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2005/05/08(日)
新しい波が/山南
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今日の稽古は「演劇ワークショップ」テキストのための写真撮りに1時間半を費やした。 <ことば>にしろ<肉体>にしろ、演劇はバリッとした役者がいてナンボーのものである。 お客さんは役者を見に来るのである。役者は見られるために稽古を積む。この当たり前のことが最近、あやふやになってきているのではないだろうか。 それは演劇を作る側、送り出す側に問題が生じてきた。と思えるからである。自分にも言い聞かせている。
テキストは「演劇ワークショップ」に参加された方々に配布することになる。 参加者は一度きりで終わるかもしれないし、これがきっかけで自分の人生が演劇にどっぷり漬かってしまうしまう者まで現れるかも知れない。いずれにも通用するワークショップのために・・・・。 視点はただ一つ。自分の中に「他人」を発見するワークショップになれば良いと願っている。
夢桟敷の稽古はこれの積み重ねであり、台本は他人探しのテキストとして使っている。 もはや小劇場での「自分探し」の時代は終わっている。 夢桟敷の若い役者たちが<新しい波>として今日の「小劇場」の私小説的で内向的な悩める文学芸術を笑って過ごす日は近くなってきた。 テレビサイズの「お笑い」に対しても挑発的である舞台を目指そう。そのためにこそメジャーを意識してみるか。
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