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2005/04/19(火)
今から60年前/山南
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相変わらずTVのニュース(ワイドショー)では中国の反日デモの様子が流れている。 愛国無罪・反日教育にマスコミは中国の現在を映し出そうとしている。いずれにしても、国家を単位としたナショナリズム(民族主義)がアジアに吹き荒れている。 インターナショナルはこのアジアにおいては風前の灯にすぎない。 異文化理解や国際協力などは学者の机上の論理ではないだろうか? 机上の論理では通用しない抜き差しならない風潮が、日本の憲法(とりわけ9条)改変へと突き進むであろう。 待ってましたと言わんばかりに国民意識への操作が政治家の悲願たる自衛隊=軍隊のつじつまあわせに利用されていくだろう。 アジア諸国はさらに「反日」を強く主張する宿命に流れている。
このような時代に「星砂がくる海」に取り組んでいるのである。 マスコミの記者は必ず「社会派演劇」として捉えるだろう。 が、残念ながら私たちの劇は泣く子も黙る複雑怪奇なものとして目に映ってしまうのである。 それはこの劇がリアリズムでは進行していかないところにあるからだ。付け加えれば、戦争の被害を訴える劇ではないのである。 今から60年前の沖縄地上戦を<内乱>の劇へと仕組んでいく罠をお見せしたい。あくまでも<虚構>である。 スポットは母と子に絞る。その背景として<歴史>が浮かび上がってくるという演劇的な罠を仕掛けている。
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