今まで夢桟敷と共に舞台に立ってきた、人体模型“藤木君”を尼崎ロマンポルノに捧げた。さよなら、藤木君。でも藤木君の内臓はまだワタシの部屋にある。熊本に帰っても、内臓を見ながら大阪での出来事を思い出そう。後で内臓も尼崎の皆さんに送るかもしれない。ひとり一人の家に。
ワタシ達はフェリーで帰らなければならないので、夕方頃、泣く泣く近大を去る。山南、香西さん、村上君は唐フェスの最終日まで残った。フェリー“さんふらわあ にしき号”出航の時、ドラの音が聞こえた。最後まで劇的だった。
こぼれ話。入港手続きで、メンバーのフルネームを用紙に書かないといけないらしい。行きの時もそうだったが、西岡さんは宮地隆浩氏の下の名前を知らなかったので、『宮地おさむ』と書いた。もし難破して命を落としても、誰も気付かない。

2005/03/04(金) 時には60年代アメリカンのように/咲希
公演2日目・最終日。前日からのど飴中毒。砂糖のかたまりを一日中舐めていますと、太る。
流山児さんにアフタートークのゲストとして来て頂いた。公演後のアフタートークは大変面白くて、ますます夢の肉弾三勇士を見たくなった。その後、流山児さん、山南、座長、近大の人たちが飲みに出かけた。
ワタシも行きたかったけど、唐ゼミの『少女都市からの呼び声』も観たい。ので、唐ゼミのテント芝居を観に行く。綺麗だった。血、つば、水、ラムネはふき出るけど、美しい感じがした。そしてラストの定番、テントがビリビリとやぶれる。ワタシの心臓もビリビリって音がした。もっと長く大阪に滞在して、全部の公演を観たかった。全て観れなくて、本当に残念だ。
夜は尼崎ロマンポルノの皆さんに頂いた焼酎と、未知座小劇場から頂いた日本酒で乾杯した。尼崎ロマンポルノの堀江さんが途中から参加してくれた。堀江さんはアツイ人間だ。かなりいい人で、ワタシと冬馬と悠夢に色々語ってくれた。彼は実は、イエローモンキーの10年来のファンだ。ワタシもファンだ。座長もファンだ。
チェ・チェ・チェ・オケラが初めて吐くまで呑んだ。今までザルだと思っていたけど、彼も若いのだね。

●2日目・流山児祥氏のアフタートーク

「私が唐十郎率いる状況劇場の研究生であった頃、一番の劣等生でありました」
氏の開口一番、ここから始まった。
アングラ四天王(唐・寺山・鈴木・佐藤)を渡り歩き、小劇場の第二世代のトップランナーとして疾走してきた氏の存在感は「唐フェス」にふさわしいトークショーと化した。
時間があれば最近、ワールドツアーを終えた「検閲公演」のことを聞きたかったが、焦点を国内の「小劇場」に当てていたように思う。
戯曲にはない「唐十郎の死体」場面については「もっと、きれいに殺してやれよ!」と迫られてビックリ仰天。
「俺に4日間ほどの演出時間があれば、もっとすごい『愛の乞食』になるぜ!」と言われて、私は真に受けてしまっている。
この作品は演出家にとって「ジョンシルバー」探しの謎を明かす途方もなく面白い劇になるのだ。
私も機会があれば流山児=ジョンシルバーを体験してみたくなった。
まずは近々公演の「肉弾三勇士」を注目しています。

2005/03/03(木) 時には80年代ボーイズのように/咲希
立ち食いうどん屋で朝ごはんをとる。200円。
そこのおかみさんが実は熊本市出身らしい。朝っぱらから日本列島の狭さを知る。
昼はシアターテントカフェで「ニュースおじさん」を見ながらパスタとケーキを食べる。460円。
2回のリハ後、19時から「愛の乞食」公演。
沢山課題が見つかったし、沢山感動した。
夜は宿泊所の未知座小劇場の方々(万寿シャゲさん、打上げ花火さん、闇黒光さん)に歓迎会を開いてもらった。
お寿司、ビール、から揚げ、他にも色々ご馳走になった。太った。
尼崎の方と、近大の方も来てくれた。
大変輝かしい時間を過ごせた。久しぶりによく笑った。

●一回目の公演

はじめての大阪公演初日である。
方尾さんが作った竹の照明機が効果を上げてくれている。
2F通路へ上がる階段を利用しての舞台も慣れてきたようだ。
心配したほどのアガリもない。
お客さんの見る目が鋭く突き刺さっていたが、役者たちは楽しんでいる。程よい緊張感の中でお客さんのエールやご批判も頂いた。
大阪はまぎれもなく演劇の激戦区であることを実感した。
これより一回り大きくなる事、間違いなしである。
日本の片隅でコソコソやるのは終わりに近づいて来た。
明日はアフタートークで流山児さんが来てくれる。
これは間違いなくプレッシャーである。
平田オリザにも「ヘタクソ!」と言える人だもの。
私は昔から頭をあげられない人だもの。
アングラのドン!いよいよ明日来る。

2005/03/02(水) 時には脱藩者のように/咲希
早朝、大阪に到着。
高速で大阪城を見ながら道を間違える。
無事アート館に到着。先発隊と合流。
久し振りに村里女史に逢う。相変わらず華奢で小顔でお笑い系でいらっしゃる。
すでに近大の方と尼崎の方との協力により、舞台が完成している。
ありがとうございます…。
夕御飯を近大の近くの99円ショップなる処で買い込む。
99円ショップは凄い。2リットルの水も99円。是非、学園大前にも支店を、とお願いしたい。
銭湯に入り旅の疲れを癒す。一回360円。洗髪代は+10円。
「女子だもの、髪は洗うわよ。」とバカ正直に370円払った。
シャンプーが置いてない。何もない。銭湯をあまくみてた。
いなかもんがバチかぶった。ごめんなさい。

●全体集合/夜のリハーサル

この日は全員集合である。船で来る者、飛行機で来る者、全員で11名が揃った。
声の通りが悪い。動きの切れが悪い。そう思っていたが口には出さなかった。
まずは乗せてやろう!本番前はコレに限る。
ソレソレソレソレ!良い味がでてきたではありませんか!
夢桟敷の「愛の乞食」いよいよ明日からスタート!

2005/03/01(火) 時には旅人のように/咲希
第二便の出発です。
お昼、「ごきげんよう」の愉快なさいころトークを観ながら荷造り。
本番用のMDはワタシが所持しているので、何度も何度もカバンに入っていることをチェックする。
熊本の誇る世界一のカルデラを眺めつつ阿蘇を走る。
運転手は西岡さん。香西さんは酔いとの闘い。ワタシは人体模型“藤木君”と相席。
途中、“もしかしたらMD入れ忘れたかも”病にかかり、泣きそうになる。
大分は別府、フェリー“さんふらわあ こばると号”に乗り込む。
甲板でまっちゃんと香西さんはお決まりのタイタニックごっこ。
村上君と宮地君は手すりに付いた天然の塩を舐めようか舐めまいか議論している。
西岡さんの乾杯のおんどで宴が始まる。
寿司やらビールやらを頂いて太る。西岡さん、ご馳走様でした。
村上君、まっちゃん、香西さんは衣装作成の為レストランへ。
ワタシは朝が起きれないので早めに布団へ。ごめんなさい。


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